【感想】パイドン-魂の不死について

プラトン, 岩田靖夫 / 岩波文庫
(36件のレビュー)

総合評価:

平均 4.1
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ブクログレビュー

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  • Ronnio

    Ronnio

    プラトンと言えばイデア論、と倫理で学んできた。
    なのでいつプラトンの論述が出てくるのか気になっていたが、終始ソクラテスが他者と対話していくストーリーであり、またソクラテスがイデア論の話を出していたことから、イデア論を提唱したのはソクラテスだったのか、と思った。

    しかしあとがきを読んで分かったのは、そもそもプラトンは基本的にソクラテスの思想を受け継ぐこと、そしてやがてそれを理論化するのを目的としていたことだった。
    あとがきにの、『『パイドン』はプラトンとなった最初のソクラテスの声なのである』の通り、プラトンはソクラテスの口を借りて、追憶と(おそらくの)創作の混じった書物を残したのであり、現代まで残され受け継がれてきた各種の記録、そしてその中の論理的な整合性から、どこまでがソクラテスの思想でどこからがプラトンの思想であるかを見分けなければいけない。
    ただ、一読者としては、正直なところ2人のどちらが何を言ったかと区別するのはそこまで重要ではない。むしろ、何を語り、そこから何を学べるかだと思う。

    本書内容をざっくりといえば、ソクラテスが死ぬことを悲しむ弟子たちに対し、死ぬことは悪いことでも悲しむことでもなく、むしろ哲学者は早く死ぬことを目的とする方が正しい、ということを納得してもらうために、ソクラテスが対話を進めていく、というストーリーだ。
    人が死んだら魂がどうなるのかを論理的に導き出す工程は、現代に生きる私としても当然自分事として気になる。
    ただ、率直な感想としては、ソクラテスの弟子たちのように納得はいかなかった。

    あまりにも二元論で物を見すぎている点と、ある二元論を別の二元論に無条件に演繹してしまっている点、それに信仰と科学が入り混じってしまっていて論拠が弱い点が気になってしまう。
    一体最終章の神話の章をソクラテスやプラトンはどこまで現実として受け取っていたのだろうか。
    少なくとも、生きている間にこの世で見聞きする情報はイデアの影であり、思索の積み重ねで得られる結論こそが純粋であるという視点では、現実世界における事実、科学とを軽視し、むしろ想像や伝承のような神話、信仰、下手すれば妄想の方を重要視してしまう。
    この切り分けを経ないことには、より納得のいく結論には達せないように思う。

    現代に生きる我々は既にソクラテス・プラトン以降の長い年月における大勢の哲学者、科学者、数学者、宗教家のような人々の思想を既に前提として受け取っているため、上記の矛盾や違和感が残るのだろう。
    西洋哲学は、過去の哲学者の思想を新しい事実と類推で以て批判・否定し、新しい思想を提唱することの積み重ねであったという。
    このプラトンの著作で受ける違和感が、今後私が続けて学んでいく後世の人物らによってどのように覆され、整えられ、現代の常識に繋がっていくか、その経緯を辿ることを楽しみに思う。

    最後に、創作、ストーリーとして読むのであれば、最後にソクラテスが毒配を飲んで死後の旅へとでる表現は充分に感動的であった。
    読んで良かったと思う。
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    投稿日:2023.11.17

  • La_y3

    La_y3

    魂の不死に関する中期の対話篇。
    プラトンの主著『国家』へ結ぶ前奏曲である。

    知らないはずことを問答によって「知る」ことができるのは何故なのか。
    知慮は、魂が我々の肉体に宿る以前において、既にイデアとして魂に刻まれている。我々が現世へ生誕すると、魂が身体に閉ざされ、イデアは忘却されてしまうのであり、我々は人生において獲得してゆく知慮は、この失われた彼岸のイデアを想起しているに過ぎないのであると。

    やがて人間は現世での死を迎え、魂は肉体から開かれ、来世へ解放されてゆく。

    プラトンの想起説は、確かに仏教的な輪廻転生や解脱とも共鳴しており、西洋と東洋の思想的原初が一つの混沌に求められるような。。
    (井筒俊彦が指摘している?)

    私が将来的に関心のある分野にも示唆があった。
    統合失調症における妄想知覚では、ある視覚情報が被害的な内容に誤って意味づけられる。プラトンの想起説は形而上学的だが、何かを与えられて表象される妄想の内容には差異があって然るべきだと思わされる。知覚された内容を安易に形式化し、一級症状を見過ごさない戒めを頂けた。


    主著『国家』を読み終えていないが、現時点ではプラトンの対話篇で最も心惹かれた作品だった。
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    投稿日:2023.05.07

  • こべこべ

    こべこべ

    魂は永遠不滅であって、自身の肉体が朽ちたところで虚無に還るわけではない、と説くソクラテスは現代の考え方からすれば誤りなのだが、たとえば真理とは何か、善とは何かを考える場合には普遍的な内容を記している。ただ個人的には、同時期の「饗宴」の方が好きだし、ソクラテス文学としても少し弱いような気がした。続きを読む

    投稿日:2023.04.17

  • ももちゃん

    ももちゃん

    とても読みやすかった。魂の不死を考えるとき、どう生きるかということも同時に考える。何度読んでも発見があると思われる。

    投稿日:2021.08.28

  • kodyhase

    kodyhase

    魂は不滅であり、死とは魂の肉体からの解放であるということを、これは一体何段論法なんだ?というぐらい理屈で証明していく、死刑直前のソクラテスを描いたもの。

    真理に到達する、善く生きることができる人について、「純粋な思惟それ自体のみを用いて、存在するもののそれぞれについて純粋なそのもの自体を追求しようと努力する人」とし、これは禅の初心に通じるものを感じた。

    …というところまでは良かったのだが、「反対のものがある限りのものは、まさにその反対からしか生じえない」、したがって「生き返るということも、…死者たちの魂が存在するということも、本当にあることなのだ」辺りで、理屈をこねくり回して無理やり理論構築している気がして、付いていけなくなった。

    想起説(生まれる前に知識を持っており、学ぶとは想起すること、であるから魂は不滅とする)もそうかなーと思ってしまう。

    しかし、ソクラテスは2400年前の人であり、そんな人の発言に対して、そうかなーとマジメに思わせてしまうのだから、やはり名著なのだろう。
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    投稿日:2021.01.31

  • Pompeii

    Pompeii

    プラトン3冊目。いよいよソクラテスの死刑当日。

    ある日、横断歩道で信号を待っている時、今一歩踏み出しせば交通事故で一瞬で生から死の状態になるのだと不思議に思ったことがある。しかしこれは自殺行為であり、プラトンによると、我々人間は神の所有物(奴隷)であるため、勝手に死ぬこと(自殺)は裁きを受けることになる。

    人々が信号を待っているのは死にたくないし、生きたいから。一般的に死は避けたいし、醜いものだ。

    だからと言って、死をただ醜いものとして捉えてはいけない。死は快楽や欲望をもたらす肉体と魂の分離であり、魂そのものになることである。肉体と魂が一体である生ある期間に、汚れのない行いを積み重ねてきた哲学者は決してそれを恐れない。なぜなら哲学は死の練習だから。そして、魂は不死で不滅なものだから。
    (ただ、その証明は何度も読まないと忘れてしまう...。)

    ソクラテスの死の描写は、目の前でまさに事が行われているよう錯覚するほどの臨場感がある。
    毅然とした態度で死に向かうソクラテスとそれを見守る友。毒を飲み干したソクラテスを見た友の「あの方の身を嘆いたのではありません。私自身の運命を嘆いたのです。」という言葉には、哲学に従って生きたソクラテスの本望が込められているように思えた。
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    投稿日:2020.02.16

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