【感想】リア王

シェイクスピア, 野島秀勝 / 岩波文庫
(31件のレビュー)

総合評価:

平均 3.6
5
7
13
2
0

ブクログレビュー

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  • shig66

    shig66

    今まで読んだシェイクスピアの戯曲の中では、ダイナミックで波瀾万丈。深い。でも戯曲は読みにくい。人物一覧を繰り返し参照しながら読み進む。

    投稿日:2023.10.29

  • corpus

    corpus

    リア王は立派な王だと思って読んでみたが、少しも立派ではなかった。いわゆる一人の父親であり、遺産を娘たちに分与する資産家に過ぎなかった。

    リア王以外に立派な人がいたかは難しい。遺産を拒んだコーディーリアか、王に苦言申し上げたケント伯だろうか。でも、結局、いなかったのかもしれない。立派さに力点をおく作品ではないから。強いて言えば、あの嵐が立派だったのかもしれない。

    序盤は話がぶつぶつして煮え切らないのが、グロスター伯の目が潰れた辺りから、急速にまとまっていく展開だった。最後は悲劇ということらしいのだが、そして、誰も居なくなったわけでもないので、喜劇になりそうな気もする。まぁ、リア王にとっては悲劇だとしても。
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    投稿日:2022.12.31

  • ぽんきち

    ぽんきち

    「風よ、吹け、お前の頬ははちきれろ、荒れろ、吹け。("Blow, winds, and crack your cheeks! rage! blow!")」(第三幕第二場)
    シェイクスピアの四大悲劇の1つ。
    その悲劇の内、最も悲壮、最も大規模と言われる。

    ブリテン王リアは年老い、領地を3人の娘らに分配しようとする。
    上の2人の娘ゴネリルとリーガンはここぞとばかりにおべっかを使う。末娘で最もかわいがられていたコーディーリアは、深い孝心を持つにも関わらず、姉らのようにふるまうことをよしとせず、そっけない受け答えをする。これに激怒したリアは、姉2人に領地を与えたうえ、末娘を勘当する。彼女の心立てに感銘を受けたフランス王は妃として娶ることにする。
    一方、リアはまもなく、姉娘らからひどい仕打ちを受けるようになり、供のものを減らされた上、追放同然に放り出される。
    荒野で、リアは暴風雨と闘う。それが冒頭の引用部分。
    苦悩に沈むリアは発狂する。
    リアの窮状を知ったコーディーリアは、父を救おうとフランス軍を率いてブリテンに向かう。父娘の絆は再び結ばれたが、しかし、武運つたなくフランス軍は敗れ、リアとコーディーリアは捕虜となる。挙句、コーディーリアは絞殺され、リアは息絶えた娘を胸に抱いて絶命する。

    何とも救いのない話である。
    娘たちも腹黒いのだが、陰に暗躍するものがもう1人いる。
    リアの元側近グロスター伯の庶子であるエドマンド。
    父伯爵に嫡子エドガーが謀反を企てていると吹き込み、追い払わせる。一方で、既婚者のゴネリル・リーガンの両方を誑かす。グロスター伯はエドマンドの奸計が元で、リーガンの夫コーンウォル伯に両眼をえぐり取られる。
    エドマンドは野心家で、どこか『オセロー』のイアーゴも思い出させる。欲得ずくだけではない。彼には明確な悪意がある。単に自身を引き上げるのではない。他を引きずり降ろして自身がその場を占めるのだ。その相手に向けられる、冷ややかな確固とした悪意。

    もう何だかどこまでも悲惨である。
    最終的にはゴネリルもリーガンも死ぬ。エドマンドもコーンウォル公も非業の死を遂げる。
    ゴネリルの夫のオールバニ公だけは心底悪人ではなかったようで、彼がこの後のブリテンを統べていくようである。

    何だろう。リアはどこで間違ったのだろう。
    頑固で癇癪もちの性格が災いした? 姉たちの甘言を信じて王国を手放してしまったのがよくなかった? かわいがっていた末娘の本心を見抜けなかったのが不運だった?
    でもコーディーリアも変に意地を張るのもおかしいし、さらには邪だとわかっている姉たちに老父を委ねるのは軽率じゃないか? 本当の孝行娘なら止めるべきだったのでは?
    つらつら考えているうちに、でも何だかこれは必然だったのかなぁとも思えてくる。必然というか、運命というか。人生、思った通りに進まないことなんかよくあることではないか。

    リアは娘に、グロスター伯は息子に、完膚なきまでに打ちのめされる。
    正しい心の子どももいたのに。取り立てて愚かでも悪人でもないのに。
    子どもの育て方を誤ったといえばそうなのかもしれないが、それにしても手ひどい。

    嵐。嵐。嵐が吹き荒れる。
    その中にリアは立つ。
    負けるとわかっていても。勝てぬとわかっていても。
    止める道化の言葉も聞かず。
    それが死すべき身の人間に宿るわずかな尊厳だとでもいうように。
    痩せた身体が、荒野にそびえ立つ。


    *1948年初版、斎藤勇訳版
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    投稿日:2022.01.10

  • keiichiisozaki

    keiichiisozaki

    塵、糞、粕、粗末な喜劇。前回、ギリシア神話の悲劇「オイディプス王」に最大の賛辞を送っただけに、青ざめるほどのつまらなさを感じた。そもそも悲劇とは何か。例えば、東日本震災を悲劇と見るとき、平穏に暮らしている人々の上に突如として不幸が襲ったために、悲劇として見る見方が成立する。対し、囚人を閉じ込めた監獄の天井がある日突如として落下し全員くたばったところで、これは喜劇である。これに当てはめれば、リア王は喜劇でしかない。また、例えば、男が自分の真上に高くボールを投げあげて、そうしてから男は自分が老体であることに気付いた。男は落下してくるボールを受けきれずに広い額に当たって動転、尻もちをついた。これはやはり喜劇である。そのまま死んでしまえば喜劇でないにしろ、絶句である。その絶句は、呆れでしかない。リア王はこの、呆れでしかない。で。悲劇でないから、作品が糞であるとかそういうことでは当然ないから、ひとつひとつ指弾していかなければならない。そのゴミ具合を。たくさんあって書くのも面倒臭いが、例えば何故コーディリアは王を愛したのか。作品からは、純朴の者が単に純朴さ故に父を愛した、という程度にしか把握できない。その設定だけでは昨今のライトノベルと同等である。3姉妹において対比される光であるにしろ奥行がない。宇宙から来た美少女が、とにもかくにも醜悪なじぶんを愛してくれる、それだけしかない。同様に、リア王にしても愛される背景が描かれていない。親と娘の信愛が無条件で成立している、とする作品は砂粒の数ほど存在するが、あくまでもそれは俗悪なもので、大衆に愛されるのかも知れないが、世界文学であってはならない。リア王がそれであるなら、ではちゃんと書け、としかわたしには出てこない。この話が、仮に世界の縮図であるなら(少なくともオイディプス王はそうだった)、せいぜい日本のバブル期の巨人の星がアニメ史上最高視聴率を獲得した時代にしか通用しないだろう。まだある。リア王は自ら狂人であるというし、読者もまたリア王は狂っているとためらいなく書くが(amazonなどを見る限りでは)、そんなに狂っているだろうか。会話の筋は通っている。単に幼稚なだけではなかろうか。狂人というより愚者である。終始王には道化が付きまとう。道化は狂人かも知れないが、わたしのなかでは彼の役割は預言者である。王も道化も狂人というならば、単純にキャストが被っている。ではわたしの読みに従って、愚者に預言者が付き添う、としたらどうだろう。オイディプス王では、懸命な王に預言者が助言をするが王は許せず突き返した、そして悲劇に繋がるわけである。そこを愚者に置き換える。愚者に預言者が預言を与えても愚者は何も解さない。道化は道化のままである。道化の役割も今一つとしか思えない。誰ひとり劇のなかで輝かない。喜劇にすらなっていない退屈なものだった。続きを読む

    投稿日:2018.03.07

  • samwo360

    samwo360

    シェークスピアは、部分的にしか読んでませんでした。あらためて、悲劇作品を通じてシェークスピアの天才を垣間見た感じです。

    投稿日:2016.04.28

  • 芳梅

    芳梅

    シェイクスピアの四大悲劇の一つ。読むと現代にも通じる愛憎劇あり。ブリテン王リアや道化、エドガー扮する乞食の狂気ぶりも描かれ、読むのに苦労した。

    この狂気ぶりがシェイクスピアの「リア王」では非常に特徴的であるらしく、伝統的な秩序を重視するエドガーら善玉と新しいやり口で秩序を破壊していく悪玉のエドマンドらとの間で起こるギャップを道化の”狂気”を通して描いている。

    実際読んでみて「リア王」は単純に善玉・悪玉では区別できないものがる。元々、ブリテン王リアやグロスター伯爵は近代的な感覚で見るとかなり問題がある訳であるし、リアの娘であるリーガン・ゴネリル、グロスターの庶子であるエドマンドが親世代の秩序を破壊していく。一見すると「悪玉」的な行動は中世的な旧弊を打破してやろう、という気概さえ感じられる。


    結果的にリアとグロスターの浅ましい行動から、リア一家はリアとコーディーリアら三人の娘全員が、グロスター家でもグロスター伯爵とエドマンドが死ぬ。主要人物の大半が落命するという悲劇的な結末とともに、エドガーとオルバニーが新たな時代を築くことを決意し終わりを迎える。
    人間の浅ましさがもたらした究極の悲劇と言っていいかもしれない。


    「リア王」の悲劇は読み手によって受け取り方はいくらでもある。それだけの含みを持たせた作品だからこそ、長きに渡って読み継がれてきたのである。

    本書は訳者の野島氏が脚注を本文の下段に付しており、逐一本文の含みとなる意味を確認しながら読み進めることができるので、大変読み手にやさしいように感じた。
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    投稿日:2016.03.22

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