【感想】バッハ

加藤浩子 / 平凡社新書
(5件のレビュー)

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  • yonogrit

    yonogrit

    773

    加藤 浩子
    東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学大学院修了(音楽史専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学に留学。音楽物書き。著書に『今夜はオペラ!』『モーツァルト 愛の名曲20選』『オペラ 愛の名曲20選+4』『ようこそオペラ!』(以上、春秋社)、『バッハへの旅』『黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ』(以上、東京書籍)、『ヴェルディ』『オペラでわかるヨーロッパ史』『カラー版 音楽で楽しむ名画』『バッハ』(以上、平凡社新書)など。著述、講演活動のほか、オペラ、音楽ツアーの企画・同行も行う。


    ただ、バッハの音楽についてよくいわれる「心を落ち着かせる音楽」だという表現 は、おそらく彼の信仰と関係している。音楽が聴き手の心を揺り動かすことを目的にす るようになったのは、フランス革命以降、音楽が自己表現になって以来のこと。それ以 前の音楽は、世界の調和の写し絵であるとされた。そしてルター派の信仰においては、 音楽は神への捧げ物だった。日的が礼拝であろうと雇い主の娯楽であろうと、音楽は最 終的には「あちら側」への捧げ物として創作されたのだ。バッハはおそらくその態度に おいても完璧で、「音楽」という自分の天分を磨き上げて、あちら側への捧げ物を織り 上げた。

    アイゼナッハの大きな観光名所は二つある。「バッハハウス」とヴァルトヴルク城 だ。街の中心部にあるバッハハウスは、かつてバッハの生家だと考えられており、それ を記念する博物館として開館した。のちにバッハの生まれた家はここではなかったこと が確認されたものの、博物館としてそのまま使われている建物である。一方、街外れ 丘のうえにえるヴァルトブルク城は、ドイツに数ある古城のなかでもおそらくルート ヴィヒ二世が建造した「新白鳥城(1ノイシュヴァンシュタイン城)」とならぶ知名度を 誇る名城だ。創建は一一世紀。緑に覆われた崖のうえにせり出すように建つ山城だが、 ロマネスクやルネッサンスの様式をとどめる堂々とした石造りの「宮殿」と木組みのあ る白壁を持つ「前城」からなり、一度見たら忘れられない個性的な外観をしている。 九九九年にはユネスコの世界遺産に登録された。城からの眺望も素晴らしく、ゆるやか に起伏する大地に広がる「テューリンゲンの森」を見渡すことができる。

    実はバッハは、一族のなかでは飛び抜けて長いあいだ教育を受けている。幼少の頃 通ったドイツ語学校を別にして、アイゼナッハで三年間、オールドルフで五年間、さら に北ドイツのリューネブルクで二年間、合計一〇年間にわたってラテン語学校で教育を 受けているのだ。自分のきょうだいも、父や祖父のきょうだいも、誰ひとりとしてバッ ハのように長く学校に通った人間はいなかった。後にバッハは、自身が大学に行かなっ たことを残念がり、息子たちは大学にやりたいと願うが(そして実際、息子たちの大半は 大学に通った)、バッハの世代の町楽師の息子としては、法外といっていいエリート教 育を受けたのである。

    バッハは生涯、「外国」に足を踏み入れたことがなかった。就職先も、すべて出身地 であるテューリンゲン、そしてお隣のザクセンにとどまっている。そんな彼にとって、 北ドイツは唯一の「外国」にひとしかった。ドイツ国内にあっても、自分の手の届く範 囲の音楽を驚異的なスピードと能力で消化吸収していったバッハのこと、北ドイツとい う「外国」から受けた刺激がどれほどのものだったか計り知れない。

    バッハは国外に出た経験がない。イタリアに留学して最後はロンドンへ渡ったヘンデ ル、ハンブルクで働きながらもパリに進出して名声を高めたテレマンのような同時代の どんよく 人気作曲家とは、そこが違う。だが与えられた機会を貪欲に生かし、しかも自分のもの にしてしまう能力では、バッハは天下一品だった。イタリア風の協奏曲もフランス風の 管弦楽組曲も、そして昔ながらの讃美歌(コラール)に基づく声楽曲も、バッハのフィ ルターを通ると、限りなく精緻で音楽の密度が濃く、練り上げられたと同時に生き生き とした躍動感のあふれるヴィヴィッドな音楽へと変貌するのである。

    ケーテンは、多くのバッハファンにとって憧れの街である。一部のファンにとって は、バッハがもっとも長く暮らし骨を埋めたライプツィヒ以上に、身近に感じられる街 であるようだ。なぜならケーテンは、バッハが職務の関係上、器楽の名作をたくさん創 作した街だからである。キリスト教文化を背景に持たない日本人は、どうしても宗教作 品はとっつきにくく、器楽から入る人が圧倒的に多い。《無伴奏チェロ組曲》や《ブラ ンデンブルク協奏曲》がケーテンで生まれたときいて、ケーテンに親密な感情を抱く とは少なくないのである。

    まして政治は、みなのことについて決める営みです。複数の人びとの間の集合的な決 定にかかわるわけで、そのために、政治は個人的な決定とは別の水準の理不尽さをもた らすものとして、私たちに意識されることが多い。複数による決定ですから、自分の意 のままにはいかないことも少なくないのです。全体を称する多数派の都合のために、 分が損をすることだってある。だからといっていつも従わなければ、決定すること自体 が無意味になってしまいます。この世に自分一人だけで暮らしているわけではないです から、集合的な決定は避けられるものではありません。納得はいかないけれども受け容 れないわけにもいかない。このあたりから、政治というものにはある種の不愉快さ、押 しつけがましさがつきまとうことにもなるわけです。

    バッハの音楽はしばしば「数学的 だといわれるが、中世では音楽は「宇宙の調和」とみなされ、数学 と同じ次元だと捉えられていた。バッハはもともと理論家肌の作曲 家だが、晩年の大作群にはとりわけそのような過去への回帰が、数 学的な指向が見て取れる。

    一七五〇年春、前年来、おそらく糖尿病の合併症として起こった 白内障からくる視力の低下に悩まされていたバッハは、イギリスの 眼科医ジョン・テイラーの手術を受けた。新聞記事などでは名医と もてはやされていたテイラーは実際は山師に近いような人物だった らしく、バッハの目は治るどころか一気に悪化し、完全に失明して しまう。

    なぜ、バッハはこれほど支持されるのか。 実は、筆者にもよくわからない。わからないから、繰り返し旅に 出るのかもしれない。けれどバッハの音楽が、心を強く支えてくれ る音楽であることはたしかだと思う。その背景には、やはり彼が信 仰のひとであり、(クイケンが語るように)「自我」を超越したとこ ろで作曲していたということがあるのではないだろうか。
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    投稿日:2023.07.21

  • hamakoko

    hamakoko

    https://kinoden.kinokuniya.co.jp/shizuoka_university/bookdetail/p/KP00014743/

    投稿日:2022.09.07

  • 辻井貴子

    辻井貴子

    子どもの頃、ピアノのレッスンで登場するバッハが、苦手だった。
    両手がバラバラに動くようなフレーズも難しかったし、同じ強さで淡々と弾くように言われて、もっとドラマティックなメロディが弾きたいと、つまらなく思っていた。
    音楽室に肖像画がかかっている、その程度の印象しかなかった人は、当時の私にとっては2次元で、何世紀ごろの人、と筆記試験のためにマル覚えするような対象でしかなかったのだ。

    宗派のこと、時代のこと、政治のこと。
    こういうことを知っていれば、バッハの音楽がもっと面白く感じられていたかなぁ。
    少なくともバッハが、現代を生きる人間と同じように悩んだり、恋をしたり、仕事に情熱を燃やしたり、まるで中間管理職のように上司(にあたる立場の人)の政治的な揉め事に巻き込まれて困ったりしていたことを知れば、もっと身近な、同じニンゲンとして親近感を覚えることができたかも。

    今になってでも、出会えたからよしとしよう、と思う。
    今だから分かることも、沢山あったと思う。
    トシを取った証拠なのか、どうなのか・・・。

    人は、音楽ナシでは生きられないんじゃないか?
    何百年も前から、良い音楽を生み出すことにこんなにも情熱を傾ける人たちがいたことを知ると改めてそう思う。
    「生存する」ことはできるかもしれないけど「豊かに生きる」には、やっぱりこういう芸能とか、気晴らしになるようなものが必要だったんじゃないかな、と。

    とはいえ「どうしても必要」となればお金も絡むし、利害が絡めば政治が出てくる、宗教が出てくる。「芸術家」であるだけでは、本人も作品も、生き残りづらかったのは今も昔も変わらないみたい。
    立場とか、やりたいこととか、生活のいろいろな事情とか、、、「いろんなことのバランスを取りながらガンバってたバッハさん」の生き様が垣間見えるようでとても面白い1冊。彼の並べたオタマジャクシが、今も残ってるんだもの、、、それって凄いコトだ!と改めて思える。


    ところで実は
    「バッハさん」への親近感を得られたことと同じくらい衝撃だったのは長3度にチューニングされたミーントーンのパイプオルガンのこと。
    オートハープのチューニングで試そうとしたこともあるのだけれど、実際にはなかなか難しくて実用には至らず。パイプオルガンの調律なんて、どんな風にやるのか想像もつかないけど、、、その調の一曲を最高の響きで、というこだわり方が素晴らしい。ひょっとすると、神への捧げものだったからこそ、そういう贅沢が生まれたのかも。
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    投稿日:2021.12.27

  • takahiro

    takahiro

    今まで数多くのバッハに関する本を読んできたが、この本がベスト。バッハの歩みが精神面のみならず具体的な距離感としても理解でき、バッハの人間としての息遣いも感じられた。筆者の本はオペラや絵画など数冊読んできたが、今回もとても良い本でした。あとがきのラスト3行も全く同感です。続きを読む

    投稿日:2018.12.28

  • stanesby

    stanesby

    今まで色々なバッハについての本を読んできたが、今回ほどバッハが住んできた都市を体系的に理解出来た事はなかった。当時の社会に於いて自分の住む所が生活の全てであって、その都市を離れるというのは生活環境を全く変えてしまうという事と想像出来る。その中にあってバッハは、収入・仕事環境改善と宗派的理由から何度も居住地を変えている。それが、本人の才能を活かすため、現代語でいう「リア充」を求めてなのか、家族の幸福(教育)の為なのかは、分からない…残っている資料は基本的に公のものばかりだから。今でも会社を辞めるときには「一身上の理由により」と書かれるが、その一身上の裏には多くの理由があるのと同じだ。

    個人的には、家庭におけるバッハの姿をもっと掘り下げて欲しいし、彼の信仰についても神学的なアプローチも必要かと思うけれど、バッハの居住地を巡るというアプローチにおいて色々なインスピレーションを与えてくれた一冊である。








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    投稿日:2018.09.02

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