【感想】文学の淵を渡る(新潮文庫)

大江健三郎, 古井由吉 / 新潮文庫
(5件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • ユウダイ

    ユウダイ

    【読もうと思った理由】
    古井由吉氏を知ったきっかけが、平野啓一郎氏の「小説の読み方」と伊坂幸太郎氏の「小説の惑星 ノーザンブルーベリー編」だ。現在人気の作家二人が揃って、古井由吉氏を絶賛している。平野啓一郎氏は、小説家が尊敬する小説家と評価しているし、伊坂幸太郎氏は、完璧な小説を挙げるとすると、「先導獣の話」を挙げるかもしれないと、最大級の賛辞を送っている。

    また古井氏と言えば、芥川賞受賞のエピソードが有名だ。第64回芥川賞を受賞したときのノミネート作品が、実は古井氏の作品が2作品あった。「杳子(ようこ)」と「妻隠(つまごみ)」だ。一人の作家が同じ回に2作品ノミネートされるのは、かなり稀だ。当時の選考委員も他の作者の候補作があるにも関わらず、ほぼ全員が古井氏の作品を推す。ただ杳子と妻隠で真っ二つに意見が分かれる。

    当時選考委員であり、すでに文壇の重鎮となっていた川端康成氏が、「文藝春秋の社内予選で、一作家の候補作を一作品に絞れないなんてありえない」と、選考時に杳子しか読まないという。そんなのありなの?と。それで結局杳子に受賞作が決まるという。(選考後に妻隠も読んだそう、川端氏の名誉の為に書いておきます。)まぁそれほどデビュー当時から他の新人作家と比べて、古井氏のレベルが段違いだったのだろう。

    大江健三郎氏に関しては、また伊坂幸太郎氏のエピソードになってしまうが、大学生のときの伊坂氏が、たまたま大江氏の「叫び声」を読むと「なんだこれ、めちゃくちゃ面白い!」となって、ほぼ毎日のように大学の生協に大江氏の本を買いに行っては、貪るように読んだんだという。意外に思われるかもしれないが、伊坂氏は自分が読む本は、ミステリーか純文学しかほとんど読まないらしい。単純なエンタメ作品では出せない魅力があるのも、その辺の読書遍歴からきているのかも知れない。

    なので古井氏も大江氏も、上記のエピソードの関連から短編を数本は読んだが、難解な部分が多く、理解が浅いような気がしてならない。そんなときは、小林秀雄氏に教えてもらった攻略法が役に立つ。その作品を深く理解したければ、その人物を深く知れば良いと。そんな折、本屋をぶらぶらしていると、二人の対談本があった。一石二鳥とはまさにこのことと思い、読むに至る。

    【大江健三郎って、どんな人?】
    (1935年〜2023年3月3日)(88歳没)
    愛媛県大瀬村(現内子町大瀬)に生まれる。東京大学仏文科在学中の57年、東大新聞の五月祭賞を受賞した「奇妙な仕事」が評価され、文芸誌に「死者の奢り」を発表。新世代の作家として注目を集め、翌58年、戦時下の村で黒人兵を幽閉する「飼育」で芥川賞を受賞した。集団疎開した少年たちが疾病の広がる山村に閉ざされる第一長編「芽むしり仔撃ち」を同年刊行、初期の代表作となった。都市の無力な若者のアイデンティティを問う長編「われらの時代」(59年)などを経て、61年、17歳の少年がテロリストになってゆく問題作「セヴンティーン」を発表。64年、脳に障害のある長男の誕生を描いた「個人的な体験」(新潮社文学賞)で作家として転機を迎える。苦悩を抱えて生き、無垢(むく)なものに再生される主題の作品を以降、繰り返し描いた。

    「反核・平和」の訴えは創作にとどまらなかった。60年には石原慎太郎や江藤淳らと「若い日本の会」を結成。日米安全保障条約に反対する活動に加わった。広島での取材体験を元にしたノンフィクション「ヒロシマ・ノート」を65年に、「沖縄ノート」を70年に刊行した。95年にはフランスの核実験に抗議して、同国で開催予定のシンポジウムを辞退。この件を批判した仏作家クロード・シモンとはルモンド紙上での論争に発展した。

    94年に川端康成に続いて日本人で2人目のノーベル文学賞を受賞した。故郷の四国の村から国家、宇宙へと神話的な文学世界が広がる「万延元年のフットボール」(67年)が翻訳され、評価されていた。受賞記念講演の題は「あいまいな日本の私」。文化勲章にも内定したが、「国家と結び付いた章だから」と辞退し、話題になった。2000年の「取り替え子(チェンジリング)」以降、自身を想起させる老作家を主人公とした長編の刊行を続けた。13年に発表した「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」が最後の小説となった。
    主な受賞歴に、67年「万延元年のフットボール」で谷崎潤一郎賞、73年「洪水はわが魂に及び」で野間文芸賞、83年「新しい人よ眼ざめよ」で大佛次郎賞。77~84年と90~97年に芥川賞選考委員。選考をひとりで行う大江健三郎賞を05年に創設、14年の終了まで国内の気鋭の作家に光をあてた。

    【古井由吉って、どんな人?】
    (1937-2020)(82歳没)
    1937年東京生まれ。東京大学独文科修士課程修了。ロベルト・ムージル、ヘルマン・ブロッホらドイツ文学の翻訳を手がけたのち、1971年「杳子」で芥川賞を受賞。1980年『栖』で日本文学大賞、1983年『槿』で谷崎潤一郎賞、1987年「中山坂」で川端康成文学賞、1990年『仮往生伝試文』で読売文学賞、1997年『白髪の唄』で毎日芸術賞を受賞。『山躁賦』『眉雨』『楽天記』『野川』『辻』『白暗淵』『ゆらぐ玉の緒』『この道』ほか数多の著作を遺して、2020年2月永眠。

    【本書概要】
    聖なるものと優れた小説がともにもつ、明快にして難解な言葉の有り様を語り、鴎外から中上健次まで百年間の名作小説を、実作者の眼で再検証する。また、外国詩を読み、翻訳する喜びを確認し合う傍らで、自らの表現を更新するたび「+1」を切望する、創作時の想いを明かす。日本文学の最前線半世紀を超えて走り続けた小説家が、それぞれの晩年性から文学の過去と未来を遠望する対話集。

    【感想】
    この本を読んで良かった。二人の人間性がこの対談集を読んでいるとよく分かる。大江氏は古井氏のことが、めちゃくちゃ好きなんだと、分かりやす過ぎるほどに、こちらに伝わってくる。また、二人の日本だけではなく世界の文学の知識が半端なく広くて深いのだ。僕のように浅くて狭い人間からすると、読んだことない作家のオンパレードだ。

    この対談集6章からなる章立てだが、第1章がもっとも難解だ。久しぶりに読んでいて、書いてあることが難解過ぎるため、脳をフル活動しないと、とてもじゃないが付いていけない。それもそのはず。二人とも東大卒なのは当たり前として、古井氏はドイツ語の翻訳者として二十代の頃活躍していたし、大江氏は英語とフランス語が堪能だ。なので、古井氏はドイツ文学に造詣が深く、大江氏はフランス文学やアメリカ文学の知識が豊富すぎる。

    ただこの難解な第1章を読んで、ありがたい気づきを得られた。それは、自分が過去読んだ本の中で、もっとも感銘を受けた小説はカラマーゾフの兄弟だ。それも僅差で一位ではなく断トツでトップなのだ。本書の第1章を読むことにより、その理由が明確にわかった。カラマーゾフの兄弟を実際読まれた方はご存知だと思うが、作者であるドストエフスキーの想いや思想を、読み手であるこちらに休むことなく畳みかけてくる。思想がまるでミルフィーユのように、何層にもわたって積み上げられていく。言ってしまえば、形は間違いなく小説なのだが、中身は思想書に感じられる。

    なので元々思想書好きの僕には、ピッタリとハマったのだろう。逆に思想書とか好きじゃない人には、消化不良で食傷気味になってしまうのだろうと思った。この1章を読んでいて、二人の上げる作家がほぼ漏れなく、自分の揺るぎない考え、思想を持っているように思えた。なるほど。だから難解でも興味を持つことができ、なんならリストアップされた作者も読んでみたいと思えたんだろう。

    第2章は、創刊以来「新潮」に掲載された選りすぐりの短編35編をそれぞれ二人が論評するという企画だ。まず企画からして面白い。実はこの2章から最終章に至るまで、1章に比べるとだいぶ肩の力を抜いて楽しんで読める。その中で二人揃って絶賛している本があれば読んでみようと思った。おっ、一人いた。牧野信一氏の「西瓜喰ふ人」だ。自慢じゃないが、作者も作品名も生まれてこの方、ただの一度としてして聞いたことすらない。大江氏いわく、「この短編選の中で最上の作品だと思う」といい、古井氏も「僕もこれが一番です」と返す。すごいじゃん。二人とも意見が違わず「一番」と「最上」と言い切っている。この本は短編だし、調べると青空文庫でも読めるので読んでみようと思った。

    あと読んでいて、古井氏の言葉ですごく納得した言葉がある。「仕事を続けるにもエネルギーがいるけど、仕事をしないでいるのもエネルギーが要るんだ」と。実は人間って、退屈で暇すぎると、ロクなことを考えない。大体においては、ネガティブなことを考えてしまう。なので将来仕事を退職してからも、コツコツ自分一人で完結できる仕事を、マイペースで元気な限り続けることが、いちばん健康的に過ごす秘訣なんじゃないかなぁと思ってきた。定年退職してからボケ始める人が多くなるのも、退屈すぎるのが原因じゃないかなぁと。

    古井氏が小説に関する考え方を明確に答えていた。「僕の分担は、劇が始まる前までだと思っています。小説家はシナリオを書くわけでもないし、ましてや役者として舞台に立つわけではない。芝居の始まる前の雰囲気なり緊張感なりを小説の仕舞いに遺せるかどうか。」また、「とにもかくにも雰囲気や緊張や期待を含めて芝居の始まる前までの現在をあらわせるなら、以って瞑すべしと思っています。」と語っていた。それに対して大江氏は、世界にはいろんな小説家がいるが、一瞬実現する舞台を作り出すために書くのは古井氏だけだという。またはじめはその舞台への積みたての場面をつかみにくいために読者が難渋することもあると。だが最後まで行き着いて、その舞台に乗ると明快なカタルシスがあるように整理されている。それが古井氏の小説なんだと説く。

    この言葉を読んで、ようやく納得感が得れた。要はこれって、小説のエンディングをどう締めくくるのかという考え方だ。大体において難解だと言われる純文学は、エンディングがなぜそこで終わる?と疑問しか残らない作品もけっこうある。それを古井氏は、最後に役者が出てくるところで終わりになるという。古井氏は小説の本来とは何か?を考えたんだそうだ。そして氏は、小説の本来のその直前までを書いて終わるんだと、そういう意識があるんだと。

    そういえば村上春樹氏も言っていた。自分の書いている小説は、純文学だと意識しては書いていない。だが心のどこかで、娯楽小説ではないと幾らかは思っていると。娯楽小説ではないとは、作者が読者に対してある程度の咀嚼力を要求することだと。全部が全部エンディングを書いてしまうのではなく、読者の想像力を求めるんだと言っていた。

    多分その究極系が、古井氏なんだろうと。キーになる登場人物を登場させたら、小説が終わってしまう。読者がそこから後のストーリーをすべて構築していくということか。おそらくその終わり方に慣れるまでは、戸惑うことも多いだろうが、慣れてしまえば、自分の想像力向上には効果は絶大だろうと思った。

    最後に夏目漱石没後100年ということで、それぞれが代表作三作を挙げてくれていた。大江氏は「虞美人草」「こころ」「明暗」の三作。古井氏は、「こころ」「草枕」「道草」の三作および、「夢十夜」と「硝子戸の中」を次点として挙げてくれた。漱石はそろそろ本格的に読んでいこう思っていたので、道標として作品を提示してくれるのは、この上なくありがたい。漱石は今後国内近代小説家で、もっとも力を入れて読んでいきたい作家だ。一番ベタではあるが、誰もがオススメする作家は、やはりそれだけ魅力あふれる作家なのであろう。海外作家で誰もがドストエフスキーを推すように。

    【雑感】
    今回大江氏のことはあまり触れていないが、大江氏の長編小説を読む前に、「大江健三郎、作家自身を語る」(新潮文庫)を読んでから、大江氏の長編を読もうと思っています。その本の感想欄で大江氏のことは、がっつり書こうと思ってます。次は、古井由吉氏の「辻」を読みます。古井氏は初期を除いてほとんどが短編作品ばかりだ。なのでこの作品も短編集だ。元々の購入動機は、平野啓一郎氏の「小説の読み方」で取り上げていた、「半日の花」を読むために購入してすぐに読んだ。読めるのは問題なく読める。ただ感想を纏めるのが難しい。だが本書を読んだので、ある程度は古井氏の小説に対する向き合い方など分かってきたので、再読し感想を書きます。
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    投稿日:2023.08.11

  • ひーら

    ひーら

    20年程の間に6回行われた2人の巨匠の文学談義。お互いの小説の書き方について、あるいは、明治以降の数十人の小説家の作品を読んでの率直な感想と批評。老境に入った小説家としての人生の締めくくりについて。どれも興味深いのだけれど、読んでいない作品が多すぎ、また知識や教養が足りなすぎて、よく理解できなかったところが多い。古典の現代語訳についての考えが二人の間で違うところや、漱石の「真面目」についての対談が面白かった。続きを読む

    投稿日:2022.10.10

  • block

    block

    90年代はじめの大江健三郎は
    文体に霊的パワーを込めようとして空回りしていた
    井伏鱒二から継承したフォルマリズムが
    そのための方法論、というよりドグマだった
    当時の作品にも現れているように
    やがては新しい神話を創造することが目標だったのかもしれない
    しかしオウム事件以降
    おそらく、ここに収められた古井由吉との対談も転機のひとつだろうが
    世界の文学史そのものを多神教的にとらえる方向へと向かったらしい
    いずれにせよその鍵は
    異なる概念を柔らかく繋げる日本語表現にこそあるようだ
    日本語への翻訳による異化作用を用いれば
    あらゆる価値観の相違と
    ロシア・フォルマリズム本来の用法を超えて
    歴史の背後にある、なにか偉大な精神のようなものを
    見いだすこともできるというのだろうか
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    投稿日:2020.05.08

  • 宮村陸

    宮村陸

    このレビューはネタバレを含みます

    初読。外国文学、古典、近代文学と幅広い分野にわたっての対談。長年にわたって文学と真摯に向き合い、もがき続けて、書き続けてきた二人が、晩年にいたってなお書くのをやめることに恐怖しつつ新しい何かを手に入れようとしているのが印象的。対談も明快な難解さでいっぱいです。

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    投稿日:2018.05.29

  • milessmiles

    milessmiles

    作家というよりは文学者としての二人の話は個々の文学に対する考え方はもちろん過去の作家に対する批評もなるほどと首肯させられるもので興味深い視点が多く、その作品を手にしたくなる作家も多かった。夏目漱石については1章を割いていたがそれに値する作家であることを再認識できた。続きを読む

    投稿日:2018.03.03

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