【感想】〈新版〉自分を支える心の技法(小学館新書)

名越康文 / 小学館新書
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  • エルメリア

    エルメリア

    怒りという感情にどう対処するのかが書かれた良書。体癖の話も読めて、満足。人間の赤ちゃんと母親の関係については、私が今まで考えたことが無かった視点から書かれていたため、非常に勉強になった。

    投稿日:2024.03.09

  • yonogrit

    yonogrit

    601

    名越康文
    1960年、奈良県生まれ。近畿大学医学部卒業。精神科医。専優は思春期精神医学、精神療法。相愛大学、高野山大学で客員教授も務める。臨床に携わる一方で、日本テレビ系「シューイチ」などテレビ、ラジオ番組のコメンテーター、映画評論、漫画分析などで幅広く分野で活躍

    陰謀論者は世界を網の目的な世界感で捉えられず、原因-結果の単線でしか捉えられないリアリストらしい。そういう人にとって現実は偶然と陰謀のどちらからしい。リアリストは心の中に怒りが増し、友人関係が狭くなり、人間不信になるらしい。確かに私が見た陰謀論者も過度に人を恐れてるような人間不信感を感じた。

    〈新版〉自分を支える心の技法(小学館新書)
    by 名越康文
    ところが、この話にはひとつだけ例外があります。つまり、「心は一瞬で変わる」という視点で書かれた心理学が、2000年以上前に存在したのです。それが、僕が「東洋の心理学」ととらえる仏教です。「心の速度は光の 17 倍ある」と述べる教典があると聞いたとき、僕は「これこれ!」と興奮したものです。

    「心は一瞬にして変わる」というテーマについて、仏教はなんらかの答えを持っているのではないか。そう考えた僕は足掛け5年ほどのあいだ、ずっと仏教の研究をしてきました。その結果、僕が想像していた以上に、仏教の体系は本当の意味で科学的であり、人の「心」の本質に触れるものだということがわかってきたのです。

    この仮説に基づくなら、僕たちのコミュニケーションの基礎にあるものが、じつはかなり反社会的なものだということがわかります。なぜなら「怒ることによって他人を自分の意のままに動かす」などというのは、まっとうな社会人なら許されない行為ですよね。でも、僕らは例外なく、子ども時代から、そうやってきました。だからこそ僕はこれを、 人間のコミュニケーションが持つ根本的誤謬 と考えています。僕たちは人生の最初から、コミュニケーションのやり方を間違えているのです。

    つまり僕らは、生まれてから2、3年のあいだに、「 自分にとって最も大切な相手に対して、最も激しい怒りをぶつけ、それによって不快を除去してもらう」というコミュニケーションパターンを繰り返し刷り込むことによって、心を形成してきたのです。そう考えると、僕ら人間は、なんと不幸な生い立ちを持っているのかと思いませんか。僕たちは、最も自分のことを気遣ってくれる人に、最も感情的な怒りをぶつけてしまうことを宿命づけられた存在なのです。  僕ら人間は、最も愛している人、最も大切にしなければならない人、あるいは最も自分のことを大切に思ってくれる人に、最も破壊的感情を向けてしまう。幼いときから、繰り返しそういうパターンを刷り込まれているのです。

    冷静になって考えてみると、「相手が大切な存在であればあるほど、破壊的な感情を向ける」ことはまったく合理的ではないし、そういう習慣が刷り込まれているというのは、生き物としての必然性に欠けるように思えます。  妙なたとえかもしれませんが、もしも、僕ら人間のように長い養育期間を持たない宇宙人が、地球人の家族関係を見たら、驚嘆するだろうと思うのです。生まれてすぐ自立するその宇宙人は、地球人のように「怒りによって人を動かす」習慣は持っていません。ですから彼らはきっと、僕らにこう聞くでしょう。「あなたたち地球人は、なぜ最も大切な人に対して、最も破壊的な感情を向けるのか」と。

      僕たち哺乳類は、子育てに異様なほどエネルギーを注ぐ特殊な存在であり、それだけ愛情欲求(ひいては怒り) にとらわれやすい のだと考えるだけでも、社会生活はずいぶん楽になります。 20 年以上に及ぶ異様に長い子育て期間のなかで、僕らは徹底的に甘やかされて、「愛情がないと生きていけない」と刷り込まれています。しかし、他人に愛情を求めたり、他人に認めてもらいたいと感じたりすること自体、地球上の生物全体から見たら「病的」なのだということを頭の片隅にでも置いておくと、過剰な愛情欲求や承認欲求に苦しめられなくて済みます。

     僕たちはお互いに、怒っている人に甘すぎます。実際、国会を見ていても、怒号ばかりです。それがかっこいいという価値観すらあるようですが、怒りが大きいことは、その人の本気の度合いや真剣さとはまったく関係がありません。怒りはほとんどの場合、ナルシシズムをともないます。ですから、公的な場で怒りをあらわにすること自体、本来、恥ずべきことであるはずなのです。しかし、そういう価値観はどんどん失われていて、むしろ公式な場であっても、怒りがその場を支配する武器として使われているきらいがあります。

    リアリストの思考様式の最大の問題点は、時間的にも空間的にも、思考や想像力の幅が狭くなる、ということです。はるか未来や過去の出来事と、現在を生きる僕たちのあいだには、数えきれないぐらい無数のファクターが関与しています。また、空間的に遠くなればなるほど、少なくとも僕らには、両者をつなぐファクターを感知することが難しくなっていきます。だから、「目に見えるものだけを信じる」リアリストは、はるか過去や未来のことは、「どうせ考えてもわからない」から考えなくなり、空間的に遠いことは、「自分には関係ない」から、やはり考えなくなってしまいます。  つまり、リアリスト的思考が行きすぎると、「壁の向こう側」の出来事は、「壁のこちら側」に生きている私には関係ない、と考える傾向がどんどん強くなってしまうのです。もしかすると、こう説明しても「それの何が悪いのか?」と思われる方もおられるかもしれません。しかし、僕が臨床的に見るかぎり、こうした〝リアリスト〟的傾向が強くなればなるほど、中長期的には引きこもり傾向が強くなります。心のなかに怒りが増し、友人関係が狭くなり、人間不信になっていくのです。

    なぜリアリストは引きこもるのか。それは、リアリストが原因─結果の単線的なモデルで世界をとらえようとするからだと僕は思います。「AによってBが起こる」、あるいはせいぜい「本来AによってBが起きるはずだったのに、Cによって阻害されている」という程度の、単線的な認識を積み重ねることで、リアリストは世界をとらえようとします。その結果、何が起こるかというと、リアリストはだんだんと、世界を「偶然」か「陰謀」でしか認識できなくなっていくのです。  まず、「こうなったのは○○のせいだ」という単線的な世界認識が、容易に陰謀論につながってしまうのはわかりやすいと思います。「俺が就職できないのは学歴のせいだ」「経済的に恵まれないのは誰かが資産を独占しているからだ」。あるいは、「旦那が冷たくて私の結婚生活は真っ暗だ」「私が不幸なのは親から愛されていなかったからだ」……。陰謀は「陰で 謀る」と書きますが、自分の不幸には必ず、それを謀った「誰か(何か)」がいる、というのが陰謀論的な世界認識です。

    冷静に考えれば誰にでもわかることですが、あるひとつの出来事が起きるときには、本当は何十、何百というたくさんの要素が絡み合っています。僕らの認識力では、そのすべてをとらえることができないというだけなのです。そして、「 何十、何百という多要素が、それこそ網の目のように絡み合って〝いま〟がつくられている んだな」と認識したとき、僕らははじめて世界に対して「必然性」を感じることができるようになります。

    「ありとあらゆる要素が絡み合ってこの世界が立ち上がっている」と実感してはじめて、僕らは「必然性」を信じられるようになります。そして、必然性を信じられた分だけ、怒りが減っていくのです。極端にいえば、目の前に起こっている現実を本当に必然だと信じられたら、怒りはまったくのゼロになるはずです。なぜなら、どんなひどいことが起きたとしても、それが自分の目には見えない、世界の複雑な網の目のなかで決まっていたことだと思えれば、文句を言っても仕方がないのですから。

    2500年前からお釈迦さまは、怒りを制御していくことの大切さを認識し、そのための知見を残してくれていたわけです。たとえば「スッタニパータ」という経典には、終始「怒ってはいけない」と書かれています。怒りは、人をものすごく不幸にする原因である。怒りはものすごく僕たちを苦しめる、あるいは疲れさせる。そういうことをお釈迦さまは徹底して説いていました。これを知ったときは、僕自身、すごく納得させられましたし、それまで自分が考えてきた方向性がそれほど誤ってはいなかったと勇気づけられました。

    僕が精神科医として学んできた西洋医学、あるいは心理学は科学的思考に基づいたもので、それはそれで非常に役立つものではあるのですが、一方で、それがどこまで普遍的な知見であるかは、僕ら一人ひとりが、ときどき自分なりに検証しておく必要があると思います。天動説が地動説になったのは昔の話のようですが、人類の歴史全体を見れば、つい最近のこと。西洋医学にしても、この 10 年、 20 年といった短いスパンのなかで、それまでの定説がひっくり返った分野はいくらでもあります。  これに対して、仏教という巨大な体系がもたらした知のなかには、2500年のあいだ、誰からも決定的な 反駁 を受けていない知見がたくさんあります。温故知新や、古典に学ぶということがよくいわれますが、歴史の検証に耐えてきた普遍的な知恵から、僕らの知見を定期的に検証しておく作業は、忘れがちですが非常に大切なことだと思うのです。

    さらに、これも見落としがちなのですが、 相手を見下したり、軽蔑したりするのも怒り です。これだけで「ああそうか」とピンとくる方もおられれば、「見下すのが怒りってどういうこと?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。  たとえば、上司が何かしゃべっているとします。その話の途中で、「ああ、部長が言いたいのは要するにこういうことでしょ」と勝手に相手の考えをまとめて、あとは上の空、という経験はないでしょうか。ここには相手を見下す感情があります。これも怒りであり、じつはその人自身の心を疲れさせています。

    なぜ、僕らは相手を見下すのでしょうか。それは「自分がいちばん正しい」という傲慢な気持ちがどこかにあるからです。そして、「明るく傲慢な人」をイメージしにくいことからもわかるように、傲慢さというのは、かなり怒りに近い感情なのです。「私はそんなことありません」という謙虚な読者もおられるかもしれませんが、それは表現の仕方が違うだけで、心のなかには、「自分だけが正しくて、私の言うとおりにしない他人は間違っているのだ」と考える傲慢な自分が、少なからずいるのが普通です。

    しかし、こちらの考えがどうであれ、現実には、他人はけっして思ったとおりには動いてくれません。当然ですね。僕の考えでは、「他人に対して100% 従順な人」というのは、病んだ人です。元気な人ほど、他人の指示には簡単に従わないものなのです。

    ちなみに、やたらと自分のことを卑下するような態度も傲慢さの変種なので注意しておきましょう。「どうせ私はバカですよ」という言い方を好む人は、一方で「なんで、こんなバカな私の言っていることがわからないの?」という、やや迂回したかたちの「見下し」にとらわれています。つまり、 自己卑下というのも「見下し」であり、傲慢さであり、怒り なのです。

     注意していただきたいのは、相手を見下したり、自己卑下したりすることが「道徳的にいけない」と言っているわけではない、ということです(もちろん、道徳的にも良くないですが)。ここでは、「そういう思いにとらわれることが自分自身の心を疲れさせ、結果として対人関係に悪影響を及ぼす。そういう意味で、どちらも『怒り』の変種にすぎない」ということを理解していただきたいと思います。

    怒りを消して心の基準点にリセットする方法はいろいろありますが、僕が最近お勧めしている方法は、「木に抱きつく」というものです。近所の公園にでも行って、どれかお気に入りの木を見つけて、毎朝抱きついてみるという、非常に単純な方法です。なるべく大きな木に抱きつき、深呼吸する。自分の心のなかの澱んだ部分を、大木の力で流してもらうことをイメージするとよいでしょう。

    アルボムッレ・スマナサーラ長老  スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年、現在のスリランカに生まれ、 13 歳で出家する。スリランカの国立大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、 80 年に来日。現在は、日本テーラワーダ仏教協会などで初期仏教の伝道、指導に従事。誠実温厚な人柄、的確で流暢な日本語による説法で定評がある。『怒らないこと』(サンガ新書)など著書多数。

    すると、そのうちに「運気」が変わるような感覚も生じてきます。出会いの質が変わったり、日々の流れが変わったりするでしょう。非科学的と思われるかもしれませんが、怒りが消えると視野が広がり、より「網の目的世界」を感じられるようになることで、悪い流れを断ち切りやすくなるのです。

    「心には毎日が効く」と覚えてください。つまり、「よし、一日中ニコニコ笑ってやるぞ」と一生懸命、頑張って過ごしたものの、次の日は疲れて一日中怒っていました……ではダメなのです。

    しかし、「怒らせる人」や「イライラさせる人」がどういう人たちなのか考えてみると、じつはその人たちもまた「怒っている」 ことがわかります。  すぐ嫌味を言ってくる否定的な人や、こちらを攻撃してくる人、無視する人、無礼な態度を取る人。いろいろなタイプがいるとは思いますが、その人たちを丁寧に見ていくと、必ずその人自身が怒っています。たとえば「嫌味を言う」人は、先に述べた「見下し」の怒りに取りつかれているのでしょう。  バカにする人、嫌味を言う人、悪口を言う人、 噂話が好きな人……これらはみな「怒らせる人」ですが、同時に「怒っている人」でもあります。つまり、「怒らせる人」はほとんどの場合、その人自身が怒りにまみれた、不幸の渦中にいるのです。

    そういう考えを手離し、「怒りは自分の心のなかで生じている」のだと、心の底から受け入れることができれば、自分を怒らせる人を目の前にしたときでも、少なくとも論理的には、こちらが腹を立てることはなくなるはずです。他人を怒らせる人は、すごく孤独で、人を信じられなくて、本当に情けない気持ちで生きているのです。「この人はじつは苦しんでいるんだな」というところまで洞察が及べば、やたらにカリカリすることもなくなるでしょう。

    「嫌いな人のために祈る」のが難しければ、最初は自分や家族、親友たちの幸せを祈る。次に、付き合いは浅いが取り立てて悪感情も抱いていない人のことを祈ってみる。そして最後に、「もののついで」でもよいので、その人のことも祈ってみる。  そんなふうに、だましだましでもかまわないので、「嫌いな人の幸せを真剣に祈る」ことができるようになると、だんだんとイメージのなかのその人が笑顔になってきます。そうすると、その人の前に立ったときに、 苛立ったり、緊張したり、妙な心理状態になったりすることがなくなっていくのです。

    これに対して、長時間を費やしてディテールに至るまで 細々 と話し、相談相手も真剣に解決策を考えるような「悩み相談」モードで話した場合、結局は本質的な解決に至らないことが案外多いのです。会話に「軽快さ」がないと、人に話すことの効果は薄くなってしまいます。なぜかというと、 僕らは「真剣に話そう」とすればするほど、自分に 噓 をつくようになる からです。

    その典型例がいわゆる「苦労話」です。「若いころ、こういうことがあってね」という語りは、表向きはすごくいい話に聞こえても、じつは、その人の本音や心の暗部を隠すよう巧妙につくられた、非常に完成度の高い物語にすぎない場合があります。相手に味方でいてほしいという依存心や、相手に救ってほしいという思いからつくった物語です。こうした物語は必ず、本心を巧妙に隠したものになりがちです。だから話を聞いているほうとしては、「結局あなたの本心はなんなの?」と核心をつかめない不全感を覚えるし、話しているほうも、自分の感情にそぐわない話を繰り返す自分にイライラしてしまうことになるのです。

    もちろん、人間の語りなど、すべて作り話といえば作り話だし、まったく 噓 のない「ホントの話」などというものは存在しません。問題は、熱を込めて語れば語るほど、物語はあなたの本心から離れたものになってしまう、ということです。

    物語が精緻で破綻のないものになればなるほど、本当に伝えたかったことから離れてしまう。裏を返せば、物語は破綻しているほうが効果的だ、ということでもあります。相手を説得するような物語ではなく、淡々と、手短かに事実を語る。前後のつじつまが合っていなかったり、論理としては破綻していたりするかもしれないけれど、案外、そのほうがこちらの本意が伝わることが多いものです。また、そういう話であれば、聞き手のほうも別に気の利いた意見を言う必要もないので、楽な気分で聞くことができます。

    じつは、多くの人の共感を呼んできた文学や映画、あるいはアニメの物語などは、精緻なようでいて、どこか破綻していることが多いのです。むしろ僕らは、物語が破綻する瞬間に、臨場感や、いきいきとしたものを感じる。それがないと人の心には訴えかけてこないのだと思います。

    人に話をするときは、淡々と、あっさり話すのがいいのでしょう。ただし、これは考え方としては簡単ですが、実践するのはそうやさしくはありません。誰でも自分のことを語るときは、 噓 をついてでも自分の話に説得力を持たせたくなります。しかし、そうやって熱心に語れば語るほど、 噓 は大きくなってしまいます。それだけに、他人に何かを語るときには、「できるだけあっさり過不足なく話そう」と心がけておくことが、ひとつの技法として役に立つのです。

    ものごとの外側を観察することは、誰でも当たり前にやっています。子どものころには昆虫観察やアサガオ観察、さらには親の顔色を観察して、欲しいものをねだるタイミングを計ったりもしていました。顔色をうかがう、空気を読む、というのも外側の観察です。とりわけ日本人は、外側の観察には 長けていて、それが精緻なモノづくりや、世界トップレベルの技術力にもつながっているわけです。

    ところが、自分の内側の観察となると、どうしたらいいのか、皆目わからなくなってしまうという人がほとんどです。日本人には向いていないのかというと、そんなことはありません。じつは、日本人は昔から、「こもる」というやり方で自分自身の内側を見つめてきたのです。

    瞑想といっても、ただ黙々と行う辛気臭いものだと思う必要はありません。もし近所に大声を出しても迷惑にならないような場所があれば、「ウォー」と 遠吠えをするのもいいでしょう。きれいな声を出そうなどと思わずに、身体に振動が起こるような野太い声で叫んでみてください。

    「光を見る」というのは、比較的、初心者にもお勧めできる方法です。目をつぶると、まぶたの裏にうっすらと光が見えると思います。瞑想のときは薄暗がりにするわけですが、それでもうっすらと光を感じることができるでしょう。この光を「見よう」と集中します。光の感覚が生まれてきたら、それをだんだんと自分の周囲を包むように「広げよう」と集中します。

    僕が学生のころ、チョギャム・トゥルンパというチベット仏教者が書いた『タントラへの道─精神の物質主義を断ち切って』(チョギャム・トゥルンパ著、めるくまーる、1981年) という本が話題になりました。そこで、なるほどと感銘を受けたのは、「自分のほうが精神世界の修行が進んでいる」といったかたちで優劣を競うのは、〝精神の物質主義〟に陥っていることにほかならない、という批判でした。考えてみればそうですよね。「瞑想などの仏教修行を行う人のほうが、世俗を生きる人よりも偉い」という比較を行っている時点で、その人は世俗の競争社会の枠組からまったく自由になっていないということですから。「私は瞑想をやっているから、あの人より偉い」と思っている人の心のなかは、間違いなく怒りで曇っています。

    でも、こういう本をチベット仏教者が書かなくてはいけないくらい、この「瞑想の落とし穴」は危険なものだということです。僕ら凡人は、肝に銘じておいたほうがいいでしょう。瞑想を始めてから妙に 厭世的になったり、人を見下した選民思想にかぶれだしたら、危険信号です。

     たしかに、仏教的な悟りの世界に魅力を感じるようになると、現世に生きることがなんだか俗っぽくて、本質に迫っていない、無駄なことに感じてしまう気持ちもわからないではありません。でも、大乗仏教の考え方に 拠るなら、現世に生きることと、仏教的に生きることは、本当は矛盾しないはずなのです。

    〈ゴリラタイプ〉  比較的冷静で、状況に対して受動的。変化を嫌う安定志向。マニュアルどおりに物事を進めたいタイプです。対人関係は控えめで、あまり自己主張はしません。新しいことを始めるときには非常に慎重になるため、職場でもはじめは目立たず、場合によっては能力も低く見られがち。ただし、仕事を覚えたあとは着実で失敗が少なく、みんなの期待に応える頼りがいのある人物に成長していきます。  リーダーとしては、「和を以て貴しとなす」タイプ。不満を抱いている人はいないか、困っている人はいないか、チームの仕事が滞りなくできているかに心を砕く調整型。頼りになるが、一方で決断力がないという側面もあります。  階段を一段一段のぼっていく仕事のやり方は、とくに目的最優先の「チンパンジータイプ」をイラつかせるので、この組み合わせで仕事をするときは、最初のうちゴリラが苦労します。機が熟せば能力を発揮するので、周囲は長い目で見守ってあげるのがベストです。

    〈ボノボタイプ〉 「愛されたい」「嫌われたくない」が行動の基軸。「ゴリラタイプ」が静かにまわりの人を見ているのとは好対照に、「ねえ、聞いて」「今日の服、どう?」と頻繁にアピールしてくる〝かまってちゃん〟タイプです。感情が豊かで、相手に対する思いやりもこまやか。その一方で、自分が相手にどう思われているかも気になって仕方がない。人と話をするのが好きで、ひとりで過ごすのが嫌いです。  コミュニケーション能力が高いので、ムードメーカーになり、営業職や、グループでの仕事に力を発揮しますが、人前でのプレゼンテーションや、論理的な説明は苦手。出世欲はそれほどなく、みんなと仲良く過ごすことが最大の関心事です。 「チンパンジータイプ」の攻撃性や、「オランウータンタイプ」「ゴリラタイプ」の冷静さに、自分は嫌われているのではないかと不安になることもしばしば。このタイプには、まとめて大きなご褒美をあげるより、日々、こまめに声をかけてあげることが大事です。

    〈オランウータンタイプ〉  個人主義の職人タイプ。何事に対してもまず自分の頭で考え、自分の思想を押し通します。集団行動は苦手で、プレゼン能力はあるのにコミュニケーションが下手。話し合いで決めるのではなく、独断でものごとを決めてしまいがちです。  直観力が鋭く、高い 造性を発揮するので、周囲から称賛を浴びることも少なくありませんが、他人の評価より、自分の納得性を重視。自分自身が納得できないと、仕事のモチベーションも一気に下がってしまいます。  感情をあまり表に出さないので何を考えているのかわかりにくく、感情豊かな「ボノボタイプ」や「チンパンジータイプ」からは、付き合いづらい人、変…

    〈チンパンジータイプ〉  進取の気質に富み、感情が豊かで、明るく社交的。目にも力、声にも力があり、覇気を前面に押し出して、リーダーシップをとりたがるいわゆるボスタイプが多く見られます。人を励ますことが得意な半面、時として相手を責めたり、押しつけがましくなったりすることも。  グループのなかでどんな評価を受けているかということには非常に敏感なので、独断にまでは至らないものの、自分の意思を遂げたいという気持ちは強く持っています。一番乗りをしたい、いちばん目立ちたいなどと、競争心は旺盛。ファイト満々でありながら、心が折れやすく、 寂しがり屋の一面も持っています。  このタイプに…

    〈1種 頭脳(陽) タイプ〉  頭脳(陽) タイプ=1種は、いわゆる「男性は理屈っぽい」とされる部分、つまり言語・論理中心で世界をとらえることを好む人たちです。キーワードは「 地味」。  そのイメージを動物にたとえると、キリンやゾウ。大きく、ゆったりと歩く感じです。  顔は長くて、大きめ。首はしっかりしています。誰の話にも 鷹揚 に耳を傾け、感情的にならず、それなりに存在感があるけれど地味な人。平等で、いつも落ち着いていて、理性的、かつ品が良い。  ただし、悪いほうに出ると、これしか正しいものはないという、教条主義に陥ってしまいがちです。理念的になりすぎて妥協ができず、融通が利きません。また、普段からあまり行動的ではないのですが、危機的な状況になると、さらに動けなくなってしまいます。論理的思考の人なので、直観力に欠け、緊急時の即決即断ができないからです。したがって急場のときにはあまり頼りになりません。現実から少し距離をとったところからものごとにアプローチすると、最も実力を発揮します。  どちらかというと、官僚には向くが、政治家には向かないタイプといえます。

    〈2種 頭脳(陰) タイプ〉  頭脳(陰) タイプ=2種は、受け身で、自分の考えというよりは、他人の言葉に左右されやすい側面を持っています。キーワードは、頭脳タイプ共通の「 地味」。  動物にたとえると、シカ。首が細く伸びた草食系。落ち着いていて、1種よりは神経が細やかなイメージです。  身体は細く上半身が貧弱で、首に力が感じられないのが特徴です。人が良く、あまり突飛なことは言わずに、よく仕事をする、サラリーマンぽい地味な人。視点は鋭いが、けっして個性的ではなく、大声を出されるとひるむものの、陰では皮肉っぽいことも言い、大胆な発言はしないけれど、相手の弱点をけっこう知っています。  1種が人より論理的、観念的に考えるのに対し、2種はよりイメージを膨らませて思考します。また、いっさいの趣味趣向や偏見を差し挟まず、いろいろな人の話を平等に聞くことにおいて、2種の右に出るものはいません。人の話を本当に伝聞できるのは、2種だけだと思われるほどで、文献学者、リポートを書く人、書記、あるいは伝統文化の継承は、2種の力なくしては難しいとも考えられます。  さらに組織のなかで人と人とをつなぐ役割も果たしており、目立たない存在で、感情でぐいぐい押されると弱いくせに、5年、 10 年と組織を運営するうちに、いちばん権力を握っていることもありうるのが、このタイプです。細くて、弱々しく、地味で、声もよく通らないのに、どこか怖いところがある、普段は陰気で静かだけれど、じつはすごく力を持っている事務局長タイプ。  なお、2種も1種と同様に急場の役には立ちません。人の話を偏見なく聞くということは、そこに優劣をつけられない側面があり、したがって、緊急時の優先順位がつけられず、すべて同列のまま、何も手を付けられなくなってしまうからです。2種も最前線には…

    〈3種 感情(陽) タイプ〉  感情(陽) タイプ=3種は、明るく、かわいく、人に対して共感的な、周囲の人にとってアイドルのような存在です。キーワードは「 ころころ変わる感情」。3種の人の感情は、とくに原因もないのに移り変わってゆくのです。  動物にたとえると、リスやウサギ。かわいらしくて、ちょこちょこ動いているイメージです。  丸顔ぽっちゃりの方が多く、そうでなくてもいわゆる童顔です。他人に対する共感性があり、頭の回転もよく〝利発〟という言葉がぴったりあてはまりますが、感覚が鋭い分、物事をじっくり考えるタイプではありません。その場をパッと明るくしてくれる存在ですが、移り気なところが無責任な印象を与えることもあります。それでもみんなから愛される、「ドラえもん」でいえば、しずかちゃんのようなキャラクターです。  悪い面は、依存的でわがまま、感情的。自分の好きにやりたいくせに、責任は取りたくないタイプ。また、周囲はころころ変わる感情に、振り回されがちになります。3種以外の人は、原因があって感情が変わりますが、このタイプは原因なしに感情がどんどん変わっていくのです。うれしい話を聞いてしばらくは喜んでいても、だんだん腹を立てだしたり、悲しみだしたりします。まわりは、きっと何か原因があるのだろうと思い、あれが原因か、これが悪かったのかと勘繰りますが、それはすべて無駄なことなのです。 「本人はすごく理性的に判断しているつもりなのだけど、じつはお腹 が減っているときは機嫌が悪く、満腹だと機嫌がいい人」というと、イメージがしやすいと思います。

    〈4種 感情(陰) タイプ〉  感情(陰) タイプ=4種は、自分がどんな気分なのかが自分でもよくわからない、感情がはっきりと定まらないタイプです。自己主張が少なく、はかなげな印象の人たちで、「 自分の感情はわからないが、他人の感情が先に入ってくる」がキーフレーズ。  動物のイメージにたとえるとクリオネですが、妖怪の「 一反 木綿」になぞらえたほうがわかりやすいかもしれません。やせていて細く、つかみどころのないイメージです。また、大和撫子 的な女性のイメージと重なるところもあります。  人の話に共感的で、やさしく 清楚。しかし、自分では何も決められず、あわただしい日常のなかでは、ふらふらふらふらと人のあとについていくしかありません。一方で、自然にまわりの環境に適応していき、なかなか決められない気質が幸いして、気づけば家族中を自分のペースでコントロールしていることもあります。また、いったんへそを曲げたら、何年でも押し黙っているような、陰気なイメージもあります。  自分の感情をとらえることが難しい人たちですが、目の前にいる他人の感情は素早く感じ取ります。自分の気持ちより、他人の気持ちのほうが先に入ってきてしまうので、何か気持ちがざわざわしてきたと思ったら、気づかぬうちに涙が出ていたということも起こります。自分ではなく、目の前の相手がすごく悲しんでいたからです。  相手に対する共感力、ホスピタリティが非常に高いので、看護師やコンシェルジュに適性がありますが、あまり相手に共感しすぎると疲れてしまうこともあるでしょう。

    〈5種 行動(陽) タイプ〉  行動(陽) タイプ=5種は、「成果」「最短」「空間」といったことを感受性の中心に置きます。頭脳タイプのようにじっくり考えたり、感情タイプのように気持ちに流されたりせず、目的に向かっててきぱきと行動し、実際に結果を出していく人たちです。キーワードは「 合理性」。  動物にたとえると、サメやタカ。ひたすら前に進むイメージです。  体型はスラッとした筋肉質で、 目力 が強い。理性的で、判断力もあり、リーダーシップも備えています。その人が意識しているいないにかかわらず、目標に向かって最短距離で、サクサク進んでいく。情に流されず、てきぱき仕分けができるタイプです。  なんでもサクサク結論を出し、サクサクことを進めていくので、ビジネスパートナーとしては最高の相手に思えるのですが、そうとはかぎりません。相手の身になってもう少し我慢してほしいときにも、さっさと見切りをつけてしまうなど、あまりにも目先の損得勘定に走りすぎてしまうところがあるのです。短期間で利益を上げるような仕事は大得意ですが、我慢して我慢してだんだん信用を獲得していくような商売には向きません。  頼りがいはあるけれど、自分もスパッと切られそうだなと、相手に冷たい印象を与えてしまう可能性もあります。  非常に活動的で、スポーツが得意な人が多いのも特徴。5種の人には、空間を制覇することが大きなモチベーションになります。一方、座ってじっくり本を読むとか、2時間半もある長編映画を黙って見続けるというのは苦手です。  同じ「合理」でも、頭脳タイプの人が記録などを丁寧につけるのに対し、行動タイプの人は、記録、報告といった行動を軽視することも多く、いってみれば「報告書の類は3行以上書かない」というタイプでもあります。

    〈6種 行動(陰) タイプ〉  行動(陰) タイプ=6種は、「理想」「幻想」などを感受性の中心に置きます。つまり、ロマンあふれる物語の中心にいつもいたい人です。センスは抜群なのですが、どこか夢見がちな目のすわり方をしていて、現実から 乖離 しており、周囲の人を振り回してしまうところがあります。発想力にはすばらしいものがありますが、それが実現するかどうかにはあまり責任を持たない。ひとつ間違えれば、行動がともなわない夢想家にもなるタイプです。キーワードは「 二面性」と「 自己陶酔」。  動物にたとえると、クジャク。センスが良く美意識が高い芸術家のイメージです。  体型はやせ型で猫背。あごが少ししゃくれています。男性はお尻が薄い優男。女性はセクシーで、とろんとした誘惑的な目をしています。  男も女も雰囲気のあるカリスマ性を備え、映画には絶対に欠かせない存在で、ジェームズ・ディーンもこのタイプです。  カリスマ性とは裏腹に、個人の生活では意外に対人関係は狭く、小さな世界のなかにとどまってしまうところがありますが、いったんひのき舞台に立つと、何百人、何千人を魅了してしまう。そういう二面性を持っています。また、異性を魅了する力が強いので、男女関係が必然的なテーマになり、大事な秘密を異性に打ち明けたりすることもあります。  低血圧で、朝弱い人が多いのも特徴です。つい約束の時間に遅れたり、ルールを破ったりすることも多く、それによって 鬱散 しているところもあります。

    〈7種 闘争(陽) タイプ〉  闘争(陽) タイプ=7種は、どちらかというと攻めに強く、「一番になりたい」という思いが前に出るタイプです。キーワードは「 張り合う」。  動物にたとえると、ライオンですが、これはいいイメージの場合です。良いほうに出れば、俺についてこいという頼りがいのある親分肌の人になりますが、悪いほうに出てしまうと、ケンカっ早くて唯我独尊のめんどくさいボスになってしまいます。  身体はがっちりしていて、首が太く、鼻はあぐらをかいています。力強い目と、太く大きな声。それほど大きな声を張り上げなくていい場所でも「我ここにあり」といった大声で話し、いつもどこかケンカ腰の風情を漂わせている印象があります。  女性はお尻をぷいぷいぷいと横に振って歩き、男性は肩で風を切って歩きます。服装も、肩パットが入ったような自分を大きく見せる服。プレゼントするのも大きなもの。乗る車も大型車、といった傾向が見られます。  性格的な特徴は張り合うこと。一番が大好きで、勝たないと意味がないと思っている人が多く、また、誇大な表現を好みます。 30 センチの魚を釣れば、あくる日には 50 センチになっているし、また次の日には1メートルにと、話がどんどん大きくなっていきます。べつに 騙そうという気持ちはなく、自然にそうなってしまうのです。  義理人情に厚い親分肌で、人をはげまし、守ります。リーダーシップも頼りがいもあるのですが、時に押しつけがましく、情熱が空回りしてしまうのも、このタイプにありがちなことです。覇気がない人を見ると、つい「なぜおまえはもっと頑張らないのだ」とお尻を 叩いてしまい、励ましすぎて嫌がられたり、相手を疲れさせてしまったりするのです。

    〈8種 闘争(陰) タイプ〉  闘争(陰) タイプ=8種は、守りに強く、地道にコツコツ努力を重ねるタイプです。キーワードは「 守りたい」と「 負けるまい」。  動物にたとえるとゴリラ。キングコングなどは凶暴に見えますが、ゴリラというのはじつは、みんなが幸せでいるかどうかいつもまわりを気にして、仲間を守ろうとしているのです。そんな、攻めより守りのイメージです。  体型は7種と同じようにがっちりしていますが、7種に比べると少し丸みを帯びて地味な感じがします。  喧嘩が強いのも7種と同様ですが、8種はどちらかというと攻めるより守りに強いタイプです。  怪獣でいうとゴジラが7種で、ガメラが8種。どちらも怪獣界の大ヒーローですが、ゴジラは切れやすく、怒ると敵味方なく攻撃し、いつでも戦闘モードにいるイメージ。8種のガメラは、弱いものを守ろうとして戦います。ガメラのモチーフになっているカメ自体が守りに強いイメージで、形も丸みを帯びています。  また、7種の人が一番になりたがるのに対して、8種の人は一番になるのは荷が重いと感じます。一番よりも、二番がいい。リーダーとして一番になることを求められても、ついひるんでしまうようなところがあります。 「勝ちたい」よりも「負けるまい」という気持ちが強いのも、8種の特徴です。試合によく勝つスポーツ選手でも、本人にしたら、勝ちたいばかりではなく、負けたくないという意識の人も多くいます。一般的にはゴルフのうまい人に8種が多く、野球でも下半身がしっかりしていないといけない投手や捕手に8種が多いようです。

    〈9種 集注(陽) タイプ〉  集注(陽) タイプ=9種は、「直感」「執着」を感受性の中心に置くタイプです。つまり、ひとつのことに集注し、物事にこだわりぬく人たちです。キーワードは「 こだわり」と「 集注力」。  動物にたとえると、野生の猫、またはクロヒョウ。森の木の上から獲物を狙って体をキューッと縮め、ピュッと飛びかかるイメージです。  身体を縮めて力を出すのが特徴で、顔も真ん中にギュッと寄っている感じの人が多く、身体にいつも緊張感があります。体格は、小柄ででっちりの人が多いのですが、なかには大柄な人もいます。怒っているわけではないのに、座っているだけで異様な空気がふっと出てくるような怖い印象を放ち、服は黒やグレーを好みます。  他のタイプの人でも何かを好きになれば集注するわけですが、このタイプの人は、その集注が過剰になってしまいます。ひとつの店に行き始めると、週に何回も、しかも何年も続けて通い詰めてしまうほどです。また、何かを教えるときに、結論だけ教えるということができず、「そもそも」から話したがるのもこのタイプ。料理の作り方を教えてくださいと頼んだのに、「それなら、まず素材から」と、家庭菜園のやり方を教え始めてしまうような、ある種の極端さや過剰さが特徴です。職人的に能力を高めていくことができる一方で、公平に、バランスよく、ということは苦手です。  ひとつのことにこだわり、名人、達人になった人も多くいて、たとえばチャップリンもそのひとりです。変人、奇人も大勢います。何より、異常なほどの「集注力」と過剰なこだわりは、社会生活に支障をもたらすこともあります。  まず、サラリーマンには向きません。サラリーマンをやっているとすれば、その仕事は全面的にその人にしかできない類のものなのでしょう。他の人と組…

    〈10 種 集注(陰) タイプ〉  集注(陰) タイプ= 10 種は、まわりに自然と人が集まってくる人たちで、包容力があり、矛盾したような表現になってしまうのですが、「集注力」を360度に拡散して使うタイプです。キーワードは「 慈悲」と「 博愛」。  動物にたとえると、カルガモ。ただし体型ではなく、いつも子どもをたくさん引き連れているイメージです。   10 種は骨盤が開いた体型です。 30 歳を超えたら太ってくる人も多く、大きいけれど平べったいお尻をしています。自分を頼りにしてくれる人を我が子のようにかわいがり、世話を焼きたがるグレートマザーのような気質がこのタイプの特徴で、それは男性も同様です。  顔は、花が開いたような役者顔。主役しかできないような美男美女も多くいます。大顔で、仏さまのようないかにもやさしそうな顔をしていますが、パワーとエネルギーは絶大で、自分の仕事に凝ったときには、9種同様、ものすごい「集注力」を見せます。9種と違うのは、それが個人技ではなく、たくさんの関係者すべてに対して行われることです。  黙っていてもなんとなく人が集まってきて、集合写真を撮ると自然に真ん中にいるタイプ。放っておいても注目され、また注目されている状態が自分でもいちばん自然だと感じています。  9種に比べると感情の表現も豊かですが、話は意外におもしろくありません。  器が非常に大きく、なんでも受け入れて、気もよくまわるタイプですが、八方美人すぎてしまう一面も持っています。そうなると、身内も外もなく、みんなに平等に接しますが、それが行きすぎて、家庭のある女性なら旦那さんのお皿とペットのお皿を同じにしてしまうようなことも起こります。世話好きですが、やや雑なところがあるのです。  あえて分類すれば、「ドラえもん」はこのタイプでしょう。
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    投稿日:2023.12.25

  • きなこもち

    きなこもち

    このレビューはネタバレを含みます

    小さなことですぐにイラッとしてしまうのをどうにかしたく、ゲームさんぽで知った名越先生の本を読んでみようと本書を手に取った。

    個人的には、レッスン4の「怒りの正体を知る」が特に勉強になった。仏教をベースに「怒り」について解説されているが、宗教を問わず真理をついていると思う。

    ・欲には限りがなく、どんどん欲が出る。そうすると心が乱れ、怒りがわいてくる。ひとつ間違えば、希望を持つことも欲になる。

    ・実体のない不安の奥にも怒りがある。

    ・無知だと世の中を知った気になり、人を見下したり軽蔑するようになる。自分が一番正しいと思い込む傲慢さは怒りに近い。

    ・傲慢な態度は、人の話に耳を傾けることを忘れさせ、人から学ぶ機会をなくし、自分をある意味不幸にする。

    怒りの正体が理解できると、イラッとした時にその感情を、少し客観的・俯瞰的に見れるようになり、イラッとしなくなれるとのこと。確かにこうやって書き出してみると、怒りにはいいことが何もない。

    ただ、言うは易く行うは難し。自分にはまだまだ辿り着けない境地なので、まずはイラッとした時に気づき、冷静に分析することから始めたい。これはある意味修行である。

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    投稿日:2022.12.11

  • h-nishihara

    h-nishihara

    人は生まれた時から怒り(赤ちゃんだと泣いて不快を伝えて何とか周りにしてもらう)を通じたコミニケーションに囚われている。そして、怒りは人間関係の悩みや心の悩みの根源的原因である。どのように怒りを自覚し、コントロールするかを考える方法を議論する。続きを読む

    投稿日:2021.09.20

  • 辺土名小次郎

    辺土名小次郎

    帯裏
    「怒りの正体」がわかれば、対人関係の悩みはすべて解決します!!
    ●すぐに嫌みを言う人
    ●何につけても否定的な捉え方をする人
    ●いちいち攻撃的な人
    ●こちらの存在を無視する人
    ●無礼な態度をとる人
    ●他人をバカにする人・・・
    こんな人を前にしても余裕でスルーできます!

    この本は医学書院から2012年に発行された単行本『自分を支える心の技法 対人関係を変える9つのレッスン』を再編集し、著者自身が大幅に筆を加えたものです。
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    投稿日:2018.08.11

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