【感想】母性のディストピア

宇野常寛 / 集英社文芸単行本
(7件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • snow-flute

    snow-flute

    対象を批評という串で刺すのではなく、宇野という串にあうように対象をねつ造・誤読して批評ごっこをするだけの芸風を堪能できる。

    投稿日:2018.04.08

  • Shimasun

    Shimasun

    かなりの量を割いて、3人のアニメ監督の作品がどのような背景か、何を伝えているのかを宇野さんの視点で分析して論じている。たしかに10時間くらい読んでたかも…

    投稿日:2018.03.30

  • D.Sato

    D.Sato

    アニメーションの巨匠達が、何を描き、何に絶望したか。幼稚園年長の頃に再放送でZZ、小1にリアルタイムでVを観始め、ひたすらガンダムにはまっていった身としては、揺さぶられるものが多々あった。社会への批判力を持つ作品を描くというのは、99%の諦観と、1%の祈りの間で魂を絞り出す様なものなのかと思うと、切なく感じながらも、ますます魅入られてしまう。続きを読む

    投稿日:2018.01.12

  • shohei0308

    shohei0308

    結論については納得。
    「大きな物語」ではなく「大きなゲーム」での再接続というのは,そうなのだけど,それが母性のディストピアに対抗するものなのか?というのが良くわからない。
    結局それも母性のディストピアに回収されてしまうものなのではないか。続きを読む

    投稿日:2018.01.08

  • yutuki

    yutuki

    戦後日本が背負った”悪い場所”性を「母性のディストピア」と形容し、それに対しアニメ作家の巨匠たちが挑んだ臨界点を提示することで、来るべき「拡張現実の時代」「ネットワークの世紀」へいかにして「映像の世紀」で得た遺産を相続するか、それを問うた浩瀚な評論。

    まずはなんと言っても、宮崎駿・富野由悠季・押井守という日本アニメを代表するアニメ作家への、批判の切れ味の鮮やかさと深さ。愛あってのゆえだと思うけれど、ここまで痛烈に書き切るひとをわたしは知らない。作品をすべて追えているわけではないので、作家たちがどこまで「母性のディストピア」の重力に引かれたのか、それは分からないけれど、その刃の鋭さとまとめ上げる強靭さに惚れ惚れした。

    とりわけ、あとがきでも畏敬の念を伝えている富野由悠季の章はアニメ批評のなかでも画期なのではないか。宮崎・押井が映画批評の文脈で評論されることはあっても、富野はぼぼTVアニメ作品のため(そして付言すればアニメ商業誌における否定的な語り口の難しさのため)、肯定的に語られることがあっても批評されることが、言いかえれば「可能性の中心」が論じられることはなかったと思う。宇野はここで「ニュータイプ」の2つの道を示し、ララァ的なものの隘路から脱し、アムロが示した拡張家族的な「ニュータイプ」の可能性をアップデートすべきと説く(強引な要約なので詳細は本書を読まれたい)。

    それらを経て第6章では「ネットワークの世紀」に映像文化はいかに個人と世界を接続できるのか、ということが問われる。いっけん前向きに見えるこの問いは、そして何度も宇野が肯定的な言葉ー「……である」ことを語る意義を繰り返すことーと裏腹に、映像文化への断念から出発していることを忘れてはならない。

    ****
    恐らく20世紀的な「映像」文化がかつてのような社会的機能を取り戻すことはないだろう。私たちは、マスメディアが社会を構成する時代に、その王者として君臨していた映像分野がもっとも果敢に時代の感性を代表し、世代の共通体験となる神話を生んできた時代に「たまたま」生きてきた。しかし、その時代はいま、終わろうとしている。それは(個人的にはすこし寂しいことだが)、一つの表現のジャンルが成熟し、社会の変化に応じてその役割を変貌させたにすぎない。
    ***
    p419(第6章 7)

    では新たな時代の申し子/仮想敵は何かといえば、「Ingress」「ポケモンGO」というGoogle(=ジョン・ハンケ)が生み出したゲームたちだ。ゲームを介して(結果的に)個人が能動的に世界と歴史に接続する可能性を拓いたこと。それを映像において実現可能かが論じられる。

    そのもっとも漸近した作品が、宇野が手放しで絶賛はしないけれど(宇野は何度も「これはアイロニーだ」と注釈を入れている)、庵野秀明「シン・ゴジラ」なのだろう。本章では「シン・ゴジラ」をどうアップデートすべきなのかを、吉本隆明(『共同幻想論』『ハイ・イメージ論』「大衆の原像」等)の批判的読解を中心に、加藤典洋・浅田彰・大塚英志・宮台真司・東浩紀ら批評家たちの言説を一気呵成に論じて、可能性を探っていく。

    この議論は多岐にわたるので、その行き着いた先については本書を読んでほしいけれど、おそらく本書の「具体的な」回答は本書外に、つまり今後の宇野の活動の中で示していくのだろうと思う。

    購入時はこの厚さにうろたえたが、本書で紹介される作品をAmazonプライムで流しながら(映像の世紀の果て!)進めていたら、熱量にほだされて一気に読んでしまった。楽しい、でも大変な読書体験だった。



    続きを読む

    投稿日:2017.11.22

  • まやのみつる

    まやのみつる

    まだ前書き読んだとこ。
    なんだけど、個人的には水村美苗『日本語が亡びるとき』と似た感触を早くも味わっている。
    文章がヒリヒリしてる。読む。

    投稿日:2017.10.29

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