ゲンロン0 観光客の哲学

東浩紀 / ゲンロン
(35件のレビュー)

総合評価:

平均 4.1
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7
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ブクログレビュー

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  • jkrabi

    jkrabi

    朝日新聞平成の30冊で読んだことのないモノを少しずつ読んでいる。

    人間が豊かに生きていくためには、特定の共同体のみに属す「村人」ではなく、どこにも属さない「旅人」でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、時折別の共同体も訪れる「観光客」的なあり方が大切だという主張

    の出だしに「いいね」私は昔の知人から「以前は旅人だったのに変わったね」等と言われる。確かに実際の旅をすることは少なくなったが、色々な共同体でどのように私が役立てられるかを考えており、そういった意味では「観光回数の多い観光客」なのだろうかとおもい、楽しくなる。

    が、それ以降の話がさっぱり分からず。朝日新聞社とは合わないなと言う気もしてくる。
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    投稿日:2019.06.24

  • Eisuke

    Eisuke

    いま現代社会に感じている違和感を明快に解き明かしてくれる。それだけではなく、そんな社会とどう向き合っていけば良いのかまでも、ヒントを与えてくれる、そんな本だった。

    第一部終盤、ローティの考えに対する著者の考察が面白かった。
    「たまたま目の前に苦しんでいる人間がいる。ぼくたちはどうしようもなくそのひとに声をかける。同情する。それこそが連帯の基礎であり、「われわれ」の基礎であり、社会の基礎なのだとローティは言おうとしている」

    この《たまたま》にこれからのヒントが隠されているのではないか。

    とても面白かったです。
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    投稿日:2019.05.13

  • 2319chan

    2319chan

    朝日新聞が発表した平成の30冊で何と4位に選ばれた著書。読んでみたが、以下の下り以外は、教養のない自分にはまったく意味が分からなかった。

     けれども、その起源がギリシア哲学に遡ることからわかるように、最善説の本質は、神の有無以前に、ぼくたちが生きるいまここのこの現実、その唯一性や一回性に対する態度にあるからである。最善説の支持者はこの現実に「まちがい」はないと考える。すべての苦しみや悲しみに意味があると考える。批判者はそうではないと考える。なんの意味もなく、無駄に苦しめられ殺されるひともいると考える。重要なのはその対立である。


     したがって、その訪問権の概念の射程は、国家意志と結びつく外交官の「訪問」ではなく、商業主義的な観光のイメージで捉えたほうが、より正確に測ることができると思われる。観光は市民社会の成熟と関係しない。観光は国家の外交的な意志とも関係しない。言い換えれば、共和制とも国家連合とも関係しない。観光客は、ただ自分の利己心と旅行業者の商業精神に導かれて、他国を訪問するだけである。にもかかわらず、その訪問=観光の事実は平和の条件になる。それがカントの言いたかったことではないか。
     それもまた、二十一世紀のいま現実に起きていることである。国際社会が「ならずもの国家」を指定し、テロリストを生みだしている裏側で、世界は膨大な数の観光客を送り出してもいる。彼ら観光客は必ずしも「共和国」から来るとはかぎらない。中国もロシアも中東諸国も、西欧の基準では成熟した国家と言えないかもしれず、それゆえ国家としては、永遠平和設立のための国家連合には加えてもらえないかもしれない。
     けれども、それらの国の市民も、観光客としては世界中を闊歩しており、そしてそのかぎりで祖国の体制とは無関係に平和に貢献している。実際、日本と中国あるいは韓国との関係はつねに深刻な政治的問題を抱えているが、相互に行き来する大量の観光客によって、関係悪化はかなり抑止されている。
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    投稿日:2019.03.23

  • yamaryue01

    yamaryue01

    これは、哲學書というよりそれ以前に、批評である。
    それは著者の『存在論的郵便的』『動物化するポストモダン』『一般意志2.0』の自注と(內容だけをみると)言えなくはない。これは、自著の単なる「解題」ではないか、と。
    しかし解題という言葉には、強靭な自己批判といういみも含まれるとすれば、東氏ほど「現在」を語るにふさわしい書き手はいないのではないか。

    射程の広い思考をもった理論家ともいえる。カント及び、ヴォルテール、そして、20世紀の政治哲學三人、シュミット/コジェーブ/アーレント。
    最後に、ネグリ+ハート、そして、ローティーと、振れ幅の広い思想家を、精確に分析する手管は、淒みがある。

    さて、他者の哲學とひとことでいってもその説明原理には様々ある。
    文化記號論的に要請される他者にも、システム論と相俟って1980年代には議論されてもいた。

    観光客概念の先の説明原理との大きな違いは、哲學體系文明観などの大きな物語との間隔を斟酌する必要がなかった、別の言い方で言うと、現代はそれらの枠組みと、別の枠組みを視野に入れる必要に迫られている。
    そういうことが言えるのではなかろうか。

    それは、何も、それまでの英知を無視するとやいう訳ではいささかもなく、むしろ、それを(哲學體系や文明観などの大きな物語)をどん欲に咀嚼(批評)した上での論理構成が必要になっている。

    中心概念には、精緻なシステム理論から編みだされた「誤配」、世界心情ともいうべき文化人類學的「憐れみ」を配して、郵便的マルチチュード/多元的決定論へと累進的に論じられる。

    第二部 家族の哲學
    (続く)
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    投稿日:2019.02.17

  • tigersilky

    tigersilky

    このレビューはネタバレを含みます

    難しかった。頭がいいとは、こういうことを考えられることだと思った。世に交通整理屋は多いけども。再読が必要。

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    投稿日:2019.02.11

  • miyazaghi

    miyazaghi

    読後の率直な感想として、哲学の限界と弱点に対して徹底的に向き合って、哲学書として哲学的なアプローチで真っ向から乗り越えようとしている姿勢を強く感じた。20年以上も人文・哲学のジャンルで戦ってきたから東さんだからこその、使命を感じた。

    本書の中でも触れられている通り、しばしば人文・哲学の言葉は抽象的な魔法のような言葉で、具体性を持つことなく完結してしまう。マルチチュードの概念も、反体制的な抵抗運動を指す言葉であり、デモのように強い政治性を持つ活動を行わなくとも連帯される(!)というような理想的な概念である。しかしその実は、否定神学的で具体性はなく、声を上げればネットの力でなんとかなるレベルの議論しかされていない。

    そうした人文・哲学の所作をアップデートするために、①郵便的マルチチュードという概念を導入し(少し哲学の所作を超えられてない気がする)②哲学的な概念に数学的な裏付けを試みている。

    特に、②は二層構造の数学的な裏付けとして位置づけているところは面白い。抽象的な哲学に対して、具体的な数学を取り入れて、なんとか哲学的な思考に具体的なロジックを担保しようとするアプローチは胸を打つ(逆に数学に社会的な哲学的な意味をもたせるという視点も共感)

    しかし、同時に哲学の所作を乗り越えることが極めて困難であることの葛藤もひしひしと感じた。

    本書の中でも、
    ・ソーカル事件に触れながら、数学を自己流による解釈で概念だけ抽出し誤った疑似科学になっていりうリスクがあると指摘していたり(実際、ソーカル的ではないと立証するに至っていないように見える)
    ・実際に②の数学的なアプローチも具体的に論証しきれていないとしていたり
    ・観光客が誤配のようなコミュニケーション(現地人と話すなど)をすれば、それが即すなわち反体制的なマルチチュードになるかといえばそうでないとしていたり、
    ・それに対して、本書の位置づけはあくまで草案であり、具体的な議論は次の仕事に譲るような記述になっている。

    本当に難しいんだと思う。それでも、ここまで詳細に哲学・政治学のテキスト・議論を引用しながらまとめあげ、それを真っ向からアップデートする試みは東さんしかできないと感じました。
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    投稿日:2019.01.06

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