さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神

笙野頼子 / 講談社
(2件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • とうとよ

    とうとよ

    私情の塊。恨みつらみの集合体。
    コンプレックスが積み重なってできあがった体と心が、コンプレックスの原因と同じことを繰り返す。
    自分以外のものを認めず、自分の正しさだけを信じる。
    怖い。

    投稿日:2018.01.01

  • mmcit

    mmcit

     中野重治は、?外論の中で次のように書いていた。「?外にはぬくい心が書けている。けだものが二ひきくっついて温め合うような心が欠けている」「彼は指一本ひとに指させなかった。しかし一般に作家は、人に百本も指をささせるところから出発した。人に百本も指ささせること、これが?外にはできなかった」(「俗見の通用」)。まさに猫と人とが「くっついて温め合うよう」に生きる作者のありようは、?外的な「諦念」や「余裕」からあたう限り遠い。そういえば、中野は書いていた。?外には「人に百本も指をささせる」ような「勇気」がなかったのだ、と。その意味で本書は、「勇気」に貫かれた一冊でもある。
     互いに重い病を抱えた猫と人とが一つ屋根の下で生きる日常がいかに脆く、綱渡りであるか。そのことを誰よりもよく知っているから、本書の作者は「タフなカナリヤ」になることができる。〈共食〉というイデオロギーに囚われ、人に食べさせるため・見せるための料理をめぐってトラウマ的な過去を経験してきたからこそ、好きなときに好きなように自分で手をかけたものを食する〈食の自己決定権〉を脅かす「人喰い」どもの所業に、強い危機感を覚えずにはいられない。台所とトイレを入口と出口として、自分らしく生きることは自分らしく作って食べることであるという発想に貫かれたテクストは、新自由主義の生=政治的なシステムを、具体的な運動=政治のマターへと翻訳し、理解することを可能にしている。
     かりにこの作が文学ではない、と評価されているのなら、そんな文学はなくなってしまった方がよいと私は思う。逆に、このよいうなテクストを文学としてとらえ、このテクストにさらなるコトバを継いで行けるような読者を作ることが大切ではないか、という思いを強くする。 
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    投稿日:2017.11.08

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