【感想】バッタを倒しにアフリカへ

前野ウルド浩太郎 / 光文社新書
(568件のレビュー)

総合評価:

平均 4.4
271
174
54
6
0
  • 実に読みやすいバッタ博士の現地調査譚

    まずは文章がとても読みやすい。
    ファーブル昆虫記を読んで育ちバッタ研究者にまでなった作者だからだろうか。
    エピソード一つ一つが興味深い点や作者の性格が面白いもあるのだろうが、言葉がすっと入ってくるし、現地の写真もあわせて読みやすい。
    現地調査を楽しんでいる様子が生き生きと伝わってくる。
    研究結果だけではなくそのためのフィールドワークの内容やどのような考えで調査を行ったのかが語られていて、とても楽しく読めた。
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    投稿日:2021.11.02

  • 夢を追い続けることの素晴らしさを教えてくれる本

    無職で昆虫博士の著者が単身アフリカに渡り、バッタ研究に奮闘する話。
    この方の文章、研究者なのにユーモアに富んでいてとにかく面白い。
    「億千万の胸騒ぎが全身を走った」とか「絹ごし豆腐顔負けの細やかな心遣い」とか「アタタタとキーボードを叩きまくる」などの表現がツボにはまりました。
    なによりもモーリタニアの国民性や研究所の所長の言葉には感動します。
    研究成果は論文発表後ということなので、ぜひ続編を期待したいです。
    でも、バッタを愛しているのにバッタを退治するために研究するって、自己矛盾に悩むことはないのでしょうか?
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    投稿日:2017.11.20

  • 夢の意義

    冒頭から著者様のテンポ良い語り口に引き込まれどんどん読み進めて 気がつけば読了していました。

    夢って何だったのだろう。
    私自身、何か一つのことに夢中になって成し遂げようだなんて 思ったこともありませんでした。
    ましてや、経済的に追い込まれても尚やり続けるというのは至難の技です。
    誰もが人生の半ばで失ってしまったもの。
    夢の意義。大切さ。それに気づかせてくれるような夢を持った【永遠の昆虫愛好青年】のお話です。
    著者様は【きちんとお給金を頂いて働いている方は偉い】と書いていらっしゃいましたが、私はこんな生き方や信念を持っていらっしゃる著書様こそが本当に偉く思えます。
    もう一つの著書も読んでみますね〜
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    投稿日:2017.07.01

ブクログレビュー

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  • ひまわりめろん

    ひまわりめろん

    はい、続編が発売されるということで今!読んでみましたよ!
    本とコさんの真似じゃないですよ!

    いやーもうめちゃくちゃ面白かったです

    バッタ学者を目指す著者は自分の可能性を信じて「神の罰」とも称される空を覆い尽くすサバクトビバッタの大群を求め西アフリカのモーリタニアへ

    そこでパートナーとなる運転手ティジャニや偉大な男ババ所長と出会い奮闘する冒険(フィールドワーク)の日々が描かれています

    もう、とにかくおバカ!著者もおバカだしティジャニもおバカで笑うしかない
    バッタバカです
    釣りバカ日誌ならぬバッタバカ日誌です

    だけどこの本に書かれていたのは、バッタのことだけではありませんでした

    ここには「夢」を持つことの素晴らしさ、喜び、効果が書かれていました

    大きな夢でも小さな夢でもいい、夢を持つことで努力が苦にならなくなる
    叶わなくてもいい、夢に向かって進むことで自分が成長し、夢を語ることで味方が増える

    夢に向かって闇雲に突き進む全身緑タイツの男に続くのだ!

    少年少女よ!バッタをいや夢を追え!
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    投稿日:2024.04.07

  • szk134

    szk134

    アフリカのモーリタニアに渡り、人生をかけてバッタの研究をした体験記

    蝗害の解決という非常に重要だが日本視点ではニッチな問題に対して、現場に赴き、リスクを取って研究し、更にはそれが楽しそうという、まさにこの方はこの為に生まれてきたのではと思わされるような内容でした。語り口も絶妙で、面白いブログか何かを読んでいる気分になりました。

    自分が夢中になれて、社会的にも意義がある。
    そんなことに巡り会えるのは、本当に素晴らしいことだと思います。
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    投稿日:2024.04.06

  • yonogrit

    yonogrit

    前野ウルド浩太郎(まえの うるど こうたろう)
    昆虫学者(通称:バッタ博士)。1980年秋田県生まれ。国立研究開発法人国際農林水産業研究センター研究員。神戸大学大学院自然科学研究科博士課程修了。博士(農学)。京都大学白眉センター特定助教を経て、現職。アフリカで大発生し、農作物を食い荒らすサバクトビバッタの防除技術の開発に従事。モーリタニアでの研究活動が認められ、現地のミドルネーム「ウルド(○○の子孫の意)」を授かる。著書に、第4回いける本大賞を受賞した『孤独なバッタが群れるとき――サバクトビバッタの相変異と大発生』(東海大学出版部)がある。

    累計20万部を突破し、第71回毎日出版文化賞特別賞、新書大賞(2018年)、第6回ブクログ大賞エッセイ・ノンフィクション部門大賞などを受賞

    バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)
    by 前野 ウルド 浩太郎
    2011年4月 11 日、私はフランスのパリ経由で、西アフリカ・モーリタニアへと向かった。パリの空港で一人、9時間の乗継ぎに耐え、出発ゲートへと向かう。ターバンを巻いて目だけを出している人に、カラフルな民族衣装に身を包んだ女性たち。待合室の時点で、すでにアフリカ風味が漂っている。アジア人は、中国人が数人いるものの、日本人は私一人だけだ。機内アナウンスはフランス語と英語で行われ、もはや日本語はない。命綱がほどけた気分で耳を澄まし、何か重要なことを言っていないか必死に食らいつく。

    怖 気づいている暇などない。これからだ。これから私の新しい闘いがはじまるのだ。今までアフリカのバッタ問題が解決されなかったのは、私がまだ現地で研究していなかったからだ。無名の博士の活躍を世界に見せつけてやろうと、やる気が煮えたぎっていた。しかしこの後、荒い鼻息はため息へと変わることになる。

    モーリタニアの正式名称は「モーリタニア・イスラム共和国」。イスラム教徒は酒を飲むことが禁じられているが、他宗教の人は飲んでもかまわないと聞いていたので、遠路はるばる持ってきたのだが……。持ち込みもダメとは露知らず、続々と缶が発見されていく。砂漠でキンキンに冷えたビールを飲むために、クーラーボックスまで持ってきたのに……。奪われていく夢、希望、未来。  追い討ちをかけるように、パリの空港で買ったウイスキーのボトルにまで魔の手が迫る。販売員のお姉さんから「モーリタニアには一人2本までなら持っていってもいいわよ」とお墨付きをもらっていたのに……。いや、持っていけるとは言われたが、持ち込めるとまでは言われていない。 「これはビールじゃないから問題ないはずだ」と訴えるも、酒の持ち込みはダメだと却下される。結局、ビール 10 本とウイスキー2本、すなわち全ての酒を没収された(後に、賄賂をもらえなかった腹いせだったと知る)。

     ヤギ肉のソースは、ミンチ肉がショウガ、ニンニク、タマネギ、ジャガイモと一緒に煮込まれており、汁だくでオンザライス。ウスターソースに似た味わいだ。ちょっとぼそっとした米が肉汁を吸ってしっとりしており、サラサラと喉を通る。牛丼大好きっ子なので、モーリタニアでも牛丼に似た食べ物を見つけられてホッとした。  たった一日だけど、モーリタニアの飯は美味いことがわかった。太りやすい体質なのでこれは注意しなければならない。

    全員が揃い台所のテーブルに座るなり、学生モハメッドが研究所の給料が安いと文句をつけてきた。 「こんな安い給料なんかじゃ生活を送れない。私たちは家族を養わなければならないのに研究所は私たちの生活を無視している。外国人に同行するとき、彼らはこの2倍の給料を払ってくれるけど、コータローはいくら出すのか?」

    「アフリカでは待ち合わせ時刻はあくまで目安で、待ち合わせ時間から一時間、ときに数時間遅れるのが普通だ。遅刻は怒られるようなことではない。アフリカにはアフリカ特有の時間が流れており、これをアフリカンタイムというのだ。日本人にしてみたら、なんのために時計をしているかわからんだろ? ガッハッハ」  日本のように1分遅れたくらいで怒られるのも生きづらいが、ミッションで先行き不透明なアフリカンタイムをかまされるのも、たまったものじゃない。以降、本来の集合時間よりも一時間早く、時間を告げる処置をとることにした。ティジャニだけは時間通りに動いてくれるため、大変助かった。

     なぜトゲ植物の中にバッタが潜んでいるのだろう。親身になってバッタの気持ちを考える。バッタを捕まえようとするとトゲが邪魔になるので、武器をもたぬバッタが天敵から身を護るための戦略だと考えられる。  過去1世紀にわたるバッタに関する論文を読み漁ってきたが、バッタがトゲ好きだなんて聞いたことがない。一時間足らずの観察でさっそく論文のネタが見つかるなんて、さすがは現場。  野営地に戻り、論文発表をするために何をしたらいいのか研究のデザインをする。観察から「バッタはトゲ植物を隠れ家に選ぶ」と「同じトゲ植物でも大きい株を好む」という仮説が考えられた。これらの仮説を検証するためにどんなデータが必要か。 ① どの種類の植物にバッタがいたか、 ② バッタがいた植物といない植物の大きさ、の二つのデータが必要だ。

    コックが晩飯用にスパゲティを作ってくれた。ダッチオーブンのようなごつい鍋にオイルを多めに入れて 10 分ほど熱してから、鶏肉、タマネギ、ニンジンのみじん切りをぶち込み、すぐさま蓋をし、派手な音を立てながら炒めている。落ち着いたところでコンソメを投入。美味そうな匂いがただよってきた。このソースをスパゲティにぶっかけていただくのだが、期待を裏切らずに美味い。「トレビアン!(美味い)」を連呼し、コックを 労う。フィールドワーク中は缶詰生活を覚悟していただけに、砂漠のど真ん中で手の込んだ料理を食えるとはなんと贅沢なことか。フィールドワークは体力勝負なので、飯をたらふく食わなきゃならんから、コックを雇って大正解だ。

    突然ティジャニが車を止めた。指を差すその先には、見慣れぬ植物が生えていた。目を凝らすと、黄色と黒のまだら模様になったバッタが300匹ほど群がっている。捕虫網で捕獲し、外見をくまなく眺める。紛れもなく、サバクトビバッタの群生相だ。群生相はバッタの数が多いときに現れ、大発生の前兆となる。

    「この先にバッタがたくさん発生しているエリアがあり、そっちに研究所の前線基地がある。まずはそこに行こう」とお声がかかった。そちらのエリアでは、我々に防除の模様を披露するため、殺虫剤の撒布を待ってくれていた。それにしても、サハラ砂漠はなんて楽しい場所だろう。次から次へとウキウキが訪れてきて胸の高鳴りをおさえるのが大変だ。

    砂漠では水が貴重なので、手を洗うのにも一工夫が必要だ。手洗い専用のジョウロとバケツをセットで使う。通常、下っ端がジョウロ係を務め、ジョウロから解き放たれる一筋の水で2、3人が同時に手を洗う。上下関係があり、下っ端は上の人が洗った汚れた水で手を洗うことになる。限られた資源を有効に使う生活の知恵だ。人々が念入りに手を洗うのは、モーリタニアでは手づかみで料理を食べるからだ。

     熱々なのだが、皆、手づかみで食べはじめる。骨に付いてる肉は、ナイフ係がそぎ落とし、小分けにしてくれて、色んな部位を堪能できる。獣臭さはほとんどない。日本の柔らかい肉を食べてきた軟弱な顎にはいささか噛みごたえがあるが、どれもこれも美味い。「こっちの肉も食え」と、皆が私の前に肉を放り投げてくれる。シンプルに塩で味付けされており、ホルモン好きにはたまらない。

    食後には「タジマ」と呼ばれる茶色く濁ったジュースが出された。バオバブの実を乾燥させた粉と砂糖を水に溶かしたもので、消化を助けてくれるそうだ。梨に似たフルーティな味わいで、脂ぎった口の中をさっぱりさせてくれる、食後のデザートにぴったりだ。砂漠のフルコースを大いに堪能した。

    朝飯は毎朝、ティジャニが焼きたてのパンを買ってきて、一緒にゲストハウスで食べるようになった。ティジャニはクロワッサン、私はチョコが入ったサクサクのパンが定番だ。モーリタニアはフランス領だったこともあり、パンが抜群に美味い。インスタントのネスカフェコーヒーがお供だ。ティジャニは砂糖をたっぷり入れるが、私は無糖派だ。

     イスラム圏ではヒゲは大人の男の象徴で、ヒゲが生えていないと子供だと思われると本に書いてあった。なので私は、モーリタニアに渡る前からせっせと口ヒゲをたくわえ、成人男性を装っていた。

     ネズミは病原菌の塊で、様々な危ない病気を媒介すると聞く。ちょっと 齧られただけで、ほぼ丸々残ってるラーメンもあるが、食い意地を張って病気になってしまっては元も子もない。匂いだけ嗅ぎ、泣く泣く捨てることにした。

    最近、日本では物乞いをする人を見かけなかったので、正直、最初は戸惑った。モーリタニアは貧しいのかと思った。だけど、かなりの車が子供たちにお金や食べ物を渡している。それを見てハッと気づいた。救いの手を差し伸べてくれる人がいるから、物乞いができるのだ。日本の道端で物乞いをしたって、最近は物騒なので見ず知らずの他人に誰が恵んでくれようか。私は物乞いを気の毒なイメージでしかとらえていなかったが、取り巻く環境を見ると、そこには多くの優しさがあった。たんにお金がないだけで、炎天下の中、何時間も立ち続けなければならないのがいかに過酷なことか。

    野外調査のための体力作りも重要だ。真っ昼間のクソ暑いときは、行軍の練習と称し、リュックを背負い、砂を入れたペットボトルを片手ずつ持って、ゲストハウスの周りを行進する。夕方はゲストハウスの周りをジョギングする。「新発見はあと一歩から」をスローガンに体力をつける。

    日本人には、お決まりの時間にお決まりの席でコーヒーを飲むといった常習癖がある。そのため、犯罪者にしてみれば犯行計画が立てやすい。安全対策の一つとして、行動パターンを読まれないことが重要だ。それでも、犬も歩けば棒に当たるで、出歩くと犯罪に巻き込まれる可能性がある。  そこで、私が編み出した最強の安全対策は、引き籠もりだった。週末(当時、モーリタニアは金土休み。現在は土日に変更になった)は、ひたすら研究所の敷地内のゲストハウスにいた。塀に囲まれており、これなら犯罪者も手出しできない。一年間で、週末に外出したことは2、3日しかない。ただ、この作戦は安全と引き換えに刺激を失うという致命的な弱点がある(幸い、私はフィールドで刺激を感じていた)。

    研究所に勤める職員の呼び名を少しずつ憶えていった。日本の苗字トップ3に君臨する佐藤、鈴木、高橋の比ではなく、驚愕のモハメッド率の高さだった。研究所内だけではない。出会う人がことごとくモハメッドだった(シディ、アフメッド、シダメッドも多い)。  みんながモハメッドだったら区別するのはさぞ大変だろう、とティジャニに訊くと、まったく問題ないという。「コックのモハメッド」「門番のモハメッド」などと職業で区別したり、「大きなモハメッド」「小さなモハメッド」などと体格で特徴づけたりしているそうだ。この本にもやたらとモハメッドさんが登場するが、全て別人なので留意されたし。

    その後、田中誠二博士(現・農研機構)の勧めで、サバクトビバッタというアフリカに生息する外国産のバッタの研究をはじめることになった。見よう見まねで研究を進めるうちに、ファーブルのように工夫して新発見をすることができ、論文も発表した。そうして全世界の研究者とバッタの新たな秘密を共有できることに快感を覚え、ますます研究にのめり込んでいく。このままバッタを研究していくことができたら、どれだけ幸せだろうか。とにかく博士になったら憧れの昆虫学者に近づけるはずだ。脇目も少ししかふらずに大学院に進学し、神戸大学で学位を取得した。

    一般に、博士号を取得した研究者は、就職が決まるまでポスドクと呼ばれる、一、二年程度の任期付きの研究職を転々としながら食いつないでいく。早い話が、ポスドクは博士版の派遣社員のようなものだ。

    一方の屋外では、予期せぬ事態が起こることが往々にしてある。不安定な環境に加え、研究対象の生物と同じ環境に己の身を投じなければならないため、研究者の都合はお構いなしで野外に束縛される。しかし、生物を研究する本来の目的は自然を理解するためなので、野外での観察は基本中の基本であり、研究の 礎 となる。

     モーリタニアには成田空港からフランス経由で向かう。モーリタニアに到着したら速やかに研究をはじめられるよう、必要そうな研究資材と生活用品を詰め込んだダンボール8箱を持っていく(一箱の運賃2万5000円なり)。出国手続きを済ませ、両親に別れの電話をかけ、友人たちにはメールを送る。無事に日本に戻ってくることができるだろうか。  待合室は、フランスにバカンスに行く人たちでごったがえしている。カップル、ツアー客たちは、これからのお楽しみに期待で胸を膨らませ笑顔でいっぱいだ。神妙な面持ちなのは私だけ。定刻になり、機内に乗り込む。

     さらによく見てみると、お尻だけでなく、頭まで飛び出ている。水鉄砲の要領で、指で頭を体の中に押し込んでやると、お尻の先から生殖器が完全にはみ出てきた! オスの生殖器が丸出しだ。他の満腹ゴミダマも同様に押してみると、今度は雌の生殖器が出てきた。キタコレ! ゴミダマは、腹がはち切れるほど「食い溜め」し、エサで膨れた内臓が生殖器や頭を押し出す特徴があることを発見した。このゴミダマの「食い意地」を利用すれば、彼らを殺さずに性別判定できる。こんな雌雄判別方法は今まで聞いたことがない。

    3回目のパトロール中、ライトで照らすと、得体の知れないトゲの塊が。えっ? トゲ? 何故こんなところにトゲが? なんとハリネズミだ。野生のハリネズミが家の前にいることに唖然とする。犯人のほうも突然、自分より大きい動物が近づいてきたので、動揺を隠せない。丸まったままの鉄壁の防御状態でやり過ごそうとしている。

    扱いに困り、とりあえず容器ごと家に持ち込む。そのまま廊下に放置し、一度部屋に入って扉の隙間から眺めていると、ハリネズミは恐る恐る動きだし、体に似合わない細い足でチョロチョロと駆け出した。 「めっちゃかわいい!」  最初は犯人を踏み潰してやろうかと思っていたが、胸キュンのあまり怒りを忘れた。ただ、このまま外に逃がすとまたゴミダマを喰われかねないので、しばらくハリネズミと同棲することにした(どうやら自分には同棲癖があるようだ)。

    モーリタニアはただでさえ自国の干ばつで苦しんでいる。それなのに他国の難民のためにキャンプ地を準備し、受け入れている。そこまでして人を助けようとする理由がわからずババ所長に話を聞いたところ、 「我々モーリタニアの文化は、そこに困っている者がいたら手を差し伸べ、見殺しにすることはない。持っている人が持っていない人に与えるのは当たり前のことだ」  という。

    日本から持ってきた食料もどんどん減ってきており、心細くなってきた。時間と金の節約を兼ねてもっぱら自炊をしており、中でもめんつゆは心の友だった。何にかけても日本風味にしてくれる万能調味料。チャーハンを作るときも最後の風味づけに使うのだが、少しでも節約したいので、「こち亀」(集英社)で、両さんが節約のため、チャーハンにライスを混ぜてかさ増しして食べていたのを思い出し、半チャーハンをオカズに白米を食べるようにしていた。煮物はめんつゆを大量消費してしまうのでタブー。週末にめんつゆのお湯割りを楽しむのがなによりの贅沢だった。

    日本では細めの女性が好まれる傾向にあるが、逆にモーリタニアでは、ふくよかなほうがモテる。そのため、少女時代から強制的に太らせる伝統的な風習がある。これは「ガバージュ」と呼ばれるもので、現在は、健康によくないからやめるようにと政府が呼びかけている。  日本では、太っていると自己管理がなっていないととられがちだが、こちらでは「太っている=金持ち」となる。自分の妻が痩せていると旦那は甲斐性なしと思われるので、妻を太らせるために気を遣うそうだ。このような文化的背景が異性に対する好みに働きかけ、いつしか男性は太っている女性に美を感じるようになっていったのだろう。  ティジャニも、ドライブ中に体格が良すぎる女性を発見すると、度を超えた脇見運転をし、唸り声をあげる。 前「日本では細い女がモテるよ。例えば、ほら、あそこにいる女とか」 テ「全然ダメだね。女はでかくないと」  お互いの嗜好が極端に異なっているので、一緒に合コンに行っても争うことはないだろう。ただ、ティジャニ曰く、大きければ大きいほどよいというわけではなく、「自分自身でかつげる範囲内」がよいらしい。以前、妻を病院に運ぶときに一人で持ち上げられず、3人がかりでようやく運び出し、ひどく苦労したそうだ。

     フードファイターでなければ食べきれない量なので、もちろん女の子は嫌がるが、無茶な量を食べさせるための秘密道具がある。以前、イスラム第七の聖地として知られる、モーリタニア北部の街シンゲッティを訪れ、伝統的な民芸品を見学したときに目にしたものだ。その道具は、 30 cm ほどある木製のピンセットで、食べるのを嫌がる女の子の太ももをつねるものだという。要は、おしおきをして強制的に食べさせるのだ。また、1 cm ほどの太さの木の棒もあった。それを指の間に入れて、その手をギュッと握るのである。鉛筆で簡単に再現できるので試してもらいたいが、拷問以外の何物でもない。  また、女の子を太らせるための塾もあるそうだ。ウシやラクダがよく乳を出す雨季になると、女の子を南の地域にある塾に預け、肥満合宿によって徹底的に太らせる。ガバージュには、肥満による健康被害のほかに、食べ物がのどに詰まっての窒息死や、胃の破裂による死亡例もあるそうだ。  昔は車がなく、生活の中で長距離を歩かなければならなかったので大量に食べてもカロリーは消費できたのだろう。だが昨今は、自力で歩く機会が減り、ガバージュは健康上、非常に危険なものになっている。街中では、若い女性ほど痩せている人の割合が高いような気がするので、ガバージュをする人は減っているのだろう。  ふくよかな女性に心奪われるティジャニだが、自分の子供にガバージュをさせるとなると話は別だ。このガバージュがティジャニの身に悲劇を招くこととなった。

    人間の場合、異性に対する好みが一方の性の体型に影響し、不健康で極端な体型が好まれることがある。昔の話だが、ヨーロッパではウエストを締め上げ、細く見せるためのコルセットが流行ったり、中国では女性の足が大きくならないようにするため、小さい靴を履かせる 纏足 が行われたりした。いずれも不健康な特徴が美しいと考えられていた。  同じ人間でも、文化や時代の影響で「異性に対する好み」が極端に違っている。男の美意識が女性を苦しめている。これはゆゆしき問題ではないか。日本人男性諸君、日本人女性が過度のダイエットで苦しんでいるのを、このまま見過ごしてもいいのだろうか! 我々は痩せ気味を好みすぎてはいないだろうか。ぽっちゃりぐらいに美を感じ、女性に優しい新しい美を創りあげていこうではないか。

     フランスでは、結婚前に半年ほど同棲して相性を確認した上で結婚するカップルが多いと聞く。もっとじっくりお付き合いをして、お互いのことをわかり合った上で結婚したほうがいい気がするのだが、その潔さが素晴らしい。

    人には心の聖地がある。イスラム教徒はメッカ、高校球児は甲子園、高校ラガーメンは花園、そして昆虫学者を目指す私の聖地は、ファーブルの自宅だった。  日本ではほとんどの人がファーブルのことを知っており、日本で最も有名なフランス人の一人だが、母国フランスでは驚くほど知名度は低い。昆虫の研究者でも 10 人中一人くらいしか知らない。道行く人々はまず知らない。フランス人から「日本で一番有名なフランス人は誰?」とよく質問されるので、「ファーブルです」と答えても誰も知らないのだ。昆虫学者だと教えると、「そんな……、昆虫学者なんかが一番有名なのかよ!」とガッカリされる。

    ファーブルの屋敷は、うっそうとした森に隣接した豪邸だった。ファーブルが歳をとってから住み始め、『ファーブル昆虫記』を執筆したまさにその屋敷だ。家の向かいには博物館もあり、観光地になっている。博物館は閉まっていたが、屋上へと続く階段を見つけて登ってみた。そこからの景色が格別で、ファーブルの屋敷も一望できる。建物は大きく、かなりの敷地面積だ。

    いやぁ、ほんとに大きい。大きい。大きい。私はその大きさにだけしか感動できなかった。なぜなら、本日土曜日は休館日のため、外からしか見ることができないからだ。あらかじめベンに聞いて知っていたが、行き方を知り、我慢できずに来てしまったのだ。もしかしたら入れるかも、という淡い期待を抱いて来たが、やはり入れなかった。だが、屋敷だけが聖地ではない。ファーブルが住んでいた村全体が聖地なのだ。ファーブルの生き様を全身で感じたかったので、気ままに歩き回ってみる。  村はファーブル色に染まっていた。ファーブルのトレードマーク(帽子をかぶった横顔)が民家の壁に、村の地図に、交番の壁にもあった。村の大通り沿いに歩くと、ファーブル様の銅像があった。りりしい姿にうっとりしてしまう。台座にはフランス語で「昆虫学者」と刻まれている。虫の研究をして銅像になるのはすごいことだ。ファーブルはすでに亡くなっているが、この像には彼の魂が生きている。

    受付をすませ、屋敷を見学する。まずはファーブルに縁のない、世界の昆虫の標本がズラリ並ぶ。ファーブル自身のコレクションは、主にパリの博物館に保存されている。  実験に使っていたと思われるファーブルの七つ道具も、ガラスケースに展示されている。彼の生きた痕跡は全て価値があり、ファンとしてはなんでも拝みたい心境だ。別館には壁一面にキノコの絵が飾られている。ファーブルは昆虫学者として有名なだけでなく、キノコの絵でもその名を 轟かせていたという。彼のキノコの絵を初めて目の当たりにし、あらためてその非凡な才能に舌を巻いた。ガラスケースの中にはロシア語、中国語をはじめとする様々な言語に訳された『ファーブル昆虫記』が飾られている。その中にはもちろん、日本語版の『ファーブル昆虫記』もあった。たぶん、母が図書館から借りてきた本と同じだ。世界中の人々から愛されている昆虫学者だということを、再認識する。

    砂漠から来た私にしてみると十分に潤っている大地に見える。そんな庭を散策し、生い茂る樹木のトンネルを進んでいく。人は緑に包まれると、なぜこうも心安らぐのだろうか。精神を健康に保つのに森ほど優しいものはない。それが自宅にあるとはなんとも羨ましい。

    人間ほどの大きさの植物を寝床に選んだバッタは枝にしがみついているが、私が歩いて近づくと、自ら地面に落ちて植物の根元に隠れようとする。寒さで俊敏に動けなくても、落ちてしまえば重力が手助けして垂直方向に素早く移動できる。おまけに入り組んだ枝が邪魔をして、素手ではとてもじゃないけどバッタを捕まえることはできない。逆に人間よりも大きな植物に潜んだバッタは、手が届かないことを知っているかのように、地面に落ちてこず、その場に留まる。すなわち、バッタは低温時の不活発で危険な時間帯を、植物を巧みに利用することで乗り切っているのだ。

    砂漠ということで暑さにだけ注目していたが、寒さに対してもバッタは見事に適応していることがわかった。室内の飼育室でバッタがなぜかケージの上に集まっていたのは、もしかしたら天敵から逃れようとしていたからではないのか。長年にわたってずっと抱えていた謎の一つが、こんなかたちで解けるとは。

    「おまえ日本人か? 日本はいいぞ!」  と、漁師にいきなり褒められる。日本は、JICA(国際協力機構)が中心となって、漁や加工の仕方などを長年にわたり支援してきた。そして、モーリタニア人が獲った魚を輸入している。モーリタニア人は収入になり、日本人は魚が手に入り、お互い良いことずくめだ。モーリタニアには驚くほど親日家が多い。新参者の私は、先人たちの貢献にただただ感謝するばかりだ。

    「プルプルのことか! 今日の分はもう全部出荷しちゃったからまた今度来い」  ようやく通じた。それにしても、プルプル呼ばわりされているとはなんともかわいらしい。タコの特徴を的確に表現するネーミングだ。ティジャニは依然としてタコがなんたるかわかっていない。イカだと思っているので、今度また実物を見せに来よう。

    唇はキスのためでなく、悔しさを噛みしめるためにあることを知った 32 歳の冬。少年の頃からの夢を追った代償は、無収入だった。研究費と生活費が保障された2年間が終わろうとしているのに、来年度以降の収入源が決まっていなかった。金がなければ研究を続けられない。冷や飯を食うどころか、おまんまの食い上げだ。昆虫学者への道が、今、しめやかに閉ざされようとしていた。  なぜ、こんなことになってしまったのか。理由はわかっていた。就職活動を一切していなかったからだ。アフリカで大活躍したら研究機関から自動的にお声がかかると淡い期待を抱いていたが、うまくいかなかった。 「自分ならなんとかなるんじゃ……」  有史以来、自意識過剰は一体何人を無収入送りにしてきたのだろう。私もまんまと一杯食わされた。

    「なぜ日本はコータローを支援しないんだ? こんなにヤル気があり、しかも論文もたくさんもっていて就職できないなんて。バッタの被害が出たとき、日本政府は数億円も援助してくれるのに、なぜ日本の若い研究者には支援しないのか? 何も数億円を支援しろと言っているわけじゃなくて、その十分の一だけでもコータローの研究費に回ったら、どれだけ進展するのか。コータローの価値をわかってないのか?」  大げさに評価してくれているのはわかっていたが、自分の存在価値を見出してくれる人が一人でもいてくれることは、大きな救いになった。

    そうか、無収入なんか悩みのうちに入らない気になってきた。むしろ、私の悲惨な姿をさらけ出し、社会的底辺の男がいることを知ってもらえたら、多くの人が幸せを感じてくれるに違いない。引きこもっている場合ではない。無収入は社会のお荷物どころか、みんなの元気の源になるではないか。むしろ、無収入バンザイだ! さすがはババ所長。思い詰めていた人間をここまでポジティブに変えるとは、なんという励まし上手。相談してよかったと感謝の気持ちを伝えた。

    そもそもアフリカのバッタ問題は日本の日常からかけ離れすぎている。日本国民にとってはどうでもよすぎる話題だ。しかし、バッタの研究をする重要性や大義が日本でも認知されたらどうだろうか。バッタ博士を必要とする空気を日本で生み出すことができたら、道が開けるはずだ。無名のバッタ問題の知名度を日本であげまくる能力、すなわち広報能力が α となるはず。とはいえ、バッタに興味を持ってくれる奇特な方など少数派だ。もっと大勢の幅広い層に興味を持ってもらわねばならない。

    これまで私がまったく異分野の人に惹きつけられたとき、その人の仕事内容ではなく、その人自身に興味を持つ場合が多かった。私の場合も、まずは「バッタ博士」に興味を持ってもらえたら、バッタ問題も抱き合わせで知ってもらえるに違いない。

    虫の魅力を世間にぶちかまそうと声がかかったのは、アリの巣の中に居候する好蟻性昆虫が専門の丸山 宗 利 博士(現・九州大学総合研究博物館 准教授、ベストセラー『昆虫はすごい』〈光文社新書〉の著者)、「裏山の奇人」の異名を誇る小松 貴 博士(現・九州大学熱帯農学研究センター 特別研究員PD)、クマムシ博士の堀川 大樹 博士(現・慶応義塾大学先端生命科学研究所 特任講師)、そして私の4人だった。

     そもそも誰かを惹きつけるにはどんな手段があるか。自然界を眺めてみると、昆虫は甘い蜜や樹液に惹きつけられる。人も同じで、甘い話や物に寄ってくる。みんな甘い物好きだ。  そこで、ピンときた。「人の不幸は蜜の味」で、私の不幸の甘さに人々は惹かれていたのではないか。実感として、笑い話より、自虐的な話のほうが笑ってもらえる。本人としては、不幸は避けたいところだが、喜んでもらえるなら不幸に陥るのも悪くない。  この発想に至ってからというもの、不幸が訪れるたびに話のネタができて「オイシイ」と思うようになってきた。考え方一つで、不幸の味わい方がこんなにも変わるものなのか。そして、なにより重要なのは、私を見てくれる人がいることだ。ファンの存在は、異国で独り暮らす人間にとっては心強いものになり、ウェブ上での情報発信は、リアルタイムに反応があるので、精神衛生上、助けられた。

    私自身、モーリタニアと日本がもっと親密になればいいなという想いから、日本モーリタニア友好協会に入会し、会員の積極的な友好活動を勉強させてもらっている。  日増しにバッタ発見の報告は増え、悲劇が静かにアフリカに忍び寄ってきているのを誰しもが感じていた。  緊張が高まる中、一通のメールが届いた。

    子供心に憧れたファーブルは、キラキラと輝いていて、昆虫学者としてのすごさしか伝わってこなかった。だが、実際に昆虫を研究しながら生きていく舞台裏にこそ、彼のすごさが潜んでいることにようやく気がついた。子供の頃は、夢の美談しか聞かされない。夢を叶えるためにどんな苦労が待ち受けているのか、想像もできなかった。夢の裏側に隠された真実を知ることで、また一歩ファーブルに近づけた気がしていた。
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    投稿日:2024.04.03

  • ひとつこころ

    ひとつこころ

    痛快ドタバタ研究アフリカロードムービー(本)!!
    ゼミの課題本で載っていたからと読んだけど面白すぎて一気読み!
    これぞ「研究者VR本」であーる

    投稿日:2024.03.30

  • NO Book & Coffee  NO LIFE

    NO Book & Coffee NO LIFE

     熊の次はバッタかい! この4月に続編が出版と知り、本書読むなら今でしょ!と手にしました。
     芸人のギャグみたいな表紙写真(出来損ないの仮面ライダー?)、裏には「その者緑の衣を纏いて砂の大地に降り立つべし‥」の文言。ナウシカかよ!とツッコミを入れつつ読み始めました。

     なんと著者は、ご立派な昆虫学者で、学会で多くの受賞歴があります。アフリカではバッタが大量発生し、作物へ壊滅的な被害をもたらす深刻な飢饉問題がありました。バッタにまとわりつかれ、食べられたいと変態的な夢をもつ著者(絶対Mだ!)は、人類を救う研究だと確信し(風の谷ですか?)、単身アフリカのモーリタニアへ。本書は、日夜フィールドワーク研究に勤しんだ日々を、可笑しくも真面目に綴った一冊なのでした。

     バッタの前に、言葉、環境、文化・風習など、数々の倒さなければならない"巨神兵"(やっぱりナウシカ?)がありました。中身の具体と悪戦苦闘ぶりは省くとして、失敗をものともしない、この悲壮感のない前向きな姿勢はどこからくるのかと、つくづく感心します。もっとも、こうでなくては研究者は務まらないのでしょうがね。間違いなく知的好奇心の塊のような方です。

     サバクトビバッタの相変異(群れを成すと体色を変えて獰猛化し、植物・農作物を喰い荒らすモード)の解明と防除技術の開発に従事する著者の、笑いあり、夢と異世界知識あふれる一冊でした。おすすめです!
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    投稿日:2024.03.26

  • のりこ

    のりこ

    軽妙な語り口で書かれ、とても読みやすい学術書。バッタの大群なんて日本人には馴染みもないけど、それでも遠き異国のサハラ砂漠の環境を整えるため、必死でバッタを研究している日本人がいることが知れて、とても有意義な読書だった。

    努力は必ず報われるというわけではないけど、夢を叶えた人たちは、すべからく努力してきたという事実を改めて胸に刻んで、今後の自分の人生の糧にしたいと思う。
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    投稿日:2024.03.24

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