【感想】感情8号線

畑野智美 / 祥伝社文庫
(10件のレビュー)

総合評価:

平均 3.7
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ブクログレビュー

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  • さてさて

    さてさて

    あなたは、「感情8号線」というこの作品の書名を聞いて何か違和感を感じるでしょうか?

    クラシック音楽には交響曲○番というようにその作曲家が書いた順に作品に番号が振られているだけの場合があります。これは、意味のあるタイトルをつけることでそれを聴く側がそのイメージに引っ張られるのを作曲家が避けたいという意図があると言われています。誰もが知るベートーヴェン作曲「交響曲第五番」、「同第六番」、そして「同第九番」は、”運命”、”田園”、そして”合唱”と呼ばれていますがベートーヴェンはそのような名称をつけてはいません。また、マーラーは自身の「交響曲第一番」に最初は”巨人”と名付けたものの後になって削除しています。タイトル一つとってもそれを生み出す側にはさまざまな思いがあることがわかります。

    では、小説はどうでしょうか?現代に生きる作家さんは一方で生活の糧をそこに求める必要もあります。本屋さんに並べるだけならまだしもAmazonで販売するのにタイトルがなければ話になりません。そして、読者に興味を持ってもらうために出版社とともにタイトルにもさまざまな工夫が入っていくのだと思います。単行本と文庫本でタイトルが変更になっている作品もあります。タイトル一つとってもそこには作品を届ける側の思いがあることがわかります。

    さてここに、「感情8号線」という一見摩訶不思議な書名の作品があります。『感情』に『号線』がどうしてつくのかなあ、”○号線”って鉄道か道路の名前みたい、そんな風に思う人がいるだろうこの作品。その一方で、これって漢字が間違ってますよね、とタイプミスを指摘したくなる人がいるであろうこの作品。そしてそれは、東京に実在する『環状八号線』という道路が持つ意味合いになるほど!と人の『感情』のあり方を重ね合わせていく物語です。

    『白くて丸い皮を手に置き、具を載せて水をつけ、包む』。『これと同じ光景をどこかで見た』、『今見ているのは、昨日と同じ光景だ』と思うのは主人公の真希。そんな真希は『二年前と似たような光景でもあるが、その頃のわたしはもっと動きが遅かった』と『二年前からほぼ毎日、餃子を包んでいる』今を思います。『今日は、朝から雪が降っている』という店の外に対して、『熱気が充満している』『厨房』で『ひたすら餃子を包みつづける』真希。そんな時『真希さん、わたしにも教えてください』と『先週入った新人アルバイト』の麻夕(まゆ)が横に立ちました。『仕事にはおぼえる順番があるから。まずはホールの仕事をおぼえて』と言う真希は『貫ちゃんは?』と訊きます。『雪かきに行きました』と答える麻夕。『店の外を見ると』『雪かきしながら雪だるまを作って』いる貫ちゃんの姿がありました。そんな貫ちゃんを見て『餃子屋の店員には、それらしい雰囲気』があると思う真希は『どう間違えてここで働こうと思ったのか』と麻夕が店の雰囲気に合わないことを思います。『田園調布の実家に住んでいる』麻夕がどうして『餃子屋がある』『荻窪までバイトに来ている』か理解できない真希。そんな真希が貫ちゃんの元まで行き『教育係ちゃんとやってよ』と言うと『麻夕ちゃん苦手なんだよ』と返す貫ちゃん。『三年前の三月の終わりにここで働きはじめた』二人は『同い年で、シフト』が重なったことから『自然と仲良くな』りました。『最初に会った時からずっと、わたしは貫ちゃんが好きだ』という真希。そして、雪が強くなり『二時間早く店』が閉まり裏口からでた三人。『どうやって帰るの?』と訊く真希に『タクシーに乗ります』と答える麻夕。一方の真希は『一駅先の西荻窪』まで『歩き』だと思います。『交通費』は『使いたくない』と思う真希は『静岡の短大を卒業して、三年前に東京に出てきた』ことを思い出します。『役者になるためだ』というその思い。『演劇関係の人』が多く住む憧れの街・西荻窪に暮らす真希。一方の貫ちゃんも『山形から上京して役者を目指してい』ます。『麻夕ちゃんは明らかに異物だ』と思う真希は『じゃあ、気をつけて』と麻夕を見送ります。そして二人になって会話する中に麻夕のことを『かわいい』と言う貫ちゃんに『かわいいとか言っていいの?…ミクさん怒るんじゃない?』と言う真希。そんな真希は貫ちゃんが『二年前から付き合ってい』て、『春になったら同棲しようと考えている』ミクのことを思います。『同棲して結婚を考えている彼女がいる男のことは、さっさと諦めるべきだ』と思う真希。餃子屋でバイトをしながら役者も続ける真希の恋心の行方が描かれていきます…という最初の短編〈荻窪〉。呆然とする主人公を思う、なんとも言えない結末を見る短編でした。

    “同じ道沿いに暮らしているのに、恋愛も悩みも人生もみんな違っていて…。幸せへ遠回りしてしまう女性たちの六つの物語”と内容紹介に端的に紹介されるこの作品。六つの短編が登場人物を鮮やかに重ね合わせながら連作短編を構成しています。そんなこの作品をご紹介するにはまずはなんと言っても「感情8号線」という書名に触れないわけにはまいりません。はい、ここでレビュー冒頭の質問に戻ります。

    あなたは、「感情8号線」というこの作品の書名を聞いて何か違和感を感じるでしょうか?

    この答えで”いいえ”と思うあなた、そんなあなたは東京もしくは首都圏以外にお住まいの方ですね。そして、”はい”と言いたいあなた、そんなあなたは、東京もしくは首都圏にお住まいの方だと思います。そして、そんな後者のあなたは『感情』じゃなくて、『環状』なのに、どうして書名がタイプミスのままなのか?と不満をおっしゃりたいのではないでしょうか?そうです。東京には皇居を中心に円を描くように八つの環状道路が設けられています。現在名称として残っているのは7と8の二つのみですが、それらは”環状七号線”、『環状八号線』と呼ばれています。激しい渋滞が物語るように、それらは東京に暮らす人々にとって欠かせない大切な道路となっています。そして、この作品はそんな『環状八号線』の沿線の街に暮らす六人の女性たちの生き様を鮮やかに描いていきます。『環状』と『感情』を掛け合わせた上手いネーミング、そう、この作品は『環状八号線』沿線の街に暮らす女性たちの『感情』の揺れ動きを見事に描き出すまさしく「感情8号線」な物語なのです。

    ということで、この作品には沿線にある六つの街の名前が登場します。同じ『環状八号線、通称「環八」』の沿線と言ってもそれら六つの街が見せる姿は相当に異なります。

    『環八沿いは北から南に向かって、生活レベルが上がっていく』

    そんな風に語られる街が見せる風景に合わせて物語が描かれていくこともあって、この作品は『環状八号線』を知っている方が間違いなく楽しめると思います。一方で、全くご存知ない方には地名さえピンとこない中に読み進めざるを得ないことになります。でも、それではこの作品は東京もしくは首都圏にお住まいの方限定作品になってしまいます。しかし、そんな方にも心配はご無用です。畑野智美さんはかなり細かくそんな六つの街の位置関係や街の情報を細かく織り込みながら物語を展開してくださいます。

    そして、物語の展開は『環状八号線』沿線の街それぞれに暮らす六人の女性たちがそれぞれの街をタイトルとする短編に主人公として登場していきます。ここに畑野智美さんの真骨頂とも言える、人を巧みに重ねていく連作短編の構成の上手さが際立ちます。各短編には複数の人物が登場しますが、ある短編で主人公を務めた人物が他の短編では背景となり、一方である短編で背景だった人物が他の短編で主人公となる、といった形で物語はどんどん繋がっていきます。これが実に巧みです。重なっていくのは主人公クラスだけでなく、えっ?この人って?という感じでどんどん人が繋がっていく様は見事です。これから読まれる方には冒頭の短編からどんどん登場する人の名前を意識しながら、もしくはメモしながら読み進めることをお勧めします。人がどんどん繋がることで物語に奥行きがどんどん生まれていくのを感じる、それこそがこの作品の醍醐味だと思います。

    そんな醍醐味を味わうためにはあまり情報を入れずに読むのが良いと思いますが、街の記載と、内容紹介に記されている情報+αレベルで簡単にご紹介しておきたいと思います。六つの短編に登場する街はこんな風に紹介されます。

    『中央線か丸ノ内線の荻窪、京王線の八幡山、小田急線の千歳船橋、田園都市線か大井町線の二子玉川、大井町線の上野毛、東横線か目黒線の田園調布』

    六つの街は同じ一つの鉄道路線で繋がってはいないことがわかります。そんな六つの街の共通点、それこそが、

    『この六つの駅それぞれを中心とする町は、全て環八沿いにある』

    という点です。では、『環状八号線』で南北に一つに結ばれる六つの街を主人公と街の描写、そして主人公がどういう境遇の中に生きているかについてまとめます。

    ・〈荻窪〉: 『餃子屋』でバイトをする真希が主人公。『演劇をやりたいといつも考えていた。演劇関係の人は中央線沿いに多く住んでいると聞き、西荻窪は憧れの町』。
    → “荻窪で暮らす劇団員の真希はバイト仲間に片想い中。彼には彼女がいるのに想いを断ち切れない”

    ・〈八幡山〉: 『百貨店』で働く絵梨が主人公。『八幡山の駅の近くに木々に囲まれた病院がある。少し先に行けば、大きな公園もあり、町の中に緑が多い』。
    → “八幡山で同棲中の絵梨は彼に暴力を振るわれているが、今の生活を手放せない”

    ・〈千歳船橋〉: 『百貨店』で働く亜実が主人公。『中学校や東京農業大学の前から世田谷通りに出るバスが走る通りや、図書館と児童館が入った区民センターから公園につづく道に桜並木がある』。
    → 千歳船橋に引っ越してきたばかりの亜実は婚姻届を出したものの『今は胸の中に不安しかない』という日々を送る

    ・〈二子玉川〉: 『専業主婦』の芙美が主人公。『駅前にショッピングセンターとデパートが密集している二子玉川』
    → “二子玉川の高級マンションに住む専業主婦の芙美は夫の不倫に苦しんでいる”

    ・〈上野毛〉: 『総合職』で働く里奈が主人公。『周りに自然があ』る
    → 上司の係長と半月前まで不倫をしていた。『生きていけるとしても、一人ではいたくない』という思いの中に生きる里奈

    ・〈田園調布〉: 『餃子屋』でバイトをする麻夕が主人公。『家族三人では使い切れないくらいの数の部屋』がある家に暮らす
    → 『パパとママの言う通りにしていればいいの。それで幸せになれるんだから』と言われて育つ中に『それはわたしの人生じゃない』という思いが芽生える麻夕

    この作品がどうして『環状八号線』を『感情』に重ね合わせたのか?それは、やはりこの『環状八号線』という道路の性格を知る必要があります。それこそが、〈荻窪〉の主人公・真希が語るこんな言葉にあります。

    『電車だと遠回りしないといけないが、荻窪と田園調布は環状八号線、通称「環八」という都道で繫がっている』。

    東京は、皇居を中心に放射状に広がっていく街です。鉄道も高速道路も、そして主要な道路も全て放射状に伸びていきます。その一方でそんな放射状に伸びる鉄道や道路を南北や東西に繋ぐ路線が少ないのが特徴です。本来蜘蛛の巣のように縦横に繋がっていけばそんな蜘蛛の巣の上の移動は自由自在です。しかし、放射状に伸びる糸しかなかったとしたら蜘蛛は獲物を捉えるのに相当時間がかかってしまうと思います。そうです。そんな不便な移動を直接に繋いで便利にしていく存在、しかも東京の中でその一番の外周を繋ぐのが『環状八号線』なのです。近くて遠い場所を繋ぐ『環状八号線』、それを人間関係に置き換えれば近くて遠い関係性が思い浮かびます。この作品では、そんな関係性にある男女の繋がりが描かれていました。〈荻窪〉の主人公・真希は同じバイト先で働く貫ちゃんに好きという感情を抱くも相手には同棲を予定している彼女がいるというもどかしさの中に生きています。〈二子玉川〉の主人公・芙美は二児の母親として一見順風満帆な日々を送る中に、最も身近な存在であるはずの夫に女の影を感じるもどかしさの中に生きています。そして、〈田園調布〉の主人公・麻夕は親の指示通りの人生を歩む中に、バイト先で身近に働く貫ちゃんに、どうしても届かない思いを抱えながら生きています。このようにこれら六つの短編に登場する六人の主人公たちはそれぞれが暮らす街を繋ぐ『環状八号線』のように近くても遠く、または遠くても近いという男と女のさまざまな思いを感じる中にいます。決して特別な生き方をしている女性たちでもなく、世の中に実際にいそうな彼女たち。

    『近いのに、遠い場所という感じがする』。

    彼女たちがふと思うそれぞれの人生への思いを垣間見せてくれるこの作品。畑野さんらしい連作短編の極みとも言える人と人がどんどん繋がっていく構成の見事さにゾクゾクさせられる物語、まさしく「感情8号線」な物語がここには描かれていたのだと思います。

    『電車だと遠回りしないといけないが、荻窪と田園調布は環状八号線、通称「環八」という都道で繫がっている』。

    東京の中心部をぐるっと囲むかのように走る『環状八号線』。この作品では、放射状に張り巡らされた鉄道網を南北に繋いでいく道路で結ばれた六つの街に暮らす六人の主人公のさまざまな思いを見る物語が描かれていました。同じ道路上なのに随分と異なる景色を見せる街々に注目した畑野さんの目の付け所に感心するこの作品。さまざまな思いの中に悩み苦しみながらも日々を精一杯生きる六人の主人公の幸せを願いたくなるこの作品。

    街が道によって繋がり、人が心によって繋がっていくことの意味を改めて考えさせられた、そんな作品でした。
    続きを読む

    投稿日:2023.09.13

  • 葉月

    葉月

    このレビューはネタバレを含みます

    環状8号線沿いに暮らしている6人の女性たち。
    人生や恋愛に迷う彼女たちのリアルで切ない物語。

    登場人物に自己投影していた。
    読みやすく面白かった。

    レビューの続きを読む

    投稿日:2022.05.22

  • kaorukaeru

    kaorukaeru

    6編収録
    登場人物たちのつながりや時系列から
    連作といっていいでしょう
    環状8号線沿いの街を舞台に女性の恋愛事情なお話でした
    いろんなパターンのお話でどれも楽しめました
    それぞれのその後の話もあるといいかなと思いました続きを読む

    投稿日:2022.03.22

  • みースタイル

    みースタイル

    ドラマ化されていたので。ドラマはまだ観てないけど。
    こういう短編が詰まってるやつは、相関関係があり、それが面白い。

    投稿日:2020.10.27

  • yoc8

    yoc8

    このレビューはネタバレを含みます

    周りからは幸せそうに、充実している人生を送っているようにみえても色んな悩みを抱えている。そんな女性たちの物語。
    考えていることや、悩んでいることは周りに話さないとわからないですよね。
    環状8号線。なんでこのタイトル?文中にもありますけど、遠くて近いってことでしょうか。

    レビューの続きを読む

    投稿日:2018.09.17

  • himawari-himawari

    himawari-himawari

    私が読んだのはこの表紙じゃないけど。
    大好きな連作短編集。いつものように相関図を描いて楽しんだ。
    二子玉の芙美みたいな主婦はほんといそうだし、荻窪には真希みたいな劇団員の子がいるっぽい。

    他の作品も読んでみたい。続きを読む

    投稿日:2018.08.10

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