芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか

市川真人 / 幻冬舎新書
(16件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • dai-4

    dai-4

    メッタ斬りでも読んだように、芥川賞とか直木賞が、重要作品・人物に対して、往々にして授賞漏れしているのは、多分紛れもない事実。ま、人が人を評価する以上、絶対的な基準はない訳で、各人の立ち位置とかによっても当然違ってくる訳で。タイムリーなところでは、昨日発表になった本屋大賞が、直近の直木賞と一致したってのは珍しい例。プロの書き手目線と読者の目線も、大抵は一致しないし、選出作品に対して不平不満も出るだろうし。で、村上春樹。最近出た新作に対する意見が分かれているように、芥川賞授賞に関しても意見は分かれたんですね。芸術作品の評価が難しいのは当然として、それでもやっぱり、賞の性質を青田買いに求めている以上、授賞を逃したのは痛恨だと思ってしまいますが。続きを読む

    投稿日:2017.04.12

  • anagramshi

    anagramshi

    日本の近代文学に通底する視点を脱構築した村上春樹は、いわば「親殺し」で殺される親の側からしたら受け入れられるはずがないね。しかし子の立場の現代作家たちは徐々に力を増して乗り越えていく。

    投稿日:2016.03.02

  • Ellie

    Ellie

    村上龍
    村上春樹
    山田詠美

    作者ごとのアメリカ文化の受け入れ方の違い、その作品の日本(選考委員)側の受け入れ方の変遷が面白かった。

    投稿日:2015.01.04

  • よーこ

    よーこ

    買ってからしばらく放置していたけど、札幌で半分くらい読んで、そこから一気に読み終える。

    基本的に春樹について書かれているところ(芥川賞での実際の選評も、大江健三郎の春樹への評価の推移とかも)は面白かった。芥川賞の選考風景とか、賞をとりまく時代変化とかも。文中の加藤典洋の『アメリカの影』からの引用文とかも、久しぶりにこういった「批評」めいたことに触れたら、新鮮だった。

    坊ちゃんとメロスについては、ふ〜ん程度。

    P67 …日本文学の枠組みにアメリカを充填することにおいて村上春樹は、「アメリカに依存し模倣する日本と日本人」を、自分自身の姿と作品とで再現したことになる……という、何重にも模倣を重ねてしかしそのことで同時代の(ポップな)アメリカ的であるような、きわめて複雑で倒錯めいた試みが完成することになります。それはほとんど、〝アメリカン・ポップアートとしての日本〟を発見することであり、それを引き受けた日本人として、アメリカを「擬態」することでした。それは結局、無意識のうちにアメリカ的な日本、に対する批評的な作業をすることでもありました。

    P97 だから、とりあえずはこう言っておきましょう。芥川賞が村上春樹に与えられなかったのは、一義的には、村上春樹の携えるアメリカとの距離感が彼らにとって受け入れがたかったからであるけれど、つまるところそれは、彼らとアメリカ=父との関係の問題であり、村上春樹と「父」との距離の問題なのだ、と。
    もしも村上春樹が「父」を描くことができていたら、「父」になる姿を描けていたら、とっくにその賞は彼のものになっていたはずです。逆に言えば、それができなかった/しなかったところに、村上春樹の倫理があった、と言ってもいいでしょう。
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    投稿日:2014.08.07

  • キじばと。

    キじばと。

    タイトルになっている「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったのか」という問いのほか、「夏目漱石の『坊っちゃん』のヒロインは誰か」「多くの人が、太宰治の『走れメロス』に感動した記憶を持っているのはどうしてなのか」という問いを追いかけ、日本における「文学」のあり方を論じています。

    芥川賞の候補になった村上春樹の『風の歌を聴け』と『一九七三年のピンボール』は、「アメリカ的なもの」をキッチュかつフェイクな形で描いていると著者は指摘します。そして、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』のようにアメリカへの「屈辱」をモティーフにするのでもなく、また田中康夫の『なんとなく、クリスタル』のようにアメリカへの「依存」をぎりぎりの批評性とともに表明したのでもなく、「アメリカの影」にある私たちの「根っこ」をあけすけに描き出したことが、春樹に芥川賞が授賞されなかった理由だという見方が語られます。

    一方『坊っちゃん』については、老年の下女である清が、坊っちゃんのヒロインだという主張が展開されています。漱石は、文明の幕開けである明治の時代を生きた「近代小説」の「根っこ」に、それまで彼ら自身が属していた「江戸」の終焉という出来事があったということを、清を愛惜する『坊っちゃん』という物語の中で示していたのだと、著者は考えます。

    太宰治の『走れメロス』は、私たちのノスタルジーを喚起する「夕陽」という仕掛けが効果的に用いられています。そして著者は、「夕陽」を通じてノスタルジアに浸るという私たちの感情が、近代の中で作られてきたということを抉り出しています。

    こうして著者は、3つの問いを通じて、近代以降の日本文学の「根っこ」を掘り出すという作業をおこなっています。ただ、そうしたテーマ設定は興味深いと思いましたが、一冊の本として読むとき、すこしまとまりに欠ける印象を抱いてしまったのも事実です。
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    投稿日:2014.07.27

  • kerukamo

    kerukamo

    基本的には日本の既成(当時の)文壇批判、つまり「近代文学批判」であり、作者は自覚しているかどうかしらないが、凡庸月並みな内容。春樹こそが「現代文学」の創造主であり、「近代文学」的芥川賞が取れないのは当たり前なのだが。それにしても、語り口が落研的でおおよそスベッテいる。続きを読む

    投稿日:2013.06.24

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