【感想】容赦なき戦争

ジョン・W.ダワー, 斎藤元一, 猿谷要 / 平凡社ライブラリー
(12件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • bookkeeper2012

    bookkeeper2012

    連合国の日本人へのむき出しの人種差別といい、日本の独善的な大東亜共栄圏構想といい、胸の悪くなる話ばかりだ。

    とはいえ戦争が終わるとあっけないくらいにスンナリ仲直り(?)できたわけだし、今日のウクライナを見ていても戦争するのに人種間の憎悪が必要でないことは明らかだ。人種差別はあきらかに問題だし醜悪だが、なんといってもダントツに悪いのは戦争こと殺し合いなのだろう。続きを読む

    投稿日:2022.03.19

  • mamo

    mamo

    「敗北を抱きしめて」のダワーが、日米戦争中の日米双方の人種主義を分析した本。

    「敗北を抱きしめて」はとても面白い本で、戦後の日本復興における日本とアメリカの一種の共同作業のプロセスをリーダーたちの言動だけでなく、庶民の捉え方も含め、言説やシンボルなどの文化的な読み解きを通じいて、とてもエキサイティングであった。

    この本が書かれたのは、この「敗北を抱きしめて」より早く、扱われている時代も戦前、戦時中というわけで、「敗北を抱きしめて」の前編ということもできる。

    内容としては、いかに戦時中に日米双方が、人種的な偏見、ステレオタイプ化によって、相手を非人間的な存在として、語り、シンボル化して、戦争において、相手の「人権」といったことを考える必要のないものにしていたかということを漫画やポスターなどなどの分析を通じて、明らかにしていく。

    戦後の日米の共同関係については、「敗北を抱きしめて」に詳しいが、それにしても、この間まで、鬼畜英米といっていた日本国民がどうして米国の支配をすんなりと受け入れたか、またアメリカが日本をどうして日本を人間として扱うようになったかは、不思議。

    そこまで、相手を非人間化しておいて、戦争を終わると、あっさりその比喩は和らげられ、あらたに敵として立ち上がってきたソ連や中国の共産主義に対して、同じような非人間化の比喩が用いられるようになる、その変わり身の速さがまた恐ろしい。

    で、その説明もこの本では与えられていて、イメージや言説の連続性はある意味では継続しつつも、意味が微妙に変化しているから、ということ。この辺の説明は、かなり説得力がある。具体的にどういうことかは、この本を読んでほしい。

    この本がかかれたのは、1980年代。当時は、日本の経済的な発展がピークで、日米貿易摩擦が問題になった時期。そうなると、一旦、収まっていた比喩がまたでてくる。「経済戦争」「エコノミック・アニマル」などなど。そして、「パールハーバーを思い出せ」的なことをまた言われ始める。

    つまり、いつでも利用可能なものとして、人種的な偏見と比喩は待ち構えているということ。そうした言説は、相手が変わっても、そのまま違う相手に対して使われることもあるし、国と国との歴史、固定観念との関係で、ユニークなものもある。

    そして、そうした比喩や言説は、日米関係に限らず、いつでも出動をひかえて、スタンバイしているのかもしれない。
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    投稿日:2022.02.13

  • 黒田あすか

    黒田あすか

    ゼミの先生が選んだ本
    日本とアメリカの太平洋戦争前後の敵国、自国の見方が、とても面白い
    プロパガンダや自国愛を強める手法、民族問題など現代に通じる部分がいくつもある

    投稿日:2020.12.23

  • 澤田拓也

    澤田拓也

    著者ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』は、当時の文献研究を通して、敗戦直後の日本の埋もれていた事実を多様な視点から浮かび上がらせた名著だった。本書は同じ著者が、太平洋戦争時の日米双方の敵意あるプロパガンダや世論を文献から掘り起こし、戦争における人種問題の影響を批判的に指摘したものである。日米双方に強い排他主義と自民族優越主義が見られるが、同時に日本における言説とアメリカにおける言説の傾向は大きく違っていることも対比に基づいて指摘されていて興味深い。

    人種間の憎悪をあおるような差別意識は過去のものでは決してなく、今も根強く残り、そのため簡単に火がついて蘇ることもある。年配の親戚が、韓国やロシアのことを悪く言うことも普通にいまだにある。また、「黒人」のステレオタイプを自分の親の世代は持っているだろう。「バカチョンカメラ」という言葉が普通に何のためらいもなく使われていたことは驚きだが、過去には他民族に対する優越意識が当たり前のように多くの人の底にあったことを示している。また自身の経験でも、日本以外でも隣国間の根強い差別はあり、例えば一部のギリシア人はいまだにトルコ人を敵と考えていた。アメリカ人はテロリストというカテゴリーを使うことで逃げているようだが、アラブ人に対する差別要素をはらんでいることは簡単には否定できないだろう。

    かつては、人種差別は非論理的な人が持つ偏見ではなく、科学的な根拠を持つものとして語られていた。本書は、そういった事例に枚挙にいとまがないことを示す。そして、戦争という状況の下で誰もが、その説明を受け入れて利用することにためらいを見せなかった。時代によっては自分がこの差別や憎悪を積極的にサポートする側に回ることがあったかもしれない、ということを真摯に考えることは誠実な想像力の働きだと言えるだろう。こんな差別や憎悪を産み出してしまうなんて、やはり戦争はいけないことだ、と無邪気に結論を出してしまうべきではない。

    本書では、日本が「劣等民族」=「子供」であるという米国が与えたイメージが、戦後においてアメリカ自身を「保護者」であり、日本人自身が自らを「生徒」とお互いにみなすことで、スムーズな米国式民主主義導入が実現されたと分析している。終戦を境として真逆の態度を日本人が取ることができたという不思議の理由の一端をよく示している。

    日本の戦争犯罪の追究にも容赦はないが、本書は主にはアメリカが抱える人種問題について扱ったものだと言えるだろう。アメリカでどれほど読まれたのか不明だが。9.11の事態を躊躇いなく真珠湾に結び付けて公に語られたことからも今日的意義を持つものだと思う。
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    投稿日:2013.11.17

  • racdog

    racdog

    血迷った残虐な超人の加害者と、脳の足りない残酷なサルの被害者として、まるで逆の両者はどちらもたった数十年前の我々である
    さいわい海外から頭のおかしいサルに見られることはなくなったが、此岸から海外を見る目は昔と変わったか、まだ確信は持てない続きを読む

    投稿日:2013.09.08

  • mizukyf

    mizukyf

    ジュンク堂の小熊英二書店のキャンペーンで見かけたもの。学生時代、個人的な印象としては、1945年の敗戦前後の日本史、とくに政治・思想史に関する「古典」として、ジョン・ダワーの名前はおそろしく知名度があったものに思える。それはもう社会学におけるマックス・ウェーバーやテンニース(これはちょっと古すぎる?)のような感じで、同種のものにベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』があった。そんな感じ。実際はどーだったのだろうか?

    彼の名前をそのように有名なものとしているのは『敗北を抱きしめて』だけど、本書はそれに先立つ作品。第二次世界大戦、とりわけ太平洋戦争において、日本とアメリカやイギリスの両政府や知識人、マスメディア、印刷媒体が大いに生産流布させた人種主義的言説のおびただしい実例の数々を示しつつ、それらがヨーロッパ戦線やとくに中国人を対象とした米国内のアジア人差別とどう異なっていたかを論じている。

    論述にあたっては多くの例が引かれているけれど、日米両側で生産された言説の源泉や文脈となっているものについての考察はちょっとざっくりと単純化されすぎている感があった。数百年前にまでさかのぼるこの列島の古文に現れた思想がそのまま現代に生き延びて、それと近代欧米の帝国主義的言説/オリエンタリズムや戦時下アメリカにおける人種主義的言説が反応して、太平洋戦争下の日本側の言説を形づくった、そんな単純化されたビジョンで議論がなされているところがあるように感じた。

    こういう不満を言うときに念頭にあるのはそれこそアンダーソンの『想像の共同体』であったり小熊英二の『単一民族神話の起源』『〈日本人〉の境界』などであったりするわけだけれど・・・。
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    投稿日:2013.07.07

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