【感想】論理学 考える技術の初歩

エティエンヌ・ボノ・ド・コンディヤック, 山口裕之 / 講談社学術文庫
(5件のレビュー)

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  • よりうるさいM

    よりうるさいM

    人間は知っていることを分析することによって、知らなかったことも知ることが出来るようになる。どんなに愚かでも、地道に考え抜けば知ることの出来ないということはないのである。勉強する上での初心としたい

    投稿日:2020.07.31

  • Στέφανος

    Στέφανος

    原書名:La logique

    第1部 自然はいかにして我々に分析を教えるか。また、この分析という方法に即して観念と心の諸機能の起源と発生を説明すると、どのようになるか(自然はいかにして考える技術の最初のレッスンを我々に与えるか;知識を獲得する唯一の方法は分析である。いかにして我々は分析という方法を自然そのものから学ぶか;分析は精神を正確なものにする;いかにして自然は我々に感覚的対象を観察させ、さまざまな種類の観念を獲得させるか;感官で捉えられないものごとについての観念;同じ主題のつづき;心の諸機能の分析;同じ主題のつづき;感覚能力と記憶力の原因について)
    第2部 分析の手段と効果についての考察、すなわち、よくできた言語に還元された推論の技術(我々が自然から学んだ知識はいかにしてすべてが完全に結びついた体系をなすか。自然の教えを忘れたとき、我々はいかにして道に迷うか;いかにして行動の言語が思考を分析するか;いかにして言語は分析的方法になるか。この方法の不完全性;言語の影響について;抽象的で一般的な観念についての考察。推論の技術はいかにしてよくできた言語に還元されるか;言語の乱用を改善する唯一の手段は定義だと考える人がどれほど間違っているか;言語が単純であれば、推論はどれほど単純になるか;推論の技巧は何に存するか;確かさのさまざまな段階。明証性、推測、類推について)
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    投稿日:2019.01.11

  • gouon

    gouon

    <読中P59辺り>
     中学生の頃の出来事。友達と自転車で遠く吉祥寺まで遊びにでかけた時のこと。百貨店のエレベーターに乗り込んで上がる途中。保育園児くらいの子とその母親が乗り込んできた。するとその幼子はおもむろに「お父さん」と言いながら自分の足に抱きついてきた。はじめての体験で戸惑う自分。母親も若干気まずそうに「違うわよ」と言いながら我が子を引き剥がす。
    母子は先にエレベーターを降り、その後自分は友達からお父さんとからかわれていた。翌日の学校で笑い話のネタくらいにはなったのだろうか。その後のことは、ビートルズの青盤CDを中学生ながらに断腸の思いで購入した事のほうがインパクトが大きくて覚えていない。

    あの時の子供は自分の何をもって「お父さん」と認知したのだろうか。顔のようなある程度成長した人が判別するのに用いるパーツではないようだ。小さいあの子の視界で考えてみれば、答えは自分が履いていたパンツにあるのだろう。当時私は子供のくせに大人が履きそうな濃いベージュのチノパンを履いていた。きっとその子の実の父親も普段はそんな恰好だったのではないか。

     そうすると、その幼い子供にとって「父親」という観念は、チノパンはいている人全般だったということになる。仕事の忙しいお父さんは、ひょっとするといつも子供がまだ寝ている時に出勤して、眠りについた後に帰宅していたのかもしれない。まともに接することができるのは休日のパパである時だけ。その時の格好が自分に似ていたのだろうか。
    だとすればなんて可哀想な出来事。きっとその子が生まれてから、お父さんは自分のことを覚えてもらうためにたくさん抱っこしたことだろう。初めてパパと呼ばれた時は一体どれほどの感動を味わったことだろうか。
    しかし、実際にその子がパパと呼ぶ対象は個別のその父親ではなかった。まだまだ彼を唯一のパパと認めるには不足しているものがあったに違いない。
    母親は内心ほくそ笑んでいたかもしれない。日頃家事育児を押し付けているからこーゆーことになるんだ、と。
    母親の勝利宣言。 母は強しである。
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    投稿日:2018.06.20

  • uz822

    uz822

    本書は論理学、考えるということについての18世紀の哲学者によって記された本である。
    断続的に読んだせいもあり、うまく自分の中で消化できていない。
    著者に言わせれば、知っていることからしかしか知らないことを知る方法はないとうことで、改めて本書を再読せよ。
    となるのだろうが、再読はなかなか気が進まない…というのが今の気分である。

    ・考える際には分析から始める。
    ・何かを学ぶときには知っていることから知らないことへと進む
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    投稿日:2017.05.28

  • glideoff

    glideoff

    本書は18世紀の哲学者コンディヤックが一般向けに論理学の初歩を説いたものである。元は学校の教科書(いまの大学1年相当くらい?)として書かれたものらしい。昔の偉い哲学者の書いたものなんて難しくて読めないのではないか、内容は現代でも通用するのだろうか、という不安があったがその心配は無用であった。個人的には求めていたものと合致度が非常に高くて満足だった。私は物事を考えるのが苦手で、論理的に考えるという行為を原理レベルから説明してくれる本を探していたのだが、これはまさにその要望に応えてくれるような内容だった。考えるという行為を本当にゼロから、つまりその発生から説明してくれていて、論理学の初歩というサブタイトルに偽りのない本だと思う。

    「自然は必要なことをすべて教えてくれる。だから自然の教える方法に学ぶべし。その方法とは分析である。分析こそが正しく物事を考える唯一の方法である。だから分析の方法を身につけよ」というのがつまるところ本書の主張である。そして、分析の内容と有用性を例を交えて示していく。難しい論理展開はほとんどないと言っていいと思う。コンディヤックの論理学の原則は「知っていることから知らないことへ」であって、本書の作りも同じようになっているため分かりやすい。例えば、私たちは分析というものをまるっきり知らないわけではなくて、景色を目で見て認識するときに自然と行っているのも分析である。だから、私たちがすべきことはそれを拡張することであり、難しいことではないと述べられている。このように感覚的に誰もが知っていることから論を順次展開していくので初心者でも内容を掴みやすい。

    本書の内容は哲学としてはもう古いのかもしれないが、正しく考える方法論として高い普遍性がある。この本で言われる「分析」を本当に身につけられれば、あらゆる問題解決の強力な拠り所になるのではないかと思う。
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    投稿日:2016.11.20

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