【感想】ネットと愛国

安田浩一 / 講談社+α文庫
(7件のレビュー)

総合評価:

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  • すいびょう

    すいびょう

    【感想】
    朝鮮学校OB「不快に決まっている。でも、朝鮮人がバカにされるのは、いまに始まったことじゃないしな。それに、あの人たちだって、楽しくてしかたないって人生を送ってるわけじゃないんやろ?そりゃあ腹も立つけど、なんだか痛々しくて、少なくとも幸せそうには見えないなあ」

    街頭で聞くに堪えない罵詈雑言を繰り返す「在特会」のメンバー。彼らを目の当たりにした朝鮮学校のOBは、不快な感情を抱きながらも、一種の同情心を見せていた。
    実際、会員の多くは「強者」ではない。むしろ、社会からつま弾きにされ、ネットでしか自分の居場所が無かった者たちである。そうした弱者たちがようやく仲間を見つけて始めた活動が、「街頭演説」「ネトウヨ」なのである。

    本書は、日本の言論空間の一部にはびこる「右翼思想」の発端を、実際の在特会会員へのインタビューを中心に解説していくルポルタージュだ。ターゲットは右翼だが、街宣車や特攻服といったいわゆる「尊王攘夷思想」の者ではなく、外国人へのヘイトスピーチをメインとする「反中・反韓思想」の者にスポットライトを当てている。

    在特会の活動を見てきた有識者たちは、彼らの行動原理を「なれ合い」「承認欲求」から来るものだと斬り捨てる。
    なかでも元会員の藤井は、若者が在特会に惹かれる理由を「家族愛」のように形容している。
    藤井「わかるんですよ、彼らが家族を求めたくなる気持ちも。ヤクザ者の世界でも、そうした要素に憧れて組織に入る人間は少なくない。組織こそが彼らにとって、もっとも居心地の良い〝家〟だからね。もちろん在特会はヤクザじゃないし、彼らはそんなものと繫がりなんてないよ。だけど、家族への欲求みたいなものは不思議と同じなんだな」

    彼らは、どこかしら人間関係に難点を抱えているタイプが多い。そんな人は家庭も持てず、仕事でも浮き、地域社会にはもちろん溶け込めない。要するにリアルな「世間」というものを持っていないのだ。社会からは「いない者」として扱われている弱者日本人が、日の丸を持って外国人に罵詈雑言を浴びせるだけで、簡単に「仲間」と認められる。そうした受け皿こそが在特会なのだ。

    本書を読む前は、在特会の会員は少なからず「政治的立場」を持って活動しているのかと思っていた。でなければ、職場や家族から白い目で見られてまで活動を続ける道理はない。しかし、本書の中で明らかにされたのは、彼らが「政治的立場」については内実どうでもいいと思っている点だった。彼らが欲しているのは日本の繁栄ではなく自らのアイデンティティであり、そのために在日を批判の的にしているだけだ。全ては「俺を認めろ!」「お前らばかりいい思いしやがって!」という感情から来るものであり、ならば彼らが叩くべきは、在日よりもむしろ日本人だ。しかし、日本社会の中で日本人は圧倒的にメジャーであり、強者を叩くなんてできるわけがない。だから在日に矛先が向けられ、国籍差別が繰り返されていく。

    いったい、この活動に何の意味があるというのか。読了後、思わずやりきれない思いを抱いてしまった。

    ―――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 在特会とは何か
    「在日特権を許さない市民の会」、通称「在特会」。
    在特会は、「在日コリアンをはじめとする外国人が」「日本で不当な権利を得ている」と訴えることで勢力を広げてきた右派系市民団体だ。インターネットの掲示板などで同志を募り、ネット上での簡単な登録ながらも会員数は1万1000人を超える。朝鮮学校授業料無償化反対、外国籍住民への生活保護支給反対、不法入国者追放、あるいは核兵器推進など、右派的なスローガンを掲げて全国各地で連日デモや集会を繰り広げている。

    「チョンコ!」「朝鮮人!」「ウンコでも食ってろ!」彼らが口にする罵倒は酷く汚い。

    理不尽で、荒々しい力で、彼らを駆り立ててやまないものは何なのか。彼らが口にする憎悪の源には何があるのか。いったい彼らは、かくも過激な在特会の活動の、どこに魅了されており、そもそも、いったい何を目的に誰と闘っているのか。


    2 在特会の活動
    同会が最重要の政治課題として掲げているのは在日コリアンの「特権剝奪」だ。日本は長きにわたって在日の犯罪や搾取によって苦しめられてきたというのが、同会の現状認識であり、日夜、「不逞在日との闘い」を会員に呼びかけている。
    「朝鮮学校無償化反対」「外国人参政権反対」「外国籍住民への生活保護支給反対」「領土奪還」──掲げるスローガンはいわゆる右派的な主張であるが、在特会は自らを「右翼」と名乗ることはせず、「行動する保守」だと自称している。実際、会員の多くは右翼・民族派の活動に参加した経験を持たず、ネットの掲示板などで「在日叩き」をしている「ネット右翼」(通称:ネトウヨ)が目立つ。東日本大震災以降は、各地で盛り上がりを見せる「反原発」の動きに対抗すべく、「反・反原発」「核兵器推進」といったスローガンも掲げ、「強い日本」を訴えるデモや街宣も活発におこなうようになった。

    在特会の活動のほとんどは、「ニコニコ動画」や「USTREAM」といったネット上の動画投稿サイトで生中継される。視聴した者によって、それがさらに他の動画サイトにもコピーされるだけでなく、ブログやツイッターを通してリンクが張られる。ネット用語でいうところの「拡散」である。ネットユーザーはたとえデモや街宣の場にいなくとも、いつでも在特会のこうした活動を目にする機会が与えられているのだ。

    ネット掲示板などを通じて「愛国」や「反朝鮮」「反シナ」「反サヨク」を呼びかける者たちは、一般的にネット右翼と呼称される。朝から晩までパソコンや携帯にかじりつき、「朝鮮人は死ね」などと必死に書き込む者たちの存在は、ネットが一般化した90年代以降、急速に目立つようになった。当初こそネット右翼は、いわば変形型の「オタク」に位置づけられていた。匿名性を盾に差別的な言辞を繰り返す様から、攻撃的な引きこもりと揶揄されることもある。
    一方、今世紀に入った頃から、そうしたネット右翼のなかにも、キーボードを連打するだけでは飽き足らず、リアルな「連帯と団結」を目指す動きが活発化した。あくまでもネット利用して情報収集、交流、呼びかけをおこないながら、「闘いの場」をネットの外にも広げたのだ。

    在特会広報局長の米田は、ネット言論が大きく「右に振れた」要因として「日韓ワールドカップ」と「小泉訪朝」の2つをあげた。いずれも2002年の出来事である。なかでもワールドカップは「ネット言論におけるエポックメーキングだった」とまで断言している。


    3 彼らの主張する特権は、本当に存在するのか?
    在特会がことあるごとに主張する在日コリアンの「特権」なるものは、実態としてよくわからない。米田は「外国籍でありながら、日本人と同じような権利が与えられていることじたいが異常だ」としたうえで、次のような「特権」を指摘した。
    ・彼らは特別永住資格によって、ほぼ無条件に日本に永住できる。滞在資格による条件がなく、たとえば他の外国人であれば犯罪を起こせば強制送還されても、在日コリアンにはそれがない
    ・彼らは通名(本名以外の氏名)使用が認められている
    ・彼らは外国籍でありながら生活保護の受給が認められている
    ・一部自治体では、在日コリアンや、在日団体の関連施設に対し税制面で優遇措置をしている

    果たしてこの4つは、在特会の主張するとおり事実なのか。

    たとえば、在特会が特権の筆頭として示す「特別永住資格」。これは、戦前や戦中に日本へ移住した旧植民地(朝鮮半島と台湾)出身の人々に対して、入管特例法という法律に基づいて与えられた在留資格である。
    たしかに旧植民地出身の人々は、かつて日本国籍を有していたということで、「特別永住者」として他の外国人とは区別されている。治安・国益にかかわる重大な事件を起こさない限り、特別永住者は強制出国させられることがない。また、滞在期限というものがないため、他の外国人のように滞在延長許可申請も必要ない。仮に他の外国人からこうした声が出てくるのであれば一定の理解もできようが(とはいえ永住者であれば同等の条件を有することができる)、日本人がこれを羨むべき「特権」だと騒ぐ理由は見当たらないだろう。

    弁護士の在日コリアン、李春熙は以下のとおり解説する。
    「世界的に見れば、旧植民地出身者には旧宗主国の国籍との選択権を認める例が多いのです。さらに、日本政府は、『外国人』になった在日朝鮮人に安定的な在留資格を認めてきませんでした。つまり、多くの在日は、植民地支配の結果、日本に住むことを余儀なくされたにもかかわらず、戦後は、不安定な在留資格のもとで暮らさざるを得なかった。このような状態の改善は長年の課題であり、1991年の入管特例法の制定により、ようやく特別永住資格が設けられたのです。旧植民地出身者とその子孫に最低限の安定的な在留権を保障することは日本政府の当然の義務だと思います。これがなぜ特権にあたるのでしょうか」
    「一般の外国人であっても、通常は10年も日本に住んでいれば永住資格が与えられる。数十年も日本に居住している旧植民地出身者に永住資格が与えられるのが、そんなに特別なことなんでしょうか」。


    4 いったい誰と戦っているのか
    米田はこう語る。「我々は一種の階級闘争を闘っているんですよ。我々の主張は特権批判であり、そしてエリート批判なんです」
    彼らが憎悪する「特権」の正体とは、つまり、在日社会が持っている濃密な人間関係や、強烈な地域意識だ。それは、今日の日本社会が失いつつあるものでもある。個々に分断され、ネットを介してでしか団結をつくりあげることのできない者たちにとって、それこそが眩いばかりの「特権」にも見えるのではないだろうか。

    在特会の元支部長「仕事とか学歴とか、そんなこととは関係なしに、どこか人間関係に難点を抱えているようなタイプが多いんです。在特会のいいところは、「来る者を拒まず」を通していることなんです。自分たちが少数派であることを理解しているから、誰でも大歓迎なんですよ。とにかく行動をともにしてくれるのであれば、参加者が在日であろうと他の外国籍であろうと構わない。一緒に街頭で叫んでくれさえすれば、大事にされるんです」

    保守系市民運動の草分けとして知られる増木は次のように語る。
    「連中は社会に復讐してるんと違いますか?私が知っている限り、みんな何らかの被害者意識を抱えている。その憤りを、とりあえず在日などにぶつけているように感じるんだな」
    増木はそう前置きしながら、在特会の会員が仕立て上げる具体的な加害者を列挙した。
    ・大手メディア
    ・公務員(教師を含む)
    ・労働組合
    ・グローバル展開する大企業
    ・その他、左翼全般
    ・外国人
    「なんとなく高学歴で、なんとなく高給与で、なんとなく守られている。そんなイメージが少しずつ、かぶりますよね。それ以上に重要なのは、在特会メンバーの多くは、これら加害者のような存在になりたくてもなれない、そんな場所で生きているということなのかもしれません」


    5 ネトウヨが生まれた理由
    ネットは誰もが自由に発信できるメディアだからこそ利用者を増やしてきた。新聞、テレビ、雑誌といった既存メディアでは表現できない「本音」こそがネット言論を盛り上げる。
    だからこそと言うべきか、「差別はいけない」ではなく「差別は本当にいけないことなのか」と挑発する行為こそ、ネットでは求められている。
    「つまり、タブー破りの快感です」ネット事情に詳しいフリーライター、渋井はそう語る。
    「正面から愛国を論じたところで見向きもされない。そこにはやはり、さまざまなタブーという仕掛けがあったからこそ、ナショナリズムに火がついた。たとえば外国人は日本から出て行けという言論もそうでしょう。今世紀に入ってから非正規労働者の割合が急増した。正社員の座をめぐる過酷な椅子取りゲームが始まったわけです。椅子が余っている時代であれば外国人のことなど気にはならないし、寛容でいることもできました。しかし椅子の数が少なくなれば、まず、椅子に座るべきは日本人からだろうといった声が出てくる。それがいつしか外国人は出て行けという罵声にも変わる。『外国人に優しくすべき』『外国人は大事にすべき』といった常識論を乗り越えてしまえば、あとは排外主義の競い合いですよ。これはナショナリストが指導したものではなく、もちろん愛国的な視点から生まれるものでもありません」

    それではネットにおける左派的、あるいはリベラルな言論はどうであったのか。
    実はネット空間は、もともとリベラルなアカデミズムによって独占されていた時期もある。ネットはかつて大学の研究室のなかで主に運用されてきた。大マスコミで流通されることのない現場発の言葉が、研究者によってネットへ流されたのである。それはいかなる検閲も制約も受けることのない自由な言論──つまりカウンターカルチャーの一種であったのだ。
    しかし90年代からパソコンや携帯の普及によって、ネット空間の大衆化が顕著になった。
    大衆化はネットの世界に論理ではなく感情を持ち込んだ。学者や研究者は旧来的な議論には慣れていても、感情の応酬にはついていけなかったのである。よく言われることだが、ネット言論は「激しさ」「極論」こそが支持を集める。彼らはそうした大衆的な舞台から降りることで、いわばネット言論をバカにした。いや、見下した。結果、大衆的、直情的な右派言論がネット空間の主流を形成していく。もともと「権威への抵抗」といった側面を持っていたこともあり、勢いは止まらなかった。この場合、舞台から降りたアカデミズム関係者を「大衆」は権威そのものとみなしたのである。

    社会への憤りを抱えた者。不平等に怒る者。劣等感に苦しむ者。仲間を欲している者。逃げ場所を求める者。帰る場所が見つからない者──。
    そうした人々を、在特会は誘蛾灯のように引き寄せる。いや、ある意味では「救って」きた側面もあるのではないか。
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    投稿日:2023.04.27

  • q

    q

    在特会のことがよく分かる本。
    在特会の街頭演説がありのまま書かれているので、出てくる言葉がかなりキツい。気分が悪くなるレベル。

    10年前くらいからインターネットに触れていたからこういう特定の民族に対しての差別的な情報は触れてきたし、そうなのかと信じてた時期があったのも思い出した。
    学生だった当時はなんとなく近寄りがたいと思い、深く調べず忘れていったが、生まれる時代や環境が違ったら心酔してたかもしれないと思うと怖い。
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    投稿日:2022.06.26

  • risarisa

    risarisa

    面白すぎて一気に読んでしまった。そういや「在特会」とか昔耳にしたことあったな〜と、なんとなく手に取ったのだが、読了後、どうして10年前に出会えてなかったんだろうという、なぞの後悔に襲われるほどに、読み物としても、時代の雰囲気や問題を伝えるルポとしても面白かった。良質なドキュメンタリー映画のようだった。

    本書はいわゆる「ネット右翼」の実態をまとめた本だ。活動内容、それまでの右翼団体との違い、参加者それぞれの人となりや精神的バックグラウンドまで丹念に調べてあり、読みごたえがある。

    まず、感心したのは著者の安定感。街頭で罵詈雑言を叫ぶ人間相手に、怯えられたり、怒鳴られたり、冷たくされつつも、時にしつこく、時に同情心をもって取材し続けるメンタルがすごい。実際のやり取りは見ていないので知らないが、少なくとも、文面上ではカウンセラーなみの安定感がある。だからこんなに突っ込んだ内容なのだろう。

    そうした人が謎の団体ついて紹介してくれたのがありがたかった。普通は触らぬ神に祟りなしだから、排他的でトラブルの気配がただようグループなど、気にはなっても関わりたくない。どうしてあんな事になっちゃってるんだろう、気は確かなのかと思いつつも、理解するために何かすることもないわけで、そのままであれば彼らと我らの間の溝は永遠に埋まらないだろう。

    在特会のトップからは最終的に拒絶されてしまったようだが、体当たりで懸命に世間と彼らを繋いでくれた著者は、実のところ彼らにとってありがたい存在だと思う。

    おかげさまで、本書が丁寧に証明するように、やっぱり在特会の主張には根拠がなかったが、彼らがああなってしまった理由については納得ができた。他人事、個人の問題として切り捨てるのではなく、社会の問題としてとらえているから、自分ごととしてスッと入ってきた。

    しかも、ちょうどこの本を読む直前までニール・ポストマン『愉しみながら死んでゆく 思考停止をもたらすテレビの恐怖』を読んでいたので、合わせると、なかなか興味深いものがあった。情報伝達技術の発展にともない、次第に情報はバラバラの断片として生活に入りこむようになり、テレビ時代が始まってから人々は筋道立てて物を考えなくなった訳だが、ネットの発明でそれがどう発展したかの一例が、まさに本書の事例ではなかろうか。

    テレビはまだ人をお茶の間という小さな公共空間に人を縛りつけたけど、在特会が活躍した時代の通信機器はパソコンやスマートフォンだ。それらパーソナルな情報受信機は、家という空間すらも分断してしまった。だからもう、同じ釜の飯を食う家族でも、スマホで何を読んでいるのか互いに知らない。

    みんなそれぞれに違う情報を得ているから話すら満足に通じない。できることと言えば、ブログやSNSで勝手に叫ぶだけだ。それこそ、一方通行な街頭演説をする在特会の姿そのものに思える。

    言うなればスマホ時代の現代人は、個室を「着て」歩いてるようなものだ。オフ会なるものは個室の持ちより。そこには生々しい個人同士のつながりはない。葛藤を我慢したり、気長に待ってまでキズナを育んだりしない。意見が違えば切り捨てればいいのだ。それがSNS時代の気軽な付き合いだ。

    でも、『星の王子さま』じゃないけれど、本当に友達になるには時間がかかる。友情はファストフードではない。お互いの、どうしようもない体臭みたいなものに慣れた先に、親密さや安心感が生まれる。理屈じゃない。だから、元から意見の合う人たちとオフ会で意気投合したところで、束の間の喜びはあるだろうが、本当の意味では孤独は癒えないだろう。

    精神的な個室の壁を一時的にとっぱらう薬みたいなのが共通の興味関心であり、人によってそれがアニメだったり、信仰だったり、愛国主義だったりする。ただそういったファンタジーは、即効性はあるが持続性はなく、歴史もなくリアリティもなく、今しかない。だからこそ孤独な人たちはその今を持続させるべく依存してゆくのではなかろうか。

    だから、朝鮮人コミュニティに、失われてしまった家族や地域社会や土地との絆をみて、どうにも羨ましかったと語る元在特会のメンバーのくだりは切なかった。所属場所を求めて集まってるのに、やっぱり本物じゃないことも分かっているんだなと。そういう絶望感や、自身の現実感のなさ、みたいなものが主張に反映されてるように感じた。くわえていえば、他者の痛みにも現実感がないからこそ、どんな罵声でも浴びせられるのだ。

    自分は「ネトウヨ」になったことはないが、常日頃なんでこの社会はこんなに個人個人がバラバラで、他人同士話すこともなく、冷たくて、薄っすらと将来に絶望してる人が多いのだろうとは思っている。どんな理由にせよ脱落したら自己責任だし、地域社会とのつながりなんて、生まれた頃からほとんど感じない。だから、どんなに主張や行動が理解不能であっても、自分も彼らと同じ世界にすむ人間だと、本書を読んで改めて思った。

    こういう社会は、言ってみれば「自分さえ良ければアンタはどうでもいい社会」であり、自分しかいない、他者の存在しない社会でもある。共感も想像力もない。それはもう社会とすら言えない。「自分たち」以外の他人は、冷たくて薄っぺらいCG仕立ての敵として、実質消えてしまう。血の通った生きている人間という実感が持てない。思えばカルトやナショナリズムが繁栄する土壌はずいぶん前から、少しずつ整ってきたのだと思う。

    パソコン・インターネットの普及と時期が一致してるのは偶然だろうか。これがパソコン・ネット時代の思考形式だとすれば、仮想敵を罵倒することでいっときの所属感や親密さを演出するグループがインターネットを母体として生まれたのは必然だったろう。

    在特会の名は最近あまり聞かなくなった。いまはQアノン辺りの陰謀説がその役割を担っているように思われる。相変わらず「彼ら」の主張はさっぱり意味が分からないが、その不安な気持ちだけは共有していると思う。この先はどうなることやら。今のところ明るい未来は見えてこない。
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    投稿日:2022.05.16

  • 湖南文庫

    湖南文庫

    安田浩一(1964年~)氏は、社会事件、労働問題などを中心に執筆する、フリーのジャーナリスト。2011年、本書で日本ジャーナリスト会議賞及び講談社ノンフィクション賞、また、2015年、『ルポ 外国人『隷属』労働者』で大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞している。
    本書は、ノンフィクション雑誌「G2」に2011~12年に掲載された「在特会の正体」を基に、2012年に単行本として刊行され、2015年に加筆・修正・改題の上文庫化されたもの。
    私は、内外の社会問題(人種や移民に関わるものを含む)への関心は強く、最近1~2年でも、『ふたつの日本』、『リベラリズムの終わり』、『白人ナショナリズム』、『日本の異国』などの本を読んでいるが、ネット右翼という現象については、関心は持ちつつも、これまで何とはなしに避けてきたのだが、最近在宅時間も増えて、かつて話題となっていた本書を手に取ってみた。
    読了して、まずは、ネット右翼の象徴ともいえる「在特会」とは何なのかがよくわかったし、本書が著者ならではのフットワークとエネルギーの賜物であり、また、著者なりに相当な工夫をして執筆していることが強く感じられた。
    一方で、「在特会」の活動に限らない、更に大きな社会現象の核心は何かというと、著者は明確な答えを示してはいないが、以下の記述が参考になる。「社会運動は理屈よりも勢いで広がるものだと思う。そして勢いは、「守り」よりも「変革」を希求する側に味方する。かつての学生運動が勢いを持ったのは、なによりも体制をブチ壊すことへシンパシーが集まったからではなかったか。一方、現在の左翼は「守り」一辺倒の運動だ。平和を守れ。人権を守れ。憲法を守れ。我々の仕事を守れ。片や在特会など新興の保守勢力は、それらをすべて疑い、「ブチ壊せ」と訴える。左翼が保守で、保守が革新という“逆転現象”が起きているのだ。「うまくいかない人たち」が変革の側につくのは当然のことだといえよう。」 即ち、根底にあるのは、「うまくいかない人たち」が現在の社会に抱く不満であり、それは、日本に限らない、世界に広がる排外主義の潮流と性格を一にするものである。(在特会の活動にそれほどの理念があるのかは、著者も疑問を持っているが)
    そこで我々が懸念しなければいけないのは、著者が「在特会を透かして見れば、その背後には大量の“一般市民”が列を成しているのだ。私が感じる「怖さ」はそこにある。」というような、集団の真理なのだ。更に著者はこう述べる。「在特会とは何者かと問われることが多い。そのたびに私は、こう答える。あなたの隣人ですよ-。人の良いオッチャンや、優しそうなオバハンや、礼儀正しい若者の心のなかに潜む小さな憎悪が、在特会をつくりあげ、そして育てている。街頭で叫んでいる連中は、その上澄みにすぎない。彼ら彼女らの足元には複雑に絡み合う憎悪の地下茎が広がっているのだ。そこには「差別」の自覚もないと思う。引き受けるべき責任を、すこしばかり他者に転嫁しているだけだ。そうすれば楽だし、なによりも自分自身を正当化することができる。」と。
    「在特会」について知るに留まらず、その裏に潜む「在特会的もの」を考えることが、更に大事なことなのだと思う。
    (2020年9月了)
    続きを読む

    投稿日:2020.09.20

  • qingxiu

    qingxiu

    ぼくも在特会と無縁でいられなくなりそうで、あわてて読んだのが本書。全体は批判が中心だが、一人一人の会員に丁寧なインタビューをして、かれらの言い分も存分に紹介した本である。(だから、会員に甘いと批判されたりもしている)読んでいて思うことは、会員のの一人一人は、安田さんと話すときとみんなでデモをしたり抗議行動をするときで態度が全然違うことだ。このおだやかな若者がなぜあんなに口汚くののしれるのかと疑問に思ってしまう。それが会員を引き寄せる魅力であると同時に、会を離れさせていく要因なのだろう。そもそも、かれらが在日の朝鮮人、韓国人を攻撃するもとになったのは、日韓共同で行われたワールドカップでの韓国選手の言動や、小泉訪朝で北朝鮮が拉致を認めたことが大きかった。かれらは後中国、部落解放同盟等の組織へも向かうが、そこにはすべてではないにしても、不当な行為に対する義憤のようなものがあった。それは認めるべきだ。しかし、全体としてみれば、かれらの行為はいじめでしかないし、不満のはけ口を求めたとしか思えない。安田さんはかれらの組織の中心であったりお金を出していた人たちで後去っていった人たちにもインタビューしている。これを読んでいると、最後まで続ける人がどれだけいるのかと錯覚してしまいそうになるが、そうでもないだろう。かれらがどういう人たちで、なぜああいう行動にでたのかについての安田さんの分析には、後批判がでるが、それでもこのルポは出色のできで、ぼくはぐんぐん吸い込まれていった。続きを読む

    投稿日:2017.01.28

  • moriiiiiin69

    moriiiiiin69

    タイトルや帯だけを見れば在特会を論駁する著書なのかと勘違いするかもしれないが決してそうではない。メディアが写さなかった在特会側の人間のリアルと被害者側の在日韓国人のリアルを見事に書かれている。日本人と在日韓国人の間でも必ずわかりあえる事ができるはずという著者の誠実な気持ちがものすごく感じた。続きを読む

    投稿日:2015.12.12

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