デモクラシーの冒険

姜尚中, テッサ・モーリス・スズキ / 集英社新書
(8件のレビュー)

総合評価:

平均 3.4
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ブクログレビュー

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  • キじばと。

    キじばと。

    姜尚中とテッサ・モーリス=スズキが、現代の国際政治状況におけるデモクラシーの危機について語りあっている本です。姜はすでに森巣博と『ナショナリズムの克服』(集英社新書)という対談本を刊行していますが、本書ではおなじテーマを政治思想史を振り返りつつ、もうすこしオーソドックスなかたちで語りなおしたものということができるように思います。

    「すべての人間は、外国人である」というスズキのキャッチーなスローガンは示されており、読者の目を引きます。ただ、おおむね問題意識を共有している二人が、おたがいに問題と感じているところを確認するにとどまっており、これからの展望を切り開くような議論がやや乏しいように感じてしまいました。

    著者たちは、民主主義に対する不信感が人びとのあいだで蔓延していることを踏まえて、「あとがき」でメディア・リテラシーを身につけることや、民主主義について選挙をはじめさまざまな場面でみずからの考えを表明し発信することなどを呼びかけていますが、残念ながら民主主義の再生が可能になるという希望は感じられませんでした。
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    投稿日:2019.09.19

  • ujikenorio

    ujikenorio

    ナショナリズムが「糞」であることを、姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社新書、2002)よりもエレガントに教えてくれる一冊。

    投稿日:2010.11.16

  • bax

    bax

    [ 内容 ]
    一一〇〇万人を超える人類史上最大の反戦運動もむなしく、アメリカとその同盟国は、ついにイラク攻撃に乗りだします。
    デモクラシーを高らかに謳いあげる国々による圧倒的な暴力は、人々の意志が政策に反映されることのない絶望的な光景を、かえって浮き彫りにしました。
    果たして、政治はひと握りの人間によって決定され、他の者たちは粛々とそれに従うほかないのでしょうか?
    本書では、世界的に進行するデモクラシーの空洞化を多角的に分析しながら、私たちの政治参加の可能性を探ります。
    日豪屈指の知性による、深くて鋭い盛りだくさんの対話劇。
    「イラク戦争以後の民主主義入門書」を片手に、いっしょに考えてみませんか。

    [ 目次 ]
    序章 ヤギさん郵便、あるいはデモクラシーの議論への誘い
    第1章 デモクラシーの空洞化―冷戦構造崩壊後、自由は勝利し、それによって自由な選択肢はなくなった
    第2章 グローバル権力の誕生小史・第二次大戦後五〇年―国家と企業の癒着、民営化
    第3章 政党、世論、ポピュリズム―デモクラシーのブラック・ボックス
    第4章 直接民主主義と間接民主主義―デモクラシー思想の歴史と「外国人」
    第5章 間奏曲「月夜の対位法」―デモクラシーは酸素なんだよね
    第6章 ふたたび「暮らし」のなかへ―今、私たちに何ができるのか

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]
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    投稿日:2010.05.09

  • ゆうぷぺ

    ゆうぷぺ

    テッサ・モーリスースズキと姜尚中による対談をまとめたもの。新進気鋭の学者2人が、オーストラリアのビーチでデモクラシーについて語り合った内容。

    投稿日:2007.10.15

  • shiori

    shiori

    確かに、世の中自分が何かしたところで変わらないって思っている節はある。でも、今までの歴史を振り返ってみるとどうして今の世の中があるかって誰かが体制を変えてきたから。今も体制を変える原動力を一人一人が持っているはず。現在人々が無気力化しているのはグローバリゼーションによって力が分散してまとまって大きな力を築くことができないって書いてあったけど、私個人的には今の生活に満足しているからかなって思った。それは世の中を知らないからかもしれないけど、満足しているからこそ知ろうともしないのだと思う・・続きを読む

    投稿日:2007.10.07

  • lifeislife

    lifeislife

    デモクラシーの担い手とは、「それを望むすべての人々」というタテマエになっているが、現実では人々は自らの無力さを感じ、それゆえ「政治的無感情」となっている。その原因はさまざまである。「市場の社会的深化」により、デモクラシーにおいて有権者である人々は消費者となったこと。世論は人々の声を代表しないことや、グローバルな権力によって、人々の選んだ代表にも決定できない事柄が増大した。このように、自分たちがいくら努力しても結果に結びつかなくなって人々は「政治的無感情」に追い込まれた。こうしてデモクラシーの空洞化が進み、ポピュリズムを促進させ、憎悪の政治学を作っている。しかしながら、今は市場の社会的深化や公私境界線の消失によって、従来のデモクラシー理論では対応しきれない事態となった。21世紀のデモクラシーを考えるにあたって、「市場の社会的深化」と、企業と資本主義とデモクラシーの原理を分けて考えることが必要である。そしてデモクラシーには「消費者」は存在せず、「消費者」から脱出するためには「賢く」なって身近な場面からアプローチしていく必要がある。
     本の要約はこのようである。ところで、本書を読み進んでいくうちに「そもそもデモクラシーとは何であるか?」という疑問にぶつかった。本書でもいくつか解説を挙げているが、読み終えた今でも私の頭の中で混乱している。そこで、このレポートではデモクラシーのもっとも根源的な原理とは何であり、デモクラシーとは一体何なのか、その意味と意義を、本書を踏まえて私なりに考えてみたい。
     まずデモクラシーのもっとも根源的な原理について考えてみたい。本書にもあるようにデモクラシー元来の意味は「大衆による支配」であり、支配者と被支配者が同一でなくてはならない。つまり担い手は大衆であり、大衆が自ら自律していくことである。ところで、ここでひとつ重要な問題がある。直接民主制はともかく、間接民主制においては大衆を代表する者の存在が欠かせない。だが、代表者が存在するということは「大衆が自ら自律していくこと」と矛盾する。それでも間接民主制をデモクラシーとみなすのであれば、民衆から正当に選ばれた代表者が民衆の利益を擁護し、かつ自身も法というルールに従わなければならないのだ。言い換えれば、間接民主制がデモクラシーであるためにはこの2つの条件をクリアしていなければならない。
    ところが、現在はその代表者が大衆を代表していない。本書にもあるように、民意とかけ離れた政策決定を行っている。ポピュリストは一見、大衆を代表しているようにも見えるが、正体は煽動家による衆愚政治ともいえる。つまり、間接民主制においては、代表者は民衆の利益を擁護しつつもポピュリスト的な要素を排除した政治を行なわなければならないのである。と同時に、代表者が大衆の代表でなくなったとき、大衆は代表者を交代させる権利を持っている。(しかしながらこの権利もまた現代において「政治的無感情」によって行使しにくいものとなっている。)つまり、本来であればデモクラシーのもとではひとつの党が何年にもわたって執権することはありえないことである。なぜならば、ポピュリストでない意味での民衆の代表は、それぞれが各集団の利益(≒基本的権利の保障)代表者でもあり、それぞれの利益がぶつかる場合もあるからだ。ちょうどベネズエラのチャベス政権というイメージだろうか。
    これらを言い換えれば、デモクラシーとはすべての人がステイクホルダーとなり、それを通して自分たちの利益が保障されるしくみであり(これがすなわちデモクラシーの意義でもある)、そのために代表者を選んで、自分たちの利益を保障してもらうシステムである。

    だからこそ2人の著者が言うように、自分たちの利益を保障してもらうためにも、デモクラシーに参加しなければならないだろう。
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    投稿日:2007.06.12

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