【感想】越境の時 一九六〇年代と在日

鈴木道彦 / 集英社新書
(9件のレビュー)

総合評価:

平均 4.6
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ブクログレビュー

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  • とわも

    とわも

    このレビューはネタバレを含みます

    プルーストの「失われた時を求めて」を完訳した著者が、自身の1960年代を振り返った私記がまとめられた本。小松川事件と金嬉老事件という在日朝鮮人が裁かれた2つの事件を通じて、著者が民族問題にコミットしていった様子が簡潔に書かれている。李鎮宇をジュネにたとえたあたりや、金嬉老の弁護を支援する支援団体を立ち上げるあたりは、人の美しさや醜さがあらわれていて興味深かった。ただ、在日の問題は60年代よりは多少進展したものの現在もまだとても扱いづらいテーマなので、著者も極論を避けようと穏やかな言い回しをしているし、ここで自分が何かを述べるのも難しい。
    李鎮宇は他者から規定された「朝鮮人であること」を日本人に対して告発するために口をつぐんだし、それとは対照的に金嬉老は朝鮮人であることを巧妙に利用しようとした。ここからもこの本で扱われている論が正しく理解されづらいかことを示している。しかし、それでも60年代の時代の勢いと片付けるだけでなく、民族責任について、もっと直接的な意見も欲しかった。

    アルジェリア独立やベトナム戦争の頃にフランス留学していた著者の実体験の話も面白い。

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    投稿日:2015.08.14

  • のぐ

    のぐ

    「失われた時を求めて」を個人で全訳した鈴木道彦が、60年代の自ら深くコミットしていた在日支援の活動をふり返った回想記『越境の時 一九六〇年代と在日』を読みながら、鈴木にそんな過去があることに驚いてしまった。

     しかし、「失われた時を求めて」の語り手の無記名性への言及から、フランスで間近に見たアルジェリアの独立闘争を経て、金嬉老裁判の支援に至る過程は驚くほど物語的であり、ほとんどスリリングとさえ言える。
     たとえば、小松川事件(自分で調べてね)の犯人、李珍宇の思考の仕方に感銘を受けて書かれた「悪の選択」という1966年の文章を以下引用。かなり長いけど。

    「「悪しき人間としての朝鮮人」というイメージは、常に体験的に作られるわけではないのである。もともとは支配者の作り上げた神話でありながら、これはいつか社会全体に瀰漫し、個人を侵食し、ときには朝鮮人をもむしばむ根強いイメージとなる(中略)。このとき、善良な朝鮮人になるとは、朝鮮人であるにもかかわらず善良な人間になるというにすぎないだろう。いわば例外的な存在になることだ。そして少数の例外は、多数の「悪しき朝鮮人」の存在をいっそう強固なものとするために不可欠である。そればかりか、「善き人間としての朝鮮人としての私を出す」と李が述べるとき、これは善良さを装うということとどれだけの差があるだろう。ここでもまた李は「他者」としてふるまう結果に陥るだろう。盗みとられた李の真正の主体は、一向に回復されはしないのだ」

     まるでサイードの「オリエンタリズム」を読んでるような暗澹とした気分になってしまう(ちなみに「オリエンタリズム」は1978年だって。うーん、鈴木さんすごい)。
     ここでも正確に述べられているように「在日」とは、単純に差別うんぬんが問題なだけではなく、むしろ、差別者も被差別者もこういう認識的な布置の中に強制的に位置付けられることが問題なのだと思う。
     われわれ「日本人」は(比喩ではなく、実際に)彼らの「名前」を奪い、「言葉」を奪い、「主体」さえも奪った。たぶんそれらは実際に何人殺したとか殺してないとか強制連行があったかどうかとかいう事実認定以前の決定的なことだと僕は思う。そして、直接は関わっていない僕にもその(法律的なものではない)「責任」は間違いなくあると思うのだ。そのような事態を招来したことの責任を「自虐」と簡単に呼ぶのは、あまりに単純にすぎる。他の人はどう思うかしらんけど。
     
     そんな場所から見ると、日本人の居直りは年々ひどくなっている。「従軍慰安婦はなかった」などと平然と言い出す人間ばかりが今の政府を構成しているのは、皆さんもご存知のとおりであり、恐ろしいことに彼らは僕らを表象代行していることになっているのだ(げー)。
     そもそも、石原慎太郎のような輩が繰り返す「三国人」発言を例に出すまでもないが、知的に貧弱な人間ほど、強面を装うために「敵」を作りたがるし、「正義」を振るいたがる。「北朝鮮」(また朝鮮だよ)は言うまでもなく、「官僚」「環境」「アメリカ」など、今でも敵は溢れすぎていて、窒息しそうだ。なんてお手軽な世界。

    「アンガージュマン」なんて口にすると鼻で笑われそうな今、あえてこの時期に出版されたこの本を読みながら、とてもそれが眩しく、また羨ましく、そして、なにか勇気付けられるような気分になるのだった。
     優れた時代の証言として。ひとりのフランス文学者の反抗の物語として。そして、未来へのかすかな期待の残滓として。
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    投稿日:2011.08.26

  • Nobuyuki

    Nobuyuki

    プルーストの『失なわれた時を求めて』の優れた個人全訳で知られる著者が、アルジェリア戦争などを契機として民族問題が噴き出した1960年代に、在日朝鮮人の問題に、ひいてはその問題の淵源である日本という問題に向き合い、李珍宇と金嬉老という二人の朝鮮人の権利回復のために闘った経験を綴った一冊であるが、その経験を貫いているのは、他者と応え合う自己の探究である。その探究は未だ途上にある。要するに、著者が格闘した問題は、現在の問題なのだ。今ここを歴史的に照らし出すとともに、歴史的な責任を踏まえて他者とともに生きる未来への思考の契機をもたらすものとして繰り返し参照されるべき名著。続きを読む

    投稿日:2011.01.15

  • key-higashiosaka

    key-higashiosaka

    1960年代は、在日で有名な李珍宇や金嬉老が自分たちの「民族問題」を訴え、世間に知らしめた人たちです。
    この人達の書簡がありますけど、読まなくてもこの本を読めばわかる本です。
    親世代の状況が少しでも知ることができ、オススメであります。続きを読む

    投稿日:2010.11.21

  • lonesinker

    lonesinker

    日本人として「在日朝鮮人」という問題と向き合うことの難しさ苦しさについて、これほど誠実に書かれた本を、私はあまり読んだことがない。著者は『失われた時を求めて』の翻訳で知られるフランス文学者。その鈴木氏が在日問題について本を書くのは、一見意外なように思えるが、そう感じてしまうこと自体、いかに現在の知識人が社会への関わりを避けるようになってしまったかということの表われでもあるのだろう。「自我」の束縛から逃れる道をもとめてプルースト研究にうちこんだ著者は、留学先のフランスでアルジェリア解放運動がつきつける「民族責任」を自分はいかなるかたちで主体的にひきうけるのかという問いをつきつけられ、それが、1958年の李珍宇事件と、1968年の金ヒロ事件に、著者をひきこんでいくことになる。すぐれた知性を示し、小説も執筆しながら、2人の女性を殺害して死刑となった「金子鎮宇こと李珍宇」のことを、私は本書で初めて知った。少年は、自分が事件をおこした背景に日本社会の差別があることを告発したわけではない。むしろ、事件を民族差別問題に回収することを拒み、自身を「犯した罪を自覚している分、アイヒマンよりも悪人である」(!)と述べて、責任をひきうける主体を譲ろうとはしなかった。そして、そこにこそ、日本人として自らすすんでひきうけるべき責任があると著者は感じ、そのように行動したのだ。社会のせい、時代のせいにすることを自らに許さずに。そう考えれば、副題につけられた「1960年代」という言葉にも納得がいく気がする。これは日本人としてどうすべきかについての論でもなければ、「私が」どう考えどう行動してきたかについてのエッセイでもなく、ある特定の歴史的文脈の中で生まれ、ある特定の時代に生きるひとりとして、どう自己を開きながら生きるかという問いと格闘した証言として、届けられたものだからだ。だから今、まるで自分あてに書かれた手紙を託されたような気持ちすらしている。こんなに小さくて薄い本なのに。この証言を書いてくださったことに感謝したい。続きを読む

    投稿日:2010.10.17

  • 乱読ぴょん

    乱読ぴょん

    図書館で借りて読んで返したあと、購入。10/14
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    著者はプルーストやファノンの訳者。フランス文学者の著者は1960~70年代に在日の人権運動に深く関わっていた。

    李珍宇が処刑されたのちに、たまたま読んだ『罪と死と愛と』(李珍宇と朴壽南との往復書簡集)で「小松川事件」がとつぜん重大なものに見えてきたという著者は、この本をくりかえし読み、自分なりに事件のことを考える。そして、在日差別を告発した「金嬉老事件」で、立てこもる金嬉老に呼びかけ、その後の支援に関わっていく。

    この本で私が強く印象を受けたのは、これらの事件をとおして著者が考え続けてきたという日本人の「民族責任」のこと、そして告発と主体性のことだった。
    金時鐘が、在日朝鮮人の「主体」について述べた言葉が引かれている。金時鐘は、「自分の不幸の一切が日本人によってもたらされている」というような金嬉老の考え方を厳しく批判し、「自分がたえず自分でない外側から悪くされて来た」という意識を取り上げて、「自分をこうあらしめたのは外部だけではなく、それを受動的に受けとめた自分自身にもあるんだというところまで意識がいってほしい」と言ったという。(pp.210-211)

    著者はこのことを自分でこう述べる。
    ▼…60年代は、日本中に告発の言葉が充満している時期だった。そうした告発は、ときには人が自分を呪縛するものを断ち切って解放をなしとげるための端緒になるかもしれない。だが仮に告発の言葉がどんなに正当でも、すべての責任を他者に負わせる形でなされる告発は、必ず頽廃を招かずにはいないだろう。また告発を受けた側がただ相手の言葉を無条件に認めるだけでは、そうした反省がかえって告発する者をいっそう巧妙に呪縛して、その主体をだめにする危険もはらんでいる。(p.213)

    金嬉老との苦いつきあいのなかで、こうした難問が見えてきたという著者は「加害と被害、抑圧と被抑圧、差別と被差別、といった枠組みだけでは、民族責任などと言ってもまだ不充分であること、そこに同時に他者の主体と向き合う努力が必要とされることを知った」(p.213)と書く。

    それは、金嬉老の弁護のなかで、「単に日本の責任を強調するだけでは、かえって在日朝鮮人の主体喪失に手を貸す場合がある」(p.203)と気づいたからでもあった。

    もう一つ、この本を読んでいて、金嬉老の公判対策委員会について「この委員会は何よりも、集団が作り出す言葉を大事にする人々によって構成されており」(p.215)というところに興味をもった。寄り合い所帯の組織で仕事をすすめていく場面は、私のまわりにも様々あるが、そのなかで「事務局」の大変さは身にしみて分かるし、「仕事を分担する」といっても、なかなか難しいから。

    発足当初の金嬉老公判対策委員会には、事務所の維持や通信・会計の仕事をする専従者が一人いて日常的な仕事をすべてこなしていた。そうした分業が、委員会のなかに微妙な立場の違いや格差を作り出していたことに、著者をはじめ他の者が気づいたのは、仕事をすべて引き受けていた専従者の造反によってだった。

    専従者が去ったあと、事務所を維持し、委員会の事務をこなしていくために、委員会は方法を変えた。
    ▼私たちは便利さや機能主義を犠牲にしても、それ以後は敢えて専従者をおかずに、各人ができる範囲で日常業務を分担することを選んだ。それがいくらかでも、自分たちの築こうとする人間関係や、目指す文化に近づく道だと考えたからだ。この選択は運動の性格を決めるうえで、きわめて重要なものだったと思う。…(中略)…これはけっして専従者がいたときのように能率よくはいかなかったが、各人が仕事の一環を担うことによって、かえって事務局が運動の死活にかかわるものであることもよく認識された。(pp.220-221)

    「小松川事件」のことは、去年、死刑に関する本を読んだときに、被害者のご両親の言葉を少し読んだ(『女たちの死刑廃止「論」』)。「金嬉老事件」のことも、事件名くらいは知っていたが、在日朝鮮人の関わる事件としてはあまりわかっていなかった。著者は、1960年代からずっと、日本人の「民族責任」について、この二つの事件の二人の、対照的ともいえる言動からも、考え続けてきた。この本も、またもう一度読みたいと思ったが、著者の他の本も読んでみたいと思った。
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    投稿日:2010.10.13

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