【感想】京都の平熱 哲学者の都市案内

鷲田清一 / 講談社学術文庫
(41件のレビュー)

総合評価:

平均 3.9
10
16
5
2
1

ブクログレビュー

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  • ただ

    ただ

    読み終えて、とてもびっくりした。

    こんな素人みたいな始まり方で申し訳ないが、この衝撃は、京都について、余所の者とそこに住み続けている者との見方の差異や、京都がこんな街だとは思わなかったとか、そういう事ではなく、あくまでも、街という存在が、目には見えないところで燻っている、底の知れない人と歴史の複雑な積み重ねで、今なお生き続けている、不可思議なものであることを、まざまざと実感させられたからである。

    とは書きつつも、哲学者の「鷲田清一」さんの視線で見た、京都の裏ガイド的意味合いがあるのも確かなので、まずは、親しみやすいところから書いていきます。

    京都は、元祖ヴィジュアル系の「ザ・タイガース」を生んだ街であり、それに抵抗が無いのが太秦の存在だという面白い一面を持ちながら、『個』としての時間をもてる喫茶店という空間が、自然と自立を促すことの出来る、近代都市としての支えになっていた、誰でも受け容れてくれる自由な一面も持ち合わせている。

    また、意外と知られていない京都の凄いところとして、琵琶湖疏水の工事を指揮した23歳の技師は、世界で二番目の水力発電所も建設し、飲み水としてだけでなく発電用水として活用しようとした、その試みは、後の西陣織等の伝統産業の近代化と、わが国初の路面電車の敷設に繫がっている事や、深泥池(みどろがいけ)の水生植物群落は、屋久島の縄文杉の比では無い、ウルム氷期の植物「ミズガシワ」等の氷河期の生き残りであり、その壮大なロマン故に、かつては幽霊が出るとの噂もあった、おまけ付きだ。

    いや、おまけ付きだなんて失礼なことを言ってはいけない。そもそも京都の地には幽霊が見えるといった、嘘のような本当のような話も聞いたことがあるが、それは鷲田さんによると、『弱い者の自衛手段』なのであり、平安末期以来、外部者の権力争いに繰り返し巻き込まれてきた京都人の、それこそ『千二百年も都市であり続けた』故の、無意識に染み込まれていった、自我を持ち続ける為の必死な思いの継承もあったのかもしれず、だから京都人は、『身の丈を超えた京自慢などせずに、それぞれの地域で小さくて濃くて高度な幸福をしずかに堪能している』のではないかと感じさせられる。

    しかし、そんな弱い者の自衛手段を分かっているはずの京都人が、それに相反するような行い─覆いや緩衝を許さない視線の暴力─をしている事も知り、それを『都市はいま空襲を受けている』と表現された鷲田さんには、京都という街に対するただならぬ思いに加え、京都から何か大切なものが消え去ってしまいそうな、大きな危機感も窺えるようで印象的だった。

    例えばそれは、財布が軽くても、それでも「見かけ」に、「装い」にこだわった、戦後市民の心の張りに見られた、『損得を超えた心意気という「芯」』の喪失が、「着倒れ」がまさに倒れかかっている理由であることや(不況のあおりなどではなく)、ファッションについて、ここまでは何をやっても良いといった、リミットの存在に加え、自由と秩序が共にはっきり明確であることを説いているのは、いのちを保ち続ける多面体としての都市のあり方であり、おそらく、そうしたものが失われる事への多大な危機感を抱いたのだろうと私は思う。

    ただ、そんな京都の弱い者の自衛手段を素晴らしい形に転換したと感じられた事の一つに、ファッションを『発姿音』と書かれた、「堀宗凡」さんが主人の、「玄路庵」の喫茶去を称えた、松岡正剛さんの、奇想天外ならぬ『奇想天内』という言葉があり、そこには、単なる奇人の奇想天外なものがあるのではない事に加え、京都でいうところの奇人は、リミットの基準となる程の達観した粋を持つものであり、それを自然に受け容れる度量を持つ京都人は、当然その基準を知っており、外から見えるなんて、そんな品位に反する野暮なことはせずに、その内なる空間でひっそりと華やかに、他では決して見ることの出来ない極上の芸術を披露する。これを粋と言わずに何と言おうか。

    そして、更にそれを実感させられた文章を、少し長いが掲載したくて、これは私も目から鱗の思いだった。

    『「ワンポイント・チャーム」という言葉があるが、これは褒める言葉がないときに、無理してなにか褒めるべきところを探したときに出てくるものだ。ほんとうに魅力的な物や人には、そんなチャーム・ポイントは探す必要がない。圧倒的な存在感があるだけだ』

    まさに私は、この圧倒的な存在感を京都という街に感じられた上で、その存在感には、どこか隙があり過ぎるようでもあり、思わず見るに見かねて、つい手を差し伸べたくなるような、放っておくことのできない魅力的な街なんだと思う。

    本書の表紙や本編に収録されているモノクロの写真たちを見ていると、色などには決して惑わされない、『ものの本質』がそこにあるように感じられる。そして、それは普遍的なことだから、きっと言葉も時代性も必要ない。

    学校の歴史の授業で教えてくれるのは、「何かが起こった」という結果のみであり、そこから、未来の人達にどのように影響したのかは、自ら知ろうとしない限り、おそらく一生知らずに生涯を終えてしまうのかもしれない。

    だからこそ、今回本書を読むことで、京都の街の中に潜む、数え切れない歴史と人々の、美しいことも汚いことも派手なこともささやかなことも全て引っくるめた、数え切れない思いが詰まりに詰まった、街自身の、永きに渡るいのちの歩みを知ることが出来て、とても嬉しかった。


    本書は、Macomi55さんのレビューをきっかけに、知ることができました。
    ありがとうございます。
    続きを読む

    投稿日:2023.06.05

  • のっぴ

    のっぴ

    京都市バス206番。京都駅から出発し、東大路通りを北に進み、北大路通りを西へ、千本通を南へ、そしてまた京都駅に戻ってくるコースのバス。京都の名所をまわれるバスであるが、本書は名所の詳しい案内というより、生まれ育った著者による、京都の生活、聖・俗・学を描き出す。住んでいる身としては、とても興味深くなる記載が多かった。続きを読む

    投稿日:2023.05.04

  • maako

    maako

    京都市出身の哲学者が語る普段の京都。
    市バス206系統に沿って都市案内も愉快。著者の年代とは時代が変われども京都のディープな面の観察はおもしろい。
    そう思うとだんだん京都も「おもろない」処になってしまったかもしれんけど。奇人変人もすくのうなったんとちゃうの。続きを読む

    投稿日:2022.11.14

  • がと

    がと

    鈴木理策のモノクロ写真がよい。京都の人が大阪のことは良きライバルで時に理解者と思い、兵庫は友だちで東京は反面教師のように思っているのがわかるなか、奈良のことは根っから軽んじているのが文章の端々から窺えるので笑ってしまう。あと意図的に視点を限定しているのだろうけど、本書は「男の都市論」に留まっているとも思う。続きを読む

    投稿日:2022.11.07

  • zueco

    zueco

    はあ、鷲田さんの京都愛がじんわり伝わってきて心がぽかぽかする。特に市バス206番で一周というのがまた良い。なぜならそれは、ガイドブックに乗るような「定番の京都」とは違うので。京都に根を置いている者だからこそ見つけられる、「あっち」の世界への孔。これは単なる京都案内でも紀行本でもなく、京都という都市の見えない側面への誘いとなる本だ。続きを読む

    投稿日:2022.04.17

  • だいすん

    だいすん

    町を知るには、五感を働かせないといけない。見て、(匂いや雰囲気を)嗅いで、バスで隣り合わせた住民の話し声を聞いて、食べログではなく自分の舌で味わって、その町の平熱に触れないと分からない。自分が一人旅で実践し続けていた「五感で旅する」の信条はなかなかイイ線いってたなぁと思う。
    程よいリミット(枠組み)があることで、逆に自由や遊びが生まれることや、矛盾と多層性のある社会の健全さについてのくだりは特に考えさせられた。今の世の中は、自由や個別性がかつてより尊重されていながらも、「良いものvs悪いもの」の0-100思考に満ち溢れ、多様性も他者への思いやりも「持たなければならないもの」とことさらに強調されて、とても生きづらいし窮屈だ。対話を忘れた社会からは「まなざし」「みまもり」が無くなり、視線と見張りが占領している気がする。このコロナ禍の社会だからこそ、いま一度、五感を通して社会と、他者と接することを意識し直したい。
    続きを読む

    投稿日:2022.03.25

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