【感想】カラヤンがクラシックを殺した

宮下誠 / 光文社新書
(15件のレビュー)

総合評価:

平均 2.6
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ブクログレビュー

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  • bistarai@サイクリスト&ブロガー

    bistarai@サイクリスト&ブロガー

    指揮者として他に例を見ないほどの地位、名誉、そして破格の収入と財産を築き上げたカラヤン。彼が何を考え、どのように歩んでいたのか。
    それは音楽性とは無関係とは言えないが、多分に政治的な権力を行使してきた結果でもある。続きを読む

    投稿日:2021.11.17

  • キじばと。。

    キじばと。。

    カラヤンによってクラシックは大衆に消費されるものになってしまったことを舌鋒鋭く批判している本です。

    著者は本書を「精神史」の方法にもとづいて執筆したと述べており、アドルノを思わせる消費社会と大衆に対する呪詛のことばがつづられるとともに、カラヤンがそうした二十世紀の動向にみごとにこたえるような天才性をもっていたことを、皮肉めいた筆致で論じています。そのうえで、オットー・クレンペラーの「世界苦」(ヴェルトシュメルツ)と、ヘルベルト・ケーゲルの「絶望」に、現代のクラシック音楽を取り巻く閉塞した状況から脱する道筋を見いだそうとしています。

    本書の議論そのものはおおむね興味深く読むことができました。ただ、本書で批判されているような芸術を取り巻く消費社会的な状況は、まさにそれに対する批判をも取り込んでしまうものだという点にかんする自覚がないことに引っかかりをおぼえます。手に取りやすい「光文社新書」というレーベルから刊行されている本書は、カラヤンを批判することでクラシック通を気取りたい、わたくしのような「大衆」に消費されて終わることになるでしょう。この点で、著者にはまだ、絶望が足りないのではないかといわざるをえません。
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    投稿日:2019.06.27

  • hy343

    hy343

    議論はシンプルで、「高尚で深刻であるべき(という前提でいいのかはともかく)クラシック音楽を、安っぽいエンタテインメントに堕さしめたカラヤンの罪は重い」というもの。

    まあ一理はありそうに思いつつ、この情報過多の大量消費時代にはカラヤン独りが悪いわけではなく、その結節点にカラヤンもいた、というだけだろう。

    後半はカラヤンと対置してクレンペラーやケーゲルといった深刻系の指揮者についての語りが入る。「世界苦(ヴェルトシュメルツ)」という単語がたびたび出てくるように、(クラシック)音楽には苦悩や狂気が必要なんだけど、カラヤンには見られないか薄いらしい。

    もっとも、そのキーワードに対して「「世界苦」などという余計な感傷を無視しさえすればカラヤンのオペラは存分に楽しめるものに仕上がっている」というくだりがあるように、要は「カラヤンってダメだよね、まあどうでもいいんだけど」程度の話なんである。

    しかもダメと言いつつ、最後にはもっとカラヤンを聴けと結ばれていたりして、論旨は分裂して見える。カラヤンへの歪んだ愛なのかなぁ。

    この本ダメだよね、まあどうでもいいんだけど。
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    投稿日:2019.06.12

  • mokunokami

    mokunokami

     ヘルベルト・フォン・カラヤン批判の書。比較対象としてオットー・クレンペラーとヘルベルト・ケーゲルを称揚する。「カラヤンに代表される価値観、資本主義的競争原理における勝者の立場の影響力の大きさ、それに対する知的反省の欠如、私はこれらに対しては極めて明確に否定的立場に立たざるを得ない」という主張には思わず諸手を挙げて賛同したくなるが、冷静に読めば、衒学趣味と浅薄な文明批判のだしにカラヤンを利用しているにすぎないとも思う。叙述がなんとなく許光俊のエピゴーネンくさい。続きを読む

    投稿日:2013.06.18

  • makabirushana

    makabirushana

    言っていることは概ね当たっていると思うし共感も感じるが、カラヤンによって薄っぺらで物事を深く考えない今の社会がもたらされてるというのは言い過ぎである。むしろそのような社会の兆候あるいは表出がカラヤンなのではないかと思った。続きを読む

    投稿日:2013.01.11

  • skydrive

    skydrive

    駅ビルの本屋さんで購入する。正直、期待はずれでした。著者の本は、いつも期待はずれです。この本を読むまでは、こちらが悪いと思っていました。僕には、美術、音楽を楽しむための基礎的教養が欠けています。それが、理由だと思っていました。もちろん、それも、原因の一つだと思います。主な原因は、著者にあることが分かりました。芸術評論は、可能なのでしょうか。絵画を見て、美しいと感じる。音楽を聴いて、すばらしいと感じる。それは、言葉で表現できるものではないでしょう。もちろん、何故、すばらしいと感じるのかを知りたいと思います。しかし、それは不毛なことではないでしょうか。著者の書くものは、すばらしいという感動と理屈がつながっていないのです。完璧に、言葉では表すことはできないが、どうにか伝えたい。それに対して、著者の評論は、すばらしいという感動と評論がつながっていないのです。大衆化が、クラシックを大衆に伝わりやすい分かりやすいものにした。それは、きわめて退屈だと指摘している。それが、正しいかどうか分かりません。では、大衆化しなかったクラシックとカラヤンとどこが違うのでしょう。それを具体的に指摘していません。これでは、誰も納得しません。続きを読む

    投稿日:2012.09.18

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