【感想】本覚坊遺文

井上靖 / 講談社文芸文庫
(8件のレビュー)

総合評価:

平均 4.4
2
3
0
0
0

ブクログレビュー

"powered by"

  • debuipipi

    debuipipi

    井上靖,晩年の歴史小説.利休の弟子,本覚坊が回想と対話の中で,利休の賜死事件を見つめる.利休ゆかりの茶人との対話が,利休の茶の精神とそれの帰結としての死の境地が少しずつ明らかにされていく.ストイックで静かな情感に支配されていて,心がキンと冷える.続きを読む

    投稿日:2017.12.31

  • 麻箒(あさほうき)ここ

    麻箒(あさほうき)ここ

    2016_010【読了メモ】(160122 17:10) 井上靖『本覚坊遺文』/講談社文芸文庫/2009 Jan 10th/利休という人の晩年十年に使えた茶湯者(ちゃのゆのもの)三井寺の本覚坊の日録という体。冬に読むと芯から冷える良本。マグマと永久凍土の間を行ったり来たりするみたいだった/歴史上有名な千利休の付き人、ではなく、生身の茶人 利休に仕え、彼を師と仰いだ一人の人の声として読みたい本。続きを読む

    投稿日:2016.01.22

  • ta2law

    ta2law

    本覚坊を通じて、利休の切腹の真実に迫る作品。最後の最後まで茶人であり、死をもって侘び茶を大成させたその精神を描いている。

    投稿日:2014.07.19

  • いしはら

    いしはら

    必読本より

    利休を真正面から扱わず、利休の弟子本覚坊が師にゆかりのある人々を訪ねまとめた手記を通じて、利休切腹の謎に迫る作品。乱世にあって、市を持って貫徹する芸術精神を描く。

    投稿日:2014.02.09

  • mkt99

    mkt99

    千利休が太閤から賜った死に、抗いもせずに従ったのはなぜなのか?
    千利休の弟子・本覚坊の日記からという設定にて、利休死後の隠遁生活中の出会いの折々に触れられる師・利休の在りし日の想いや評価を通じて、本覚坊が「その時」の内面から利休とその侘茶の真の精神を半生をかけて悟るという物語。
    物語の各章はかなりの年月が開いており、前章にて本覚坊が出会い会話した人物が既に他界していて次章にまた新たな人物が登場してくるという趣向だが、その人選はなかなか凝らされていて面白い。東陽坊、岡野江雪斎、古田織部、織田有楽、千宗旦、それら利休ゆかりの人物と穏やかな時間の流れにて慎ましく語られる利休への想いが、本覚坊に師・利休の精神の高みと暗さを次第に明らかにさせていく。そして実は、岡野江雪斎は利休の弟子・山上宗二の仮託として、また、千宗旦に依頼されて本覚坊が太閤の茶会の思い出を語るという体裁であり、結局、利休とその高弟たち、そして、命令を下した太閤の言動を振り返りつつ利休の内面を辿るという構成になっている。本書にて利休の死(内面も含む)に関わったとしている人物の内、古田織部を除き、太閤、山上宗二、利休本人がほとんど又聞きや想像で登場するほか、茶の湯を離れた細川三斎が折々に触れられこそすれ登場しないなど奥ゆかしい筆致にて逆に彼らのイメージを際立たせている技法はすばらしい。
    「死」と向き合い、「死」を覚悟する場として大成した「侘茶」の真髄は、それを極める最後として、「死」をもって己自身もなくなることであり、山上宗二、利休、古田織部ら師弟が身をもって体現したということだろうか。動乱の時代に咲いた「侘茶」という「死」と対峙した真剣勝負の芸術の極致を、ゆるやかに味わい深く読者に浸透させてくれる。
    続きを読む

    投稿日:2013.07.21

  • kazuosogou

    kazuosogou

    このレビューはネタバレを含みます

     権力に屈せず死をもって「侘茶」の精神守った千利休を描いた作品。
     この小説のキーワードは〈刀〉で、秀吉と利休の最後の茶会では刀が生け花に飾ってあった。〈刀〉とは権力のことで、利休が死をもって〈佗茶〉の精神を守ったことを象徴している。
     秀吉を激怒させた真因は謎……
     堺は歴史も古く、史跡や文化財も多いし文学者も輩出している。利休の墓のある南宗寺へ行くには南海本線「堺」駅から歩いても、二十分ぐらいで着く。  
     商人の町として遠い昔に。黄金の日々を築きあげた堺の旧市内は、碁盤の目のように、町が区切られている。所々に中二階の格子戸の古い家が残っているが、旧市域の八十二%は空襲で消失した。
     南宗寺も、この空襲により大部分が灰焔に帰したが、よく復興されている。この寺は臨済宗大徳寺派(利休と交友があった古渓は大徳寺の住職)の禅寺として栄えたが、ここを有名にしたのは利休の師・紹鴎及び利休の茶道である。
     この寺で茶道を極めた千利休の墓は、千家一門の墓に囲まれてあった。利休の墓を中心として右側が表千家、左側が裏千家である。
     「不届者奴、面もみたくない。地獄のどん底に失せろ」
     そう叫ぶほど秀吉を怒らせた真因が謎とは不思議だが、この歴史の謎は、多くの文学者や歴史家の関心をそそらずにおかぬ問題だったに違いない。
     現在のところ通説になっているのは、第一に大徳寺山門にかかげられた利休木像をめぐる「大徳寺木像事件」、第二に茶湯道具を利休が商売に利用したとする 「私曲行為」、第三に秀吉・朝鮮侵略への批判があげられる。
     このほかにも、秀吉毒殺陰謀の嫌疑とか、吉利支丹信者の罪とか、つい最近紹介したお吟事件だとか諸説いりみだれてある。
     この寺には、もうひとつ面白いものがある。ビックリなことに徳川家康の墓である。歴史上では本能寺の変の時、上手く逃げたとなっているが、実は殺されていたのだと言う。まさに異説である。
     

    レビューの続きを読む

    投稿日:2011.11.12

Loading...

クーポンコード登録

登録

Reader Storeをご利用のお客様へ

ご利用ありがとうございます!

エラー(エラーコード: )

本棚に以下の作品が追加されました

追加された作品は本棚から読むことが出来ます

本棚を開くには、画面右上にある「本棚」ボタンをクリック

スマートフォンの場合

パソコンの場合

このレビューを不適切なレビューとして報告します。よろしいですか?

ご協力ありがとうございました
参考にさせていただきます。

レビューを削除してもよろしいですか?
削除すると元に戻すことはできません。