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一坂太郎 / 集英社新書 (24件のレビュー)
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総合評価:
崩紫サロメ
3
司馬遼太郎が描かなかったこと、例えばある”テロリスト”のこと。
歴史小説家の腕の見せ所は、「史実」をどう味付けするかだ。当然、その「材料」たる「史実」を知っておくと、料理人の腕前に対してもよくわかるだろう。 そういう意味で、本書は、司馬遼太郎作品の愛読者にお勧めし…たい。 「史実と違う」というのは歴史小説にとっては別に悪いことではない。 信長が女だったり、本能寺で死ななかったりする小説だってあるではないか(笑) が、司馬遼太郎の作品は、いささか「歴史書」のような体裁を取っている。 様々な文献を分析をし、考察をしながら物語を進めていっている。 だから、作品を読んで「歴史をわかった」ような気分になってしまうこともある。 が、あくまでも小説である。小説は自由である。 書きたいことを書き、書きたくないことはかかなくてもいい、そんなものである。 司馬遼太郎の歴史小説は個人の成長小説であり、一種の教養小説でもある。 だから、ストーリーとして必要のない「史実」は削ってあるし、実際にはなかったエピソードも挿入されている。だから面白いのだ。 だが、何がカットされたのか、何が挿入されたのかを知り、その背景を考察するともっと面白い。 たとえば、幕末といえばテロの季節だ。至る所で暗殺が横行していた。また、それを肯定し、称賛するムードがあった。 教育者・思想家として知られる吉田松陰も、明治・大正期にはテロリストとして名を馳せていた。 が、司馬遼太郎はあえてその側面を避けた。それは、司馬自身がテロ否定論者であり、また、司馬遼太郎の生きた時代事態がテロを否定するムードであったことに起因するのだろう。 だから、司馬遼太郎の描く吉田松陰はテロリストではない。それで良いではないか、小説なのだから。 「歴史書」と「歴史小説」がどう違うのかについて気になるならば、 小田中直樹『歴史学ってなんだ?』を参照されたし。(Reader Store内にあり、レビュー済)続きを読む
投稿日:2014.09.12
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三鷹牛蔵
『竜馬がゆく』『世に棲む日日』を題材に、偉大なる国民的エンターテイメント作家・司馬遼太郎の筆力の源泉を検証する一冊。 史料のない部分について自由に想像の羽を広げ、史料の取捨選択において歴史家とは異なる…選択をし、民明書房を縦横無尽に活用する。本文中にカッコつきの「司馬遼太郎」を登場させるメタ文学の使い手でもある。 そのようにして書かれた小説は、歴史をシンプルな形に再構成するので、より多くの人に受け入れられやすいものとなった。歴史の真実を知るために読むべきものではないことが、よくわかる。 司馬遼太郎が執筆を始めると神保町からその分野の本がゴッソリなくなる、というエピソードがあちこちで書かれている(1か所から拡散したのかも)。本書を読んでみて「そのエピソードは単純な感嘆ではなく、皮肉、毒舌の類なのかも」と思った。 史料の価値を判断する能力がないのか、玉石混交の資料の山から面白ストーリーを書くのに役立つ資料を選び出す能力に秀でていたのか、どちらが真相なのかはわからないが。続きを読む
投稿日:2018.12.30
杉浦 亮
タイトルを見て本屋で衝動買いをした一冊。 『竜馬がゆく』『世に棲む日日』で司馬遼太郎氏が描いた、坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作の人物像や内容などに対し、実際の資料などで判明している事実を比較しながら、司…馬氏の著書の課題を提起しています。 個人的に、司馬氏の幕末に関する歴史小説は複数読んでいますが、あくまで小説であり、実際の史実とは違うことを前提に読まなないといけないことは、読む者の責任としてあると思う。一方、これらの作品は発表されてから時間が経ち、新たに発見されたことも多いはずであるし、あえて司馬氏が描かなかった内容を取り上げ、「これが書かれていないのは問題だ」ということを繰り返し述べる姿勢は、あまり共感できない。 この本に限らず、描く人によって視点が違えば内容に差があるのは当然。司馬氏はあえて描かなく、創作によって物語を作ったことで読者に支持され「国民作家」となったも言えるので、一方的に内容を信じ込む読者にも問題がある。読者のリテラシー能力にも課題を投げかけている一冊であると感じた。 <目次> 第1章 吉田松陰と開国 第2章 晋作と龍馬の出会い 第3章 高杉晋作と奇兵隊 第4章 坂本龍馬と亀山社中 第5章 描かれなかった終末続きを読む
投稿日:2018.12.22
kouhei0210
司馬遼太郎氏の小説(あくまでも小説)は好きで 学生のころからよく読んできました。 大体のものは読んだのではないかと思います。 また今、街道をゆくを最初から読みはじめました。 確かに、氏の小説は小説で…あることは重々理解している つもりですが、本書にもありますが、どこまでが史実で どこからが創作なのかがよくわからない部分があり、 史実のほうがあまり面白くなかったりすることが あるのは確かだと思います。 ただ、本書にもありますが、だから司馬氏の小説の輝きが 失われることはないし、司馬氏が書いた登場人物像を 完全に否定してかかる必要もないことについては全く 同意します。 司馬氏の小説を読んだときのわくわく感や、 登場人物に対する、思い入れ、親近感や一体感は、 本当に楽しいし、また自分を見つめること、見返すこと、 その道筋を感じることが糧になるものだと思います。続きを読む
投稿日:2016.05.07
seisyo3
司馬遼太郎が国民的作家であるがゆえに作品に登場する人物たちの評価やイメージを決定的にしてしまい、そこには歴史家としては看過できない創作や司馬の意図が下地となって歪められていると指摘し、作品を引用しなが…ら特に松陰、龍馬、晋作について史実をあげて丁寧に誤解を解いている。 古くから指摘されている司馬史観批判であり、大の司馬ファンの私からすると反論もあるのだが、確かに司馬の作品では司馬自身が、時折、天の声のように登場し、「翻って考えると・・・・と言っていい」などと言う表現で読者に強いイメージを与え誤解を与えてしまっているのも事実。 この本は司馬の価値を下げると考えるのではなく、ファンとしてどの部分が史実で、どこが創作なのか、一段深い作品の楽しみ方を与えてくれるものとして推薦したい。続きを読む
投稿日:2016.02.14
mhsingapore
実は司馬遼太郎作品を一つも読み切ったことがありません。ドラゴンボールやワンピースと同系列のはずなのに、さも史実のように、日本人かくあるべし的に推されるのが違和感でして。んなわけないでしょ、と(※ただし…僕が唯一最終回まで見た大河ドラマは「龍馬伝」)。本作は、司馬さんの記述にツッコむスタイルに終始するのが残念で、もっと半藤さんのように「こうです」と別筋を提起しても良かったんじゃないかと思う。続きを読む
投稿日:2015.07.05
garyoan
松陰、松陰門下の研究では第一人者の一坂氏の著作。 司馬遼太郎の作品はあくまでも『小説』であって虚構がある事を丁寧にふんだんな資料で説明してゆく。 これは解っていても司馬遼太郎ファンには切ないことだろう…と思う。私も司馬遼太郎は好きなので気持ちは分るつもりだ。だが、筆者は決して司馬遼太郎を否定しているのではなく、『虚構を持ち込んが背景、理由』も考え提示する。そして理解を示す。著者が司馬遼太郎を敬愛していることが解る。 一面で『維新の英雄』として小説に描かれた人物を政治家等が盲目的に尊敬し、「私の理想です」という態度には批判的だ。私も同感。小説の登場人物を理想にしてはいけないだろう。 若いときに『三国志演義』を読んでいたく感動し、その後『正史三国志』に進み、研究書にも接したが、その時の失望と新たなおもしろさの発見を思いだした。続きを読む
投稿日:2015.05.18
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