【感想】道徳の系譜学

ニーチェ, 中山元 / 光文社古典新訳文庫
(18件のレビュー)

総合評価:

平均 4.2
6
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4
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  • 道徳という価値観

    ニーチェは、我々が行為をなす際に価値の基準とするもの、つまり道徳という価値観を批判的に考察しています。人間は認識する者ですから、認識することと判断することは、哲学の中心的問題となります。認識して判断する際に、人間が持つ価値観は重要な役割を果たすのですから、道徳を批判的に評価することには意義があります。

    ニーチェの師ショーペンハウアーは、「非利己主義的なもの」、つまり同情の本能や自己否定の本能、自己犠牲などを美化し神化したために、ショーペンハウアーにとって「非利己主義的なもの」は価値そのものとなってしまいました。このため、自分自身を見つめその中に存在する生が如何にその価値から離れた存在かを理解していた彼は、生に対して、自己自身に対して、否と言ったのだといいます。しかし、ニーチェにとって、「非利己主義的なもの」による価値は、人間を自己否定へと追い込むもので、虚無へと誘い込むものに見え、ニーチェは道徳という価値観に懐疑的な態度を取ります。ニーチェから見ると、道徳という価値観は人間によって疑うことなく判断の基準とされており、哲学者といえどもその呪縛から逃れられていないのです。ニーチェは、道徳の起源を探究することで道徳の価値という問題に迫っていきます。こうした批判の裏では、道徳が否定された後に、大胆にもニーチェは新しい価値観の創造を目指そうとしているのです。

    ニーチェは、道徳における価値の逆転に触れて、ルサンチマン(怨恨の念)という考え方を出して説明していきます。高貴な者(ローマ)が作り出した価値は自己肯定の言葉でしたが、逆に低い者(ユダヤ)たちが作り出す価値は自己ならざる者を否定する言葉となっていました。この否定の言葉が彼ら(低い者)の創造(価値の逆転)となるのです。それは、キリスト教がローマ帝国の国教となり、ローマ帝国滅亡後はヨーロッパ社会の価値の基準となっていきました。

    ニーチェ思想の基礎を知る上で、本著は重要な作品だと思います。
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    投稿日:2014.06.15

ブクログレビュー

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  • k

    k

    ニーチェの生涯における究極のプロジェクトは「善と悪の価値を逆転させ、ひいては西洋全体の価値観を転倒させること」だった。本書はこのニーチェの計画の核となる考えを著したものである。

    ニーチェはこの転倒を成すために、まず「善とされているもの」「悪とされているもの」がどのように成立してきたかを明らかにした。

    人間が社会生活を始めたのと同じくして、人間は「責任を引き受ける」という社会性を身につけた。そしてこの知はやがて社会に生きる人間にとっての支配的な本能となり、「良心」と呼ばれるようになった。

    社会はこれを成員に守らせるためにさまざまな方法をとり、これが徹底されることで人間は安全性を手に入れた。
    しかし文明は人間に無償で幸福を齎したわけではなかった。社会の中で生きる代価として、人間が自らの欲望を棄てて生きることをきょうようしたのだ。
    これが、個人にとっての善が社会にとっての悪となり、社会にとっての善が個人にとっての悪となるという善悪の逆転であった。そしてこれはルサンチマンの感情がもたらした転倒だったとニーチェは指摘する。

    上記が本著におけるニーチェのコア・メッセージだと理解した。とはいえこれですべてが網羅できているわけではないと思う。
    西洋古典独特の抽象的な題材かつ、婉曲的な表現が山盛りなので、決して読みやすい本ではないが、人類の本質的テーマである「道徳」の理解には欠かすことができない本だと思う。

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    投稿日:2022.08.27

  • Sadahiro Kitagawa

    Sadahiro Kitagawa

    ニーチェは、今の日本人こそ読むべきだと思う。言葉の一つ一つが自分に向けられているかのように刺さってくる。
    中二の頃、岩波文庫で読んでいたときと違って、訳が新しいとニーチェでもものすごく読みやすくなっている。これは論文というよりむしろ詩と言った方がいいかもしれない。
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    投稿日:2021.06.29

  • sango

    sango

    何かに対するアンチとして生まれる行動を批判し、ルサンチマン(怨恨の念)というシステムの起動を捉えていたニーチェ。

    アンチ、つまり何かへの敵対や恨み及びそこからしか創造できないこと。

    アンチから始まる道徳の究極の形態としての発展してきたものがキリスト教であった。

    ニーチェ その名前だけならば知っている。
    実際、ニーチェは特に日本では非常に有名な哲学者だ。

    例えば出版点数で見ると以下のようだ。

    「ニーチェの著作の出版点数は、出版国別では本国ドイツに次いで世界第二位、言語別でも、ドイツ語、英語訳、フランス語訳に次いで世界第四位です。日本は、世界一のニーチェ翻訳大国です。ドイツ語圏以外で、ニーチェを自国語で読むことに対する要求がこれほど強い国はありません」(225~226頁『ニーチェ入門』 ちくま学芸文庫、清水真木著)
    ※ニーチェ入門は非常に丁寧な入門書として最初で最後の本としてとても良い本だった。

    本書は第一論文から第三論文まで、ニーチェの著作の中では珍しい論文形式らしい。
    『道徳の系譜学』は彼がその晩年に自分の思想を分かりやすく書いた本として、『善悪の彼岸』と並ぶものとのことだ(前掲書より)。

    系譜学とは、その物事がどのように成り立ってきたのかを探る事であり、ニーチェは元々古典文献学を専門にしてきた研究者だった。
    彼はその手法を元に思想を形成してきた面がある。

    特に本書では、いかにして今『良い』とされるものと『悪い』とされるものが成り立ってきたかを考察している。
    良い悪い、つまり善悪を考える事は道徳とよばれる。ヨーロッパでは特にキリスト教をその根底に置いている。

    ニーチェは古代に遡り、弱者がルサンチマン(怨恨の念)に基づき、弱者こそ『善』、強者こそ『悪』という価値転換を行ってきたことを指摘する。
    ルサンチマンを原動力とした統治システム、それがキリスト教だった。
    ルサンチンマンは本書で以下のように言い表されている。

    「道徳における奴隷の反乱はまず、ルサンチマンそのものが創造する力をもつようになり、価値を生み出すことから始まる。このルサンチマンは、あるものに本当の意味で反応すること、すなわち行動によって反応することができないために、想像だけの復讐によって、その埋め合わせをするような人のルサンチマンである…奴隷の道徳は最初から、『外にあるもの』を、『他なるもの』を、『自己ならざる者』を、否定の言葉、否で否定する。この否定の言葉、否が彼らの創造的な行為なのだ」(本書56~57頁)

    怨恨の念が生み出す、価値転換。

    そもそも強者が『善』であり、弱者が『悪』であった。
    古代ギリシアの貴族は強く、誇り高く、強者であり善であった。
    同じく「日本の貴族、ホメロスの英雄、スカンジナヴィアのヴァイキング…」(本書65頁)もそうであった。
    その価値観がルサンチマンにより転倒した、それを探っていく。
    つまりは、ユダヤ教、キリスト教の系譜=歴史を探るということだ。
    特にニーチェの生きる当時の西欧世界にとってのキリスト教的価値観は絶大だった。

    その価値観を系譜学、つまりその起源に遡ってその価値観の転換を発見したことは非常に衝撃的な出来事だったのだろう。

    私はユダヤ教とキリスト教の大きな違いはユダヤ教が特定の『民族』にとっての宗教である事で、一方キリスト教は全人類の『普遍的』な宗教となったことだと思っている。
    ユダヤ教はパレスチナ周辺に住んでいた迫害を受けていた人々の宗教として『選民思想』を基にしてその範囲の中で自己正当化を図る、そうせざるを得ない過酷な対外的状況に応じるために生まれてきたと考えている。
    しかし、ユダヤ教共同体がうまくいくとその中でも弱者が生まれる。
    その弱者を救うのがユダヤ教徒の改革者キリストであり、『隣人愛』という形で救済を唱え全人類にとっての宗教となったと考えている。
    だから、ユダヤ教はその当初の民族以上の広がりを持つことはできなかったが、キリスト教はより広く『普遍性』をもった宗教としてうまくいった。
    例えば、ローマ帝国の国教となるくらいに。

    この発展のメカニズムをルサンチマンに見出し、
    ルサンチマンがいかに機能してきたかを第一論文で指摘し、第二論文においてその宗教の中での代表者(司牧者)がそれを点検し、禁欲という理想が掲げられてきたことを指摘している。

    さらにその禁欲という理想の名のもとに、近代的な学問もまた同様な構造があると言っており、ニーチェの射程は今の私たちにも間違いなくささる。

    ルサンチマンという人間に備わる機能は、歴史的に全人類を覆うくらいに発展し価値観を転倒してきた。
    それは宗教だけでなく学問にも同じように働いており、今も新たなルサンチマンという機能が蠢いているように思われる。

    『トランプ現象』や『ヘイトデモ』や『反日』のような何かに対するアンチから生まれる、外にあるものを否定の言葉、否で否定するという創造的な行為はニーチェが解明したルサンチマンシステムの延長線上にあるように思われる。

    しかし、外から「我々の自由が脅かされている」という恐怖と「無力な自分たちこそが善だと正当化したい」気持ちから発生する様々な現象の中には、個々人のよく生きたいと願う欲望もあると思う。

    ニーチェはシステムとして現れるルサンチマンを基にした宗教を批判し、そのシステムの中で生きている人々にはルサンチマンに陥るなと言っていると思う。

    ルサンチマンに回収されない個々人の欲望(よりよく生きたいというような)としての祈りが何らかの宗教的な形態を取ることや何らかの現象として現れる可能性はあるのではないかと思う。
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    投稿日:2018.11.25

  • 人生≒本×Snow Man

    人生≒本×Snow Man

    第一論文は語源的に、良いと悪い、善と悪の系譜をたどっていく。これまでのニーチェの直感的、詩的な記述に比べ、論理的な記述が明晰である。

    第3論文まで読んで、人間の底無しの深淵を覗き込んだような気がした。すごい筆力だった。

    ヨーロッパとキリスト教、そして学問体系に挑み、瓦解させ、それでも、さらに生きよと言う。恐ろしい本だ。
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    投稿日:2017.10.09

  • いぎーた

    いぎーた

    このレビューはネタバレを含みます

    人は欲望を満たすために社会を形成したが、その社会によって人は欲望を抑制されることとなった。社会における善は、自己肯定から辛抱強さへとその価値観を奴隷により逆転された。良心は自分の自由な本能を外ではなく内に向けざるを得なくなり、疚しい良心、として成長した。その良心は、禁欲的な生に高い価値があると解釈し体現する司牧者によって点検される。学問もまた価値を生み出す権力を必要とし、自らは価値を創造することが出来ないため、禁欲的な理想を求めるものである。禁欲的な理想の果実たる、真理の価値を問い直そう、というのがニーチェの主張だ。
    神に罪を被せたギリシアと神に罰を背負わせたキリスト教との対比が興味深かった。また、純粋な理性、への批判。見るとは能動的な力が無ければ出来ないという指摘。統計など科学的なデータの裏にも意図があることを忘れてはならない。

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    投稿日:2016.11.07

  • olive9228

    olive9228

    これまでの文化、哲学、さらには学問全体を、徹底的に分析し批判することで、ヨーロッパを支えてきた従来の価値観を転倒し、新たな価値観を探る。

    「どう生きるべきか?」という問いに、徹底的に、本気で向き合った、不朽の名著。

    以前、岩波文庫版『善悪の彼岸』で挫折してしまったが、今回、『ニーチェ入門』を読んでから本書に挑戦。
    内容は難解だが、訳文は読みやすい。
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    投稿日:2016.10.15

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