学ぶとはどういうことか

佐々木毅 / 講談社
(19件のレビュー)

総合評価:

平均 3.4
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ブクログレビュー

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  • ykikuchi

    ykikuchi

    "この本は、まず著者と同じ土俵にのぼることから始めたくなる。学ぶことを著者の切り口でトコトン突き詰めている。現代社会のありようから、古典「学問のすすめ」からと思考を深めていく。明治から現代にいたる時代背景的な洞察にも気を配ってほしかった面もあるが、まだ自分自身は著者とレベル感があっていないと感じているので、恐れ多い発言だと理解している。
    いづれ、読書経験を積み、著者の読んだ本を理解し得たら、また本書を読みなおしたい。"
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    投稿日:2018.10.27

  • tokyobay

    tokyobay

    福沢諭吉の智徳論、アリストテレスの分類論、学びの4段階、と様々な切り口を提示したのはよかったが、その後のプラトンやらヘーゲルあたりから議論が発散しはじめて、論理実証主義批判へと展開していくものの、書籍全体としての論旨のつながりが悪く、思いつくままにアレコレ書いただけで、最後に得意の政治論で強引に収束させたという印象。歴史に関しても教訓主義を肯定しているのか?否定しているのか?よくわからなかった。エッセイだから仕方ないのかもしれない。ただし、出来不出来にバラツキはあるものの個々の章毎にはそれなりにまとまっているので、章毎に別物として読めばそれなりの価値はあり、示唆に富む内容ではあるし、「学」に関して考えるキッカケにはなる。続きを読む

    投稿日:2018.01.02

  • nekohoumu

    nekohoumu

    このレビューはネタバレを含みます

    学校で学び、読書を通じて学び、失敗や様々な経験から学ぶ。人が生きていく上で、「学ぶ」ことは切り離せないものなのだということがまず理解できた。それから、学びには段階があるということ。知り、理解し、疑い、超えるという段階があるという。
    印象的だったのは、「学ぶ」ことは、出来合いではなく、各人が手作りで形成していくものだといった意味の文章。どんな本を読むか、どんな経験をするか、どんな人とつきあうか等々、様々な要因が相互に織りなしてその人の学びは総合的に形成されていくのだなと思った次第であります。

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    投稿日:2016.02.11

  • k-masahiro9

    k-masahiro9

    このレビューはネタバレを含みます

     ここで大事なことは、「学ぶ」という行いには、「想定」の枠内での積み上げ的な「学び」だけを意味するわけではなく、その枠を超える「学び」の能力も含まれているということである。つまり、それまでの「想定」やその枠内での「学び」を外から眺め、突き放して観察するという知的な行為がそれである。これは自らがこれまで行ってきたことを乗り越える人間の能力といってよいが、これによってマンネリ化しがちな「学び」は「学び続ける」という能動的な知的な行為へと転換していく。(p.29)

    「超える」=「学ぶ」という行為には、これまでの社会や人生のあり方に対する極めて激しい批判や断絶感が必ず含まれている。よく知られているように、イエス・キリストはユダヤ教徒からすれば単に新しい教説を唱えただけではなく、およそ理解不可能な形で救世主の概念を転換した。プラトンは「すべてのポリス」がどうしようもない状態にあるという認識を踏まえて、ソクラテスの哲学を基盤に置いた新たなポリスと人生を構想した。マキアヴェッリに見られたのは、これまでの支配者たちがいかにだらしなく、無能であるかについての激しい批判であり、「新しい君主」についての彼の構想はこの現状を打破するための構想であった。(p.99)

    それとともに、実践における目的をも問い直し、「適切さ」を執拗に求めて技能・技法を試し、洗練させるというもう一つの専門家イメージがここに出てくる。この後者を単なる専門家(スペシャリスト)と区別して、プロフェッショナルと呼ぶことにしたい。実践の世界はつねに変動要因に見舞われ、不断の目配りと新たな実践が求められる。そこでは解決は決して絶対的・究極的なものではない。それは人間の営みの然らしむるところであり、つねに「より適切な」解決を求める不断の活動が行われることを前提に、ある種の謙虚さを持ちながら、しかし「適切さ」のために闘い続けるのがプロフェッショナルの魂というべきものである。
    それは、実践の社会的責任への問いとつながっている。それぞれの拠点から出発しつつ、どのような実践が社会的責任に応えたものになるのかが、実質的に問われることになる。プロフェッショナルは「天職」と訳されるが、それは経済的な打算を行動基準としないだけではなく、当然広い意味での公共性を視野に入れた発想を持つことを内包せざるを得ない。言い換えれば、自分の個人的利益になるかどうか、目の前の利害関係者などの役に立つかどうかといった狭い了見以上の視線を持つべきだということになる。こうした見地が社会的に共有されることによって、権力や利益に対する知の独立性と抵抗力が生まれる。(p.171)

    政策の重点を人間に直接向けるという方針そのものが間違っていたわけではないが、それが未来に向けての人的資源の抜本的な再構築といった形で構想されることなく、「不均衡の是正」といった形での後ろ向きのメッセージに傾斜した点が問題であった。平たく言えば、これでは「困っている人を助ける」ことに政策の目線はどんどん限られてくることになろう。そしてこの世には「困っている人」は限りなく居ることは厳然たる事実である。(p.195)

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    投稿日:2015.04.29

  • 国策ピーナッツ工業

    国策ピーナッツ工業

    東京大学総長を務めた政治学者による「学び」をテーマとしたエッセイです。本論では一貫して福沢諭吉の著作が補助線としながら、いささかカタい雰囲気の中で議論が進んでいくという、言ってしまえばありがちなスタイルの本でした。

    わたしにとって本書は、政治学という学問分野を専門にしたことについて、改めて考えなおすきっかけを与えてくれた本です。有名なD.イーストンの定義を踏まえると、「ある制約条件下で、何らかの手段でリソース配分を決定し、現実を理想に近づける」という活動について、いろいろな角度から問うこと、そしてそれに対してなんらかの答えを出すこと、これが政治学を専攻した人間に求められているであろう「技術」であると思われます。

    理想、すなわち「あるべき状態」については、わたしも数多くの哲学者の思考を頼りにしながら長いあいだ考え続けてきました。もちろんまだ思考プロセスの渦中にあり、自分の中で結論は出ておりません。知れば知るほどわからなくなる、その謙虚さを大切にしながら、わたしが朽ち果てるまで考え続けていくこと、続けることそのものに意味がある活動であろうと思っております。

    一方で、問題解決という方向性についてはまだまだ「知ること」、「知識」のレベルで全く追い込めておりません。理解したり疑ったり、まして超えていく段階にはない。本書を読むことで、これからわたしがやるべきことが、少しだけ具体化されたような気がいたします。

    確かに老人のお説教と言ってしまえばそれまで。著者に特段リスペクトを持っていない方にはおそらく退屈なのでおすすめできません。また最後の民主党・自民党批判については、いかにもとってつけた感が否めませんので、飛ばしてしまうのも手でしょう。

    (20160228)
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    投稿日:2014.03.25

  • kkashi

    kkashi

    [購入] 元東大総長の著者による本質的な「学び」論。

    エッセイというかたちで、歴史や社会にとっての「学び」の意味やより根源の人間にとっての「学び」の意味が綴られる。
    哲学や歴史などの観点からの語り口は決して易しくなく、読み進めるのに時間がかかる。
    先にあとがきを読んでから読み進めた方が理解が促進されるかもしれない。
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    投稿日:2013.12.17

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