【感想】神聖ローマ帝国

菊池良生 / 講談社現代新書
(39件のレビュー)

総合評価:

平均 4.1
9
19
5
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0
  • 英雄たちの歴史

    神聖ローマ帝国とは何かという問いに答えるのは非常に難しいです。神聖ローマ帝国を定義しにくいからかもしれません。そもそも「神聖」とは何に由来するのか、国土がドイツにありながら「ローマ」が国名に冠されているのは何故でしょうか。これらの素朴な問いへ解りやすく答えようとする一つの試みが本書です。軽いタッチで、史劇のように描写されていて、神聖ローマ帝国と呼ばれた地域の歴史の大きな流れを把握することができます。

    19世紀後半のドイツ歴史学派によると、古代ローマ帝国の後継国家である「神聖ローマ帝国」は、962年オットー大帝によって開かれ、千年に渡りドイツ民族が支配してきた輝かしい国であるとされたそうです。19世紀後半といえば、多くの小国家や自由都市に分裂状態にあったドイツがプロイセンによって統一されようとしていた、ドイツ民族主義の高揚していた時期です。その背景には、政策的なものもあったかもしれません。

    ところが、ドイツ歴史学派による主張は誤りであるという批判が20世紀初頭に起こりました。ツォイマーという学者が「神聖ローマ帝国」における帝国称号の変遷史を丁寧に調べたところ、歴史学派の主張がいかに非歴史的であるかを明らかにしたのです。

    そのような経緯があったにしても、神聖ローマ帝国が歴史学派が言うような確固とした国でなかったとしても、神聖ローマ帝国の歴史を辿ることは、ドイツを中心とした中央ヨーロッパを知る上で重要なことだと思います。

    神聖ローマ帝国の歴史を本書に従って辿っていくと、国政の変遷というよりも、国王に名を連ねた幾人もの英雄達の苦闘を見ていくことになります。神聖ローマ帝国の前身の時代から、重要な人物だけを数えただけでも、ピピン(カロリング朝)、カール大帝(西ローマ帝国復興)、コンラート1世、オットー大帝、ハインリッヒ4世(カノッサの屈辱)、フリードリッヒ1世(バルバロッサ)、フリードリッヒ2世、カール4世(金印勅書)、カール5世(ハプスブルク家)などが挙げられます。いずれも歴史に名を残している英傑ばかりです。

    本書にておいて「王の霊威」という言葉が紹介されています。王位を継ぐ者には神が与えたもうた「王の霊威」が備わっていなければならないという考え方が中世には広く信じられていたのです。たとえ優れた英雄が出現したとしても、「王の霊威」を持たない者には王位は授けられないですし、実力だけで王位に就いたとしても簒奪者とみなされ臣下が従わなかったのです。さらに「王の霊威」は個人に授かるものではなく、家系、王家に授けられるものとされました。神聖ローマ帝国の皇帝は、「王の霊威」を持つとみなされた家系だけが受け継ぐことができたのです。選帝侯によって皇帝が選ばれたとしても、選帝侯は「王の霊威」を持たぬ者を指名することは事実上できなかったのです。そういう意味では、神聖ローマ帝国の歴史は、「王の霊威」を巡る歴史と言えるかもしれません。ヨーロッパの歴史を深く知ろうと思う人にはお勧めです。
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    投稿日:2014.06.22

  • 複雑なことをわかりやすく

    この著者の書いた「30年戦争」を読んで感銘を受けたので、通史としてのこちらの本も読んでみた。ヨーロッパ市の中でも特に複雑でわかりにくい神聖ローマ帝国史を、省略せずにわかりやすく書いてある期待通りの良書である。ヨーロッパ諸国は千数百年間に渡ってこのように複雑で混乱した戦争と外交を繰り広げてきた。極東の島国でのほほんと暮らしてきた日本とは、外交や戦争において基礎が全く違うと思わざるをえない。続きを読む

    投稿日:2022.12.25

ブクログレビュー

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  • 横

    神聖ローマ帝国
    著:菊池 良生
    紙版
    講談社現代新書

    神聖ローマ帝国の推移は複雑である
    前半は3王朝時代、後半は、神聖ローマ帝国の宣言後である
    3王朝時代は、ドイツ、フランス、イタリアを対象として、血縁、ローマ教皇との対応、諸侯からの推戴などである
    神聖ローマ帝国になってからは、ドイツに限定される

    どだい千年にも及ぶ歴史を250頁ほどの新書に詰め込もうとは難しい話である。

    気になったのは以下

    神聖ローマ帝国=ドイツ国民の神聖ローマ帝国 第1帝国 962~1806
     ドイツ、オーストリア、イタリア、チェコ、スイス、オランダ、ベルギー等を版図とする帝国
    ドイツ帝国=プロイセン王国主導  1871~1918
    そして、ナチスの、第3帝国

    395 ローマ帝国東西に分裂
    476 西ローマ帝国滅亡

    □3王朝時代
    ■フランク帝国
    フランク帝国成立
     メロヴィング家衰微、カロリング家へ推移
    ■カロリング家
     カロリング家ピピン、メロヴィング家血統 フレデリック3世推戴後、廃位、あらためて貴族会議にて推戴されて王位へ
     ピピンをささえている要因は、ローマ教会との結びつき
    751 ピピン、フランク国王へ、カロリング朝開基
     ピピン死後、長男カール、次男カールマンに国土2分、カールマン早世にて、カールがフランク国王に
    800 カール ローマ教皇レオ3世より戴冠 西ローマ帝国復活 カール大帝へ
    814 カール大帝没 長子ルートヴィッヒ敬虔王 教皇ステファヌス3世により皇帝へ推戴
    843 ヴェルダン条約 ルートヴィッヒ死後、息子3名にて、王国は3分割に、イタリア、ドイツ、フランスの原型が誕生
     ①長子ロタール1世 中部フランク王 イタリア、トートリンゲン(ロレーヌ地方)⇒ロータル1世の子ルートヴィッヒ2世の後に廃絶
     ②3子ルートヴィッヒ 東フランク王、ライン以東(ドイツ人王)⇒ルートヴィッヒ・ドイツ人王、末子カール肥満王が相続
     ③4子カール(シャルル禿頭王) 西フランク王 ライン以西 ⇒禿頭王の末子カルロマン死後、断絶
    885 東フランク王 末子カール肥満王が西フランク王の支配権を得て皇帝
     ノルマン人のパリ包囲後、肥満王廃位⇒甥のケルンテン辺境伯アルヌルフ 東フランク王に ⇒東カロリング家はその後断絶
     西フランク カロリング家も断絶 ⇒王権は、パリ伯ロベール家ウード伯に移る ⇒カペー王朝へ
    911 東フランク王にフランケン公コンラート1世を選出
     コンラート1世は、後継者にザクセン公ハインリッヒ1世狩猟王に王位を譲るという遺言
     ザクセン王朝=事実上にドイツ王国のハインリッヒ1世狩猟王誕生 ハインリッヒ死後は、オットー1世が即位
    ■ザクセン朝
    962 オット1世が、大帝に、ザクセン朝初代
     <1>教皇ヨハネス12世廃位⇒レオ8世
     <2>イタリア王国を摂取して、ドイツ王とともに、イタリア王にもなる
    1024 ザクセン朝第4代聖ハインリッヒ2世死亡 ザクセン朝断絶
    ■ザリエリ朝
     オット大帝の娘の系譜、フランケン公コンラート2世をドイツ王に推戴 ザリエリ朝創設
     コンラート2世は、ブルゴーニュ王国を支配、ドイツ、イタリア、ブルゴーニュを支配
     コンラートの息子ハインリッヒ3世、中世ドイツの最強の支配者に⇒フランケン公領+シュヴァーベン公領+バイエルン公領を支配、隣接ボヘミアを臣従、ハンガリーも臣従
    1056 ハインリッヒ3世の息子、ハインリッヒ4世が6歳で即位、摂政を立てるも、教皇からの圧力を受けるようになる
    1076~77 カノッサの屈辱、ハインリッヒ3世のグレゴリウス教皇廃位に対して、ハインリッヒ3世を破門とした、その後カノッサ城にて破門を解除
    1122 ハインリッヒ3世の息子4世と、教皇カリクストゥスの間にヴォルムス協約締結
     ハインリッヒ4世は、息子5世のとどめを刺されるが、5世も子宝にめぐまれずザリエリ朝は廃絶 シュタウフェン家に王位を譲ることに
     しかしそのことをきらった諸侯は、ザクセン公ズップリンゲンベルク家のロタール3世を新王に推戴して、ドイツは10年間の内乱となる
    ■ズップリンゲンベルク朝
    1133 ロタール3世は皇帝となるが、その死後、ズップリンゲンベルク家は廃絶
    ■シュタウフェン朝
     その後、諸侯はシュタウフェン家のコンラート3世を推戴
     コンラート3世死亡後、フリードリッヒ1世(赤髭王=バルバロッサ)4度のイタリア遠征に
    ■神聖帝国に
    1190 バルバロッサは、第3回十字軍を率いて小アジアを突破
     バルバロッサの後継、ハインリッヒ6世、ドイツ王、フルゴーニュ王、イタリア王、ナポリ・シチリア両王を兼ねることに
    1197 ハインリッヒ6世急死、フリードリッヒ2世母后が摂政に、母の死後は、教皇インノケンティウス3世が摂政に
    1250 フリードリッヒ2世没、3王朝時代が終了、大空位時代始まる

    □神聖ローマ帝国
    1254 ホラント伯ウイレム、国号に「神聖ローマ帝国」を使用
    1256 ウイレム遠征中に沼で溺死、ドイツの南北朝時代が始まる

    ■ルクセンブルク家
    1310 ハインリッヒ7世、イタリアで戴冠式
     ルードヴィッヒ4世 皇帝戴冠式、一方対立王カール4世も併存
    1347 ルードヴィッヒ4世急死、カール4世が1人王に
     カール4世は神聖ローマ帝国がドイツ、イタリア、ブルゴーニュの王国に君臨するというが、おとぎ話にすぎないことを骨身に染みさせられた
    1356 カール4以西は、金印勅書を発行し、諸侯に特権を付与
     ハプスブルク家建設候ルドルフの偽書騒動⇒以後ハプスブルグ家の勢力が伸長
     カール4世の次男ジギスムントは、宗教改革をまとめきれずに死去、後任には娘婿のハプスブルク家のアルプレヒト2世が選考される
    ■ハプスブルク家
     アルプレヒト2世は、ルクセンブルク家所領のボヘミアとハンガリを手に入れるが急死
     従兄妹のフリードリッヒ3世が皇帝を継ぐことに
     フリードリッヒ3世は、神聖ローマ帝国の版図はほとんど、ドイツに限られていることを追認
    1493 その子マクシミリアンは、ドイツ王
    1499年のシュヴァーベン戦争でスイスが帝国から離脱
    1508 教皇の戴冠なくして、皇帝となる
     マクシミリアンの後はその孫カールが継承
     カールの敵はフランス、そして、ペストと、オスマントルコであった
     その後カールは、宗教改革で失脚、皇帝を弟、フェルディナントへ、スペイン王は、息子フェリペに渡す
     このことで、ハプスブルク家は、オーストラリア・ハプスブルク家と、スペイン・ハプスブルク家に分裂する
    1618~1648 ドイツ30年戦争 
    1648 ウエストファリア条約、スイス13州は、自由に離脱した州とした法的地位を獲得する、またオランダが独立
    1776 ロートリンゲンは、フランス占領、最後のロートリンゲン公シュテファン・フランツがハプスブルク家の婿養子となることが決まる
     そして、相手の家付きの娘とは、マリア・テレジアである
     アウクスブルクの和議 宗教として認められたのは、カトリックとルータ派であり、カルヴァン派は異端のまま
    1806 オーストリア皇帝となっていた神聖ローマ皇帝フランツ2世は帝国の滅亡を勅した

    序章 神聖ローマ帝国とは何か
    第1章 西ローマ帝国の復活
    第2章 オットー大帝の即位
    第3章 カノッサの屈辱
    第4章 バルバロッサ――真の世界帝国を夢見て
    第5章 フリードリッヒ2世――「諸侯の利益のための協定」
    第6章 「大空位時代」と天下は回り持ち
    第7章 金印勅書
    第8章 カール5世と幻のハプスブルク世界帝国
    第9章 神聖ローマ帝国の死亡診断書
    終章 埋葬許可証が出されるまでの150年間
    あとがき
    神聖ローマ帝国関連略年表
    参考文献

    ISBN:9784061496736
    出版社:講談社
    判型:新書
    ページ数:264ページ
    定価:900円(本体)
    発売日:2003年07月20日第1刷
    続きを読む

    投稿日:2023.12.07

  • nolan4

    nolan4

    カール大帝以降、非常にややこしい神聖ローマ帝国について、各時代の皇帝に焦点を当てながら書かれている通史。やはりややこしい話だが、神聖ローマ帝国という概念が実体を持たなかったことについては、理解が進む。

    投稿日:2021.05.21

  • じょあん

    じょあん

    「神聖ローマ帝国ってなんなのだ?」から始まる、面白く読める神聖ローマ帝国入門と言った感のある一冊。ただし、注意点はある。各所に物事を単純化する傾向、参考文献のつまみ食い的傾向がある。また、フリードリヒ3世の評価やウェストファリア条約の評価についてなど、今となっては古い説になってしまっている箇所があることなどである。この辺りの新しい評価は岩崎周一氏の『ハプスブルク帝国』を読むと良いかもしれない。続きを読む

    投稿日:2020.11.07

  • ペラート

    ペラート

    世界史の教科書の中ではなぜかブラックボックスのように隠されてしまっているザリエル朝・ヴェルフェン朝・大空位時代のあたりを知るために読んだ。変なつまみ食いみたいな取り上げ方をするのではなく、こんなふうにきちんとタテの流れを明示しないと、神聖ローマ帝国の歴史が何なのかが結局よく見えてこない。文章も読みやすく、大変ありがたかった。続きを読む

    投稿日:2020.10.10

  • pinkchou

    pinkchou

    ある日の夢で見たのか、目覚めると「シュタウフェン朝」という単語が頭に浮かんだ。何だったっけ・・と山川の世界史の教科書などを引っ張り出して調べて見て、神聖ローマ帝国の王朝の1つだとわかった。
    世界史の教科書を読み返しているうちに、過去の読みたい本リストに入れていた本書のことを思い出し読んだ。
    本書は、著者自身あとがきに書いているように、歴代の皇帝等の列伝風に記述されている。歴史学のことは全く詳しくないのでわからないが、著者は「人」に焦点を当てて人と人との交流が歴史を形成していくという歴史観である(と言えるのか?)。そのような人物を中心とした記述がドラマティックで、楽しく読むことができた。
    一方では編年体で出来事を順番に記していく方法もあったと思うが、皇帝たちの言動を生き生きと描くことによって、当時の世界情勢や宗教観などが、いかにその人物の行動に影響を与えていたのかがわかりやすく、世界史ものの本を普段読み慣れていなくても、理解が難しく感じる箇所はなかった。ただ、一応高校時代は世界史選択者だったので、知識の下地があった分面白く読めたのかもしれない。
    内容面に関しては、そもそもなぜ「神聖」「ローマ」「帝国」なのかを一貫してテーマにしていて、読了するとその理由もわかる。特に、ヨーロッパの人たちにとってのローマ帝国の持つ意味や、帝国と言いながら実は現在のドイツの国境が主たる領土で、しかもその領土内の集権化にもあまり成功していなかった、などの点が興味深かった。
    続きを読む

    投稿日:2020.09.21

  • suburibilly

    suburibilly

    ・「大空位時代」はフリードリッヒ二世が死去した1250年に始まり、73年、ハプスブルク家のルドルフ一世のドイツ王即位に終わるというのが一つの定説
    ・1555年カール五世、アウスブルクの宗教和議により諸侯に宗教の選択権を認める
    ・神聖ローマ帝国にとってウエストファリア条約の意味するところはあまりにも大きい。「領主の宗教が領民の宗教」という原則が再確認され、カルヴァン派が公認される
    ・スペイン継承戦争(1701年〜14年):カルロス二世の「スペイン王位はフランス ブルボン家に譲る」という遺言による強大なラテン帝国の出現を恐れ、勢力均衡を是とするオランダ、イギリスがオーストリア ハプスブルク家と対フランス大同盟(ハーグ同盟)を結成し、フランスに宣戦布告したもの
    ・オーストリア継承戦争(1740年〜48年):プロイセンのフリードリッヒ大王が男子帝位継承者のいないカール六世のオーストリアハプスブルク家断絶を主張し、それに呼応したフランス、スペイン、バイエルン選帝侯国、ザクセン選帝侯国の5ヵ国がオーストリアに戦争をしかけたもの
    続きを読む

    投稿日:2018.11.04

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