【感想】日本人の神道 ――神・祭祀・神社の謎を解く

島田裕巳 / ちくま新書
(5件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • シマクマ君

    シマクマ君

     信心する真面目さとは、実にまあ、程遠い老人ですが、蘊蓄は好きなのですね。で、ここの所はまっているのが宗教学者の島田裕巳です。
     要するに、素人に向けて書いていらしゃる、まあ、なんというか、エラそうぶらない書きぶりが気に入っているんです。で、ぽつぽつ読み継いでいる1冊です。
     もう一度、要するにですが、この国の神社って、鳥居とか社殿とかは、まあ、絵でいえば額縁で、あの後ろに大事なものがあるんですよねというお話でした。そういう、おおざっぱな理解では蘊蓄になりませんが、読む端から忘れていく老人の記憶力では、致し方ありませんね(笑)。
     ブログには、もう少し詳しく書きました。覗いてみてくださいね(笑)。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202311260000/
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    投稿日:2024.02.12

  • えんじぇもん

    えんじぇもん

    神道ってなんだろう?と思って手に取った。正直少し話が散漫なところは否めないが、全体として理解するにはちょうど良かったかもしれない。

    投稿日:2023.11.13

  • 横

    神道とはいったいなんなのだろうか、その謎に挑むのが本書である

    ・いったいいつ生まれたのか
    ・だれが始めたのか
    ・そもそも教義などはない、
    ・そして、聖典なるものもない、それに代わるものとは、古事記や日本書紀に記された神話である。

    現在、その問いに応えることができるものはいない。
    歴史に見え隠れする、神道とは、本当に宗教なのであろうか。

    気になったことは以下です。

    仏教伝来は6世紀とされる、されば、それまでに神道はすでに成立していたのか
    仏教と神道は融合して、神仏習合となった。儒教や道教も日本に伝わったが、独立した体系としては日本に定着することはなかったが、仏教や神道に影響を与えた。

    もともと日本にあった神道を、惟神(かんながら)といい、古道などともいう。

    日本の神を定義したのは、江戸の国学者、本居宣長であった。漢意(からごころ)を排することで本来の日本人の精神性を取り戻すことができると説く。

    神道とは、非常にゆるい宗教である。神をまつる自由が確保されている。

    宣長はさらに言う、人、鳥獣、草木、海山などであっても、優れた徳のあるものは、全て神である。

    禍つ神、神は悪をもたらすもの、天照大神も悪をもたらす神であったからこそ、都から遠ざけれた、伊勢に遠ざけられた。

    神道には、祈りの言葉はない、神にまいるときは、何もいわず、何も考えないで、手を打ち、頭を下げる

    神の本性、ご神体は、岩であったが、山となり、その山を代表する宮が作られて、神社へと変遷していく。もともと神社には社がなかった。

    玄界灘に浮かぶ、沖ノ島、そこで、古代から、秘密の祭祀が行われてきたことはまぎれもないことである、が、その内容は今日まで伝わっていない。
    沖ノ島に命がけで島に到達して祭祀をしてもどる、命を賭してまで行ったものは何か、それはわからない

    魏志倭人伝の卑弥呼、神がかり、の巫女。神の言葉を継ぐのは、シャーマンであり、それは、ユダヤ教などにもあった。

    宇治上神社が、なぜ、世界遺産なのか、それは、本殿が最古の神社建築であるから。
    厳島神社の由来は、推古元年、今の形になったのは、平家が氏神となってから。
    登呂遺跡にのこされた高床式の建物、それは、伊勢神宮の正殿をもとにしたものであることは明らかであるといっている。

    目次
    はじめに
    第1章 神とは何か
    第2章 祭祀に現れる神
    第3章 神はいつから神社に鎮座しているのか
    第4章 神宮の式年遷宮はいつはじまったのか
    第5章 出雲大社の生き神・国造
    第6章 神道と仏教の戦い
    第7章 社殿のない神社
    あとがき

    ISBN:9784480074867
    出版社:筑摩書房
    判型:新書
    ページ数:240ページ
    定価:860円(本体)
    発売日:2022年06月10日
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    投稿日:2023.08.25

  • Tomoki

    Tomoki

    このレビューはネタバレを含みます

    我々が神社に参拝するとき、頭に思い描く神様は何だろうか。そう考えると、特別に思い描いているわけではないことに気づく。日本固有の神道においては八百万の神ということが言われるが、神は本質的に一つであって、様々な利益をもたらすという意味でそれぞれが役割分担をしているという視点からスタートする。
    本書の主要テーマは神殿に鎮座する神である。実のところ、昔から神社には社殿があって神が鎮座していたわけではない。古来より祭祀は山中の磐座で行われ、神との交流がなされた。次第に山全体が神聖なものとみなされるようになり(神体山)、山と外界を隔てるために鳥居が建てられる。
    では、社殿ができたのはいつ頃なのだろう。筆者は神仏習合を経たことが大きいとしている。神は仏が仮に姿を表したもの(八幡神像)とする神仏習合により、神宮寺が境内に設けられる。すると神社も社殿を持とうということになって、今の形になっていったとする。そして、神が閉鎖的な場所に収められているというのは世界的にも例をみない。
    中世、近世と経るにつれて、祟りをもたらしうる人物を神として祀るということはなくなっていき、祈れば利益をもたらしてくれる対象となってきた。これは飢饉という現象がもはや見られれなくなってきたことによるものだ。
    では、神道は影響力を失って行くのだろうか。こういう時、世界の宗教は原点に戻ることで対応したと筆者は指摘する。すなわち、閉鎖的な場所に鎮座する神を古来のように開放することである。

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    投稿日:2023.02.18

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    このレビューはネタバレを含みます

    星3.5
    神がいわくらからご神体なき山、そして神社へ封じられたのはなぜか? 問いは興味深いが答えが物足りない。梅原猛のようなダイナミックな論理展開を期待したのだが。パワースポットよろしくどこでも神がいる場所にでき、教義がない自由な宗教だからこそ、日本の神道には未来があるとの結論。そうか? まあサブカル利用で世俗の文化として生き残るのが現状ではないかしら

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    投稿日:2022.11.06

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