オランダ商館長が見た 江戸の災害

フレデリック・クレインス, 磯田道史 / 講談社現代新書
(7件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • めぇ〜〜

    めぇ〜〜

    第一章、第二章では、江戸時代に火災が非常に多かったということに驚いた。細かな火災に関する記録だけではなく、商館長の心情も記録されていて興味深い。また、火災が多い理由や明暦の大火以降に発展していく深川の町についても書かれており江戸時代を知ることができる部分もおもしろいと思った。第六章の島原大変肥後迷惑に関する記載は、細かく描写され、頭の中で映像化されやすく、津波が起きた時の海の様子はとても印象に残った。続きを読む

    投稿日:2021.03.25

  • kurebei

    kurebei

     オランダ商館長や関係者など当時の滞在外国人が残した日本の災害が記されています。この本での”江戸”は、江戸時代と考えるのが良いでしょう。大火、地震、火山災害と主な災害について書かれていて、彼らの在任期間にほぼ全ての災害が網羅されている印象がありそれは改めて日本が災害大国であることを強く感じさせます。
     翻訳者の名がないのを訝しんでいたのですが、著者が日本語で書いたようです。歴史は単国では存在しないのですから多国語が操れることは良いことだと思いました。
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    投稿日:2020.09.13

  • saga-ref

    saga-ref

    江戸初期から幕末まで日本との貿易が続けられたオランダ。布教目的を持たない東インド会社で、商館長をはじめ幹部には報告書を兼ねた日記を義務付けていたことで、はからずも江戸の災害を記録・保存できた。明暦の大火、元禄地震など商館長が体験した大災害の様子がよく理解できた。長崎でも地震が頻発していたとは、管見にして知らず。しかし、雲仙岳という活火山の近くに位置する長崎であることを考えると納得できる。人工島である出島では、地割れが起きた記録はあるが、液状化の記録がないことに驚く。当時の土木工事の技術力の高さもすごい!続きを読む

    投稿日:2020.09.12

  • 臥煙

    臥煙

    江戸時代、鎖国下の日本。オランダ商館長が残した日本の災害の記録。国内資料とは異なる冷静な事実の記載は貴重な一次資料。

    鎖国下の日本で交易を続けられたオランダ。商館長が残した日記。それは奇しくも災害大国日本の記録でもある。

    たまたま江戸参府に際し、明暦の大火に遭遇し江戸の街を逃げ惑った記録。元禄地震で大きな被害を受けた小田原ほか東海道沿いの被害地域。長崎からも近い島原での「島原大変肥後迷惑」など。

    母国オランダに比べ地震も多く火災も多かった日本。被害の状況と共に災害慣れしてすぐに復興に向けて動き出す人々。

    後世の創作や解釈の余地のない貴重な記録である。

    現在の日本人には分かりづらい、江戸時代の風習などはあの磯田直史氏が解説。そもそも本書の成り立ちも筆者と磯田氏の会話から始まったそうだ。

    長期スパンで見ると災害は繰り返される。本書のように過去の埋もれた記録を調べ、未来に向けて対策する企画は素晴らしい。
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    投稿日:2020.06.21

  • bookkeeper2012

    bookkeeper2012

    このような本をつい手に取ってしまうのも、パンデミックと災害に、非日常という点で一脈通じるところがあるからだろう。

    ワーヘナールによる明暦の大火の記録はまさにパニック映画さながら。江戸で大火事に巻き込まれるオランダ人一行だなんて本当に絵になるのではないか。そこまで直接的に災害に巻き込まれた商館長は他にはいないものの、頻発する余震の描写など東日本大震災後の日々を思い出させる。

    江戸の町が焼けても焼けても懲りずに瞬く間に再建される様子も。日本人の災害に対する一種の無常観は、同時代のオランダ人から見てもなにか特異なものに見えたようだ。

    オランダ人(この本の著者はベルギーの方ですが)と江戸の災害といえば『鯰絵』が思い出されるが、『鯰絵』は構造主義人類学で日本人の深層に迫るみたいな感じで、個人的にはちょっとついていけなかったのだが、こちらはより世俗的というかストレートでわかりやすい。
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    投稿日:2020.04.09

  • k-masahiro9

    k-masahiro9

    このレビューはネタバレを含みます

     しばしば、西洋人が記すのは、「日本人は、ヨーロッパの学問に対して感受性をもたない中国人とはまったく異なった才能をもっていることを示し」た、ということである。中国は儒教などの独自の文明があり、誇りもあって、当時は西洋の学術を日本人ほどには、すんなりと受け入れようとはしなかった。ところが、日本はもともと中国大陸、つまり、外から学問を取り込んできた。学問は外からくるものと思っている。そこで、西洋からも学問や知識を入れるのに、日本人は中国人が抱くほどのためらいがなかった。(p.27)

    「私はこの巨大都市が、かつてのトロイや地球のほかのところと同様に炎で燃えていくことを恐怖と不安をもって見た。いや、明るく照っている太陽全体が黒い煙に覆われて見えない状態になった。そして、火は我々からまだ4分の1マイル(約960メートル)ほど離れていたにもかかわらず、その力と熱を寒さのなかで顕著に感じた。強い北風は、斜めに東西一マイル(約4キロメートル)の幅に拡張したこの恐ろしい火炎をごうごうと舞い上がる海のように推し進めて、火花を大雨のように前へ駆り立てた。東側が西側よりも先に侵食され、こけら板で覆われている家々が焼き尽くされるのを見た」。
    このように比喩を交えた表現で、ワーヘナールは自分の目の前にくりひろげられた明暦の大火の恐ろしい光景を詳細に記述している。興味深いことに、この光景を見たワーヘナールがすぐさま思い浮かべたのは、ギリシャ神話に出てくる古代都市トロイの炎上である。明暦の大火の炎の壁は、ワーヘナールにとって、ホメロスによって劇的に描写されたトロイの最後に匹敵するような凄まじい眺めであったにちがいない。(pp.40-41)

     ワーヘナールの日記からは、江戸における火災発生時の避難対策不足が浮かび上がる。火災が発生した場合、人びとはまず風向きを確かめる。火災が自分の方向に来ないとわかれば、人々は何ごともなかったかのように日常生活を続ける。しかし、いざ火災が自分のところにも及びそうになれば、避難すべき先もわからないまま大勢の人びとが通りになだれ込み、それにより大きな混乱が発生した。このような火災発生後の避難対策の欠如が犠牲者の数の拡大に繋がっていたに違いない。(p.52)

     貧民のための建物もオランダ各地にあり、各都市や村々で毎週食料や現金がそれを必要とする人びとに配られていた。大火や洪水などの災害に際しても、被災者を支援するために大規模な寄付収集活動が全国でみられた。このような福祉事業はキリスト教的精神のもとにおこなわれていたので、「異教徒」にも、そのような思いやりの心があることにワーヘナールは驚いたのだった。(p.84)

     タントによる被害状況の観察記録はさらに続く。タント一行が山道に沿って通行した村々の家屋はほとんどすべて倒壊し、消失していた。石工や労働者が山道に崩れ落ちた岩を砕く作業をせっせとおこなっている様子もみられた。大きすぎて動かせない石は石工たちが砕いて小さくしてから、山道に沿って転がされ、崖の下に落とされていた。
     タントはこの光景を見て感じたことを、次のように書き記している。「これらの場所を驚愕および動揺なくして通ることができない。しかし、日本人は、このことについて話すと、各所で遭遇する悲しい災害を見るたびに指を差して、軽々しく大笑いをする」。(p.153)

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    投稿日:2020.03.06

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