【感想】オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史

小笠原弘幸 / 中公新書
(30件のレビュー)

総合評価:

平均 4.0
11
8
6
2
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ブクログレビュー

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  • ちよ

    ちよ

    トルコもオスマン帝国もほとんど知らないよ〜な完全初心者が読んでみた。
    いやぁ、面白い!
    同名の人物が出てくるのに最初は苦戦したけど、地図や家系図、索引も活用して読み進めていけば全体的に優しく解説してあるので、難しくはなかった。

    はしがきに「時代ごとに違う国家があったよう」とある通り、区分通りの4つの時代で王権や政治体制が異なっている。それに至る経緯や事件などを流れとしてみると、なるほどなるほど…。
    様変わりしていく様子や過程も興味深い。
    たとえば、近代化に近づく政策が進められていったと思ったら、その直後に「王位を継げる唯一の男子になれば廃位されない」と古来からの「兄弟殺し」と同じ継承者の殺害が起こる。
    長く続いた王権だからこそ、こういうことも起こる。

    日本史はわりと好きだけど、世界史はさっぱりだよーな初心者当方からすると、
    「母親は奴隷出身(母親の出自が子供に影響しない)」「兄弟殺し」はビックリするものだったが、これが王位継承をスムーズにしているのは納得。
    婚姻によって母親側が権力を持つから関白だの院政だので朝廷内の権力闘争が起こるのだし、継承権が複数人にあるからゴタゴタが続く。
    後者は人道的にはよろしくないし、王位継承がスムーズにいかずに断絶する危険性もあるけど。
    こういうシステムもあった!というのは興味深かった。

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    投稿日:2024.04.08

  • tricken

    tricken

    全編にわたり面白かった。第3章までは世界史の教科書では空白地帯になっていることも多く、毎日1ページごとに参照メモをとりながら読み進めた。

    投稿日:2024.03.20

  • いちばやし

    いちばやし

    巨大なイスラム文明の象徴とも言えたオスマン帝国の繁栄と衰亡の600年を日本で初めて詳細にまとめあげた上で、一般の読者にも分かるよう配慮されている貴重な一冊。カリフとスルタンと近代的立憲民主制のせめぎ合いの中で、巨大な帝国が翻弄されて滅亡していく様は、ひとときの夢のようだったモンゴル帝国のそれとは重みが違った。オスマン帝国はかつては負の遺産として封印されようとしていたが、今のエルドアン大統領の政権下で、イスラム的価値観の再評価とオスマン帝国の再評価が行われ、公的に称賛されている。カドゥザーデの時代、タンズィマートの時代を経て、エルドアン大統領により、イスラム主義のアブデュルハミト2世のような時代がまた来るのだろうか。続きを読む

    投稿日:2023.10.29

  • のんのん

    のんのん

    トルコドラマ「オスマン帝国外伝」「キョセム」を見て、オスマン帝国自体に興味を持ちこの本を読みました。
    帝位につかなかった兄弟は皆殺しという制度に驚いた、なんて非情な。自分が后だったら男の子は産みたくない、産んでも一人だけ、後は女の子がいい。

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    投稿日:2023.09.02

  • じょあん

    じょあん

    600年にわたって一つの王朝が続いたオスマン帝国――その継続の理由が本書を読めばわかるだろう。また、多くの君侯国の中からオスマン朝が覇者となった理由も――オスマン帝国の政治史がわかりやすくまとめられている。各時代のオスマン帝国の体制の変遷や諸国との関係についての叙述、さらには現代史への言及もある。どんなに短期間の在位のスルタンにも何かしら述べられている。系図ページは何度も見返すことになるだろう。コンパクトなオスマン帝国入門書。続きを読む

    投稿日:2023.07.02

  • Tomoki

    Tomoki

    このレビューはネタバレを含みます

    1071年、マンジケルトの戦いでビザンツ皇帝を捉えた大セルジューク朝。続くルーム・セルジューク朝の成立でアナトリアのトルコ化が進んだが、モンゴル帝国の進出によってトルコ系の様々な集団が割拠するに至る。ここで台頭してきたのがオスマン集団である。
    オスマン帝国はイェニチェリをリクルートするデヴシルメ制と、自由人のムスリム戦士に徴税権を与えるティマール制の二本柱に支えられる。そしてその600年に渡る存続の大きな鍵となっているのは、王位継承争いがないことである(少なくとも16世紀まで)。これは、即位した王以外の兄弟は殺してしまう、という策に基づいている。
    15世紀にメフメト2世がコンスタンティノープルを陥落させ、16世紀にはセリム1世がマムルーク朝を倒し、スレイマン1世が神聖ローマ帝国との争いを始めるなど、勢いのある時代が続いた。
    だが17世紀に入るとスルタンの廃位がしばしばなされた他、第二次ウィーン包囲に失敗、オーストリア・ハンガリー・ポーランドといった国と正面から対抗する必要に迫られるなど、苦しい状況が続いた。
    それでも、筆者は続く18世紀が帝国の最盛期だと主張する。ヨーロッパの領土を手放すことも落ち着き、アフメト3世の時代に都市の消費文化が爛熟した。いわゆるチューリップ時代である。
    しかし、そうした反映にも終止符が打たれる。1768年の露土戦争より敗戦を重ね、イェニチェリの廃止も空しく1875年には財政が破綻する。20世紀初期のバルカン戦争でヨーロッパの領土のほとんどを失ったオスマン帝国は、オスマン主義の放棄、トルコ民族主義の台頭へと繋がっていった。

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    投稿日:2023.05.30

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