【感想】教育格差 ──階層・地域・学歴

松岡亮二 / ちくま新書
(66件のレビュー)

総合評価:

平均 3.8
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20
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5
0
  • データの紹介本

    メディア掲載の書評を見ていて購入。
    タイトル通りの本なのだが、大部分がデータ(数値)の紹介とその読み方についての記述に費やされている。「それを踏まえた上で」の話は1/4程度。
    「データが見たい」人にはいいが、「それを踏まえた上で」が知りたい人には肩透かしになる。
    後日、学生向けの解説本を出すそうなので、そちらを待つのも手。
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    投稿日:2020.01.25

  • ふつうの話は同じではない

    ふつうに育ってくれれば良いと親は言う、しかしそのふつうは例えば住むところによっても大きく違う。例えば通勤時間、家賃、教育環境などで住む所を選ぶと階層が似た人たちが集まって来てそこには町の文化が立ち上がる。例えばこの街では中2から塾に通うのがふつうと言ったように。それぞれの家庭や地域や学校での教育格差はどうやら小学校に入る前には現れ、ずっと持続しているのが日本の社会だ。日本が特殊と言うことでもなくOECDの報告書からは、どこの国も「生まれ」によって学歴達成格差のある緩やかな身分社会であり、学歴によって社会経済的便益が異なる学歴社会なのだ。少なくとも国際比較が可能なデータでは、日本の15歳の能力は高い。しかし格差という見方をすると平均的だ。教育界で礼賛されることが多いフィンランドを含めどのような社会であっても格差を埋めることは難しい。教育業背だけではなく、税の再配分を含めてどれだけ平等主義的にしても、SESによって15歳時点の学力格差が明確に存在するのだ。

    日本では親の学歴と世帯収入は大きく重なり、本書では親の学歴を大卒0、1、2人の3階層に分けて格差の実態をこれでもかと並べている。この元になるのがSES、社会経済的地位という考え方だ。世帯収入だけでなく、経済的、文化的、社会的要素を統合した地位を意味する。似通ったSESの階層では親の子供に対する働きかけ方が似てくる。そして格差は小学校入学前にすでにあらわれ、そのまま維持され、高校では偏差値によって固定化されている。

    SES階層の違いによって様々な行動で違いが見られる。親子の大学進学希望率、私立校への進学、1日あたりの学習時間、メディア消費時間、蔵書数、学校活動への参加、親から子への関与の度合い、習いごとの数や塾に通う時期などなど、明確な相関関係が見られるのだ。全国共通の教育指導要領と義務教育は格差を縮める方向に働くが例えば夏休みにはその差が開く。継続して学習する環境があるかどうかと言って良いのかもしれないがどちらも普通の生活を送っている。

    私たちにとってはごく当たり前の高校ランキング制度は世界的にかなり特殊だ。義務教育段階で「生まれ」による学力格差を埋めないままの「能力」選別は、SESによる分離(隔離)を制度として行なっていることになるのだ。高校受験に失敗しても大学受験で敗者復活する者もいるが、その生まれは高階層出身者に大きく偏っていた。そして低ランクの高校教師は達成感の無さのためか生徒に期待していない。生徒は諦められている。

    これまでの様々な改革と言われるものはこういった現実を見ないものだった。例えばよく言われる大学無償化をしたところでSESごとの元々の格差は埋まらない。経済力だけが大学進学の格差の理由ではないからだ。学校群制度は高校による能力選別の解消を目指したものだったが高学力、高SESの生徒は私学に流れた。結果として同じ学内にロールモデルがあれば高ランクの大学を目指していたかも知れない生徒から機会を奪うことになってしまう。

    基本的には「平等」に軸を置いて「公平」をめざす介入か、個人の「自由」による「優秀さ・効率」の追求かという価値の相克に話が戻る。1つの価値軸を重視することは誰かの血が流れることを意味し、同じ扱いでは結果が出ず、選抜という現実があり、データによる現状把握をすると「自己責任」の名の下に格差が拡大する姿があらわになる。

    ではどうするか、まずは現状をデータで把握すること、そして教職課程に教育格差のカリキュラムを入れること。少しでもましな対策を取るためには改革の効果を測定しないとできない。
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    投稿日:2019.11.18

ブクログレビュー

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  • ktazuke

    ktazuke

    なんとなくそうではないかと薄々感じていたことが、膨大な統計データを元に論じられている。結論だけ知りたい人は総括の7章を読めば良いようにも感じた。しかし一番興味深いのは「おわりに」。著者の熱い想いが込められている。目次を後ろから前に向かって完全に逆に読むと面白いかもしれない。続きを読む

    投稿日:2024.03.20

  • こま

    こま

    ・海外では、読書週間、環境、博物館訪問や観劇、文化的授業、課外活動、親子館の文化についての会話、文化や文学への態度、家庭の教育的資源などが指標化され、文化資本と学力などの教育成果は関係している
    ・大卒だと本や美術品を多く所持し、知識や教養なども身につけている傾向にある←美術品とは、、
    ・高学歴であればあるほど父母は読書をしている
    ・両親大卒層は多くの蔵書と読書週間を持つ傾向にある
    ・東京区内の私立中進学率は43%(想像より高い)
    ・東京区内の子供中3時点での年収中央値は約900万
    ・進学校では授業に規律があり、学ぶ喜びに溢れ、同級生と協同し、成功にこだわる競争意識があり、学校の一員であることに誇りを持つ
    ・ゆとり教育により土曜が休日になったことで学力格差が拡大(高SESは文化的な体験をしたり学習塾で勉強したり、低SESはメディアに時間を割いたり)更には低SESの生徒には学習へのインセンティブ(勉強するといいことがあるよ!という誘因)が見えづらくなり、学習時間の格差が拡大
    ・ゆとりを忌避する親は私立中を選ぶリッチフライト現象が報告された
    ・詰め込み教育に意義を唱えたのは殆どが難関大出身だった。実際に全体像で見るとそこまで白熱した受験戦争が行われていた訳ではない
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    投稿日:2023.12.04

  • rio-purple

    rio-purple

    丁寧なデータ分析を元にした、印象論や経験則ではない日本の教育の実態を示す本。
    私個人は、全体として格差の縮小に努めるべきであるというスタンスである一方で、自身の子どもには(格差の再生産になろうとも)少しでもより良い教育環境を与えたいと願う、一般的な大卒である。そのことに自覚的でありつつ、教育のあるべき姿を考えていたい。続きを読む

    投稿日:2023.11.30

  • ぽん

    ぽん

    何となく気付いてはいたけど、様々なデータに基づいて改めて気付かされた感じ。
    特に幼少期の環境は大事だなと感じた。

    投稿日:2023.11.09

  • ふじき

    ふじき

    教育格差、生まれによる格差はある。その上でどういう社会を望むか。

    ■初期条件(「生まれ」)である、出身家庭の社会経済的地位(Socioeconomic status, 「SES」)と出身地域
    ■意図的教養と放任的教養
    意図的教養:中流階級 習い事の参加、大人との議論・交渉の奨励→結果、子供は相手が社会的立場のある大人であっても臆さず交渉し 自分の要求を叶えようとする意識を持つようになる
    放任的教養:貧困層 子供の日常生活は大人によって組織化されてない。「自由」な時間が多い(テレビ無制限とか)。親は命令口調が多く、言語的な伝達は最小限にとどまる。→結果、子供は大人に対して自分の要求を伝えることを躊躇し、権威に対して従う成約感覚を持つようになる。
    ■文化資本:3つの形態がある。本や美術品など「客体化された文化資本」、学歴 資格など制度に承認された「制度化された文化資本 」、言語力 知識 教養など簡単に相続されない「身体化された文化資本」。
    ■国際的に見た日本の特殊性は、高校階層構造(偏差値ランキング)。制度的に教育困難校を作り、そこに勤める教師たちも教育を諦めるのが「普通」。(国際比較すると異常な仕組み)
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    投稿日:2023.04.23

  • rafmon

    rafmon

    世界中で似たような傾向にはあるが、日本にいると特に一部地区で受験熱が偏って高い事に気付く。通勤圏や地価からある程度収入の似通った家族が集まり、塾などの教育施設も充実。周囲との交流の中でも加熱していくのだろう。レールに沿って似たような価値観が集まる中学、場合によっては小学校を受験する事に、教育の格差以上に多様性の偏りが生まれる事に不安がある。島田紳助が昔、学校の教室は社会の縮図で、能力や親の年収、素行の良し悪しが混ざり合った公立に我が子を通わせたいと言っていて共感した事を覚えている。偏った集団意識から差別意識が生まれ、そこで刷り込まれた狭い承認欲求は社会生産性を高めるためのもので、必ずしも複雑な価値観を涵養しない。計測可能な偏差値が正義で、良い学校、良い就職先、良い友達付き合い、良い年収と、比較論による「良い」という価値観が形成される。やがてアルゴリズムさえ「良いね」で人同士を操り始める。

    比較論で「ただ良い」事を追求しない社会。社会的に埋め込まれた価値観のKPIから自由になる事が必要と成田悠輔。これも大賛成。今、ダイバーシティと言えば、着替えやトイレなどの性区別の関係からLGBTQ、人不足の関係から外国文化に対して寛容さを高めつつあるが、学歴に対しては多様性が認められない。学力の基準で閉ざす方が、生産性には有利だからだ。

    本著に書かれるような家庭環境、地域、親の学歴や年収、蔵書数などが子供に教育格差を齎す事は、肌感覚で分かっている。分かっているものをデータで立証した事に本著の価値がある。まるで、トマ・ピケティが縮まらない社会格差を立証したように。

    学校現場でも諦められた低学歴。自覚と共にレールから外れていく教育落伍者の烙印。レールを走る労働者は与えられた幸福モデルの範囲で生き、外れたものは貧困、あるいは独自の幸福モデルを生きる。案外、後者の方がイキイキとした人生を送っていて、教育格差の上位者は、その優越感の代償として、社会による都合の良いイメージ、それによる搾取の累進性に踊らされているのかも知れない。
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    投稿日:2023.02.11

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