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松崎有理 / 筑摩書房 (15件のレビュー)
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REM
2021-02-09 久々に読んだフィクションは、なかなかバラエティに富んだ佳作。 ただ、ホラーと言われると、んー。わたしが思うホラーとは違うかなあ。面白いからジャンルなんてどうでも良いんだけど。 そ…して、ポールおじさんの伝記ポチっちゃったよ続きを読む
投稿日:2021.02.10
Chiehima
面白くはあったが。 科学の発展、もしくは人類滅亡を回避することが、技術的な問題ではなく、結局は人間のおろかさに阻まれる。毒強め。
投稿日:2021.02.05
NORIS
2020.3.14市立図書館 科学×ホラーの「ここではないどこか」を舞台とした「アソートタイプ」の短編集。 「たとえわれ命死ぬとも」「やつはアル・クシガイだ 疑似科学バスターズ」の二編をPR誌「ちくま…」で読んでとてもおもしろかったことを、このところの感染症騒動で思い出して、本を探し出して借りてみた。 例の二編以外は書き下ろしだったが、疑似科学バスターズ前日譚「バスターズ・ライジング」、砂漠に不時着した少年たちのサバイバル「砂漠」、そしてとある恐怖との葛藤を描いた表題作「5まで数える」、ショートショート「超耐水性日焼け止め開発の顛末」どれもとてもおもしろく読めた。とくに「5まで数える」はちょうど同時期にディスクレシアの子どもについての本を読んでいたので、怖さというよりも主人公の少年のいろんな気持ちが想像できて心にしみるお話だった。数学というネタも大好物だし。 高2長女もおもしろく読んだようでうれしい。そうよね、こういうのけっこう好きよね。続きを読む
投稿日:2020.03.14
るこ
短編集。SF。ファンタジー。ホラー。 おそらく初めて読む作家さん。 趣向は違えど、どの短編も魅力的。 青春数学ファンタジー的な表題作がとても良い物語。感動しました。 残酷な近未来パンデミックものの「た…とえわれ命死ぬとも」も印象的。続きを読む
投稿日:2019.04.30
ともみん
【もしかして、ポストモダニズム】 新井素子が面白いと名前をあげていた、松崎由理の『5つまで数える』を読了。 素子ワールドと似た手触りなのに、全く異なる後味の残る読後感に、その理由を数日考え込んでい…た。 もしかしたらこのざらっとした後味は、ポストモダニズムの手触りじゃあないかしらん、と思いついたのは、今朝のこと。 収録された6つの短編のうち、 「たとえわれ命死ぬとも」 「やつはアル・クシガイだ」 「砂漠」 の3編に共通して感じるのは、ある種の救いのなさ。 新井素子の小説では、物語の世界が読者にとっての日常を踏み外していく(あるいは最初から踏み外している)のに対して、主人公たちは、揺るがない骨太な「日常」を保持し続ける。 その感覚が、彼女らの危機を打破することも、多くある。 その骨太な「日常」は、 新井素子のインナースペースが世界に流出しようが、 主人公が殺されようが、異世界に行ってしまおうが、 登場人物が狂気の淵に近づこうが、 揺るぎなく物語世界を支えている。 主人公たちは、ゆらぎにさらされながらも「わたし(あたし)」という核を持ち続ける。 対する松崎有理の世界での「日常」の感覚は、脆弱だ。 主人公は世界に対して受動的で、観察者のように存在する。 強い意志を持つように見える主人公のひとり、大良すら、被害者のポジションにいるように見える。 そんな彼らは、あっけなく世界に飲み込まれていく。 そして世界の終わりとともに、その意識は終焉を迎える。 “私たちは、一回限りの生を、それが一回かぎりではなかったかもしれない、という仮想現実を挟み込むことで、はじめて一回かぎりだと認識することができる。(中略) しかし、その変化が生み出した環境において、古くからある普遍的な感覚が、新しい表現に生気を注ぎ込むことはある。 筆者が「ゲーム的リアリズム」という言葉で呼びたいのは、そのような過程である。”(p181) これは、東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』の中で、『All You Need Is Kill』という小説について述べた一節への注釈だ。 この作品の主人公は、プレイヤーとして死んではまた生きかえるという、ループの時間を生きている。 新井素子の小説との手触りの差を考えるうちに、松崎有理の3つの短編にあるのは、東浩紀のいう「ゲーム的なリアリティ」なのではないかと、ふと感じたのだ。 その正体は、骨太な日常をいきているという「私」の実感の喪失、「私」という存在の希薄さなのではないかと。 “(メタ物語的な宙づりは放棄してひとつの主題を選ぶべきという強い主題を与えたこの小説には)現実の日本において、物語を語ることがいかに困難であるか、あるいは、それがたやすいがゆえにいかに無意味であるか、はっきりと自覚した作家の姿が窺える。” (『ゲーム的リアリズムの誕生』p192) 89年に大塚英志は、「物語消費論ノート」でこう記している。 ”人が<物語>を欲するのは、物語を通じて自分を取り囲む<世界>を理解するモデルだからである。“ (『定本物語消費論』p25) わたしが親しんでいた(たぶんポストモダン以前の)小説家が書く小説は、大塚のいう「世界を理解するためのモデル」として機能していた。 少なくとも、わたしにとってはそうだった。 小説の世界にひたっては、すこしだけ何かが変わり、そしてわたしは、この世界に戻ってきた。小説の世界で得られるものは、わたしが現実を生きていく上で必要な養分だった。 そんなわたしも、サイバーパンクSFが興隆した頃から、新しい小説家の作品を読まなくなっていた。そして10年代には、小説を読む時間自体が減ってきていた。 そんな中で、久しぶりに新しい、しかも同世代(72年生まれ)の松崎由理の小説を読んで、気が付いた。 同じく同世代の東浩紀(71年生まれ)の感覚は、もしかしてこれなのかと。 同世代、SFやオタク文化への親しみ、という共通点を持つ東浩紀。でも彼が提唱するポストモダニズムという感覚が、不思議と理解できなかった。 でも、世界を理解するモデルがうまく感じ取れないとしたならば。それを求めるあがきこそが、「ゲーム的リアリティ」なのではないかと感じたのだ。 ある人はそれを、モダンのさらに以前の感覚だよね、と言う。<大きな物語>を皮膚感覚として「知って」いるという点では、前近代人的なのかもしれない。 これは、あくまでも仮説。 ゆっくりと、考えてみたいところかな。 ちなみに、松崎由理の残りの3編のうち、「バスターズ・ライジング」は「やつはアル・クシガイだ」の過去を語る、背景説明的な一編で、手触りが少し異なっている。 表題作の「5つまで数える」「超耐水性日焼け止め開発の顛末」は、割と新井素子に近い読後感。2016年に刊行された短編集、「イン・ザ・ヘブン」を思わせる。 なんだかひどいことばかり書いたけれど、松崎由理の小説の背景はとても緻密。キャラクターよりも背景の描写が細かいタイプの漫画みたい。 「やつはアル・クシガイだ」なんて、なつかしのバタリアンのパロディのような一面もあり、とってもシュール。 ほかの作品も読んでみたくなる。 #うたかた読書続きを読む
投稿日:2018.11.19
スパーマル
① 動物実験が禁止された世界の話。安全な医療とは、数多くの犠牲の上に成り立っているんだということ。 ② アンチフレッパーズ、アンチ疑似科学信仰 ③ ②の前日譚 ④ 凶悪犯罪少年集団6名を搬送していた飛…行機が砂漠に墜落することによって巻き起こるドタバタ劇!(コメディとは言ってない) ⑤ いわゆる失算症の話。個人的に一番好き。続きを読む
投稿日:2018.10.05
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