【感想】物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

柿崎一郎 / 中公新書
(25件のレビュー)

総合評価:

平均 3.9
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ブクログレビュー

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  • bluebean

    bluebean

    諸外国との関係のバランスをとって上手いことやってきたというのがタイの歴史のイメージでした。本書を読んだ印象は、実際にそうだとしても、強力な政治力のもとでコントロールしたというより、状況に応じて右往左往しながらやっていたら結果そうなったというものでした。

    政局の話題がメインになっていて、なかなか物語のように読むという感じではありませんでした。それだけタイの政治状況が不安定で複雑だということでしょう。
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    投稿日:2024.01.07

  • snowman

    snowman

    この本の前にベトナムの歴史を呼んだ。
    その繋がりで東南アジアの歴史に興味を持つ。
    カンボジア、ラオス、ビルマ、そしてタイ。

    さてタイという国のことを
    今どれだけ知っているか。
    友達がよくタイに遊びに行ってる。
    日本企業の工場があるだろう。
    欧米のどこかの国の植民地だった?
    う〜ん・・・ほとんど知らないなぁ。

    読んでみての感想。
    欧米諸国の東南アジアへの介入。
    その狭間で独立を保ち
    立憲君主制の国。

    近代でも政治的クーデターがあり
    それを王様が調停する。
    日本では考えられない
    凄いこと起こってるやん。
    2000年代の出来事も
    知ってないことに愕然とする。

    言語、文化、風習の違いで
    民族が存在して、
    その違いで国という住み分けができる。
    その境で争いになる。
    強いものに従われるが
    強権的なのものでなく
    それぞれの村単位で
    どのグループに属するか決定する。
    そのグループが大きくなったり
    小さくなって大きいとこに
    吸収されたり、また別れたり。

    イギリス、フランスの植民地支配の時期に
    上手いことたち周り独立を維持して
    第二次世界大戦時には日本と同盟を
    結んだけども、敗戦国を免れる。
    戦後の冷戦時代には、民主主義を選択し
    中ソに隣接する社会主義の波を
    タイがちょうど緩衝地帯となって食い止めた。
    本の中でも触れられているように
    世渡り上手な外交を展開する。
    官僚や貴族、軍の政治的な争いも
    民衆の声を聞き王様が調停するところは
    なかなか難しいことをやってのけてる。
    日本との関係も深いタイという国の
    歴史を読み解くと当たり前だが現代に
    通じていることを感じる。
    さて次はどこへ行こうか。
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    投稿日:2023.02.21

  • 莉茶

    莉茶

    タイの歴史を大まかに知るのに適した本。
    あとがきにもあるように、著者の得意分野である道や鉄道の話がいかされているのが理解を助けてくれて大変よかった。

    投稿日:2020.06.22

  • マクラコトバ

    マクラコトバ

    このレビューはネタバレを含みます

    『物語 タイの歴史』柿崎一郎 中央公論新社 2007.9
    記録:2020.1.24

    タイ国家の勃興
    タイ族は中国南部から盗難アジア大陸部にかけて広く分布していた。
    タイ人の出自は諸説があるが、中国の揚子江以南の地であるのが一般的な説だ。
    漢民族やベトナム族の圧迫で移動してきた考えもある。
    6~7世紀ごろから本格的に移動した。

    タイ族の独特のくに「ムアン」。
    南詔王国8世紀半ば~10世紀。タイ族最初の王国とされたが実際の支配はチベット・ビルマ族のロロ族が支配していた。
    タイ族は被支配族として暮らしていたと考えられる。

    タイ領の最初の国はドゥヴァ―ラヴァティー。
    7~11世紀のモン族の国家。中心地はナコーンパトムの説が一般的。
    タイ領に関わる国家にシュリーヴィジャヤ・真臘(しんろう)・クメールなどがある。

    タイ人による最初の国はスコータイ王国(1240~1438)
    その3代目王のラームカムヘーン王が有名。
    この王を称える1292年に作られたタイ語で書かれた最古の碑文。ラームカムヘーン碑文。
    ラームカムヘーンは上座部仏教を国教とした。
    現在のタイ社会の文化の源泉。
    スコータイ朝はアユッタヤー朝の攻撃で9代で滅んだ。

    スコータイ朝を併合したアユッタヤー朝(1351~1767)
    ビルマのタウングー朝(1351~1767)に1度目の属国となる。
    属国から脱げだすのに5年かかった。独立を宣言したのは人質として連れてこられた王子のナレースアン。

    後期アユッタヤー朝が始まる。1584年
    タイの3大王はナレースアン・ラームカムヘーン・19世紀のチュラロンコーン。
    ちなみにナレースアンはムエタイの創始者。

    アユッタヤーの人口はタイ人よりも外国人が多かった。
    有能な外国人はタイの官史にも登用された。

    その代表例は日本字だと山田長政。彼は沼津藩主の駕籠をかつぐ人夫だったが、1612年に朱印船に乗ってアユッタヤーへ。
    日本人町で日本人向けの鹿皮などを買い付ける商人のビジネスで成功した。
    日本人義勇の体調にもなり、当時のソンタム王からの信頼を得る。最高の官位も獲得した。
    山田はソンタム王の死後、王位継承争いに巻き込まれて、プラーサートーンの疑心暗鬼から毒殺される。
    山田の活躍はww2前になると南進政策を正当化させるためのプロパガンダとして教科書でも扱われた。

    プラ―サートーン王にとって日本は鎖国されているので重要性は低下した。
    代わりにオランダの東インド会社と関係を深めた。
    アユッタヤーはビルマに2度目の征服を受けて今度こそ400年続いた王国は終わる。

    ラッタナコーシン朝により再び大マンダラを復活させたタイだが、ヨーロッパとの関係は冷え込んでいた。

    チュラロンコーン王。1868年のモンクット王の死去で王位を継ぐ。
    1871年にインドやシンガポールの植民地政策を見てタイの近代化の必要を痛感する。
    近代化の遂行の多くのお雇い外国人を集めた。

    日本人もいた。政尾藤吉という法律学者は刑法を担当した。
    ww1でタイは自国の存在感を示すことにした。戦勝国の仲間入りをして不平等条約を改正したかった。
    連合国側に就いて兵士をヨーロッパ戦線に送り、実際の活躍は少ないが戦勝国の座を手にした。
    このときの宣戦の際にワチラーウット王は現在の国旗を定めた。

    日本軍の進軍 1941.12.8
    マレー半島とバンコク南方から上陸してきた日本とタイ軍の戦闘がおこりタイ人183人・日本軍141人の戦死者が出た。
    12.11に日本とタイで軍事協定を結んだ。
    日本との同盟をチャンスにタイはビルマへの進軍を行う。大タイ主義の実現を目指す。

    国際交通路として日本軍はタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道を建設。1942.6から翌年10月に完成。ノーンプラーントゥック⇔タンビューザヤ 415キロ
    多くの捕虜の犠牲を出して「死の鉄道」と呼ばれる。

    日本の敗戦が決まるとタイは宣戦布告無効宣言を出した。タイが短期間で敗戦国を抜けたのは親日・新連合国の二重外交のうまさ。
    アメリカを味方につけた。

    『メナムの残照』作家トムヤンティ原作の恋愛もの。日本兵の小堀とタイ政府高官の娘アンスマリンの関係が描かれる。
    何度も映像化されている。フィクションだが背景の設定はリアル。タイで一番有名な日本人はコボリだと柿崎は感じている。

    2001年のタックシン政権。中国系タイ人。
    タイの主要輸出品の一つがエナジードリンク。レッドブルも同じ。

    先進国になりにつれて周辺国との摩擦も増える。
    2003年にはタイ人女優のアンコールワットはかつてはタイのものというデマが広がりカンボジアで大使館やホテルが襲撃を受けた。

    タイから昔の国名シャムへの国名改称論がある。
    2007年の新憲法の議論で主張が出されるようになった。賛同者はわずかしかいない。
    シャムはタイ人の文化・民族的多様性を含める言葉だが、大タイ主義を唱えるピブーンが民族名であるタイに変更した。
    シャムには中国人やマレー人・クメール人がいるのにタイが強調されて対立構造が生まれる。



    3大王のラームカムヘーン・ナレースアン・チュラロンコーン
    ラームカムヘーンはスコータイ王国の3代目。上座部仏教を国教とした。最古のタイ語の碑文では彼を称えている。
    ナレースアンはスコータイを征服したアユッタヤー朝の王。ビルマに征服されて人質となるが独立宣言を出してアユッタヤーを復活させる。
    ムエタイの創始者。アユッタヤーはビルマの2度目の征服で400年の歴史が終わる。この時代には山田長政が商人として活躍した。
    チュラロンコーンは周辺国の植民地化に刺激されて近代化を進めた。

    ww1では有利な連合国側についてヨーロッパに派兵して戦勝国の仲間入りを果たした。
    ww2でも日本の同盟となり大タイ主義の実現を目指してビルマに進軍。
    敗戦国となるが宣戦布告無効宣言でアメリカを味方につける。

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    投稿日:2020.03.26

  • miya.taisuke

    miya.taisuke

     全くタイに触れたことのない人にはハードルが高いと思うが、一定タイに住んで、タイ人と触れ合った上で読むと、周辺国への意識の背景など気づくところが多いのでは。

    投稿日:2017.12.23

  • Chocolatte

    Chocolatte

    このレビューはネタバレを含みます

    「微笑の国の真実」というサブタイトル。しかし、19世紀以降、西欧諸国が東南アジアに進出してきたあたりからの「世渡り上手な国」の実情を知ると、「ほくそ笑み」の国と呼ぶ方が相応しいように思えてくる。タイの歴史の主なポイントは次のとおり。
    1.中国の揚子江以南(四川から雲南)に出自を持つタイ族は11~12世紀頃、漢民族の居住域の拡大により南下・西進。チャオプラヤー川の流域に大ムアン(くに)を形成する。
    2.アンコール朝(クメール族)が支配していたヨム河畔のスコータイをタイ族が奪う。こうして生まれたスコータイ朝(1240年頃~1438年)は、初めて現在のタイ領をほぼ支配下に置いたマンダラ型国家となった。
    3.アユタヤ国(1351-1767年)は、アンコール国(クメール王朝)を滅ぼし(1431年)、スコータイ朝を服属させ(1438年)、アユタヤ朝(1438~1767年)となる。位階田制を整備し中央集権化に努める一方、ビルマとの間で熾烈な攻防を繰り返す。1569-84年、ビルマの属国となるが、ナレースワン王により独立を回復。
    アユタヤは港市としても繁栄し、日本人町も形成され、有能な外国人は官吏にも登用する。1612年に長崎商館を介して、朱印船で長崎から渡っ山田長政はその一人。アユタヤは1767年、コウバウン国(現ミャンマー)の攻撃を受け滅亡。
    4. コンバウン軍が退却した後タークシンは、アユタヤの再興を諦めトンブリーへ遷都。トンブリ―朝(1767~82年)を築く。バンコクを都とし、ベトナムと勢力争いを繰り返す。タークシンと同じ潮州(ちょうしゅう:広東省東部、多くの華僑を出す)系中国人商人の活動が活性化する。
    5.アユタヤ王家の血を引くラーマ1世は、アユタヤをバンコクの地に復活させようと、トンブリー朝の対岸に、現在のラッタナコーシン朝(別名チャクリー朝。1782~)を築く。
    6.19世紀には英仏による周辺諸国の植民地化という状況下で、モンクット王(ラーマ4世)は1855年にイギリスと不平等条約を強制され、王室独占貿易は崩壊。領土も「割譲」された(1909年に現在の領域が確定)。一方、タイの関税収入の増加のため代表的輸出品として位置づけたのがコメ。現在もコメの輸出量では、タイは世界1・2位である。
    7.インドシナ半島の東部(ベトナム)をフランスが、西部(ビルマ)をイギリスが植民地化。両国の衝突を避けるため1896年、両国はタイのチャオプラヤー川流域を「緩衝地帯」とした(英仏宣言)。タイは日本と並びアジアで唯一植民地にされなかった国となる。チュラロンコン王(ラーマ5世)は英仏の緩衝国として独立を維持するだけでなく、積極的に上からの近代化政策=チャクリー改革を推進し、鉄道による領域統合を進めた。
    8.第一次世界大戦が勃発すると、タイは洞ヶ峠を決め込む。戦勝国となって列強との不平等条約を改正するためである。1917年4月のアメリカ参戦により、連合国側での参戦を決める。
    9.1932年の絶対君主制から立憲君主制への革命が起きる。以後、頻繁に軍事クーデタが生じる。
    10.ピブーン首相が「大タイ主義」を掲げ、国名をシャムからタイに変更。第二次世界大戦も当初は中立を決め込み、日本と不即不離の関係を保ちながら失地回復を目論む。1942年1月に枢軸国側として連合国側に宣戦布告。しかし、宣戦布告に必要な3人の摂政の内1名が不在として、1945年8月16日に宣戦布告無効宣言を行う。
    11.米国との協調により国際社会に復帰し、米輸出により復興する。
    12.1949年の中華人民共和国の成立やベトナムの共産化の中で、反共を前面に出す。親米開発独裁政権(サリット・タノーム両政権)の下、外資導入型工業化を目指し、反共の地域協力機構ASEANを結成。これらは成功の一方で徐々に格差是正・民主化運動を活発化させてしまう。
    13.2005年の総選挙に圧勝したタックシンは、世界的なグローバル化に伴う自由化、規制緩和の潮流の中、「世界の台所」「アジアのデトロイト」などのキャッチフレーズを掲げ、国際競争力を高めようとする。しかし権威主義に起因する諸問題の発生と「売夢政策」に対する国民的不信から、2006年9月に軍によるクーデタが起き、政権が崩壊する。

    タイは「微笑の国」と呼ばれるが、東南アジアの社会では、笑いによって様々なコミュニケーションがとられている。人間関係が全てに優先するタイは、実は日本人と共通する点が多い(橘令「日本人」pp.18-32)。

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    投稿日:2017.04.29

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