【感想】ドストエフスキイの生活

小林秀雄 / 新潮社
(7件のレビュー)

総合評価:

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  • 思い描いていたイメージが崩壊

    ドストエフスキイは『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を書いたロシアの文豪。知識としては知っていても、実際に読んだことのある人はそれほど多くないのでは?

    かくいう私も、ドストエフスキイを読んだことはありません。
    なんとなく有名だし、すごい人なんだろうと思って本書を手に取りました。
    ところが、蓋をあけてびっくり。確かにすごい人ではあるのだけれど、偉い作家先生というよりは、とんでもないロクデナシだったのです。
    決して友達にはなりたくないような。
    そして、こんなに迷惑で、人でなしで、鬼畜な彼の文学が、とっても気になって読んでみたくなりました。

    もちろん、ドストエフスキイを読んだことのある人なら、より深く彼の著作を知る助けになるでしょう。
    ぜひ、小林秀雄の名前に気負わず読んでみてください。
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    投稿日:2015.03.11

ブクログレビュー

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  • izusaku

    izusaku

    このレビューはネタバレを含みます

     先日読んだ「地震と社会〈下〉(外岡秀俊著)」に本著について言及があったので図書館で借りて読んでみた。
     もう何十年前になるだろうかドストエフスキーとの関わりは「罪と罰」を読んだことくらいだ。
     1821年生まれのドストエフスキーは1850年から4年間シベリア流刑となっていたんだ。2度結婚するも生活は安定せず、自分で寄稿する雑誌の発行もうまくいかず、一方、ルーレット(ドイツのバーデンで)で持ち金を擦ってしまい妻や親戚、知人に金を無心する日々が続く。
     そんなかで世界的な名著を書き上げるところがすごい。本著には「「罪と罰」について I・II」という論文が収められている。「罪と罰」は主人公ラスコオリニコフの内面をはじめ登場人物の内面が天才的な構成力で書き上げられているという。
     ドストエフスキーの著作活動は主に40歳頃から亡くなる60歳(1881年)までの20年ほどとしても安定した著作期間の短さに驚く。あらためてドストエフスキーのすごさを感じることができた。また「罪と罰」を読みたくなる一冊だ。

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    投稿日:2023.11.09

  • saihou 55

    saihou 55

    剣道で何回打ち込んでも軽く否され、鮮やかな一本を返される、そんな心境だ。この本を読んだのが3回目か4回目、正確には何度目か覚えていない。いつも、ドフトエスキーが新婚旅行で癲癇を起こしながら借金に追われて博打に狂う場面で「そうだそうだ、こんな酷い無茶苦茶な奴だったんだドフトエスキーは」と前に読んだことを思い出す。回を重ねる毎に彼の小説を書くことへの拘りと創作の経緯が伝わってくる。初めの頃は、何が何だかわからず、遠くて寒いロシアの活劇でも見させられているような気持ちになり、途中で読むのをやめた覚えがある。彼の人生の振幅の激しさと小林の難しい解説に自分の思考力と気持ちがついていけず否された、そして読み続けることを諦めた、そんなことが何度かあった。今回はじっくり読んでドフトエスキーの根暗で弱い生き様と強靭な創作への意志に少しの納得と親しみが湧いてきた。読む度に評論家小林を経た小説家ドフトエスキーへの理解が深まっているような気がする。その間いろいろなものを読んできた自分の眼が本物の評論家が描く文章や表現により不世出の作家の本質に迫り共感できるようになってきたと思いたい。ドフトエスキーの創造欲の核心発掘に‥‥。監獄や流刑地での恐怖と焦燥・諦念・苦悩、借金と賭博そして癲癇と恋愛、濃密な描写の分析が正鵠を得ている、表現も無駄なく視点や切り口が斬新で創り上げる世界の凄さには息をのむ、相変わらずだ。偉大な小説家に評論で戦いを挑む捨て身の覚悟が滲む、評論というのはこれ程迫力のあるものか。ドフトエスキーの人生の軌跡を辿りそこに仮託して己れの透徹した思考で生きることの意味を究明する、それを読者に焼き付けていく、流石に小林秀雄である。
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    投稿日:2023.02.04

  • いりちゃん

    いりちゃん

    狷介極まりない批評家と対峙すると、読者も鎧を着てしまうものだ。そんな先入観の中、ドストエフスキイというこれも一筋縄ではいかないロシアの文豪の歴史を紐解いた当該作品は、より本質を掴もうとする批評家、小林秀雄の姿勢が感じられ感銘を受けた。ドストエフスキイの作品は2〜3作読みもしたが、このような評伝に接っしたことがなかった。賭博、癇癪、宿痾の病癲癇、投獄とシベリア流刑、子供の死、借金とその凄まじい人生に驚き、かつロシアの民衆(ナロード)を愛したドストエフスキイの姿が素晴らしいものと思えた。続きを読む

    投稿日:2022.10.27

  • ヤマタニ

    ヤマタニ

    頭でこねくり回された観念を嫌い、体に染みついた「手癖」にこそ本質を読み取ろうとする小林秀雄の論理はここでも健在。しかしドストエフスキーを自分のものにするのは私にとってはまだまだ先の仕事だと痛感した。

    投稿日:2022.04.24

  • yoshidamasakazu

    yoshidamasakazu

    小林秀雄 「 ドストエフスキイの生活 」 人物評価的な略伝のカテゴリーに入ると思う


    著者のドストエフスキー像は逆説的な表現が多い
    *人間は作品の原因なのでない〜むしろ、人間は作品の結果なのである
    *事件は彼にふりかかったのでなく、彼の運命が事件を希望したのである



    キーワードは、生活、病者の光学、パウロの回心


    「本居宣長」など他の作品とは方法論が異なるように思う


    生活者は 労働(芸術)のために生きている人とのこと。小林秀雄は、労働を奪われたら生きていけない人を生活者と呼び、ドストエフスキーを生活者とみている


    病者の光学とは、死から復活した人間として対象を捉えること。小林秀雄のドストエフスキーを見る病者の光学としての目線は、本居宣長になって宣長の目で見ようとする小林秀雄の態度とは方法論が異なる


    回心や復活を、プネウマティコン(神から人に吹く作用)という言葉で捉えている。「罪と罰」を ラスコーリニコフ(=罪を犯す資格を失っている人間)が、プラウマティコンにより、ムイシュキンとして復活する物語としている










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    投稿日:2022.01.19

  • purasupero

    purasupero

    非常に中身の濃い作品であるため、まず一読するのに一苦労した。しかしこれでも文章に無駄はなく、何回も繰り返し読むことでさらに理解が変わっていくのだろう。

    一番印象に残った部分を引用すると、
    「精神というものは、まことに柔軟で不安定なものであるから、環境の変化を非常に鋭敏に反映する。そういう受け身な精神の反映と、精神の自発的な表現とは、全く性質が違うものなのであるが、両者はいつも混同されがちです。わが国でも、戦後社会の模様が急変して、戦後の物の考え方だとか、戦後の人間のタイプだとか、文学だとかという言葉が濫用されるが、そういうものは、確かに戦前に見られなかった姿ではあろうが、その大部分は、周囲の色に芸もなく染まった精神の色合いに過ぎず、精神の自発的な努力による新しい表現はおそらくきわめて少ないのである。そういうことに注意する人も又極めて少ない。」(小林秀雄「ドストエフキイの生活」p.521-522 新潮文庫 1964年)


    時代だとか、そういった要素に精神をあてはめる安易な考え方を、無駄のない文章でバッサリ切っている。
    なぜこの考え方をするのか?自発的な問いを常にしていかなければならない。時代様相であったり、そういったものを隠れ蓑にせずに。
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    投稿日:2016.03.15

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