【感想】復興の道なかばで――阪神淡路大震災一年の記録

中井久夫 / みすず書房
(5件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • ☆ベルガモット☆

    ☆ベルガモット☆

    覚書
    職務中に被災して勤務続けた者をもっともリスク高い者として交代休息
    ほっと一息ついたときも心臓の危機 過労の直後に休むときが最も危ない 徐々に力を抜くべき
    高齢者とともに被災救援者もハイリスク
    害に弱かったのはアルコール症と薬物嗜癖
    記憶は楽しい6割、悲しい1割、どちらでもない3割という比率で整理されるのが健康の条件
    被災地周辺は被災地の負担を肩代わりせざるを得ない
    米国では精神科の部長は患者をみずにスタッフの精神衛生をかんがえておればいい
    情報は時遅れになる 補完するのは想像力

    第一段階 とにかくそばにいてくれること
    第二段階 体験のわかちあい
    第三段階 生活再建
    被災していない元気な人達が「いること」「いてくれること」
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    投稿日:2016.06.30

  • 有坂汀

    有坂汀

    阪神大震災から1年。だが、あれから避難所で生活していた人たちは、ボランティアはどうなったのだろう。被災民への補償は、今後の地震対策は、町の復興は?ひとりの精神科医が見つめ続けた神戸の記録です。

    の本は精神科医の見た阪神・淡路大震災から一年後の神戸市の様子を記録したものです。残念ながら、読み物として読んだときには前に読んだ『災害が本当におそった時』の方が印象に強く残っているかも知れません。

    それでも、あれだけの惨禍から蘇った神戸市の立ち直っていく過程には、色々と学ぶべきことは多いと思い、ここに紹介します。震災後には、心に傷をおった人や、もともと酒を飲む人がさらに酒を飲んだりして、アルコール依存症の人が増えた、もしくはまったく酒を飲まなくなった、という話しは印象深く残っています。

    阪神・淡路大震災からもうかなりの長い月日が経ったとは思うんですけれど、今回こうしてまた災害が起こってしまったことには本当に悲痛です。この本を読んだことで何がどう解決するのか?また、自分の中で何が変わったのか?それとも、何も変わらなかったのか?あてどもない疑問を延々と繰り返しながら、こんな、愚にもつかないことを書いています。この本の感想はいうまでもなく、それぞれが感じてくれれば…。そんなことを考えています。
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    投稿日:2012.01.25

  • むらごん

    むらごん

    精神科医である中井久夫氏著の「復興の道なかばで―阪神淡路大震災一年の記録」(みすず書房)を読みました。阪神淡路大震災において、心のケアに携わった精神科医がみた被災地の記録です。

    本書は阪神淡路大震災からの1年間の節目ごとに書かれた中井久夫氏の記録(エッセイ)をまとめたものです。それぞれ掲載先が違うことから、内容がダブル部分もありますが複数出てくる内容は重要なことだと言えると思います。

    現在進行形である東日本大震災における被災地で直面しつつある問題について経過時期ごとに参考になる内容であり、是非被災地で共有して欲しいと思いました。

    http://muragon.boo.jp/blog1/2011/06/19_2215.html
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    投稿日:2011.09.26

  • あすこま

    あすこま

    「世の初めから隠されていること」という、タイトルがとても印象的な本がある。残念ながら僕にはその内容はやや難解すぎて「読めた」とは言えない本なのだが、たしかに僕たちの生きている世界には、注意深く「隠されていること」が多くあり、その「隠されている」こと自体が「暴力」なのだろう。そんなことを示唆するタイトルだ。

    中井久夫「復興の道なかばで」は、その言葉を思い起こさせる本だった。これは、阪神淡路大震災(1995年1月)後の一年の記録をまとめた「昨日のごとく」(1996年9月刊)から複数のエッセイを抄録した本である。阪神淡路大震災の後、一年を経て、どれだけ当時の僕が神戸のことを忘れ、「自分の目に見えない場所」に隠そうとしていたか、この本を読むと痛感させられる。

    個人的なことを言えば、ちょうどあの時の僕は、東京に住む高校生だった。地震の翌日は刻一刻と死者数が増えて行くテレビのテロップを息を殺す思いで見て、その後も新聞記事にも注意深く目を通し、自分に何ができるかを考えていたが、次第にその関心は薄れていった。ちょうどオウム真理教の地下鉄サリン事件という、地震以上に「劇的な」事件が起きたせいもある。少なくとも東京圏の人々の関心は、僕と似たようなものだったのではないか。

    その「関心が薄れて行った後」の神戸で、何が起きていたのか。精神科医という筆者の視点から書かれているのが本書である。さすがに名文家として知られる筆者によるものであり、文章は読みやすく、かつ情緒にも流れていない。震災直後から数カ月の期間での人々の心の動きが、丁寧に描かれている。それだけに、それらの出来事がまるで「ニュース」にならず、当時の僕の関心も惹かなかった点に衝撃を覚える。


    思えば2011年3月の北関東・東北大震災とその後の原発問題ほど、僕に次のようなことを強く意識させる出来事はなかった。僕たちの社会は、少なくとも僕は、自分に都合の悪い/居心地の悪い問題を、遠い場所にいる他者に押しつけ、注意深く目につかないようにして成り立っている、と。恥ずかしながら、原発の東京と福島の不均衡な関係は、日々その電力を使っている僕にはまるで意識されていなかった。

    おそらく僕だけでなく、東京の多くの人にとって、福島とはそういう他者なのではないか、とも思う。今や震災当初の衝撃と問題意識が薄れつつあり、放射能も含めて全て「なかったこと」にして、これまでどおりの快適で不安のない生活を維持したい。大義名分はいくらでもある――そんな意識が、少なくとも僕個人の中では芽生えつつあるのを感じる。あなたはどうだろう。

    おそらく、阪神淡路大震災の時も、次第に当事者を除いた世間の関心は薄れていったのだろう。。この本の元となった「昨日のごとく」は阪神淡路大震災後一年を経て刊行されたものの「ほとんどと言ってよいくらい捌けなかった」そうであり、そのような事情が書かれた「あとがき」には、あわせて筆者の次のような言葉が書かれていた。


    「「震災後」というものがありうるのか。ありうるとしてもかなり先であり…震災後といえないまま、そのうち、日々の暮らしのほうが優先されて、なしくずみに元の木阿彌に近づく時期がくるのかもしれない。」(p170)


    それは「仕方ないこと」なのだろうか。確実に言えることは、僕たちがそういう言葉で自分を「納得」させ「満足」させている裏で、それによって「なかったことにされている現実の苦しみ」「目を背けられている被害」があることは間違いない、ということだ。
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    投稿日:2011.07.06

  • nakaizawa

    nakaizawa

    【東日本大震災関連・その⑤】
    (2011.05.28読了)(2011.05.25借入)
    東日本大震災に関する新聞記事や本を読んでいて、中井久夫という精神科医が何度か眼にとまりました。図書館からの便りでこの本を知りましたので早速予約して、読んでみました。
    阪神淡路大震災の時の精神科医の統括責任者を務めた著者による震災地の1年間の記録です。1996年4月刊の『昨日のごとく―災厄の年の記録』から中井久夫さんの文章9編を抜き出して再編集したものが主になっているということです。
    地震で倒壊した家屋の下敷きになり圧死したか、火災での焼死が多かったであろう阪神淡路大震災と津波による溺死が大部分であろう東日本大震災では、あまり同じようには論じられないだろう、とか。
    比較的狭い範囲の被災の阪神淡路大震災と岩手、宮城、福島、と広域にわたる東日本大震災、では、参考になることはあまりないのではないか、と思いつつ読みました。
    予想に反して、被災後の経過は同じような局面が多いように思われた。

    ●被災の時間帯(11頁)
    人々はまず自分の、ついで家族の安全を確かめ、次いで職場とその人々の安否に及ぶのが順序である。神戸の場合、大多数の人は家族の安否を確かめる必要がなかった。家族と共にいたからである。青年・壮年の人々が在宅していたことは大きな幸運であった。生き埋めの人の多くは隣人によって掘り出されたからである。昼間、その人たちが出勤して、自宅にいるのが老人、主婦、学齢期以下の子供だけであれば、助からない人はもっと多かったに違いない。
    (東日本大震災は、平日の昼で、家族はバラバラの状態だった。)
    ●官と民(33頁)
    給水車が遠くの水を運んでくるのは「官」でなくてはかなわない。しかし、給水車が一軒一軒に水を配ることはありえない。配るのはボランティアである。現地の人間がやればいいではないかという声があった。しかし、被災者は多かれ少なかれ傷ついていた。
    ●情報(35頁)
    「何が必要か」「何に困っているか」「情報送れ、それをもとに考える」という通信は電話でもファックスでも盛んに入ってきた。しかし、問題は日々あるいは刻々変わる。その間に自然に解消してしまう問題もあれば、形が変わる問題もあり、及ばずながら現地の人間が解決した、あるいはしつつある問題もある。情報は必ず時遅れなのである。情報はイマジネーションがなければ意味をなさない。
    ●最初の三日(36頁)
    病棟医と研修医たちは最初の三日間、食糧の補給がおにぎり一個という程度の状態でがんばったのである。
    (東日本大震災でも、電気が復旧し、給水車が来て水が使えるようになるまでは、一食、おにぎり一個かパン一個で過ごすしかなかった。おかげでお腹が引っ込んだけど。)
    ●災害精神医学の間に合わせ(39頁)
    一般に危機の場合、手持ちの知識を総動員してことに当たるほかない。私は戦争精神医学と捕虜精神医学との若い日の読書と、さらに若い時期の三冊の戦争記録(大岡昇平『レイテ戦記』、吉田満『戦艦大和ノ最後』、それに高木俊朗『インパール』)の記憶という古いものに依拠して日々を切り抜けた。
    ●被災地の大学病院精神科責任者へ(43頁)
    責任者は、年齢を考え、代替が得難いことを念頭に置いて、体力の温存を図るべきであり、余裕を持って休養するべきである。また、皆がバタバタ倒れて行くような、よほどの土壇場にならない限り、特に目覚ましいような仕事はないと思っておく方がよい。要するに、責任者のすることは、何事であっても責任を取る覚悟があればよく、あとはむしろ、「隙間産業」「半端仕事」が本来の分担である。私の場合、初期には朝から晩まで電話番、ファックス番であった。
    ●一息つくと(49頁)
    限度を越せば働いている最中にも人は死ぬ。しかし、その他に、ほっと一息ついたときも心臓の危機である。仮設住宅での孤独死は、いざ入居して一息ついた人を襲う心臓死であろう。
    ●三日頑張れ(55頁)
    一般救急は最初の三日間に集中的なニーズがある。最初の三日間は来援なしで、補給すらなくても、とにかく現地が頑張らなければならない期間である。
    ●食糧補給(61頁)
    交代のない現地職員には潤沢な食糧補給が士気の維持に当たって不可欠であり、インスタント食品で士気を維持できる期間はせいぜい二週間である。
    ●戦闘消耗(79頁)
    ベテラン下士官などが、馬鹿馬鹿しい、どうでもなれ、と銃を捨てて寝そべってしまう現象である。これを防ぐために、ナチス・ドイツは末期まで三週間ごとに休暇を与え、ベトナムの米軍はヘリコプターでサイゴンに兵士を送り返していたのである。
    ●PTSD(84頁)
    米国でPTSDが最初に注目されたのはベトナム帰還兵症候群としてであった。特に残虐行為のシーンが何度も何度も繰り返して夢にも白昼夢としても現れるという苦しみがあった。

    ☆関連図書(既読)
    「喪の途上にて」野田正彰著、岩波書店、1992.01.24
    「わが街」野田正彰著、文芸春秋、1996.07.20
    「トラウマの心理学」小西聖子著、NHK人間講座、2000.10.01
    (2011年6月1日・記)
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    投稿日:2011.05.30

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