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山本周五郎 / 新潮社 (14件のレビュー)
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もがき苦しみ、それでいて、あまりにも悲しい結末
久しぶりに山本周五郎を読みました。 静かに染渡るような感慨が広がります。芸の道を究めるためにただひたすらに打ち込み、それがゆえに体と心を病む主人公の冲也。一芸を確立するとは、これほどまでに全てを擲た…ねばならないのか?彼を献身的に支えるおけい。こんな無償の献身がありうるのか?貧困にまた、旧弊な武家制度に苦しむ市井の人々。あまりにもあまりにも悲しい結末。 それでいて、ほのかに暖かな読後感を感じるのは、作者の人生観が底流に広がるからでしょうか。自然・季節の移ろい、登場人物の細やかな感情の動きが見事に描かれており、その情景の中にいつの間にか浸っている自分に気がつきます。続きを読む
投稿日:2014.04.27
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タカギ
最後まで読むことに苦痛を感じるほど。 でも、読後感は悪くない。 芸術を生み出す人間でなくて良かったという思いです。
投稿日:2022.09.12
Στέφανος
著者:山本周五郎(1903-1967、大月市、小説家) 解説:奥野健男(1926-1997、東京、文芸評論家)
投稿日:2018.10.28
gendern
転げ落ちるような転落。才能があるがゆえに、その才によって名もない芸術家の命は人に知られることもなく静かに消えていった。沖也の最後がなんとも印象的で、読後はなんとも言えない灰色の寂寥感にとらわれずにはい…られなかった。こんな風に歴史の表舞台には上がらずとも、苦しんでのたうちまわって自らの内にある美を追い求めて死んでいった幾多の名もない求道者がいるのだろうか。平々凡々な才能のない自分も、それはそれで人並みの幸せを噛みしめるぐらいにはよかったのかもしれない、などと感じ入る。続きを読む
投稿日:2015.03.05
furuwo
「人間の真価は、その人が死んだとき、なにを為したかで決まるのではなく、彼が生きていたとき、なにを為そうとしたか−である」と言うのが、作者の人生観だそうだが、まさにそれを現した作品であると思った。
投稿日:2014.11.12
daisuket
これは辛い小説だなぁ。 主人公の中藤冲也は武士の身分を捨て、浄瑠璃という芸の世界に生きることを選ぶ。 彼の作る端唄は独特の節まわしを持ち江戸のみならず、遠国でも持て囃されるような才能の持ち主であっ…たが、それに奢ることなく冲也節という新たな芸術の完成だけに専念する。 これと決めた道に突き進む人生。成し遂げるべき仕事を見定めた覚悟。すさまじい気迫で生きる男の生きざまを描いたお話。です。 非常に辛く、あまりに辛いんだけど引き込まれる話だった。 この強烈な読後感はどこから来るんだろう。 結論から言ってしまえば、このお話はハッピーエンドの物語ではない。苦労の末に念願の冲也節を打ちたて、努力は報われるという話ではない。 かと言ってただひたすらに報われない悲惨な話というわけでももちろんない。 報われないのは確かに報われないんだ。 上下巻で約800ページもの間、なぜこんなに厳しい人生を描くことができるんだと、特に下巻では徐々に壊れていく冲也を見ていくのが辛くなってくる。 ただ、じゃあ彼の人生は失敗だったのかというと、そうじゃないんだろう。 もちろん客観的に芸術家として成功者かといえばそれは誰の目にも明らかに失敗者なのだけど、でもじゃあ彼が仮にそれを知ったからといって違う道を選ぶかと言ったら違うだろう。例え知った上で生き直しをしたところで、同じ道を選ぶんだろう。 冲也は後悔していない。その意味で彼の人生は報われなかった訳ではない。 むしろ、人生において「報われない」とはなんだろう。 人間の真価はなにを為したかではなく、何を為そうとしたかだ、という紹介の言葉もあるけれど、 だとしたら明らかに何かを為そうとした彼は、「彼自身によって報いる」という生き方だったんだろう。 そういうメッセージは確かに受け取る。 それはすごくカッコイイことだ。 そんな風に生きれたらいいなとも思う。 けどやっぱりそれ以上に辛さが来る。 がんばっても報われないのはやっぱりキツいだろ、とか 自分のしたことを人に認めてもらいたいとか、 はっきりした成果じゃなくてもせめて光明は見失いたくないとか、 光明さえも見失うとしたらいったい何が間違っていたのか、とか。 そう、一体何を間違っていたんだろう。 冲也はどうしたら成功できたのか。 成功とは言わずともあれほどまでに辛い生き様を辿らずに済む方法はあったのではないか。 そもそものところ自分の才能というものを見誤ったのか。 自分の力でできることを見据え、その範囲でできることを見据え、せめてそうしてから動くべきだったのか。 自分の端唄を嫌悪することなく、その実を見つめることからスタートすればまだ違ったのか。 それとも、どんな才能があろうとも、自分一人の力というものに拘りすぎたのか。 何かを為すには誰も独りの力ではできない。 才能や技術といった面だけでなく、人間関係、経済など様々なものに関わりを持たねばならなくて、そこを割り切ったり謙虚に受け止められなかったのがいけないのか。 などと、どうしていれば良かったのか、とついつい考えてしまうのだけど、 そんなことに大した意味はないんだろう。きっと彼はどうしたって同じように生きたんだろう、と。そういう部分が読者にとっては辛いし、もどかしい。そしてそうでありながら同時に憧れもすれば、自分の生活を顧みざるをえないような気持ちになる部分でもある。 と、そんな風に冲也の超人的な意思の強さに息苦しさだけでなく、引き込まれるものを感じるのは、彼に寄り添い彼を見守るおけいさんの力でしょう。 作中、冲也に対して唯一無二の理解を示し、彼に通じる特別な人物として描かれているが、彼女はその一方で読者に通じた姿でもあり、読者の気持ちを代弁してくれる存在でもある。彼女が思い遣る視線や立ち居振る舞いがあるからこそ、一層冲也の生き方が辛さにおいて引き立つ。理解者でありながら、常識的で温かい感情の目線を与えることで、一層その厳しい生き様は侵しがたく魅力的なものになる。 読者の仮の姿であるからこそ、知人たちにいくら訝られても恋仲にはなりえないし、冲也の死後に後追いをしたりもしない。終わりの独白の置いてけぼり感というか呆然とした感じはまさに読者の気持ちに近いでしょう。 さて、この小説は周五郎の長編の中でも大きな作品で、「樅ノ木は残った」「ながい坂」と並んで3大長編とされる作品です。ながい坂を読んだ時も大きな衝撃を受けて、これは最高傑作だな、と感じたんですが、この作品はまた違った大きな衝撃を受けました。この読後感は忘れられそうにないですね。 きっと樅の木もまた別の衝撃を与えてくれるんでしょう。今から楽しみです。続きを読む
投稿日:2014.10.06
sinclairs
このレビューはネタバレを含みます
主人公中藤冲也は、結局新しい浄瑠璃を仕上げる、という大望を果たせず、気力を使い切り、世を去る。 冲也は失敗したのか、その人生は無意味だったのか、 果たして、世に名を残すことが人生の意味なのか。 そうではない。冲也は生きることを全うした。 そして、その価値は誰にも分からない。自分にしか分からない。 作中では、それをおけいというもう一人の自分の目線から語っている。 人生とはそういうもの。
投稿日:2013.04.15
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