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ディーン・カーナゼス / ディスカヴァー・トゥエンティワン (21件のレビュー)
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総合評価:
okadata
2
199Kmを走った後子供とジェットコースターに乗る男は翌日7時45分に出勤する
世界一有名なウルトラマラソンランナーのディーン・カーナゼスの自伝。高校時代にクロスカントリーをやっていたディーンだがコーチの引退もありトラック競技のチームに入った所コーチの方針と合わずやめてしまいその…後15年間は一切走るのをやめてしまった。そして高校大学は遊び歩いていたが妹の事故死をきっかけに学業に励むようになる。その後高校時代の彼女と結婚し会社では順調に出世し30才の誕生日を迎えた日のことだった。これまで仕事に明け暮れたのがふいにばからしくなり無駄に時間を過ごしていたように感じた。その夜友人達と集まり妻のジュリーが先に帰った後、初対面の若い女性と浮気しそうになる。 どこでスイッチが入ったのかは読んでいてもよく分からない。しかし、ディーンは会場を抜け出し家に戻るとベッドにはもぐり込まず、仕事のために自分のやりたいことを我慢することをやめると決めた。そして、シャツとトランクスだけになってすねまで有るビジネスソックスを折り曲げ、スニーカーをはいてそのまま走り出した。そしてそのまま7時間かけて30マイル(48km)を走った。 ディーンが普通の市民ランナーからウルトラマラソンにのめり込むきっかけになったのは坂道を自分ではいいペースで走っていると思っていたのにバックパックを背負った2人組の軍人に追い抜かされ、折り返した彼らとすれ違い、さらにもう一度追いつかれたときのことだった。二人は坂の上でいきなり腕立て伏せを始めた。ウエスタンステーツ100という耐久マラソンに出るトレーニングをしていたのだ。このレースは元々山岳長距離競馬だったのが1974年レース直前に愛馬が故障したゴーディー・アインスレーと言う男が馬なしで参加したことに始まる。23時間42分後彼は100マイルを完走ししかも最下位ではなかった。(今では15時間を切るレコードが出ている)場所はサンフランシスコからレイク・タホに向かうR80に沿った山の中をスコー・バレーというオリンピック会場になったスキー場からスタートしシェラネバダ山脈の西、オーバーンまでを24時間以内を目指しノンストップで走る。スタート地点が1899mで朝5時スタートで2時間後には最高点2656mまで登り(気温3℃)雪道で何人もが転んでいる。初めての挑戦のため靴下をぬらさない工夫も知らずあっという間に足が豆だらけになった。治療はメスで切り速乾ボンドとダクトテープで固めるだけで走り続ける。 76km地点のチェックポイントを出たのが15時半で気温は38℃、高度は1200mそこそこまで下がっている。このレースの累積高度は11400m普通は登山というべきだろう。日が沈むのが夜の8時半で75マイル地点でとうとうディーンをこの世界に巻き込んだ2人組に追いつく。足の治療をしようと見ると親指の爪が剥がれていた。次の10マイルでは夜盲症になり見えなくなる。エイドステーションでどうやって走り続けようかとしているうちにちょっと食べたら目が復活し何とか走り続ける。94マイルの最後のチェックポイントを出て1マイルほどで道を踏み外し、窪地に落下ししかも道を間違えて1マイルほど余分に走る。ぼろぼろの体力では1マイルのロスと崖を登るのはつらい。残り1マイル地点までの坂道を上りそこで待っていた父親にあった所でついに立ち上がれなくなる。「息子よもし走れないのなら歩きなさい。歩けないなら這ってでも進め。やるべきことをやりなさい。前に進むんだ。決して諦めるな。」一度は這って、そしてついに立ち上がりゴールにたどりつく。21時間1分14秒は初参加としては立派な15位だった。 この耐久レースがかわいく見えるレースにディーンは次々挑む。翌年はデスバレーを横断するバッドウォーター・ウルトラマラソン。辰場最高気温50℃を超えるデスバレーを135マイル走る。ランニングシューズは1時間もしないうちに底が溶けた。初年度は17マイル地点のガソリンスタンドでバッドウォーターを飲んでしまい、30マイルで脱水症状が始まる。そして72マイルで倒れリタイアした。ディーンは翌年は完走し03、04年と連覇している。 2002年には南極点マラソンに挑戦しランニングシューズで走った。ゴールまで9時間18分。翌日にはついでに世界で初めて全裸で世界一周(南極点のポールの周りを回る)もした。 2000年からは199マイルを通常は12人が各3区を走るレースに出ている。金曜の午後仕事を終えてから46時間走り通し、その上で子供達に付き合ってジェットコースターに乗る。 どこまで行けるか知りたいから走る。ランニングは、僕が最も得意なことで世の中に恩返しする方法だから、僕は走るのだ。だと続きを読む
投稿日:2014.03.04
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nobita
スタートラインに立つことは偉業だと思う。ゴールした時には別人になっているだろう。
ランニングファンならモチベーションアップとなる名言を発見できます。
投稿日:2014.01.08
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gratius2018
320kmをノンストップで走ったディーン・カーナゼスの著書。 普通に仕事もしているのがすごい。 足で走ろうと思うな、ハートで走れ!
投稿日:2019.03.05
tsukasa26
もう一つの人生 ミッション 気持ちが良かったのか…じゃあ、君の頑張りが足りなかったということだ。本当に頑張ったのなら、死ぬほど苦しいはずだから 人間の体には限界があるが、精神には無限の可能性がある …クロカン サーフィン ギリシャ ウーゾ なんてこった。僕はやっと生まれてきたばかりだと自分のことを思っていた。それなのにもう30歳だなんて。今まで何をやってきたんだ。 死ぬために登ったんじゃない、生きるために登ったんだ ウエスタンステーツ100耐久ラン フルマラソンは子供の遊びに過ぎない ランニングというよりはサバイバル 自己の可能性を追求する為の挑戦 近代社会で人類は望むものを全て手にいれたが、それでもまだ満たされていない DNF クーガー=ピューマ ネイティブアメリカン 痛みは、体が弱さを取り除こうとする方法なのさ きっと僕は苦痛が好きなんだ 陸軍の兵隊 高波はクリアした。あとは地獄だ。夜盲症 ほとんどの夢はゆっくりと消え去る。夢は果てしない可能性を秘めて情熱的に生まれるが、やがてその情熱は衰え、生まれた時と同じモチベーションを保ち続けるのは難しい。僕の夢が死にかけている。諦めたくはないが、追い求めるにはあまりに無力だ。 ローリングストーンズ 鞭が襲い掛かる ブラウニー エスプレッソのコーヒー豆 カフェインと糖分が効果を現し、軽い電気ショックのように僕に雷が走った 未知の領域 このトレイルに終わりがあるのだろうか? ついには地球の果てまで行って、奈落の底に落ちてしまうのではないだろうか? 小さな吸血生物 僕は痛みを求め、痛みを追いかけた。痛みは体の細胞の全てから発生するようだったが、形勢は逆転した。痛みよ、さあかかってこい! 順位はどうでも良かったが、情熱が向上心に火を付け、さらなる高みを望んだ。 バッドウォーター216 僕の頑固さは、妹のペリーを失ったことが原因だ。あの日から一分たりとも人生を無駄にしたくなかった。人生にはセカンドチャンスというものはない、本当にいつ死ぬか分からないからだ。僕は失敗することに耐えられなかったし、失敗して時間を無駄にしたくなかった。 自分が、一生、勝利と敗北を知らない、臆病で小さな魂の持ち主とは違うということを知っている。 セオドア・ルーズベルト 安静時の心拍数はランス・アームストロングと同じ30台にまで落ちた。 エンデュランス=耐久 自分の限界まで走ることは、自己再生をするチャンス 常に極限が試される何かを探し続けている 自分をそんなに苦しめるなんて正気でないと、誰もが思う。でも僕らはどこかの時点で、快適さと幸福を取り違えてしまったように僕には思える。僕は、実はその正反対なのだと信じ始めていた。「苦痛は意識の唯一の起源である」ドストエフスキーの言葉は正しい。苦痛が始まると、感覚が研ぎ澄まされる。苦しみにこそ、幸福に至る秘密が隠されているのだ。 人間にとって自然な状況は戦争にある 苦痛は僕が選択した武器だった 天国に行く前には、いったん地獄に行かなければならない 崩壊と至福のサイクル 3番目の突然変異の感情続きを読む
投稿日:2017.07.18
Hoidon
仕事はエグゼクティブ、家庭も円満、その上イケメンというところが鼻に付くが、やはり凄い。 カバーヨ・ブランコのように、厭世的な暮らしをしながら野山を駆け回る人間に憧れる私であるが、やはり凄い。 文中…のウエスタンステイツ100や、バッドウォーター・ウルトラマラソンを読むと、アイアンマンも「ちゃちい」モノに見えてしまい、増してやサドル一つで¥15,000もしたりする自転車とも相まって、益々トライアスロンに対するモチベーションは下がってしまうのであった… 追伸 「ならば、マテリアルには拘らずに、その辺のバーゲン品で済ませれば良いのでは!?」 とも言われそうだが、結局は¥15,000のサドルをポチる不甲斐なさで更に落ち込む日々でもある。続きを読む
投稿日:2017.06.24
hagechou
最近読んだなかで一番面白いリアル物語。走ることへの情熱が素晴らしい。ぼくも走る、理由はまたぼくも、またあるのだろうけど、いまはここから。ウルトラマラソンとりあえずでてみたくなった。
投稿日:2014.08.06
世界一有名なウルトラマラソンランナーのディーン・カーナゼスの自伝。高校時代にクロスカントリーをやっていたディーンだがコーチの引退もありトラック競技のチームに入った所コーチの方針と合わずやめてしまいその…後15年間は一切走るのをやめてしまった。そして高校大学は遊び歩いていたが妹の事故死をきっかけに学業に励むようになる。その後高校時代の彼女と結婚し会社では順調に出世し30才の誕生日を迎えた日のことだった。これまで仕事に明け暮れたのがふいにばからしくなり無駄に時間を過ごしていたように感じた。その夜友人達と集まり妻のジュリーが先に帰った後、初対面の若い女性と浮気しそうになる。 どこでスイッチが入ったのかは読んでいてもよく分からない。しかし、ディーンは会場を抜け出し家に戻るとベッドにはもぐり込まず、仕事のために自分のやりたいことを我慢することをやめると決めた。そして、シャツとトランクスだけになってすねまで有るビジネスソックスを折り曲げ、スニーカーをはいてそのまま走り出した。そしてそのまま7時間かけて30マイル(48km)を走った。 ディーンが普通の市民ランナーからウルトラマラソンにのめり込むきっかけになったのは坂道を自分ではいいペースで走っていると思っていたのにバックパックを背負った2人組の軍人に追い抜かされ、折り返した彼らとすれ違い、さらにもう一度追いつかれたときのことだった。二人は坂の上でいきなり腕立て伏せを始めた。ウエスタンステーツ100という耐久マラソンに出るトレーニングをしていたのだ。このレースは元々山岳長距離競馬だったのが1974年レース直前に愛馬が故障したゴーディー・アインスレーと言う男が馬なしで参加したことに始まる。23時間42分後彼は100マイルを完走ししかも最下位ではなかった。(今では15時間を切るレコードが出ている)場所はサンフランシスコからレイク・タホに向かうR80に沿った山の中をスコー・バレーというオリンピック会場になったスキー場からスタートしシェラネバダ山脈の西、オーバーンまでを24時間以内を目指しノンストップで走る。スタート地点が1899mで朝5時スタートで2時間後には最高点2656mまで登り(気温3℃)雪道で何人もが転んでいる。初めての挑戦のため靴下をぬらさない工夫も知らずあっという間に足が豆だらけになった。治療はメスで切り速乾ボンドとダクトテープで固めるだけで走り続ける。 76km地点のチェックポイントを出たのが15時半で気温は38℃、高度は1200mそこそこまで下がっている。このレースの累積高度は11400m普通は登山というべきだろう。日が沈むのが夜の8時半で75マイル地点でとうとうディーンをこの世界に巻き込んだ2人組に追いつく。足の治療をしようと見ると親指の爪が剥がれていた。次の10マイルでは夜盲症になり見えなくなる。エイドステーションでどうやって走り続けようかとしているうちにちょっと食べたら目が復活し何とか走り続ける。94マイルの最後のチェックポイントを出て1マイルほどで道を踏み外し、窪地に落下ししかも道を間違えて1マイルほど余分に走る。ぼろぼろの体力では1マイルのロスと崖を登るのはつらい。残り1マイル地点までの坂道を上りそこで待っていた父親にあった所でついに立ち上がれなくなる。「息子よもし走れないのなら歩きなさい。歩けないなら這ってでも進め。やるべきことをやりなさい。前に進むんだ。決して諦めるな。」一度は這って、そしてついに立ち上がりゴールにたどりつく。21時間1分14秒は初参加としては立派な15位だった。 この耐久レースがかわいく見えるレースにディーンは次々挑む。翌年はデスバレーを横断するバッドウォーター・ウルトラマラソン。辰場最高気温50℃を超えるデスバレーを135マイル走る。ランニングシューズは1時間もしないうちに底が溶けた。初年度は17マイル地点のガソリンスタンドでバッドウォーターを飲んでしまい、30マイルで脱水症状が始まる。そして72マイルで倒れリタイアした。ディーンは翌年は完走し03、04年と連覇している。 2002年には南極点マラソンに挑戦した。集まった6人のうち一人は断念し2人はハーフ、そして残り二人はスノーシューを使ったがディーンはランニングシューズで走った。気温−37℃、風が吹けばマラソンどころかテントの外に出るだけでも危険で、しかも高度は3344mがキャンプ地だった。南極では体温を保つためだけにエネルギーは消耗し、普通の探検家は予め蓄えられるだけ脂肪をつけておく。ディーンの体脂肪率は4.8%ととても南極向きの体型ではない。天候がなかなか安定せずレースではなく完走が目的の遠征となった。凍傷を避けるために−47℃の氷に突っ込んだ靴の中のカイロを取り替えると今度は止まっているために体温が奪われる。そして少し走ってからだを温めまたカイロを取り替えとしている間に20マイルで指がかじかみカイロ交換もできなくなる。22マイルではフェイスガードが凍り付き動かせなくなる。(他のランナーは顔に貼り付いた)ガイドと二人のランナーがどこにいるかもわからず、ただ方向を信じて走る。ゴールまで9時間18分。翌日にはついでに世界で初めて全裸で世界一周(南極点のポールの周りを回る)もした。 2000年からはキャリストガ(ナパの北)からサンタクルーズ(サンノゼとモントルーの間)までの199マイルを通常は12人が各3区を走るレースに出ている。ちょうどゴールデンゲートブリッジが中間にあたる。金曜の午後仕事を終えてから46時間走り通し、その上で子供達に付き合ってジェットコースターに乗り、翌日は浅7時45分に出勤し会議の準備をする。このレースは心臓移植を待つ子供のための基金集めでもあった。結局このレースはこの後11回走っているらしい。 wikiによるとその後2005年には350マイル(560km)を80時間44分で寝ずに走り、2006年には50州を50日連続で50マラソンを走った。ディーンの走る理由は何か?「どこまで行けるか知りたいから走る。ランニングは、僕が最も得意なことで世の中に恩返しする方法だから、僕は走るのだ。」自分のため、妹の遺志を継ぐため、家族を一つにするため、冒険をするため、日常から逃げ出すため。そこまでせんでもと思う。一方でそこまでできるのはすごい、があまりうらやましくはない。続きを読む
rootwz
著者はいきなりウルトラマラソンに目覚めボロボロになりながらもひたすら走る。挙句の果てには灼熱のデスバレーや南極の様な極限の地でも走る。100Kmとかどうやって走るんだと思っていたけど、42.195Km…の様にずっと休みなく走るかと思っていたら実際はさすがにちょいちょい休憩しながらなんだな。でも著者の場合はハンパない。ランナーかつ冒険家だな。苦しくなければまだ本気を出してないというかつてのコーチの言葉が心に残る。超ドMの世界。続きを読む
投稿日:2013.10.20
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