【感想】ぼくの昭和ジャズ喫茶

高瀬進 / 展望社
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    koba-book2011

    「ぼくの昭和ジャズ喫茶」高瀬進

    ちょっと一休み、みたいな読書をしたいなあ、という。そんな一冊。

    読書でも、食事でも、人間関係でも仕事でも、なんでもあると思うのですけれど。
    ああ、なんていうか、軽く、そんなに極上でもない、ふらっとふわっと、「歯ごたえのない」愉しさが欲しいなあ、というそんな甘すぎくなく辛すぎくない。量もそんなに多くない。
    ズシンっ...ッと来ない。ふわっと、つるつるっと。胃もたれしない。2時間たったら食べたこと自体忘れちゃうような...。

    と、書いていると東海林さだおさんのエッセイとか思いだすのですけれど、
    ああいう、戦略的な無意味さ、ともチョット違うんだよなあ...という...。



    ジャズ喫茶。
    渋谷のスイングには何度か行っています。会社が近いですからね。
    ま、そんなに熱く愛しているっていうのでもないのです。
    やっぱり、面倒な居酒屋さんみたいなもので、常連さんぢゃないと、所詮はまあ...。それでも、立派なスピーカーで聴くジャズは悪くないですね。
    (って、「ああ、何だか音が気持ちいいなあ」というくらいにしかスピーカーの違いなんて分からないんですけれど)



    全然良くワカラナイのですが、高瀬アキさんという日本人のジャズピアニストさんが居ることはなんとなく名前だけ知っていました。
    その高瀬さんの弟さんになるみたいですね。読んだ感じだと。ライターさんなんでしょうか。

    兎にも角にも、どうやらほぼ団塊世代らしい著者による、「廃業したジャズ喫茶の思い出と、残っているジャズ喫茶の紹介」という本です。
    それ以上でも以下でもありません。
    なんていうか、存在自体がセンチメンタルなB級映画の味わいの本です。
    それはそれでチョットかわいい。



    で、まあ想い出ですから。

    どうやらですが、1960年代のラブ&ピースだったり学生運動だったり新宿動乱だったりという社会状況、なんというか永島慎二さんのマンガ「フーテン」のど真ん中みたいな、ちょいとアウトローで夜の街で酒とタバコと泪と女、紫煙流れる地下の店...。

    そんな風情にこよなく青春の思い入れと愛着があるみたいですね。

    想い出はひとりよがりとルビをふる、語る自分に酔う自分…というお決まりで。
    読み物として燦然と輝いたりは、全くしていない訳ですが。そんな安酒の甘さをちょいと飲んだりっていうのが、ほっと一息な気軽な読書。



    「ああ、DUGって一度、珈琲飲みに行こうかなあ」とかってぼんやり思い、村上春樹も、山田詠美も、みんなジャズ喫茶なのさ、という話の大ざっぱなる我田引水こじつけに、苦笑しながらするっと読了。

    なんとなく、60年代、70年代。都会であり消費であり、資本主義で大都会で東京の、ビートルズが、ボブ・ディランが、ゴダールが、流れ込んできた時代の空気。
    テレビがラジオがどどどどっと普及して。ベトナム戦争で大学闘争でという中で、理想と浪漫を肴に革命という名の安酒が大量製造輸入され、となればカッコつけたい若者が、片手にくゆらすのはジャズだった、ということなんかもしれないなあ、と。

    実は、そんなに選択肢は無かったはずです。
    2017年に比べれば。



    そして、結局のところ作者は「絶滅寸前のコウノトリの記事を書くように、懐かしのジャズ喫茶を行脚して、それで名前を載せた本を出すライター」なわけで。

    作者が郷愁と浪漫と理想と、現実にかなり背を向けた賛歌を謳い上げる反面。
    当事者の経営者たちが「あんな時代はもう絶対来ないし、ああいう熱気でジャズ喫茶が溢れることは2度とない」と醒めきっている温度差が興味深かった。

    まあ、こういう本が出ること自体が、挽歌でしかない訳で。毎日、銭勘定をしている人は、甘い安酒にはもう酔えない。



    ただ、「良いスピーカーで好きな音楽を聴けるお店」という物自体って、きっと無くならないと思うんです。

    単純に、この本で縷々切々と謳い上げる「かつてのジャズ喫茶」っていうのは、何からしらの型を受け入れた人たちの交流の場だったんですね。

    それは「ユースホステルでフォークギターを抱えてみんなで歌いたがるオジサン」とか「決まった型のダンスを覚えないと踊らせてもらえない70年代なディスコ」と同じで、良いとか悪いとかではなくて、所詮は「熱病の流行」に過ぎません。生き方のスタイルとしての「流行のスーツ」みたいなものです。

    その証左だと思えるのが、どこかしら「イデオロギーの香り」が漂いますね。つまり、「善玉」と「悪玉」を置きたがる物語。
    音楽を音楽だけではない物語や意味として。映画も文学も。

    (そう考えると、世代としてそういう風潮に、蓮見重彦さんがブチキレたかったのは、すごく納得が行きます)

    そういう「内輪の制度」っていうのは、外側の人は本能で敏感に忌避しますから。衰退します。



    なんだけど、それと音楽とは関係が無いのです。

    熱病を呼び込んだ音楽に、その時代でしかなかった勢いとか迸りとか撥ね方があったことは、確かだと思います。

    最近ちょっとまたジャズを聴くわくわくの波が小さく訪れていたりして。
    こういう本、ぬるいほうじ茶で一休み、みたいな。
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    投稿日:2017.02.20

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