【感想】ソクラテスの弁明

プラトン, 戸塚七郎 / グーテンベルク21
(3件のレビュー)

総合評価:

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  • 古典中の古典。

    古典中の古典。

    ソクラテスが70歳のとき、

    若者を堕落させる教育をしていると言われる罪で

    裁判にかけられ

    稀有な知者として

    「無知の知」を説く有名な場面のあと、

    有罪が確定し、

    私は大国の眠りを覚ます虻のような存在で、

    私を死刑にしたあと、

    私のような知者はめったに現れない、

    私を死刑にしたあと、それが誤りだったと歴史が証明する、

    みたいなことを言ったあと、

    最後、処刑されてしまう。



    裁判官や政治家など知者とみずから思っている者の前に出向いて

    あなたは自分が知らないということを知らない。

    私は自分が知らないということを知っているというだけ

    あなたより知者である、いう

    産婆法とかいう方法で相手をやり込めてしまう。





    この辺、さらっと読んだだけで、

    背景になる知識も少ないので、
    知っている人から見られると恥ずかしい。

    単にこの作品がなぜ
    これほどに古典として有名になったのか??


    裁判という場面で、

    ソクラテスという哲学者が言い逃れをせずに

    自らの主張を曲げずに死刑にされるっていう構図が西洋人は大好きらしい。

    これは、キリストでも同じで
    マタイ受難曲でも


    キリストが愛を説いているのに

    反逆者として磔にかけられて

    処刑される。

    これは、偶然の一致じゃなくて、


    西洋人の好きなパターンの

    典型だからだと思う。


    裁判が、必ずしも真実を見抜けない、

    しかし、時代は裁判という決定を重視して

    知者や賢者や聖人を処刑していくという西洋の歴史を

    表しているのかも知れない。



    日本で、

    裁判の結果で聖人が殺されるなんて、

    話ってあんまり有名じゃないよね??

    忠臣蔵が、公の決定で、

    浅野なんとかが死刑になり、
    あだ討ちをした
    全員、死刑になるぐらいかな。


    これだって、賢者だから殺されるわけじゃないし。





    お坊さんが迫害にあったって話は多少聞くけど、

    あれは、宗派による勢力争いだからねえ。

    日本と西洋じゃ、劇に対する見方や、

    聖人を裁判にかけるっていう考え方が違うのかな。
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    投稿日:2013.09.25

  • ソクラテスの命をかけたやり取り

    紀元前339年、ソクラテス70歳のとき「神を冒涜した罪」で公訴された、民集裁判所での様子が書かれています。
    ソクラテスは死を覚悟しつつ、自ら非が無いこと、神から与えられた自分の使命であって、国家がこのことを禁じようともやめることができないと弁明する。
    その弁明の仕方が、嫌味っぽく、伝え方が大事なんだなぁ・・・と勉強になりました。
    続きを読む

    投稿日:2013.11.04

  • 文章中のかっこ書きが

    異常に多くて私には読み辛く、どうも内容に集中できませんでした。
    何冊か訳があるようなので、また読み直してから考えます。

    投稿日:2016.04.07

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