常設展示室―Permanent Collection―(新潮文庫)
原田マハ(著)
/新潮文庫
作品情報
いつか終わる恋をしていた私。不意の病で人生の選択を迫られた娘。忘れられないあの人の記憶を胸に秘めてきた彼女。運命に悩みながら美術館を訪れた人々の未来を、一枚の絵が切り開いてくれた――足を運べばいつでも会える常設展は、今日もあなたを待っている。ピカソ、フェルメール、ラファエロ、ゴッホ、マティス、東山魁夷・・・・・・実在する6枚の絵画が物語を豊かに彩る、極上のアート短編集。(解説・上白石萌音)
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この作品のレビュー
平均 3.9 (272件のレビュー)
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さて、皆様。アートなクイズのお時間がやってまいりました!次のヒントを読んでその絵のタイトルと画家の名前をお答えください。
・ヒント1: 『若くきれいな女性の肖像画で、彼女は全集の中に登場するほ…かのどんな女性とも違っていた』。
さてどうでしょうか?『女性の肖像画』と言われても流石にこれだけの情報ではわかりませんよね。では、
・ヒント2: 『目が覚めるような真っ青なターバンを頭に巻き』、
はい!はい!…と何名かの方はピンときたかもしれませんね。一方でえっ?というそこのあなた。そんなあなたに次のヒントです。
・ヒント3: 『真珠のイヤリングが光を集めて揺らめいている』。
あらら、もう決定打ですね。『真珠のイヤリング』と言ったら、そう、あの有名な作品ですよね。
・ヒント4: 『こぼれおちそうなほど大きなうるんだ瞳をじっとこちらに向けて、何かを懸命に訴えようとしている』。
はい、皆さんお分かりですね。この作品は、
ヨハネス・フェルメール作〈真珠の耳飾りの少女〉
でした。確かに『真珠のイヤリング』など、分かりやすい特徴がある絵ではあるのだと思います。しかし、たったこれだけの文字数の中に読者を惹きつけるような見事な文章表現をもって、一枚の絵をまるで読者の頭の中に浮かびあがらせるかのように説明するというのは誰にでもできることではありません。それには、一枚の絵の中に、画家が託したメッセージをしっかりと受け止めて、文字に表現していく天賦の才能が求められるのだと思います。
さて、そんな見事な文章表現をもって主人公の心を動かしていく絵画がさりげなく描写される作品がここにあります。「常設展示室」というこの作品。それは、さまざまな境遇の中でそれぞれの人生を必死で生きる主人公たちが、それぞれの胸に宿る一枚の絵と対峙する様を見る物語です。
『朝、目覚めると、世界が窮屈になっていた』と、『天井の一点をじっとみつめ』るのは主人公の美青(みさお)。そんな美青は『枕もとのリモコンを手にして、テレビをつけ』ますが『テレビ画面がやけに小さい』と感じます。『また視力が落ちたのかと』思う中、テレビ画面には『メトロポリタン美術館が、新しい教育プログラムとワークショップの開催を発表し』たニュースが流れています。『知的障害を持つ子供たちや、聴覚障害を持つ子供たちなど』『障害の内容を考慮しながら』『担当キュレーターがコレクションを解説する』と説明するのは上司のアネットでした。そんなニュースを見終えた美青は、仕事へと出かけるのに階段を降りようとしたところ踊り場までずり落ちてしまいます。隣人に助けられるも『階段が急に狭くなっちゃった』と呟く美青に隣人は『いつもの階段だけど?』と不思議がるのでした。そして、職場の『メトロポリタン美術館』へと着いた美青。そんな美青は過去を振り返ります。『採用募集はなかなかかからない』という美術館のポスト。『サンフランシスコ近代美術館』の教育部門に運良く採用された美青は、『メトロポリタン美術館』の教育部門に勤めるキャロラインと交流を深めます。そんなある日、『メトロポリタン美術館』のディレクターから電話があり、キャロラインの急逝と後任を打診されました。そして『メトロポリタン美術館』のポストを得た美青。そんな美青が職場に着くとニュースの内容に対して問い合わせが殺到していました。『障害者とのコミュニケーションを専門とするスタッフもいないのに、この企画を公にして』大丈夫だろうかと不安に思う美青の一方で、上司のアネットは次の取材のことばかり気にしています。そんな時、美青は『ドアにぶつかりそうになって、立ち止まってしま』い、『気分でも悪いのか?』と『印象派・近代部門のキュレーター』のアーノルドに声をかけられます。『視界が欠けている…ちゃんと見えてない』と説明する美青にアーノルドは『目は君にとっていちばん大事だ』とドクターに診てもらうよう勧めるのでした。一方で『障害児向けのワークショップ』の準備を進める美青。そんな美青がワークショップ開催に向けて駆け抜けて行く物語が描かれていきます…という最初の短編〈群青〉。自らの身体の不調を感じる中に大好きな絵画への思いの丈を精一杯仕事に向けていく美青の姿が印象に残る好編でした。
「常設展示室」という六つの短編から構成されたこの作品。そんな作品の帯に”この本は美術館への招待状だ”と〈解説〉の上白石萌音さんが書かれている通りこの作品は原田マハさんのアート小説の一つです。原田さんのアート小説は多々あります。代表作とも言える「楽園のカンヴァス」のような長編にはアートの世界にどっぷりと浸れるたまらない魅力がある一方で、「ジヴェルニーの食卓」のような短編にも複数の画家に光が当たる中にバラエティ豊かなアートの世界を楽しめる魅力があります。そんなアート小説では、画家の人生に光を当てていくものが多いように思います。フィクションとはいえ、ゴッホやピカソなど、絵画界の巨人が生を得て会話をする描写はまるで自身が、そんな画家が生きていた時代にタイムスリップしたような感覚を味わえます。一方でこの作品はあくまで現代社会に生きる私たちが目にすることのできる絵画を物語の中にサラッと登場させる中で、そんな一枚の絵画が主人公の人生に何らかの影響を与えていく、そんな物語が描かれています。
では、そんな六つの短編について、取り上げられる画家の名前とその内容をご紹介しましょう。
・〈群青〉: 『メトロポリタン美術館』の教育部門に勤める主人公の美青。障害のある子供たちに『担当キュレーターがコレクションを解説する』というプログラムの開設に立ち合いますが、『世界が窮屈に』感じる身体の異変に気付きます。★ピカソ
・〈デルフトの眺望〉: 『父が最期の時を過ごした施設〈あじさいの家〉』へと赴いたのは主人公の七月生(なづき)。そんな七月生は『世界中の富裕層を相手に』絵画の取引で飛び回る中、父の介護は弟に任せきり。そんな七月生が入院先を見舞うと、そこには父親の衝撃的な姿がありました。★フェルメール
・〈マドンナ〉: 『あのね、湯呑みが割れちゃったのよ』と母親からの電話を受けたのは主人公の橘あおい。そんなあおいは『バーゼルで開催されている』見本市で『アラブ系の大富豪』の相手をしている真っ只中でした。席を立ってしまった『大富豪』。そして…。★ラファエル
・〈薔薇色の人生〉: 『どなたの色紙ですか?』と『パスポート窓口』を担当する主人公の柏原多恵子に訊く中年の男。自身の背後の壁に飾られていた色紙を振り向くも答えられない多恵子。そして、そんな男が気になり出す多恵子に男は自身がIT株で得た巨万の富を持つことを話します。★ゴッホ
・〈豪奢〉: 『三十五歳にして総資産は百億円を超える』という『IT起業家』の谷地哲郎と情事に耽る日々を送るのは主人公の下倉紗季。『六本木にある現代アートのギャラリー』に勤めていた紗季は、谷地の呼び出しにすぐ応じられるよう勤めを辞めてしまいます。そんな紗季が谷地に誘われパリへ赴きます。★マティス
・〈道〉: 『時代の寵児になりつつあった』という上り坂の人生を闊歩する主人公の貴田翠は、腐敗していた『新表現芸術大賞』の審査委員長に抜擢され改革に乗りだします。三十に絞られた最終候補作の審査の中で、ある絵の登場に翠は『不思議な感覚』に囚われてしまいます。★東山魁夷
物語の中に登場するそれぞれの絵は決して物語を支配したりはしませんし、数多の絵の中で特別というわけでもありません。これが、原田マハさんの代表作群との違いです。例えばピカソの〈ゲルニカ〉に徹底的に光を当てる「暗幕のゲルニカ」や、アンリ・ルソーの〈夢を見た〉に隠された秘密を探す「楽園のカンヴァス」では、その絵自体が作品の中で準主人公のような大きな位置を占めます。一方でこの作品に登場する絵画はあくまで脇役です。〈解説〉の上白石萌音さんが語られる通り”地下鉄の駅に大々的にポスターが貼られているような企画展ではなく、その美術館が所有している作品をいつでも見ることができる展示室のお話”がこの作品の特徴です。私たちが美術館に足を運ぶ時、それは何らかの企画が開かれることがきっかけとなる場合が多いと思います。確かに企画によって絵を見る需要は喚起されます。しかし、そのような企画の絵画と常設されている絵画に上下があるはずはありません。人によって自分が”特別”に思うものは、特別室に飾られている絵画とは限りません。この作品では、『ふとした瞬間に、心に浮かぶ風景がある』というその先に、主人公たちの心の奥底に強く印象づいている、それぞれの人にとっての”特別”な絵画の存在が語られていました。
例えば〈マドンナ〉に登場する主人公の母親は病院の事務職として長年病院の受付で働いていました。絵に対して興味が全くなかったという母親ですが、たまたま『待合室に置いている古雑誌』にあった一枚の絵が気になり切り抜いて机の前に貼ったと言います。主人公の あおいがその絵について訊いても『なんだかわかんない』と笑う母親。それを、やがて絵に関わる仕事をするようになった あおいはラファエロの〈大公の聖母〉だと気付きます。『なんだかわかんない絵』、『一枚の切り抜き』というその絵。母親はそんな絵を描いた画家のことも、絵の名前も知ることはありませんでした。しかし『七十歳で退職するまで、事務机の前の壁から母を励まし続けた』というその一枚の切り抜き。この短編に象徴される通り、この作品には、私たちの普段使いの感覚の中にある絵の存在が柔らかく描かれています。この作品は原田さんの数多あるアート小説の中では決して目立つ作品ではありません。「常設展示室」に、ある意味忘れられたように飾られている”普通”の絵画たち。しかし、それぞれの登場人物たちにとっては、”特別”な意味を持つ絵画たち。そんな絵画たちの存在が優しく描かれていくこの作品は原田さんのアート小説の中でも一つの新境地を描いた作品ではないか、そんな風にも感じました。
『こちらのチケットではこの展覧会はご覧いただけませんが、常設展の入場券がついておりますので、よろしかったら、そちらをご覧ください』というように、私たちが美術館へ訪れるきっかけは特別室で展示される企画が起点となる場合が多いと思います。しかし、特別室に展示されるものがその人にとっての”特別”であるかは別物です。何かおまけのような印象も受けかねない「常設展示室」に飾られる作品たち。この作品では、そんな私たちの感情の中にそれぞれ存在する”特別”な絵の存在に光が当てられていました。
わかりやすい筆致でそれぞれの絵が読者の眼前に浮かび上がるかのように描かれていく安心感のある物語を見るこの作品。それぞれの主人公が見る”特別”な絵画に、共に思いを馳せることのできる優しさに満ち溢れた作品でした。続きを読む投稿日:2022.08.03
行ったことのない遠くの国の美術館で、この絵はどんな額装でどんな壁におさまっているんだろう…と、この本に出てきたタイトルをネット検索しながら考えた。
お話としては、主人公が今の自分より上の年齢層で共感し…きれない部分があったものの、すらすら読めた。
最後のお話の「道」が1番好き。続きを読む投稿日:2024.04.07
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