ガラスの海を渡る舟
寺地はるな(著)
/PHP研究所
作品情報
大阪の心斎橋からほど近いエリアにある「空堀商店街」。そこには、兄妹二人が営むガラス工房があった。兄の道は幼い頃から落ち着きがなく、コミュニケーションが苦手で、「みんな」に協調したり、他人の気持ちに共感したりすることができない。妹の羽衣子は、道とは対照的に、コミュニケーションが得意で何事もそつなくこなせるが、突出した「何か」がなく、自分の個性を見つけられずにいる。正反対の性格である二人は互いに苦手意識を抱いていて、祖父の遺言で共に工房を引き継ぐことになってからも、衝突が絶えなかった。そんなガラス工房に、ある客からの変わった依頼が舞い込む。それは、「ガラスの骨壺が欲しい」というもので――。『水を縫う』『大人は泣かないと思っていた』の寺地はるなが放つ、新たな感動作! 相容れない兄妹ふたりが過ごした、愛おしい10年間を描く傑作長編。
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商品情報
- シリーズ
- ガラスの海を渡る舟
- 著者
- 寺地はるな
- 出版社
- PHP研究所
- 書籍発売日
- 2021.09.09
- Reader Store発売日
- 2021.09.17
- ファイルサイズ
- 0.3MB
- ページ数
- 256ページ
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この作品のレビュー
平均 4.1 (246件のレビュー)
-
あなたは、『骨壺』と聞いてどんなものを思い浮かべるでしょうか?
人の人生は有限です。どんなに長生きをしてもいつかはこの世に別れを告げる日が訪れます。そして、そんな私たちは火葬され、骨だけがこの世に残…ります。そんな骨を納める器、それが『骨壺』です。私は数年前に父を亡くし、葬儀の手続きの中で生まれて初めて『骨壺』を選ぶという経験をしました。数千円から数万円と各種用意された中からの選択、なかなかに悩ましいものがあると感じたことを覚えています。しかし、そんな父の『骨壺』も納骨を終えたこともあり既に手元にはなく、『骨壺』がどのようなものだったかもはっきりしません。ただ、それによって父の死に伴う一連の行事というものは終了した、きちんと最後まで責任を持って執り行うことができたという安堵を感じてもいます。
さて、そんな認識だった私が、えっ!という思いを抱いた作品をここにご紹介したいと思います。その作品には私に衝撃を与える一文が記されていました。
『わたしと、わたしの兄が営んでいるソノガラス工房は、ガラスの骨壺をつくっている』。
『骨壺』が『ガラス』でできているという衝撃に戸惑う私に、さらにこんな一文が理由を説明します。
『骨壺といっても、お墓の下におさめるものではない。自宅に置いて供養するためのものだ』。
亡くなった人の骨を『自宅に置いて供養する』、少なくとも私にはそのような発想、知識が今まで全くありませんでした。そして、そんな『骨壺』を選ぶ女性はこんなことを語ります。
『おしゃれなもの、かわいいものが大好きな娘でした… あの子があんなあじけない陶器の骨壺に入るなんて、なんだかかわいそうで』。
そう、『まだ若い娘さんに先立たれた女性』が、『自宅に置いて供養』したいという思いの先に選ぶ『骨壺』の存在。
この作品は、祖父が遺した『ガラス工房』を継ぐ兄と妹の物語。そんな二人が『もめにもめ』ながらも、それぞれが思う作品を生み出し続けていく物語。そしてそれは、『ガラス』の炉に向き合う日々の中に、『ガラスの海の上で進む方向がわからなくなった時は、自分の、この手を見よう』という思いの行き着く先を見る物語です。
『2011年9月』、『光多おじさんの店に入ったのは、今年に入って二度目だ』というのは主人公の里中羽衣子(さとなか ういこ)。『一度目は祖母の葬儀の後』、そして『今日はその祖母の四十九日』でした。そんな羽衣子は、八歳の誕生日、熱っぽかったのを無理して学校に行った時のことを思い出します。熱が上がり、迎えに来た祖父は、兄の『道(みち)が暴れて同級生に怪我をさせ』たことで、母が迎えに来れなかったことを説明します。『日頃「手のかかる子」である兄のほうばかり見ている母』が、結局、誕生日さえ自分を見てくれないことを不満に思う羽衣子。そんな羽衣子は工房で祖父の仕事を見るのが好きでした。『ガラスは、どんなふうにもなれるからな』、『羽衣子はこれから、なんにでもなれる。どんなふうにもなれる』と羽衣子を見る祖父。そんな時、光多おじさんの『ビール』を求める声に現実に引き戻された羽衣子は、ふと『窓から通りを見下ろす』と、道の姿がそこにありました。『人間が一か所に集まっている場所が苦手』という道、『複数の人間といっぺんに会話すること』など『苦手なものがたくさんある』道のことを『発達障害なのかもしれない』と思い続けてきた羽衣子ですが、母は『診断なんか必要ない』とはねつけてきました。そんな道のことで争いが絶えなかった両親、そんな中に父は、『わたしが八歳、道が十三歳の時に別居』しました。一方で『料理研究家・里中恵湖』として『東京と大阪を行ったり来たりする』母。そんな時、『四十九日も無事に済んだところで』と光多おじさんが話し出しました。『あの家と土地、どうにかしようや』と続ける光多おじさんのことを『うちの財産を狙っている』と母から聞かされたことを思い出す羽衣子。『お父さんの工房もあるし』と反論する母に『工房なんて、もうずっと閉めとるやないか』という光多おじさん。そして、祖父はうつむいたままという時間が続きます。そんな時、『だめです』と声がしました。『工房は再開します。おじいちゃんがやらないならぼくがやります』と続けたのはいつの間にか戻ってきていた道でした。そんな中に更に『工房、わたしがやる。お兄ちゃんにまかせるぐらいならわたしがやるわ』と今度は羽衣子が叫びます。それに、『二人でやります。それならいいでしょう光多おじさん』と言う道。そして、道と羽衣子が祖父の『ガラス工房』を継ぎ、『吹きガラス』の世界に魅せられていく物語が始まりました。
“「特別」に憧れる妹と、「普通」がわからない兄。とあるガラス工房でふたりが過ごした愛おしい10年間を描く感動の物語”と本の帯に書かれたこの作品。全5章から構成されていますが、それぞれの章題が意味ありげな漢字一文字となっているのがまず目を引きます。〈序章 羽〉、〈第一章 骨〉、〈第二章 海〉、〈第三章 舟〉、〈終章 道〉という5つの章ですが、最初と最後は二人の主人公、つまり妹・羽衣子と兄・道の名前というのがまずわかります。そして、書名の「ガラスの海を渡る舟」から二つの章題が取られていることも特定できます。そうなると残るのが『骨』となります。一般論としてなんとも不気味な一文字が残りました。そんな『骨』の元となるのが、『わたしと、わたしの兄が営んでいるソノガラス工房は、ガラスの骨壺をつくっている』という工房で作られる『骨壺』から取られたものです。そう、この作品は羽衣子と道という兄妹が祖父の遺した『ガラス工房』を継いでいく様が描かれ、そんな『工房』で主として兄の道が手がけるのが『骨壺』です。『骨壺』と聞くと、火葬の後、お骨を拾って入れるあの白い陶器の容器が思い浮かびます。私も、それ以外には想像できないことから、『ガラスの骨壺』って何?という思いに囚われました。しかし、世の中にはさまざまな考え方があり、この作品が取り上げるのは『骨壺といっても、お墓の下におさめるものではない。自宅に置いて供養するためのもの』という『手元供養』のための『骨壺』であることがわかります。手元に置くとなると『ステンレス素材のものや、陶器、蒔絵のものまで』『さまざまな素材とかたちの壺』があるようです。この作品では、『ガラス工房』が舞台となる以上、『ガラスの骨壺』に光が当たります。そんな『骨壺』のことを主人公の道はこんな風に語ります。
『ここに来る人はみんな、骨そのものよりそこにおさめておきたいものがあります』。
なんとも深い、とても意味深い感覚をそこに感じます。『骨壺』というものに対する感覚が一変してもしまいます。
そんな『骨壺』も作る兄と妹の『ガラス工房』。この作品では、そんな『工房』で『吹きガラス』という手法によって作品を作り上げていく兄妹の姿が描かれます。『吹きガラスには、とにかく体力をつかう』というその現場。『竿そのものが重いし、炉の熱で化粧なんかすぐに流れ落ちてしまう』という過酷な現場の中で、『熱いガラスは生きものだ』と、『ガラス』に向き合うふたり。それは、『はじめたら完成するまで一時も動きを止められない』という緊張感に溢れるものです。そんな現場を”まさしく文学”という表現にまとめる寺地さん。そんな冒頭の一節を抜粋してご紹介しましょう。
『溶解炉から放たれる熱は真正面からたえまなく襲いかかり、わたしの額をちりちりと焼く。視界は橙に染まり、こめかみからしたたり落ちる汗が顎をとめどなく濡らす… 熱はわたしからさまざまなものを奪っていく… 次第に、奪われているのか、自ら捧げているのか、それすらもわからなくなる。あらゆるものを捧げて、それでも手にしたいものが、わたしにはある』。
安っぽい表現で感想を書くことが憚られる、職人の息吹を感じさせる研ぎ澄まされた極めて美しい表現です。そんな中に、『ガラス工房』の熱さと、熱さに賭ける職人の魂の存在を確かに感じさせてもくれます。寺地はるなさんという作家さんは他の作品でも極めて美しい表現の数々で読者を魅了してくださいます。そんな表現の裏には地道な取材は欠かせないものです。この作品でも巻末に〈謝辞〉として『谷町ガラスHono工房の細井元夫さん』のお名前があります。そんなこの作品の舞台となる『ガラス工房』の名前は『ソノガラス工房』、看板は『sono』です。設定としては『祖父の苗字』とされていますが、恐らくは『Hono工房』さんに敬意を表して、ということもあるのかなと思いました。いずれにしても普段見ることのない『ガラス』作りの現場の”お仕事小説”としても楽しめるこの作品。これから読まれる方には、そんな『ガラス工房』の表現の魅力にも是非ご期待ください。
そんなこの作品は、本の帯の言葉にあるとおり、” 「特別」に憧れる妹と、「普通」がわからない兄”の”ふたりが過ごした愛おしい10年間を描く”物語でもあります。兄弟や姉妹を描いた作品は多々あります。寺地さんの作品で言えば”誠実(まさみ)と希望(のぞみ)”という兄弟それぞれの苦悩を描く「希望のゆくえ」がありますし、姉妹の作品ということでは、京都の魅力をふんだんに盛り込んだ綿矢りささん「手のひらの京」をはじめ思い浮かぶ作品は幾つもあります。しかし、兄と妹という関係性にのみフォーカスした作品は私にはすぐに思い浮かべることができません。そんな物語でもう一つ印象的なのは、兄の道が『発達障害なのかもしれない』とはっきり記されている点です。もちろん、『…しれない』と表現は濁されてはいますが、少なくとも私が今まで読んできた600冊の小説の中でこの四文字をはっきりと書いた作品はなく、朧げながら匂わせるものがあった程度です。『発達障害』をはっきりうたうことは、読者にとっても、常日頃の障害への向き合い方、考え方が問われるものでもありますし、何より作者の寺地さんには相当な覚悟が求められるはずです。しかし、そんな覚悟を前提にしても寺地さんにはその先に描かれたい世界があった、それがこの作品で象徴的に登場する『特別』という言葉です。主人公の羽衣子が望む『特別な人間になりたい』という気持ち。そんな『特別』を、『周囲に足並みを合わせられず見下される類の特別』ではなく、『みんなが「すごい」と憧れ見上げるような特別な人間になりたい』と整理していく羽衣子。それは、彼女にとって一番身近にいる兄の『特別』さではなく、『ガラス』職人として秀でた存在になりたいという気持ちからスタートしていきます。そんな『特別』のために『わたしの中にあるはずの』『才能』を『ぜったいに、見つける』と強い意気込みを見せる羽衣子。そんな羽衣子は、兄と対立し、兄が手がけた『ガラスの骨壺』を毛嫌いしていくのはある意味当然の感情と言えます。しかし、一方で冷静にそんな兄のことを見据える羽衣子は、『道には見えないしるしがついている。この人は他の人間とは違います、というしるし。わたしにはついていない、しるしだ』と、兄にある『特別』が、単に見下しの対象である『特別』と異なることも感覚的には理解しています。ここに同じ『ガラス』職人という兄に対する妹の複雑な思いが見え隠れもします。そんな物語は、単に妹の羽衣子視点からのみ展開するわけではありません。兄の道の視点にも切り替わります。兄の道視点、それは上記した『発達障害かもしれない』とされる側の視点でもあります。そこには、『匂いや音にふつうの人より敏感であることは、あまり歓迎されないことのようだ』と自身の『障害』を認識する道の姿が描かれていきます。そんな二人がそれぞれの生きる道を見る瞬間を描く結末へと物語は展開していきます。そんな中に寺地さんが羽衣子の思いの中に見るもの。それこそが、
『特別ななにかにならねばならない。唯一無二の、特別な存在にならねばならない。その呪いに、長くとらわれてきた』。
という思いの先に見えてくる一つの世界。『ガラス工房』の職人として生きる二人の確かな明日を感じる物語の中に、「ガラスの海を渡る舟」という書名の絶妙さをとても感じました。
『まとも。ふつう。常識。世間… そういったものがぼくを世界から弾く言葉だと思っているのだ』という兄の道。
『みんなが「すごい」と憧れ見上げるような特別な人間になりたい』という妹の羽衣子。
そんな二人が祖父の遺した『ガラス工房』で、それぞれの作品の制作に向き合っていく様が描かれるこの作品。そこには、『三月にあの地震がおこって』という2011年3月11日の東日本大震災の年を起点に、それから10年後、『病院は今、新型コロナの影響で面会禁止になって』という2011年のコロナ禍という世の中の背景事情も上手く取り入れる中に、『ガラス工房』で働く兄と妹の確執と協働が描かれていました。寺地さんならではの美しい表現と印象深い言葉に魅せられるこの作品。『ガラス工房』の職人の”お仕事小説”の側面も感じさせるこの作品。
“才能が あってもなくても わたしたちは 一歩ずつ 進んでいくしか ないのです”と、寺地さんが手書きで記された本の帯の言葉が心に染み渡る素晴らしい作品でした。続きを読む投稿日:2022.10.24
受け入れたくない、受け入れる?受け入れたつもりだけど、受け入れられない。身内だからこその妹の心の葛藤。
才能のあるなし。周囲の関わりに対する恥ずかしさと嫉妬。
発達障害と付き合う兄の成長。
お互いの視…点で10年を紡ぐ。
骨壷という死を強く感じる重たいものが、ガラスの儚い美しさと対比して、客に寄せる心も互いに違うのが面白い。続きを読む投稿日:2024.04.11
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