ブッダが説いた幸せな生き方
今枝由郎(著)
/岩波新書
作品情報
暗く厭世的に思われがちな仏教.しかし,その開祖ブッダはそんなにマイナス思考の人だったのだろうか.若いころから仏典に触れ,パリで研究をする一方で,仏教国ブータンに長年生活し,チベットの人々の間に生きる仏教に親しんだ著者ならではの,ユマニスムにも通じるブッダの教えの読み解き.
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商品情報
- シリーズ
- ブッダが説いた幸せな生き方
- 著者
- 今枝由郎
- 出版社
- 岩波書店
- 掲載誌・レーベル
- 岩波新書
- 書籍発売日
- 2021.05.20
- Reader Store発売日
- 2021.09.22
- ファイルサイズ
- 3.5MB
- ページ数
- 254ページ
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この作品のレビュー
平均 3.5 (10件のレビュー)
-
ブッダと仏教の本。
基本的にはブッダの教えについて書かれている。新しいところでは、シッダールタの生涯で、よくわかっていない16歳から29歳に出家するまでの間に、もしかしたらヒンドゥ以外の世界を知ってい…た可能性があるということだ。
また、西欧で近代に入って仏教が著名人に与えた影響などについても触れられている。
入門編として、わかりやすいかもしれない。ブータンについては、国内でも葛藤があるようなので、今後を注目していきたい。続きを読む投稿日:2021.08.12
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ブッダは裕福な生まれだったけど、幼いころに母を亡くしたという闇もあったらしい。
ブッダの修行の方法として「止息(=息を止めることで苦しみを感じる心的要素を根絶できる)」っていうのがあるらし…いんだけど、私がランニングする理由の一つに似てる。ランニングして息が上がるとほんとに些細な事がどうでもよくなるから。
今枝由郎
フランス国立科学研究センター(CNRS)研究ディレクター。東洋仏教史(とくにチベット仏教史、ブータン史、チベット歴史・文献学)。1947年愛知県生まれ。大谷大学文学部卒業。フランスに渡り、パリ第7大学国家文学博士号取得。1981‐90年ブータン国立図書館顧問としてブータンに赴任
ブッダすなわち「目覚めた人」が生きたのは、紀元前五世紀の北インドのガンジス川中流域でした。その時代には、その地域全体を統一する国家はなく、十六大国と総称されるいくつもの国に分割されており、その中で西方のコーサラ国、東方のマガダ国の二つが強国でした。そのコーサラ国のプラセーナジット王はブッダに帰依し、その保護者となりましたが、次のような興味深い話が残されています。
人は自分よりも愛おしい者を見出すことはできない。 誰にとっても、自分がこの上なく愛おしい」
このようにブッダ以来現在に至るまで、仏教ではこの「自分が一番愛おしい」という認識が一貫しています。これだけでは、個人主義的な、自分のことしか念頭に置かない利己主義的な態度とさえ映ります。しかし注意しなくてはならないのは、ブッダは自らが愛おしいということ、また自らが幸福を追求するということと同時に、「わが身に 推しはかって」ということばを用いていることです。自分にとって「自分が一番愛おしく、幸せを求めている」ことから 推しはかれば、生きとし生けるものすべてにとって「自分が一番愛おしく、幸せを求めている」ということはおのずとわかるはずです。それゆえにブッダは「誰もが自らを愛するゆえに、誰をも傷つけるべきではない」と述べているの
ダンマパダ』と並んで、最古の仏典の一つである『スッタニパータ』には、 「 他人 も私と同じであり、私も他人と同じである、と思い、 他人を殺めてはならず、殺めさせてはならない」 とあります。この自覚から、当然のこととして他人に対する、他の生きものに対する愛おしみ、慈愛が生まれ、これが真の意味での博愛と言えるものです。これは「自分が愛おしい」という、誰もが抱く気持ちから湧き出るもので、「敵を愛しなさい」と言った他律的命令ではなく、文化的、宗教的、民族的な差異を超えて、いつの時代にも全人類に共通するものです。
幕末から明治維新にかけて活躍した西郷隆盛(一八二八─一八七七) の 「 我 を愛する心をもって、人を愛するなり」 ということばは、同じ認識に立ったものと言えるでしょう。…
この立場を現代に実践した例として、仏教国ブータンでの例を挙げることができます。ブータンは、インドから国内に不法に陣取ったアッサム独立派ゲリラを駆逐するために二〇〇三年末に戦闘行為を余儀なくされました。十二月十五日に軍事行動を開始するにあたって、第四代国王ジクメ・センゲ・ワンチュック(一九五五年生。在位:一九七二─二〇〇六) は、全兵士および全義勇兵を前に訓示しました。ところが誰もが驚いたのは、それに先だって、中央僧院のヤンペ・ロポン( 声明 博士) の位にある高僧が、次のように話したことです。彼は、 「あなた方には、あるいは夫として、子どもとして、親として、兄弟として、友達として、愛しい人がいる。それと同じように、敵対相手であるゲリラ兵の…
キサー・ゴータミーは、このことばを聞いて、生を授かった者にとって死は不可避であることに気付いた。当初はわが子の死を嘆き、その蘇生を願ってブッダの許に駆けつけた彼女ではあったが、自分の願いは、無知ゆえの無いものねだりであることに気付いた。
ブッダは何よりも現実を直視し、ものごとのありのままの姿を洞察した人です。無知ゆえに、人生のありのままの姿を理解せず、苦しんでいる人たちに、各人が自らの力でできることを助言するだけでした。
ブッダは開祖ではなく道案内
仏教は宗教なのか哲学なのかということがしばしば論議されます。このこと自体が、他の宗教と仏教の違いをよく反映しています。先にも述べましたように、他の宗教の一般的意味での開祖たちが、神あるいはその化身、さもなければ神からの啓示を受けた存在であると主張しているのとは対照的に、ブッダは「自分は人間以上の存在である」とは主張しませんでした。彼は、自らが理解し、到達し、達成したものはすべて、人間としての自らの努力と知性によって経験したと述べました。それゆえに、ブッダはむしろソクラテス(紀元前四六九頃─三九九)、プラトン(紀元前四二七─三四七) といった古代ギリシャの哲学者、あるいは孔子(紀元前五五一/五五二─四七九)、老子(春秋時代〔紀元前七七〇─四〇三〕の思想家) といった古代中国の賢人に近いと言った方が適切でしょう。はっきり言えることは、ブッダ自身には自らが新たな宗教を創始したという意識はなかったということです。次の逸話にそれがよく窺えます。
ブッダは人として幸福に向かって歩むべき道すなわちレシピを教えるだけであり、その道を誤らずに歩めるかどうか、美味しい料理ができるかどうかは各人次第です。 ブッダは、自分の教えはことばの次元ではなく、実践によって一人ひとりの人格に具体的に反映されて、初めて意味があるものと考えていました。
ここから窺えるのは、ブッダ在世時代、その教えに従って修行した人たち、すなわち初期の仏教徒は幸せであったということです。このことは、ブッダの「目覚め」に基づく生き方は、ひとびとを確実に幸せに導くものであったことの何よりの証左です。ブッダ亡き後も、その教えに従う人たち、すなわち仏教徒が増え続け、広くアジア全域に広まりました。このことは、ブッダの教えの有効性がインドという風土、土壌、そして紀元前五世紀という時代に限定されるものではなく、それを超えた普遍性を持ったものであることを雄弁に物語っています。
「目覚め」たブッダの顔は輝いていました。このことは、仏像などにもよく反映されています。図1は、「目覚め」の前に苦行に励んでいた時のブッダを表したもので、 憔悴 し、血の気がなく、やせ細り、覇気がないものです。それとは対照的に図2のブッダは、「目覚め」の後の姿で、ふくよかにして 微 笑みを 湛えており、温和で、 静謐 で、慈しみ深く、人に安らぎをもたらすものです。
ブッダはこの国の王シュッドーダナと王妃マーヤー(5) の間に、首都カピラヴァスツに近いルンビニーで紀元前四八五年頃(6) に生まれました(図4)。姓はゴータマ(もっとも優れた牛) で、名はシッダールタ(目的を成就した〔するであろう〕者) といいました。生まれてから七日にして不幸にも母マーヤーは亡くなり、母の妹で、シッダールタからすると叔母にあたるマハープラジャーパティーがシュッドーダナ王の後妻となり、シッダールタは彼女に養育されることになりました(7)。
若い王子は、王宮のなかで何一つ不自由なく、恵まれた生活を営みました。 後に自分の生活を回顧して、ブッダはこう述べています。 弟子たちよ、出家以前の私は、大変幸福な生活を送っていた。私の生まれた家には池があり、美しい蓮の花が咲いていた。部屋にはいつも 栴檀 のかぐわしい香りが漂い、着るものはすべて最上の布でできていた。 私はそういう境遇にあった。
ところが、シッダールタは、生後すぐに母を亡くしたがゆえの寂しさからくる 憂鬱 もあったのでしょうか、多感で、内省的で、思弁的な性向でした。
今日から見ると、出家というのは、極端な選択ですが、当時のインドでは一般的な求道形態でした。
そこで彼は瞑想修行に見切りをつけて、苦行の道に入ることにしました。この苦行という修行が当時流行していたことは、ジャイナ教のマハーヴィーラも同地域で同じく苦行に励んでいたことからもわかります( 14)。これは、極度に体を虐待し、禁欲で心を鍛えることにより、欲望を抑え込もうとするものでした。マガダ国内を南から北に流れてガンジス川に流入するナイランジャナー川左岸のウルヴィルヴァーの「苦行林」(タポーヴァナ) という場所がありましたので、彼はそこに赴き、遍歴途中で仲間となった五人とともに、
止息 とか 断食 といった厳しい苦行に専念しました。止息は文字どおり息を止めることで、これをある程度続けると、苦しみを感じる心的要素を根絶できるとされました。ゴータマはこの修行を極限まで行ったために仮死状態に陥ったとされます。いずれにせよ止息によって欲望を著しく減少させることはできましたが、完全に消滅させることはできませんでした。
彼はまた断食修行にも熱心であったと伝えられます。彼の場合にはそれがいかに厳しく、肉体的に過酷であったかは、ガンダーラ仏の代表作である、ほとんど骨と皮だけになった釈迦苦行像(三─四世期。ラホール博物館所蔵、 図1) を見れば一目瞭然です。
三十五歳にしてついにものごとのありのままの姿を正しく理解し、長年求めていた人間存在に内在する普遍的苦しみを乗り越える道を確立したのです。その出発点は一言で言えば、 「すべてのことがらは、原因があって生ずる。 すべてのことがらは、その原因がなくなることによりなくなる」 という、一種の因果関係で単純明瞭なものです。
ブッダはものごとを徹底的に観察・分析し、ものごとの本質について自分の力で考え抜いた人です。ものごとの本質について考え抜くというのは 如 理 作意(ヨーニソー・マナシカーラ) と呼ばれる考察方法で、その結果得られるものは、 如実知見(ヤター・ブータ・ダッサナ) として知られています。
これはブッダ自身が実践・経験したことですから説得力がありました。ブッダは経験論者で、生涯を通じてすべて自分で経験したことだけを話す人であり、思弁的、形而上学的なことがらはいっさい問題にしませんでした。
ブッダは、在世当時から現在に至るまでのインド社会の基盤であるカースト制による社会階級や身分差別を認めませんでした。ですから仏教教団にはさまざまなカーストからの弟子がいましたが、出身階級とか身分による差別がない調和の取れた集団を形成していきました。このこと自体がインドの全歴史を通じてまさに画期的なことです。ブッダが生きたのはカースト制インドでしたから、ブッダは当時のインド人社会からは異端視され、けっして好意的には見られなかったことでしょう。
にもかかわらず、彼が説いた道は、聴く耳を持ち、理解し、実践しようという意志があれば、男であれ女であれ、若い人であれ年老いた人であれ、すべての人が歩むことができる普遍的なものでした。ですから、カーストを問わずさまざまな人々がブッダの教えに従うようになり、バラモン教、カースト制の枠組みから解放されるようになりました。そして彼の教えはインドを超えて、アジアの他の国々にも広まり、二千五百年近くに及んで現在まで生き続けています。これは、ブッダの教えがどの時代にあっても、どこの地域・国にあっても、生をよりよく全うしようとする者すべてにとっての普遍的指針であることの何よりの証明です。
また既に述べましたが、ブッダ当時のバラモン教教団は女人禁制でした。こうした中で、ブッダが女性出家者を認めたことは極めて注目されるべきことです。養母マハープラジャーパティーが出家を願い出たとき、ブッダは最初は躊躇しましたが、ついには条件付きでそれを認めました。こうして彼女が女性出家者(比丘尼) の第一号となり、それに続いてブッダの出家前の妃であったヤショーダラーも出家し、尼僧教団が設立され、発展していくことになりました。
唐突ですが、作詞作曲小椋佳による美空ひばりの「 愛 燦燦」を「 命 燦燦」と変えれば、これはまさにブッダ自身が自らの人生を歌ったものと言うことができるのではないでしょうか。運の悪さを怨んだり、哀しいことがありながらも、そして夢が思いどおりに実現しないこと(すなわち「苦」) があっても、人生は嬉しいものだと謳うこの歌は、苦しみや悲しみを乗り越えて歩んだブッダの人生の讃歌に他ならないでしょう。
タキシラ──西洋と東洋の接点
新説では、正確な時期はまったくわかりませんが、ブッダは当時の彼と似たような境遇の若者たちの多くと同じく、ガンジス川中流域から北西約千三百キロメートルも離れた、二カ月行程の中央アジアのタキシラ(現在のパキスタン、パンジャーブ州) に遊学していたのではないか、というものです。
当時のインドの十六大国間には交易・通商の幹線道路がありました。ガンジス川中流域では東のマガダ国の首都ラージャグリハと西のコーサラ国の首都シラーヴァスティーの間の交流は陸路・水路とも非常に活発でした。シラーヴァスティーから南へは、ダッキナーパタ(南路) と呼ばれる道が、コーサンビー、ウッジャインを経由して十六大国の最南のアッサカ国の首都ポタリまで通じていました。北の方へはウッタラーパタ(北路) と呼ばれる幹線道路で、インド最北部のガンダーラ国のタキシラまで行くことができました(図5)。
ブッダが強調したのは自分自身で理解し、実践することであり、信心あるいは信仰ではありません。自らの経験の客観的な事実認識の上に立脚し、たえずその認識を自ら検証するというのがブッダの教えの大きな特徴と言えるでしょう。
ブッダ自身は、確固たる理解に達するまで、ものごとを徹底的に考察し抜いた人です。そして弟子たちにもそれを要求しました。疑念が残っていては、真の進歩はありませんし、問題に対する真の解決策は見つかりません。
ブッダは実に合理的な思考方法の持ち主で、彼の教義はすべてこうして検証され、打ち立てられものです。その結果得られた、ものごとのありのままの姿の理解が、 如実知見(ヤター・ブータ・ダッサナ) です。このことはこの先主要な教義を詳しく見ていく過程で、いっそう明瞭になってくることと思います。
第一の真理は「苦しみの本質」です。ここでまず注意しておきたいのは、ブッダが最初に「苦しみの本質」の真理を挙げているからと言って、彼は人生は苦に他ならないと見なす厭世主義者、ペシミストではなかったということです。
ここで注意したいのは、仏教は無常、死ということをよく問題にすることから、暗い印象を与えます。しかしそれは何も人を意気消沈させるためのものではありません。死とか無常を考えないと、人は自分の前にはいくらでも時間があるかのように思い、無為に過ごしてしまう傾向があります。仏教が無常を前面に押し出すのは、人生のはかなさを自覚させることによって、前触れもなく突然訪れる死によっていつ終止符が打たれるともわからない、限りある貴重な人生の一瞬一瞬を活用し、意義のあるものにするようにとの注意喚起です。ですから、ラテン語のメメント・モリ(memento mori)「死を忘れるなかれ」という警句に通じるものです( 36)。平安時代の歌人で、美貌で知られた小野小町(生没年未詳) は、『古今集』に、 「花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に」 と詠んで、自らが 徒 らに生きながらえている間に美貌が失せさったのを嘆いていますが、死を前にして、人生を無駄に過ごしたことを嘆くのはそれよりも哀れなことではないでしょうか。
慈経』(慈しみについての経) という短い経典がありますが、これは現代のスリランカでは毎日学校で読誦されています。それほど「慈」(および他の三項目) の心は仏教徒にとって重要視されています。
最初の不殺生戒に関しては、いくつか留意したいことがあります。まずは、自分自身が生きものである以上、自らを殺す行為すなわち自殺は当然のこととして戒められます。
ですから現代的コンテクストでは、飲酒を絶対的に禁じるということは社会的にも一概に認められないものです。現に仏教国ブータンでは信仰の篤い仏教徒でもお酒は大いに楽しんでいます。ただし度を越した場合のリスクを考慮して、酒は慎んで飲まなければならないという点は十分に認識されています。これに関して、あるブータン人から次のような興味深い話を聞いたことがあります。
「私は五戒の内、不飲酒戒がもっとも重要と考えているので、絶対にお酒は飲まない。その理由はというと、こんなことがあったからだ。ある晩、老婆と娘の二人住まいの家に、一人の男が泊まった。彼は出された酒をしこたま飲んだあまり、自制心をなくし、噓をついたり、いい加減なことを言い始め、さらに酒に飲まれて老婆を 殺め、娘を犯し、金品を盗んで立ち去った。つまり彼は酒を飲んだあまり、五戒の内、不殺生戒、不偸盗戒、不邪婬戒、不妄語戒の四つを犯すことになってしまった。そのすべての発端は飲酒にあるので、不飲酒戒こそがもっとも大切だ」
ブータンは国民の幸福を第一に追求している国です。半世紀近く前に第四代国王ジクメ・センゲ・ワンチュックは、「Gross National Happiness(GNH、国民総幸福) は、Gross National Product(GNP、国民総生産) よりも重要である」と宣言し、GNHを国の方針の中心に据えました。この幸せを目指す「国民総幸福」という姿勢は、いうまでもなくブッダの教えを基盤としたものであり、私たちが新しい社会改革、開発を考える上での指針となるものです。第四代国王の王妃ドルジ・ワンモ・ワンチュック殿下は日本での講演で次のように述べています。続きを読む投稿日:2024.01.09
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