カラー版 王室外交物語~紀元前14世紀から現代まで~
君塚直隆(著)
/光文社新書
作品情報
「時代遅れの遺物」から、民主政治や平和を支える存在へ――。今や世界でわずか28カ国(日本も含む)となった君主国が、21世紀の現代に極めて重要な意味を持ち、特に「外交」の面で力を発揮しているのはなぜか。本書ではまず外交の源流、3500年前の中東に読者をいざない、中世イタリアの近代外交の夜明け、16世紀以降の宮廷外交黄金期、20世紀の二度の大戦を経ての英王室の発展を辿り、日本の皇室のあり方も振り返る。
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君塚直隆(きみづかなおたか)
1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了…。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『悪党たちの大英帝国』『立憲君主制の現在』(後者は2018年サントリー学芸賞受賞、ともに新潮選書)、『ヴィクトリア女王』『エリザベス女王』『物語 イギリスの歴史(上・下)』(以上、中公新書)、『肖像画で読み解く イギリス王室の物語』(光文社新書)、『ヨーロッパ近代史』(ちくま新書)、『女王陛下のブルーリボン』(中公文庫)、『女王陛下の外交戦略』(講談社)など多数。
確かにこの五大国のなかで頭ひとつ抜きんでていた存在はエジプトであろう。アマルナ文書が書かれた当時のエジプトは第一八王朝(紀元前一五七〇~前一二九三年)の時代であり、首都テーベ(現在のルクソール)には今も残る数々の巨大な建造物が築かれ、幾多の遠征でカナン(現在のヨルダン、イスラエル、パレスチナ)、ダマスカス(現在の南西シリア)、アムル(現在の北西シリアと北レバノン)といった地域まで属国に置いていた。
それでもエジプトは中東世界で「覇権( hegemony)」を握ろうなどとは思ってもいなかった。紀元前一四世紀当時の 兵站 学( logistics)をもってしては、そのようなことなど不可能だったのである。なにせお互いに二〇〇〇キロも離れた地域である。かなり速い行程で向かったとしても、エジプトからワシュカンニ(ミタンニの都)に到着するには一ヵ月以上はかかったし、さらに遠いヒッタイトやバビロニアともなれば一ヵ月半は要したのだ。
なかでも際立っていたのがエジプトが各国に贈る黄金であった。ナイル川上流域のスーダンやエチオピアには豊富な金鉱脈があり、「エジプトには黄金が 塵芥 と同じぐらい豊富にある」という 諺 まで当時の中東にはあったくらいである。エジプトから贈られる黄金は、周辺各国にとっても 垂涎 の的であった。
一二〇四年にコンスタンティノープルが十字軍(第四回)により陥落させられ、皇帝をはじめ貴顕もすべて各地に敗走した。その後、一二六一年にはコンスタンティノープルの奪回に成功を収めるものの、もはや「帝国」というにはほど遠い弱小勢力になっていた。東ローマにとどめを刺したのはモンゴルではなく、イスラームのオスマンであった。一四世紀半ばぐらいからすでにバルカン半島にも進出していたオスマン帝国は、一四五三年春に二〇万人の大軍でコンスタンティノープルに攻め込んできた。一万にも満たない防衛軍など敵ではなかった。五月にここに都も陥落した。 こうして古代から延々と続いてきた「帝国」が、ヨーロッパ大陸から姿を消した。それと同時に、このイスラームの新たなる「帝国」の脅威が、ヨーロッパに新しい「外交」を生み出していくことになるのである。
また前章で、東ローマ帝国からアッバース朝イスラーム帝国には、当代随一の数学者が「外交官」として派遣されたことがあったと紹介したが、一五世紀のヨーロッパはまさにルネサンスの世。北方ルネサンスを築いたブルゴーニュ公爵の宮廷からはヤン・ファン・アイク(一三九五頃~一四四一)が、神聖ローマ皇帝からイタリア諸国へはアルブレヒト・デューラー(一四七一~一五二八)が、といった具合に、当代随一の画家たちも外交官の役割を果たし、相手国の君主の肖像画などを描き残したりしている。
二〇二〇年一月、これより半年ほど前に即位したばかりの 徳 仁 天皇と雅子皇后が初めての国際親善の旅に出られることが発表された。行き先は「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」。すなわちイギリスである。お二人とも若き日に留学を経験された国でもあり、現代世界の「王室外交」において頂点に位置するエリザベス二世女王が迎えてくれるイギリスへのご訪問は、両陛下にとっても念願のひとつであったことだろう。
王子は母のヴィクトリア女王に次のような手紙を送っている。 「私の北京訪問はまったくの私的なものであるがゆえに、中国人たちも私の[宮廷への]来訪を拒絶したのだと思います。それとは正反対に、日本政府は私を最大級の礼儀と配慮で迎えてくれました」 それまでヴィクトリア女王が抱いていた日本のイメージは「遠くて野蛮な国( distant and wild country)」というものであった。特に幕末の一八六二(文久二)年に生じた、薩摩藩の 島津久光 の行列に騎乗のイギリス人らが遭遇し、 無礼 打ちにあった「生麦事件」の印象が強く残っていたようである。このとき女王は、大切な「臣民」を保護するため速やかに報復措置を執るよう、外相に指示を出していたほどである。それは薩英戦争へとつながる。
しかしそれからわずか七年後に、次男坊アルフレッドが日本の天皇や政府から大歓待を受け、帰国後の王子からもいろいろと聞くうちに、日本は決して野蛮ではなく「文明国」であると、女王は考えを改めるようになっていた。さらにその三年後、欧米列強から様々なものを吸収しようとイギリスを訪れた岩倉使節団(一八七一~七三年)ともウィンザー城で謁見し、彼らの知的な 風貌 から、女王は「日本」に好意を抱くようになっていた。 当時、「七つの海を支配する大英帝国」といわれたイギリスに最盛期を築いていた女王の「日本観」を大きく変えることに成功したとは、明治新政府の首脳らが奔走した「皇室外交」の 面目躍如 ともいうべきか。
本書でもたびたび触れているとおり、「外交」とは「対等」のもの同士の間でしか成り立たないものである。一六~一七世紀にはユーラシア大陸の巨大帝国の前に、「野蛮人」のヨーロッパ諸国が外交関係を持つことはできなかったが、いまや立場が逆転し、ヨーロッパ列強が「野蛮なアジア」の国々を支配下に置き、また「不平等」条約を押しつける番となっていた。日本が欧米に「文明国」と認められるためには、外交儀礼はもちろんだが、それ以外にも近代的機構・法・制度も必要だったのである。この間に鹿鳴館は閉鎖され、華族会館へと姿を変えるようになっていた(一八九〇年)。
さらに世界における日本の立場を強めたのが、日露戦争(一九〇四~五年)であった。当初は世界最強の陸軍大国ロシアに日本がかなうはずなどないと誰もが予想していたのだが、陸海軍ともに善戦し、日本が一定の勝利をつかんだ。それと同時に、イギリスとの間に第二次日英同盟が結ばれ(一九〇五年八月)、その年の一二月に東京常駐のイギリス公使館は「大使館」に昇格された。同様にロンドン駐在の日本公使も大使へと格上げされた。
これに先立つ第一次日英同盟締結時(一九〇二年一月)には、同盟の適用範囲は東アジアに限られており、日本にとってはその権益の一〇〇% だったかもしれないが、世界中に領土を有する大英帝国にとってそれは数% の権益に関わるものでしかなかった。それが、第二次の日英同盟では日本は東南アジアやインドに救援に駆けつけるという内容まで盛り込まれるようになっていたのである。それまでイギリスにとって「 格下 のパートナー」にすぎなかった日本は、ここに「 対等の パートナー」となったのである。
特に長期の海外留学の経験を有する徳仁天皇と、「帰国子女」でもあった雅子皇后とは、外国語能力については定評がある。二〇一九年にお二人が即位後に初めて国賓として迎えたアメリカのドナルド・トランプ大統領(在任二〇一七~二一年)夫妻が来日した際には、通訳を介さなくてもかなり深い内容のお話をなさるなどしている。
そしてお二人は天皇・皇后になられる前から、国際的な活躍を果たしてきている。雅子妃はもともとが「職業外交官」であり、これはもちろん歴代皇后のなかでは初めてのことである。
藤氏との打ち合わせの段階から現代の王室外交について書くにあたり、やはりその代表的な存在ともいうべきイギリスのエリザベス女王については一章を設けたいと考えてはいたが、著者にはすでに女王の生涯を描いた評伝もあるので、それとは異なる視点から書いていきたいと思うようになった。そこで「人類にとって外交とはそもそも王様同士の付き合いから始まったものではないか」との視点に立ち、今から三五〇〇年ほど前の古代中東世界から話を説き起こすという無謀な物語になってしまった。 しかし本書が、古代から現代にまで至る「王室外交」の持つ意味についてだけではなく、「外交」そのものの特質についても、その一端でも読者にお伝えできていれば望外の幸せである。続きを読む投稿日:2024.03.22
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