追憶の東京 異国の時を旅する
アンナ シャーマン(著)
,吉井 智津(訳)
/早川書房
作品情報
江戸時代から戦後にかけての東京の歴史をめぐり、作家は東京の各所を訪ね歩く。史跡を訪ね、人物に聞き取りをし、古い文献を紐解きながら、現代日本人も知らない東京の姿を〈再発見〉していく。イギリス在住の作家による、都市の記録と記憶をめぐるエッセイ。
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商品情報
- シリーズ
- 追憶の東京 異国の時を旅する
- ジャンル
- 教養 - ノンフィクション・ドキュメンタリー
- 出版社
- 早川書房
- 書籍発売日
- 2020.10.15
- Reader Store発売日
- 2020.10.15
- ファイルサイズ
- 4.5MB
- ページ数
- 368ページ
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この作品のレビュー
平均 4.0 (4件のレビュー)
-
セイコーミュージアムのホームページに、「時の鐘」についての説明がある。少し長くなるが、引用したい。
【引用】
江戸時代における時刻制度には、不定時法が使われていました。不定時法とは、一日を夜明けと日…暮れを基準にして昼と夜に分けてそれぞれ6等分し、その長さを一刻(いっとき)と呼んでいました。一日のうちでも昼と夜の一刻の長さは異なり、しかも季節によっても変わるため、常に一刻の長さが変化した複雑な時刻制度でした。
当時の時報の中心的な手段は、時を知らせる鐘(「時の鐘」)で、「時の鐘」には「城の鐘」「寺の鐘」「町の鐘」と複数の種類があって、昼夜を通して報知がなされていました。
【引用終わり】
本書「追憶の東京 異国の時を旅する」の原題は、The Bells of Old Tokyoであり、Bellsは、上記の「時の鐘」のことである。
筆者は、英国在住の作家、アンナ・シャーマン。2000年代のはじめに10年余りを東京で過ごし、そのときの経験をもとに本書を書いたと紹介されている。
本書についての訳者の紹介を、これも少し長くなるが、引用しておきたい。
【引用】
本書は、作家がかつて暮らし、見聞きし、心にとどめた東京の姿を詩情あふれることばでつづる、街歩きの記録であり、タイトルが示すとおり、街と時間をめぐるエッセイです。
東京で暮らしはじめ、仕事のかたわら日本語を勉強していた「わたし」=著者が、ある日の夕方、東京タワーの近くで耳にした増上寺の鐘の音に心惹かれ、引き寄せられるようにして”時の鐘”を訪ね歩きます。”時の鐘”は、時計がまだ一般的でなかった江戸時代、町に時を知らせていた古い鐘で、十か所あまりが幕府公認とされていたというもの。訪ねていく先に鐘はあったりなかったりするのですが、書物をたよりに歩く道すじで、時の流れのなかで失われたものと、時がのこしていったものがともにかたちづくる東京の風景を”再発見”してゆきます。
【引用終わり】
街歩きの舞台は、日比谷・日本橋・浅草・赤坂・目白・根津・上野・築地、等。時の鐘は江戸幕府が江戸の町に時を知らせるために設けたものなので、江戸城、今の皇居周辺が所在の中心となる。
また、単純な街歩きの記録ではない。土地土地の歴史を調べ、ゆかりの本を読み、そのうえで、狙いをつけた人にインタビューをするという構成になっている。書くのに相当に手間暇がかかった本だと思う。
面白い。
面白い本であるが、エッセイというよりも、時々、学術書のように思えることがある。気軽に読める本ではない。続きを読む投稿日:2021.07.10
『その小さな珈琲店は二階にあり、おなじビルの一階はラーメン屋だった。それから、ラーメン屋がなくなってコインロッカーになった。ラーメン屋がはいるまえは、その場所はブティックだった。三階には日本刀を売る店…があった。その上の最上階には、根付を売る店があったと思う。それらの店が、ひとつ、またひとつと閉店し、やがてビルのほかの階はすべて空き家になって大坊珈琲店だけがのこった。大坊さんがその場所を離れることはなかった。例外は毎年八月の三日間で、そのときは店を閉め、生まれ故郷である岩手県の北上山地へ帰っていた』―『時の鐘』
W・G・ゼーバルトの「土星の環」か、なるほど。翻訳者によるあとがきによれば作家アンナ・シャーマンが本書を書くに当たって最も影響を受けた本の一冊とのこと。確かに、ゼーバルトの特徴、無数の文章の断片が時も場所も越えて漂う感じに似た雰囲気が本書の中にもある。ただしゼーバルトの断片群がともすれば一葉一葉霧散しそうになる印象を残すの対して、シャーマンの綴る断片らは「時」という言葉の糸によってしっかりと縫い合わされたコラージュとなっているという違いはある。江戸の町に時を知らせた「時の鐘」を訪ね歩きながら、その場所に漂う「過去」の残照、「現在」の儚さの印象を丹念に描写し、多岐にわたる文献や文章の中にその印象の出所を探ろうとする行為を綴った本書は、初めての異国を訪れた人の旅日記風でもあり、歴史愛好家の備忘録のようでもあり、異文化研究家の成果報告書のようでもありながら、我知らず「時間」に魅せられてしまう人の徒然の随筆である。
街歩きをしながら写真を撮っていると気付くのだが、海外で街歩きをしている時の方が思わず引き寄せられて写真を撮ってしまう機会は多い。それはきっと自分自身の中に滲み込んでいる「日常」との「違い」を意識する機会が多いからだと思うのだが、それと同じことを逆の立場でしている人の写真を観て改めて気付かされる身近にあるものの魅力というのもあり、そんな写真を発信する人をフォローしていたりもする。面白いことに、違いを意識するからと言って異国情緒に溢れたものに必ずしも惹かれている訳でもないことは、自分の撮った写真を眺めていても後から気付くこと。結局、見知らぬ国の不案内な道でも、毎日のように歩く見慣れた道でも、写真を撮りたくなる場所というのには案外共通点があって、気付けば日本に居ようが海外に滞在していようが、同じような写真ばかり撮っているということになりがちなのだ。我田引水的な読みではあるけれど、著者が本書でやっている行為も決して異国情緒に惹かれてのことではなくて、思わず引き寄せられてしまうものの背後にあるものをぐっと深く掘り下げて見たという結果なのだろうと思う。もちろん原題(The Bells of Old Tokyo)が示すように「時の鐘」という調査対象、あるいは符牒はあるのだが、綴られる文章は、時に散漫とも思えるほど印象過多になるかと思えば、歴史的事実を積み重ねようとする真摯なものともなる。そして驚くほど率直にその過程で出会った人々のスケッチが挿し込まれる。特に「大坊珈琲店」における遣り取りでは本書を書き上げるまでの時間の経過が並行して描かれているのだが、それも単なる歳時記的な文章に留まらず、その場所に流れている時間を写し撮る営みとなっていて、実はそれこそが「時の鐘」を巡りながら著者のしたかったことなのだということが解る仕組みになっている。
つまりそれは、人が時を生み出しているという考え方。それが著者の中にあることは間違いない。そのことは最終章である「日比谷」において交わされる宮島達雄との会話によって強く確信される。宮島といば東京都現代美術館に常設されている「Keep Changing, Connect with Everything, Continue Forever」を思い起こす人も多いと思うけれど、宮島もまたデジタル・カウンターに「時の流れ」や「生命の発生消滅」を重ね合わせる作風で知られている。その作品の一つに魅せられて日本にやって来たと告白する著者に宮島は逆に質問をする。
『「それで、あなたは?」宮島さんがわたしに訊いた。「あなたにとって最初の時間のご記憶は?」』
著者は一瞬虚を突かれたようになり、そこで初めて何故自分がこんなことをしているのかの意味を理解したように訥々と答える。
『わたしにとって最初の時間の記憶……さあ、よくわかりません。子どものころ、うちにはうごいている時計が一つもありませんでしたから』
その宮島との遣り取りには、「時」という概念の周りを巡る著者の郷愁、寂寥、好奇心が綯い交ぜとなった心情が吐露されていると思う。と同時に、何故本書が単純に読者に捉えられることを拒むのかがよく表れているとも思う。そして、その魅力が翻訳を通しても伝わって来る理由もまたそこにある。
因みに、本書には数多い注釈があるが、読書の流れを中断してでも丹念にそれらを参照して読み進めることをお薦めする。その多くは参考文献への参照ではあるが、歴史的事実を探る文献の多くが海外の日本文化研究者たちによるものであることに改めて目を啓かされる思いがする。真摯な、そしてしばしば中立的な、それらの文献による記述によって初めて知る自国の歴史もあることを素直に認められれば、アンナ・シャーマンのこの随筆に対する受け入れもまた変わるだろうと思うから。そして、この翻訳を単なる翻訳以上の、まるでシャーマンが日本語で語っているかのような本に仕上げた翻訳家吉井智津の仕事もまた素晴らしいと言っておきたい。続きを読む投稿日:2022.12.14
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