「生存競争」教育への反抗
神代健彦(著)
/集英社新書
作品情報
我が子の「教育」が苦しい――それはあなた一人の責任ではない。「クラス全員を企業家に育てる」教育にNOと言おう! どうやら企業人や政治家、官僚たちは、日本の経済的低迷を教育で挽回しようとしているようだ。まるで、「最小限のコストで最大限の商品(人材)を納品しろ」と言わんばかりである。そんな社会を生きる私たちの子育て――とりわけ教育は、じつに悩ましい。なぜこんなにも苦しいのか。しかし本書は、「それはあなた一人の責任ではない」と説く。これは社会全体の問題なのだ。では、どうすればいいのか。本書は、明治時代から現在に至るまでの教育の歴史を振り返りながら、私たちが教育に期待すべきこと、そしてその実践の方法を試みる。これは教育学からの反抗であり、絶望に包まれた教育に対する、たしかな希望の書となるだろう。
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商品情報
- シリーズ
- 「生存競争」教育への反抗
- 著者
- 神代健彦
- 出版社
- 集英社
- 掲載誌・レーベル
- 集英社新書
- 書籍発売日
- 2020.07.17
- Reader Store発売日
- 2020.07.17
- ファイルサイズ
- 0.7MB
- ページ数
- 256ページ
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この作品のレビュー
平均 3.8 (7件のレビュー)
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常に批判に晒される学校教育。多くの親が塾に通わせていることからも学校教育への批判は伝わってくる一方、教師の多忙もまた問題になっている今日。生きる力やアクティブラーニングにも何かモヤモヤ感を抱えていたと…ころで出会った1冊。その疑問に大いなるヒントをくれた。
今日の生存競争教育の良さを認めつつ、その理想論を現実に落とし込んだときに息苦しさを感じるという感覚もまた納得できる。
ただ、今日の教育がダメだと論じるのではなく、時に擁護する姿勢から読者として混乱する部分もあったが、全否定全肯定となるよりも現実を見据えており好感が持てる。途中で今までの要約が度々入り、読みづらさを軽減してくれたのもありがたかった。
出会って良かったと思える本のうちの1冊となった。続きを読む投稿日:2020.08.16
以下引用
古代ギリシャにおいてスコレーは、閑暇、余暇、ゆとりを意味し、それがラテン語スコラを経て、英語のスクールとなった。学校とは、労働やその他の社会活動、社会の現実を生きるということから区別され…た時間と空間経験を意味していた。
それは単なる休憩時間ではなかった。まだ現代のわたしたちが一般に言うような、明日の労働への英気を養う遊び時間でもない。スコレーとは、ほかのなにかのためではなく、それを行うことそれ自体のために、選びとられる真剣な活動であり、それはそのまま、人間の到達し得る幸福へと向かうことだった。
幸福はスコレーのうちにある
哲学者はほかのなにかのためではなく、ただ知ることそれ自体のために自らの理性を働かせ、知をもとめる。
学校における教育や学習が、学校の外にある社会を生き抜くための準備であり、社会の要求に奉仕するため努力であるというのとは、明らかに異なって存在し得る可能性
学校の外部(社会)から来る「社会の役に立て」という要請を拒否するという、ある種の「反社会性」を帯びている
学校とは、ただ生きる(社会へ適応する)のではなく、「よく生きる」ための時空間である
わたしたちの社会は、社会それ自体流動性や不確実性の高まり前にその処方箋として教育を通して次世代を育てるとう方策に依存している、ただそもそも予見不可能な未来社会を前に、具体的どのような力量が役に立つかを私たちは判断することできないから教育目標求められる人材像はより全体化全人格化、抽象化、一般的なものへと膨らんでいく
学校教育できること/すべきこととは何か。それは、コンピテシー論ように教育を通じた社会への適応子どもたちを追い立てることを一定程度ゆるめ、その代わりに社会ではなく、世界に出会わせ、味わせるということである。ここで言う世界は、わたしたちが日常的に社会と呼ぶもの超えた広がりと深みをもっている。私たちが社会に出る、社会人になる、社会で役に立つという時、それは多くの場合、会社就職することであり、市場で労働力商品とし価値をもつということである、常識的に考えて、世界はそんな労働の現場や市場、社会だけではなく、それを含みつつもより広く深い
そんな広く深い世界と子どもたちを出会わせるためには、その学習はなんのため?という意味の問い、社会的な問いから距離を取らなくてはいけない。
社会への合理的で自然な適応に任せていては出会うことのないような、世界のさまざまな事実子どもたちが出会いその驚きに打たれ、おのずからそれと戯れる。そんな種類教育、学習の経験
むしろ意味についての問いを問う必要のないような世界の強度を経験する、強迫的な社会の必要拒否してゴールとしての資質、能力の呪縛から解き放たれた適度にゆるめられた心と体が自然、文化、芸術、つまり世界と出会う。彼らは育つために、自己自身を有能にしていくために世界に出会うのではない。世界と出会うことはそれ自体が価値なのである
ビースタは、コンピテシー学習論の中で想定され学習者がおかれた状況エコロジカルな世界表現する。それは自己を中心とした世界である、自己はまさしく自己完結しており、自己自身から出発しつつ、対象となる世界を解釈し、世界やその中での事物についての理解を構成しつつ、あた自己へと還っていく。その自己にとって世界は、あくまでも自己が一方的に解釈する限りの世界でしかない。これがエコロジカルな世界。
しかし別の角度から見ると、そのような学習はこの社会における自己の個人の人生の成功、うまく機能する社会の達成という目的そう限りで世界を理解して、その限りでの世界、社会に適応するということほかならない。そこ欠けているのは、この社会は自己にとってて適応するに足る社会であるかという、そのものについて理解と批判である
この社会に適応したい、そのために役に立つ形でのみ世界を理解したいという自己の側の欲望を吟味する機会も奪われている。
適応する、生き残ると言うことは生き物として目的であり欲望。
そのような適応が、人生の関心事のすべてになってしまうことは、ある種の窮屈さ、もっと言うと不快さがある。もっほかでもあり得たかもしれない世界が、役に立つ限りでの世界、社会という形へと不当に狭められているような気がしている。そのような狭小な世界に先立って適応しようとしている自己自身に言い様のない苛立ちが募ってくる
学習する生き物として人間は、エコロジカルに世界を了解している、それはわたしなりに言い換えれば、世界のあり方を、あるがままに理解するのではなく、自己が既に見知っている情報の組み合わせに置き換えていくということほかならない。そこでは自己のあり方の芯は変わることはなく、ただ自分なりの、つまり現在の自己が一人で把握し得る限りでの世界像が自己の中に出来上がっていく、そして自己はそのような世界像に即して自身を有用に作り変える、それに適応していく。あたかもロボット掃除機が、障害物にぶつかって試行錯誤しながら、その部屋に対してより知的な適応成し遂げていくように。
ビースタのいう教えるとは、進歩的なコンピテシー学習論が言うように学習(適応)を促進することではなく、むしろまず学習を「中断」させることである。
教えるとは、世界のうちにあって、世界を構成している事物を、子どもの適応の関心の枠外からあえて差し込むことで、子どもの自己がものごとを既知のものへと置き換えていくプロセス齟齬を起こさせ、中断させることを目指している
それは自己にとっては既知のものへとスムーズに置き換え整理できないものとの出会いである。自己はそこで、自らの理解に服さない(わからない)ものとの出会い、世界の側からの抵抗を経験する。わからないとは自分がまだ知らないことがそこにあるということである。
ビースタによれば、そのように首尾よく抵抗に出会い、学習、適応を中断された自己は、自己自身がもつ学習(適応
)したいという欲望の存在に気づき、その欲望それ自体の吟味を始めるという。砕いて言えば、うまく意欲を引き出され、進んで学習課題をこなし、そのもとを通じて社会へ適応しようとする自己振り返問い直すといったことだろうか、これをビースタは停止と呼ぶ
停止は、自己にとって極めて不安な状態である。そこで自己が取り得る選択肢は、不安に耐えかねて再び適応に没入するか、逆に世界の抵抗から逃げ去ろうとするか。前者はいわゆる受験勉強へ没入するか、逆に世界の抵抗から逃げ去ろうとするか。
わからなさに耐えて、わかろうとすることを、自己に強いるのだ
それはとて不安なことだろう。だから、他者をそのような状態に至らせとどまらせるという教育はとても困難なものである。しかしそのようにして初めて世界は、自己にとって既知のもの、役に立つ/役に立たないの二文方でのみ捉えられるものではなく、自己にとって未知のものとなる。世界はこちらが一方的に理解する対象ではなく、むしろ向こうから呼びかけてくるもの、その意味で正しく対話の相手となる。
わからない、できないということのうちに隠された価値を救い出すもの。わかる、できる社会への適応であるのに対して、わからない、できないとは、そのすべてがとは言わないとしても、そのうちいくぶんかは、わかる、できる力に容易に屈することのない謎として
学習(適応)に還元されない教えることの意味を再発見する。この教えることを介して、世界と対話するようになった自己をこそ、ビースタは主体と呼ぶ
矛盾なく、葛藤なく、抵抗なく生きる学習者は適応という生き物として欲望にとらわれ操作されている。そのような人々によって満たされた社会は、一つの生態系のなかですべての生き物の生と死が無駄なく調和し閉じているような、そんな状態に似ている
主体であるとは、社会の一部になることではなく他者としてに世界に出会い、それとともに在ること、
社会への適応力を引き出す学習論ではなく、子どもを世界と出会うわせる営みとして教育。子どもと世界出会わせ仕事として教えることの再発見こそがビースタの提案
→うちもこれだろうな。世界と出会う。社会や規範への適応によって見えなくなっている世界と出会う。そのツールとして対話もあるし、滞在も、フィールド学習もある。そしてそれが主体化、かけがえのなさの生成の支援となるという構図。
教育とは、学習、適応の結果どのような意味で役に立つ存在になり得るか、によって測られるものではない。教育、なかんずく教えるということの価値は、教えるまさその瞬間、子どもを中断、停止、維持のなかぬ繋ぎ止めること、世界とで合わせること、つまりは主体とすることそのものにある
コンピテシーは、子どもの力を引き出すためにm力それ自体としての子どもが自己自身を無理なく無駄なく増大させていくよう促進するためぬ、教育におけるコンテンツを吟味する、それはアスリートが優れた身体を手にれるために、食事を栄養素還元して理解することに似ている。
際限なく高度になっていくコンピテンシー論は、人間の善き生を定義してしまっていて、そのことが現実の子どもを苦しめ、教育を窮屈にしてしまっているのではないか
コンピテンシー論とは、教育論ではなく学習論である。コンピテンシー学習論は子どもの育ちをロボット掃除機の卓越化と同じレベルで理解している。コンピテンシー学習論が子どもたち課しているのは、矮小化して理解された世界=社会のなかで生き残り、また社会に貢献するために、必死の学習である、適応である
教えるとは、つねすでに世界を自分なりに解釈して既知のものとしてしまう自己、適応するという欲望そのものとなって疑うことのない資質、能力としての子どもの、その適応、学習を中断させる。、
●教育は学習の促進ではない。むしろ、教育とは、つねにすでに生きるために学習しようとしている学習者の邪魔をすることである
ロボット掃除機にm実存的な問いを引き起こし、フリーズさせる。それにより、自己と社会の必要に即応する機械であることから離れて、別のあり方へ開かれるチャンスを得る。高度かつ緻密に組織された人間の善き生の形式を狂わせ、子どもを停滞のなかにとめておくことになる。そしていくぶん常識に逆らって、そのことこそが価値なのである続きを読む投稿日:2023.12.02
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