不可能性の時代
大澤真幸(著)
/岩波新書
この作品のレビュー
平均 3.6 (46件のレビュー)
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※ 超単純化した、独断的な説明です。
本書のテーマは、終戦から現在までの「戦後日本」の時代の移り変わりです。
日本人が時代ごとにどんな生き方をしてきたか?また、今どんな生き方をしようとしているのか…?
この疑問に答えてみた、という本です。
本書の内容に関して、まず人が生き方を決めるときの「基準」・「指針」について考えてみます。
かつて日本では、その基準や指針の典型的なものは「親父」でした。
これについては、今NHKでやってる『梅ちゃん先生』なんか見てると、少しはイメージできるかと思います。
「親父」が家族の生き方について、これは良い・あれは悪い、と決めるポジションに就いている。
だいたい昭和の間は、子どもは「恐い親父」の目を気にしながら怒られないようにする。
それが大人になると、「あの親父だったら、私がこんなことしたら絶対に反対するだろうな」「あの会社に就職するなら、父や家族も悪く思うまい」と自分でいろいろ考えたりして、あまり周りと不和にならないようにしながら、どう生きるかを決めたりするわけです。
あと、他にわかりやすいのは「世間」。
「自分の子どもが悪さしたら、世間様に申し訳が立たない」と言って、やっぱり世間の目を気にする。
また、仕事をクビになったり離婚したりした時も、「世間体」が悪くなって非常に居心地が悪くなる。
付け加えると、「末は博士か大臣か」みたいな言葉が通用していた背景もそうです。個々人が偉いと思うがどうかは無関係に、「世間で偉いと思われてるから博士や大臣は偉いんや」といったカンジで、世間の評価で物事をみるようになる。
さらに言うと、欧米では基本的に、キリスト教の「神」が生きる指針になってますね。
熱心な信者の親に教えられる、聖書に書いてある、教会で牧師の話を聞く、そういう子どもの時からの経験で、「神様は、これは正しい・これは悪いというに違いない。じゃあ、正しいことをして、悪いことはしないようにしよう」と考える。
このように、例として挙げた「親父」、「世間」そして「神」。
私たちの中には、どうやらこういった「生きる指針」みたいなものがあるのではないか。これが本書のひとつのベースとなっています。
何かの指針に従って、私の行いが良いか・悪いか、判断する。
良い行いをずっと繰り返して行けば、自分はどんどん「認められた」存在になっていく。
だから、もっと「認められる」ように、疲れていようがしんどかろうが頑張り続ける。
いつもとは言いませんが、私たちは誰しも、そんな風に生きていると実感する時がないでしょうか。何かの生きる指針があり、その通りに進んでいれば「良い結果」が待っていそうだ、と考えて生きていたりするわけです。
(しかしながら日本では、昔ながらの「親父」や「世間」のチカラは今や地に落ちていますし、そもそもキリストのような絶対的な「神」も存在したことがありません。)
さて、そこで次にくる本書のテーマは、「現在、私たちはどんな指針をもって生きているのか?というか、そもそも今、そんな指針を本当にもっているのだろうか?」という疑問です。
かつては、多少なりとも“皆で共有できる”ような「生きる指針」らしきものがあった。
今はどうか?
見渡してみると、個人レベルでは多種多様な「指針」をもってはいそうです。しかし、かつてのように“皆で共有できる”ような「指針」は、今やどこにも見当たらないのではないか。そして、仮にどこにも見当たらないとすれば、①そのような「指針」がないことで何かの問題が発生しないか?②仮に問題があったら、私たちはどう対処すればいいのか?
これが本書のメインの問題意識と言えます。
では、①“皆で共有できる”ような「生きる指針」が無いことで何かの問題が発生しないか?これを考えてみましょう。
第一に、皆が共有できるような指針・誰しもが認めるような指針が無く、「まっとうな生き方」が一体何なのかわからなくなってしまったら、私たちは自分の「生き方」を自分で決めるしかありません。
こう言うと、「いや、昔から自分で自分の生き方を決めてたはずだろ?」と思う方もいるでしょう。しかし、これは単に私の直感ですが、昔は「良い学校」に入って「良い会社」に入れば一生安泰、みたいなわかりやすい「生き方」の人生モデルがあったのではないでしょうか。
もちろん、成功とみなされる「良い学校」「良い会社」への入学・入社は、誰しもが出来るものでは無かったわけですが(というか、良い学校・良い会社みたいな考えには明らかに差別的な意識が含まれているので、非常に不愉快な考え方ですが・・・)、少なくとも「目指すべきもの」はあったわけです。学生時代も社会人になってからも。
さらには、人生のモデルケースが一つでも確定していれば、その「まっとうな生き方」(もちろん今となっては幻想ですよ)をチラチラ確認しながら、「自分はまだマイホームは持てないな」「社長は無理でも部長には何とかなりたいな」とか考えられるわけです。なぜなら、確かな人生モデルがあれば、目指すべき「指針」がわかりやすいですからね。
しかし、今やそれが無い。「こうすれば無難」というような生き方の指針は、どこにも見当たらなくなってしまいました(それに気づくかどうかはさておき)。
そこで、「生き方は自分で決めるしかない!」と思い至ることになるわけですが、こうなるとまさしく自己責任の重みがずしりと私たちに圧し掛かってきます。まず、「何が良い生き方なのか」わからないのですから、どう生きたらいいのか途方に暮れたり、決められなくて悩んだりする人が多くなります。次いで、結局決められず、ただ時間だけが過ぎて行ってしまう人も増えますね。
一方で、いったん「こう生きよう!」と決めて就職したり結婚したりしたとしても、「いや、実はまだ他に自分の歩むべき道があるんじゃないか!?」「もっと素晴らしい他の生き方があるんじゃないか!?」という思いが、いつまで経っても消えなくなります。
さらには、自分が自由に決めたその結果として、不幸にも将来、「人生、失敗した・・・」と思う境遇に陥ってしまったら、それは、自己決定したがゆえにまるまる自己責任となります。悪いのは自分だとはっきりしてますから、精神的ダメージも以前に増して大きいものとなるでしょう。
つまり現在、人生のわかりやすいモデルを失ったがゆえに、生きる上でどうしても「不安」につきまとわれるようになったわけです。生き方を決めることは、他の選択肢を捨てるリスクを必ず背負うわけですから、不安になるのも至って当然と言えます。
また、人生のわかりやすいモデルの喪失により、生き方は「人それぞれ」になります。ライフスタイルや「幸せって何か?」といった価値観など、かつてないほど多様化します。共通点がないのが普通になり、個々人がどんどんバラバラになっていきます。
そうして価値観がバラバラになってくると、深刻な機能不全に陥るのが「政治」。皆の考え方がバラバラになると、当然ですが「何を正しいと考えるか」一致点を見つけることが困難になります。
このような段階に至ると、個人レベルでも社会レベルでも、どうにもし難い「閉塞感」に悩まされることになります。現代をそのような時代であると認識するのが、本書の議論の一つです。
そしてその「閉塞」から、さらに困難な問題が生じます。例えば、「何かを生み出そう」とするのではなく、「とにかく今のこのどうしようもない現実をぶっ壊そう」と考える人が増えていくということです。
「ぶっ壊そう」と考える人が増える。これは少しわかりにくいと思いますが、政治の世界でみるとよくわかります。
昨今の政治家で、稀に見る高い支持を得たのは、「小泉純一郎」と「橋下徹」です。この二人は、明確に「この政策が正しい」「この政策でもっと国は良くなる」と言って、人気になったのではありません。
そうではなく、「自民党をぶっ壊す!」「大阪府庁と市役所をぶっ壊す!」。これらのスローガンに私たちは熱狂したわけですよ。
この理由は、明確ですね。「何を正しいとするか」は人それぞれで支持を集められない。しかし、私たちに共通するのは「でも、現実はひどい状態だ」という思いですから、「その現実をぶっ壊して、変えましょう!」という叫びには大いにうなずくわけです。かといって、「壊してその後どうすんの?」という疑問は皆スルーしてしまうわけですが・・・。
そして、「破壊」の後も相も変わらず「閉塞感」が待っている。でも、私たちは「ぶっ壊す」と言ってる人たちにばかり引き付けられてしまいます。そこに「希望の未来」は無いのに、です。
ここまでが、①の問題です。では最後、②問題があったら、私たちはどう対処すればいいのか?
3.11という苛酷な現実、つまり圧倒的な「破壊」を経験してしまった私たちは、とうとう「とことん何かが壊れても、私たちの生活や現実は良くならない。むしろどんどん悪くなる」と知ってしまったわけです。(もちろん、それに気づかないふりをしてる人たちは、世間に大勢おりますが・・・)
そこで、どうするか?それは、もはや既存の「生きる指針」を“超えて”、「正しいと思うこと」を自己判断してやり遂げることです。
例えば、私たちが就職やバイト等で働き始めたら、まずは職場の「上司」を手本にして仕事を覚えたり、「上司」に良い評価をもらえるように仕事したりします。
しかし、そんな「上司」でも出来ない仕事を自分がしたいとき、どうすればいいか。
そのときは、もはや手本にはならないわけですから、仕事上の能力で「上司」を超えるしかありません。それまでの仕事上の経験を生かしながら、自己責任・自己判断で仕事するしかないのです。
「閉塞」を打破するために、誰かに守ってもらったり保証してもらったりすることなく、ただ現実に対応すること。本書の結論に照らすと、さしあたって私たちに出来ることはそれくらいではないでしょうか。(了)
なお、「第三者の審級」「物語る権利」「真理への執着」「ムーゼルマン」等といった難解な用語は、速やかにスルーさせて頂きました。もちろん明示してないだけで、それらを意識してレビューしておりますが。続きを読む投稿日:2012.09.02
戦後から時代を「理想の時代」、「虚構の時代」、「不可能性の時代」の三つにわけてその時代の特徴や人々が何を求めていたのかを分析していました。
社会学の新書ということもあって専門的な言い回しが多く難しく…感じられましたが、映画や小説、アニメや漫画など身近な作品が紹介されていて楽しく読めました。
その時代の事件から加害者の心理を分析し、生活を豊かにすることや社会的な地位などの「理想」を求める時代から、現実では起こり得ることのない「虚構」を求める時代への移行を経て、現実への逃避と極端な虚構化といった全く異なるものを求める「不可能性の時代」への疑問点を提示して、その複雑さを説明するといった内容でした。続きを読む投稿日:2021.10.02
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