「好き嫌い」と才能
楠木建(編著)
/東洋経済新報社
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仕事の最強論理は「努力の娯楽化」!
20万部突破のロングセラー経営書『ストーリーとしての競争戦略』の著者が19人の経営者・プロフェッショナルに迫る「好きこそものの上手なれ」の内実。登場する経営者・プロフェッショナル:宮内義彦、玉塚元一、為末大、磯崎憲一郎、高岡浩三、鎌田和彦、高島宏平、中竹竜二、野口実、篠田真貴子、仲暁子、広木隆、大山健太郎、常見陽平、中川淳一郎、杉本哲哉、丸山茂雄、木川眞、米倉誠一郎。巻末には、著者自身へのロングインタビューを収録。
才能の源泉に は、その人に固有の「好き嫌い」がある。とにかく好きなので、誰からも強制されなくても努力をする。それは傍目には「努力」でも、本人にしたら「娯楽」に等しい。努力をしているのではなく、没頭しているのである。そのうちにやたらに上手くなる。人に必要とされ、人の役に立つことが実感できる。すると、ますますそれが好きになる。「自分」が消えて、「仕事」が主語になる。ますますうまくなる。さらに成果が出る。この好循環を繰り返すうちに、好きなことが仕事として世の中と折り合いがつき、才能が開花する。才能は特定分野のスキルを超えたところにある。(「まえがき」より)
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この作品のレビュー
平均 3.5 (11件のレビュー)
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物事を成し遂げる人は、やはり「好きな事」を極めているのだな、だからパワフルに自分の人生を切り開いているのだなと思った。
そんな中、パワフルとは少し毛並みの違う、米倉教授の肩の力の抜け方がとても魅力的だ…った。続きを読む投稿日:2021.07.13
このレビューはネタバレを含みます
■為末大(元プロ陸上選手)
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楠木 でも、人から指示される以上に嫌いなことがあります。それは、人に指示をすること。為末さんはどうですか?
為末 僕も嫌いです。自分と同じものを相手に投影すること自体が、相…手が嫌がることなんじゃないか、と僕の方が思ってしまうので。
楠木 いやー、同じだなあ。僕は走らないけど、すごく共感します。初めてお会いした気がしません(笑)。人の考え方とか行動に、影響力を及ぼすのが嫌いなのです。人それぞれ、まったく違うのに、自分の考えを押し付けてしまうことは、本当に嫌いですね。
為末さんは今、子どもにかけっこなどを教えておられるということですが、そういう教育の現場では教えることに関してどうなさっているのですか。
為末 そこはなかなか難しいところです。子どもたちの親御さんたちからは、「型」を教えて欲しいと言われることがほとんどです。しかし、同じ体型の人が存在しない以上、一つの走る型が全員に通用することはないのです。僕は、ある型があったとして、そこにたどり着くまでの考え方を教えたいと思っています。正しく足を動かすということはどういうことなのか、という内側のところを理解してもらいたいのですが。
楠木 どうしても教えてもらう側はすぐに効果が出る「型」や「ベストプラクティス」を求めてしまいますからね。でも、誰にでも通用するベストプラクティスなんて存在しない。そんなものがあれば誰も悩まないわけでだから。ちょっと、せっかちな人が多すぎる気がします。自分のやり方というのは、時間をかけてやっていくうちに、徐々に型になっていくものでしょう。
為末 型に縛られるというのは、プロのアスリートでも往々にしてあることです。メダルを取ったりとか、大きな成果が出たときなど、その成功体験に縛られる人が多いのです。たとえば、メダルを取った理由として、本番の3日前に食べたもののおかげだとか、本気で思ってる人がいます。これなどは、再現をしても成功するかどうかまったく根拠がないもので、いわゆる「ジンクス」のたぐいなのですが、成功体験に縛られてしまうと、それを「戦略」として語ってしまうんですね。成功した理由というのは、複雑すぎてわからないものなのですが、アスリートの心理というのは厄介な部分があって、型にとらわれてしまうと、ジンクスに属するものを、根拠のあるハウツーと考えてしまう傾向があるといえます。
楠木 そこはビジネスの世界でもまったく同じですね。経営手法については、さまざまな理論があり、そうしたものをベースにして「科学的なアプローチ」は可能です。しかし、経営に関する理論自体は再現性がないため、科学ではない。あくまでも「科学的」にとどまる。過去に成功事例があっても、それは一回性のもので、その成功というのは、そのときのあらゆる要素の組み合わせの結果、生まれたものなのです。そこを誤解してしまうと、うまくいかないときに、いろいろの問題が生じてしまう。経営はそうした前提を認識した上で、何とかやっていくしかないのです。
為末 選手が感じる喜びは、大きく2種類あると思います。1つは、勝ったときの「報われ感」。自分がしてきたことが報われたと言う感情ですね。2つ目は、できなかったことができるようになったという「有能感」。習得した喜びで、表現する喜びともいえるかもしれません。僕は、後者の有能感により喜びを強く感じていたタイプです。
楠木 その表現する喜びというのは、芸術家などのアーティストに近い感情かもしれませんね。僕のような経営学者の仕事にも、喜びのツボは3つほどあると思っています。話が長くなりますけれど、いいですか。
為末 はい、どうぞ(笑)。
楠木 僕はそれを川にたとえていまして、多摩川でいえば、まず、奥多摩のような清流の川上の段階で喜びを見いだすタイプ。僕はこれを「川上哲治型」と呼んでます(笑)。ちょっと古いですが。僕の同期の仲間で青島矢一さの(一橋大学教授)がまさにそうです。これは、研究の仕事でものを考えていて、自分が理解できた瞬間、つまり、「わかった! そういうことか」という瞬間に最も大きな喜びを覚えるタイプです。自分がわかったことを論文にしたり本にしたりするのはオマケ。経営者としては、この「奥多摩・川上タイプ」が最もピュアな人たちといっていいでしょう。青島さんがそうですが、本質的に深みのある研究をする人は川上型が多い。
僕はその次の、川中で喜びを見いだすタイプで、「川中美幸型」(笑)。多摩川でいうと登戸とかガス橋あたり。比喩が伝わっていないかもしれませんが(笑)。これは、自分の考えたことを、論文や口頭で他人に伝えて、「あー、なるほどね」とわかってもらうことにビビビビという喜びを見いだす。このタイプは、ある程度、反応というか反響がないと喜びが薄い。僕は実際に商売をしている人に自分なりの考えが伝わって、超間接的にではありますが、商売のお役に立ちたいというのが仕事の基本的なモチベーションです。
3つ目は、「川下型」。極端なケースでは東京湾に出てしまうタイプ。経営学者ではありませんが、竹中平蔵さん(慶應義塾大学教授)みたいなイメージです。自分の考えを主張して人に伝わった結果、資源が社会的に動く。ここに喜びを感じるタイプ。政府の政策に影響力を与え、その政策が実行され、世の中が動くーー動員される資源の大きさに喜びが比例するというのが、「川下・河口・太平洋タイプ」ですね(笑)。
話が長くなりましたが、良し悪しではなく、あくまでも好き嫌いの問題として、こんなふうに研究者の業界でも喜びのツボに違いがあるように思います。
楠木 今までのお話を伺っていると、アスリートの人というか、陸上選手をやっている人たちというのは管理されることを好みそうですね。好き嫌い自体が、はっきりしていないような……。
為末 さすが鋭いです。そうなんだと思います。僕は子どもだけでなく選手も教えることがあるのですが、「どっちがいいと思う?」といった質問をすると、「どちらが正しいのですか?」と聞き返されることが多い。僕としては、好きなほうを選んでほしくて聞いているのですが、好き嫌いよりも「どちらが正しいか」ということを優先する傾向があります。つまり、主観を言うことが苦手。
そもそも、何が好きで何が嫌いなのかが、自分自身のことなのにわかっていない感じなのです。その点も、社会に出てから苦労する要因かもしれません。社会で自分が何をやりたいのかが、わかっていないのですから。だから、アスリートは、現役時代から自分の好き嫌いについて、考える癖をつけるべきだと思います。
楠木 アスリートの人はどうしてそうなるのでしょうか。早くから、コーチに教わるからでしょうか。
為末 今、スポーツを教わる子どもたちがどんどん低年齢化しています。まず、親御さんたちが、早く習わせようとします。それは、レベルの高いアスリートにするには、早くからトレーニングを始めたほうが有利になると言われているからです。たとえば、サッカーであれば、ボールタッチの優れた感覚を身に付けるには、10歳になる前からトレーニングしたほうがいい、といったことです。体操であれば、6歳から9歳で回転感覚が身に付くので、その段階で習わせたほうがいい、とか。
楠木 本当にそうなのですか。
為末 ある程度、事実だと思います。体操では、12歳以降に始めた人でオリンピアン(オリンピック出場選手)になった人はいないと言われています。したがって、子供がその種目を好きになる前に習い始めることになるので、その種目が本当に好きなのかどうか、自分自身でもはっきりしないのだと思います。陸上選手の場合は、もっとわかりやすい部分があります。だいたい、小さい頃から足が速いので、自分の才能に気づきやすい。しかも、小学生とか中学生あたりは、足が速いと周囲から過剰に評価されやすいじゃないですか。女の子にもモテたり(笑)。
楠木 為末さんもそうでしたか。
為末 足はむちゃくちゃ速かったです。実家の犬よりも速かったですから(笑)。だから、15歳くらいから、足の速さで食べていけると思っていました。このように、陸上選手の場合は、自分の才能に気づきやすいわけです。競技を好きになる前に、向いていることがわかる。向いているから好きになる、ということも起こりますが。
楠木 そうか、アスリートは、特に陸上選手は、仕事として成立するプロセスが、一般の人とはかなり違うんですね。サラリーマンを含め、多くの人たちにとっての仕事とは、ある程度続けてみないと向き不向きがわからないものですよね。極端に言うと、営業の仕事は10年やってみて向いていることがわかった、みたいな感じ。一方で陸上選手は、やり始めたときから向いていることがわかる。というか、最初から向いているとよくわかった上でやり始める。この違いは大きいですね。
為末さんの発言を誤解している人は、その辺の為末さんの陸上選手というイメージに引きずられていそうですね。「勝てないのは努力が足りないからじゃない」といったコメントに対して、「それはもともと足が速くて恵まれた人だから言えることだ」と誤解して受け取ってしまう。仕事の向き不向きといった大事な問題について触れようとしているのに、先入観が邪魔をしている。
■高岡浩三(ネスレ日本代表取締役社長兼CEO)
高岡 あるプロゴルファーと出会い、「これから年をとっていくのに、その打ち方では駄目だ」と言われたのがきっかけで、40代半ばぐらいでフォームを全部捨てました。できるだけ長く、しかもプレーしたいと思って、二年間スコアを付けずにやりました。
プロには「スコアを忘れてスイングを変えることに徹しろ」とアドバイスされました。スコアにこだわると、新しいことができなくなる、と。とはいえ、練習場だけではスイングは変わらないから、本番でやらないと駄目なのです。考えているだけでなく、実際に行動に移して初めて、できるかできないかがわかってくるというのは、仕事も同じですよね。
楠木 確かに高岡さんのお仕事のやり方と関係していますね。変えるとなったら、これまでの積み重ねがゼロになっても徹底的に変えるということ。もともとネスレは商品の寿命がとても長いわけで、キットカットもずっと前からある商品。評判になったCMもあったのに、売り方をガラッと変えた。もう1つは、とにかくやってみるということ、しかも練習で極めるのではなく、本番で実践して変えていくこと。お仕事でこれをやると、失敗することも多くあるわけですよね。当然ですけど。
高岡 普通はまず、失敗しますね(笑)。部下から「失敗の経験はありますか」みたいな質問をされるときがありますが、私の失敗の定義は周りの人とだいぶ違っています。前例がないやり方を失敗したときの結果は、たいてい自分の想像を超えているので、どんな結果でも「これを失敗とは言わない」と思うようになったのです。誰もやったことがないことなら、思うようにいかないのは当然ですからね。肝心なのは、思うようにいかなかった原因をその都度調べて、自分の仮説にないものについては新たな解決策を考えていくことです。何回失敗しても駄目なときもありますし、そのときは諦めますが、たいていは、だんだん道筋が見えてくる。そこまでやれるかどうかですね。
楠木 「失敗」ではなくて「実験」ですね。
高岡 そうです。だからいきなり大きな投資はやらない。ギャンブルになりますから。だから、やり方を変えようと思ったときは、かなり小さなレベルで実験して、「難しいけれど、こうやったらうまくいけそうだ」という経験をする。良い方のやり方を広げていくという感じです。
楠木 初めは実験だったものが、現実世界で成功して動きだし、徐々にスケールが大きくなる。そこにマーケティングの醍醐味があるのでしょうね。
楠木 経営という仕事のなかで、理屈抜きで楽しい、やっていて本当にのめり込むようなことがあれば教えてください。
高岡 私のなかでは業務にあまり区別がなくて、人事やファイナンス、サプライチェーンなどのいわゆるファンクションもすべてマーケティングが必要だと思っています。商品の販促、開発といったマーケティングと同じようにやる。その意味で、引っくるめてマーケティングが大好きですね。新しいことをやって、顧客に影響を与えるのも、社員に影響を与えるのも同じように面白い。社員が何か問題を抱えているなら、従来と違う形で解決しようと考えたりする。長いことその部署でやっている人より、私のほうが良いアイディアが出てきたりして、競争するのがたのしいです(笑)。
楠木 高岡さんの好きなパターンがあって、あらゆる仕事をそのパターンに取り込んでいく。人事でもファイナンスでも、ご自身にとっては、同じマーケティング的なアプローチ。
高岡 そう、問題解決のすべてです。企業には人事のコンサル会社もあれば、サプライチェーンのサービスを提供する会社もある。そういう会社にマーケティングはいらないのかというと、必要なわけです。それは社内のファンクションのチームも同じです。ところが、ややもすると、「長いことずっとやってきました」と「顧客」である社員の満足度とフィットしない状態になる。ファンクションにかかわる人には、「時代が変わったら制度も変えなければならない」とか「昔のルールに縛られて困っている社員はいないか」などと考える癖をつけてほしいと思います。
楠木 高岡さんがなさった人事の施策には、どんなものがあるのですか。
高岡 たとえば、毎年「就職人気企業ランキング」が発表されますが、私がCEOに就任したときは人事部門が「ベスト100に入るのが目標です」と言っていました。しかし、「ちょっと待てよ」と思った。仮に毎年就職活動生が100万人いるとして、私たちが本当に欲しい人材は、多分そのうち1%もいない。そんなにたくさん採るわけでもありません。十把一絡げの学生全体による人気投票より、本当に欲しい人材による人気投票がいいわけです。逆に人気企業ベスト10みたいに入ってしまうと、欲しくない人からたくさん応募が来て、採用業務にすごく時間が取られてすごく非効率。だから、当社は人気企業ランキングに入らなくてもいい。私たちが選りすぐった、欲しい人材のなかで投票したときに、ベスト5に入る企業になりたいですね。「ネスレには入りたいけれど、自分は全く入社できない」と学生に思われるような企業になりたい(笑)。
逆に言えば、ああいう調査は一切気にしないほうがいいし、そのためには他社とはまったく違う採用方式をとらないといけません。わが社も一般的な日本企業と同じように一斉の新卒採用を何十年とやってきましたがやめました。通年採用でさまざまな採用プロセスに切り替えてから、入社してくる人のタイプがガラッと変わりました。これも1つのイノベーションですね。
楠木 それもまた顧客視点ですね。自分の会社や経営を外から見たときに、他社との違いがあることが大切で、他社と一直線に並べられてしまう人気ランキングに入る必要はない。発想がつくづくマーケティングですよね。僕がいつも思うのは、就活生の人気企業ランキングって、「ラーメンを食べたことのない人による人気ラーメン店ランキング」みたいで、あまり説得力がないということ。誰でも知っている会社がランクインするのが当たり前。毎年見ていますが、文系学生の人気ランキング上位は商社やメガバンク。これって僕が学生だった30年くらい前とほとんど変わっていない。
高岡 先ほどお話ししたように、ネスレは非常に利益志向なので、通常は5年で利益が出るようにやるのですが、ネスプレッソは時間をかけましたね。私たちは何を見ていたかというと、未来のコーヒーの飲み方です。コーヒーは昔、朝食や一家団欒など、家族で飲むものでした。ところが今、日本の60%、東京都内で80%が1人か2人世帯なのです。たとえ4人家族でも子どもが大きくなって塾に通うようになると夕飯がバラバラですから、コーヒーを飲むタイミングもバラバラになってきます。1人で飲みたいとき、今までのコーヒーメーカーは不便で、高くても1杯ずつ淹れやすいほうがいい。必ずそういう時代が来ると考えていました。
楠木 まさに論理的な仮説。
高岡 仮説と時代の変化をどこまで読み通せるかでしょうね。ネスレは世界中で事業展開をしているのが強みで、先に高齢化社会や小さい世帯になっている国でもそういうものがはやれば、いずれ他の国でもそうなるのではなか、という仮説が出てくるわけです。
楠木 今のお話は、重要なメッセージを含んでいると思います。「時代の流れを読む」というときよくある誤解は、「誰も知らないような特殊で特別の知識を持っている人に先見の明がある」というもの。でも、今のお話にあるように、ロジックとして強固だということが大切なのであって、何も特別の知識があるわけではない。「そういえばコーヒーを1人で飲むようになっているよね」。これは言われてみれば誰でもわかることです。ただし、それを正面から捉えて、儲かる戦略ストーリーに落とし込むのが難しい。
高岡 変化に適応するのは難しくて、2日や3日ではわからないし、時系列的に変わるわけでもない。だから、意外と難しいのです。どれだけ変化に気づく思考をいつも持っているかが大事です。
■高島宏平(オイシックス代表取締役社長)
楠木 高島さんご自身、東大、マッキンゼーときて、仲間もIBMに入ったりして、そうした仲間が集まったとき、当時の「ネットネットした状況」を考慮すると、アイディア一発勝負のネットビジネスで、一丁うまいことやったろう……、という方向に行くのがわりとありがちなパターンですね。でも、高島さんたちは、生鮮野菜のネット販売という、ちょっと聞いただけでも手数がやたらにかかって大変そうなビジネスを選択している。僕はこの事業の選択に、高島さんの好き嫌いが色濃く反映していると思います。好き嫌いで語ると、食の分野に事業立地を定めた背景には、どんな理由があったのでしょうか。
高島 サラリーマンをやっていた2年間、大学時代の仲間とは毎週末集まっていました。ずっと話し合いをしていて、「僕らは何をやりたいのだろう」「自分たちのやりがいは何か」と、突き詰めていきました。そうすると、人の役に立つことにはやりがいを感じる、ということがわかってきました。こう言うと、何だか非常にいい人に聞こえますが、正確に言うと、「人の役に立っている自分が好き」ということに気がついたわけです。
楠木 ああ、そこは大切なところですね。人間はわりと単純にできている。あくまでも自分が大切なのですが、結局のところ、自分以外の誰かのためになったときにいちばん気分が良くなるようにできていますね。この辺、神様もいい仕事をしたな、と僕が思うところです。
■野口実(エービーシー・マート代表取締役社長)
楠木 ご自身が昔から面白がって販売の仕事をしていた。経営者になっても、それと同じような面白さを体験できるような工夫をいろいろなところに入れ込んでいるということですね。
野口 好き嫌いで言うと、私がいちばん嫌いなのは「モチベーションを与えてください」と言う人です。他人が与えられるわけがないから、ちょっとそれは違うんじゃないかと思いますね。楽しみは自分で作っていくものだし、見いだしていくものですから。
楠木 無理やり設計しようとすると、全部がインセンティブになってしまう。しかし、最近の経営では、インセンティブの設計という話題が非常に多い。僕は個人的には「合理的な面もあるけれども、腑に落ちない」と思う。ありていに言えば、わりと嫌い(笑)。
インセンティブというのは自分の外にある誘因。誘因で動く、というか誘因がないと動かないうちは仕事としてまだまだのはず。商売まるごとを動かす経営という仕事になると、もう動因しか残らない。自分のなかから自然に出てくる内発的な何かに突き動かされてやるものだと思うのです。
■篠田真貴子(東京糸井重里事務所取締役CFO)
篠田 でも、私が20代の頃と比べると、今はより好き嫌いを軸に仕事を選んでいる例が増えている気はします。
楠木 僕はちょっと違った感覚を持っていて、今こそ好き嫌いの復権がますます重要なテーマになっているという実感があります。昔と比べるとはるかに情報量が多くて、こういう仕事がいいとか、こっちに行くとこうなるとか、シミュレーションもできる気になってしまう。そうすると必然的に良し悪しが優先され、好き嫌いが劣後してしまう。特に若い人ほど良し悪しという社会的コンセンサスが優先する。昔は東大を出て大蔵省、みたいなのが「良し」で、今はMBA、マッキンゼー、プロフェッショナル経営者みたいなのが「良し」。「良し」の対象が東大・大蔵省から変わっただけで、「良し悪し優先、好き嫌い劣後」の傾向はかえって強くなっているように思います。「これから起業してアントレプレナー!」とか、「社会的企業家がカッコいい!」というのも、根っこは同じ話ですね。逆に「俺は好き嫌いを追求したい」という人は、バイトをしながら路上ライブ、となってしまう。篠田さんのようにその時々の仕事と折り合いをつけつつ、好き嫌いを模索していくのが醍醐味のはずですが。
■広木隆(マネックス証券チーフ・ストラジテスト)
楠木 ストラジテストと僕の仕事は全然中身が違いますが、本質レベルでは非常に似た面があると思います。僕も同じようなジレンマを、経営学という仕事に感じているんです。アカデミックな経営学の建前は自然科学のアナロジーで出来上がっているんです。方法としては、仮説を立てて、「科学的」な手続きで収集し分析したデータを使ってその仮説が支持されたとか否定されたという形で「実証」するという自然科学のやり方を踏襲している。何を目指しているのかというと、一般法則の提示です。一般的な法則というのは、誰が、いつ、どういう気分で、どこでやってもそうなるというものです。つまり、普遍的再現性ですね。その意味での普遍的な因果関係を探していくというスタンスを、アカデミズムとしての経営学は採っています。
ところが、そもそも経営に法則といったもの――こうやったら一般的にうまくいくというものはない。経営学者が、自ら定立した法則で経営しても、もちろんうまくいくとは限らない。自然科学の一般法則とは違うのです。それをひとまず横に置いといて、あくまでもアカデミズムの立場で経営現象を解明するという立場にも意義と意味はある。ただし、僕はその路線にはどうも乗れなかった。僕の仕事は何なのかというと、「こう考えたらどうですか」という僕の考えを実際に経営の現場にいる人々に提供するということです。自分では経営しているわけではありません。だからこそ経営や戦略というものを俯瞰することができる。自然科学的な「理論」ではなく、僕なりに到達した「論理」を発信する仕事だと心得ています。
ビジネスの現場で仕事をしている人は忙しい。いちいちゆっくり考えている暇はない。しかもその人の経験は自分の業界や事業に限定されている。だから、そういう現実の実践世界で忙しい人たちに成り代わって、その背後にある論理をちょっと考えてみたんですけど、こう考えたらいかがでしょうか、という話です。
■木川眞(ヤマトホールディングス代表取締役会長)
木川 たとえば、小倉さんは企業間取引の物流を切って、個人の荷物に集中したポートフィリオをつくられました。しかし新成長戦略は、必然的にその一部を企業の軸に戻すことになります。宅急便を始めた当時のヤマト運輸には「企業との取引をお断りする」という大きな経営課題があり、それを貫徹したのですから、「木川は小倉さんのやられたことを壊すのか。小倉さんがやめた企業物流にまた戻るのか」という心理的な抵抗感は相当あったと思います。
楠木 ここが僕からすれば大変に興味深いところです。僕もそういう話をいろいろな会社で聞くのですが、会社や組織は物事を文脈から切り離して考えるバイアスが強いですね。小倉さんが「企業物流を切る」という戦略をつくったときの文脈と、今の文脈はまったく違うはずです。それなのにいつの間にか戦略が文脈から引きはがされて、単に「企業物流は駄目だ」みたいな話になってしまう。
■楠木建(一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授)
――『「好き嫌い」と才能』では、「好きこそものの上手なれ」という言葉がキーワードになっています。前作の『「好き嫌い」と経営』でもそうでしたが、本書ではいっそう強く意識されている気がします。先生がそこまで「好き嫌い」にこだわる理由を、個人的なお話を含めてお聞かせください。
楠木 僕は「好きこそものの上手なれ」が最強の原理原則だと信じているんです。「まえがき」に書いたことを繰り返しますが、自分を向いた趣味と違って、自分以外の誰かの役に立っての仕事。人に価値を提供しなければ話にならない。人の役に立てるということは、そのことについてよっぽど上手だということ。じゃあ、なぜそれほど上手なのか。有り体に言って努力投入してきたから。しかも、長い間やり続けているということですね。結局のところ、努力量の積分値が大切に決まっている。
ここから先がポイントなのですが、「努力の長期継続」といっても、実際のところフツーの人にとってはなかなか難しい。僕にしてもそうです。娯楽なら何の苦もなく続けられるのに、努力は続かない。で、ある時に脳内革命が起きた。「努力」をしようと思うから続かない。「努力が努力じゃない状態」になればいい。すなわち「努力の娯楽化」が仕事のカギだという発想です。客観的には努力であることがその人にとっては娯楽に等しくなる。その理由は、要するに「好きだから」。以上の一連のロジックの最初と最後を取ると、「好きこそものの上手なれ」になる。
楠木 こんなにおいしいものがあるかっていうくらい、若い頃の僕はシュークリームが大好きでした。今でもわりと好きですけど。特にカスタードクリームが好き。で、その頃ちょうど「シュークリームの民主化」が起きて、100円ちょっとで割と大きいのが買えるようになった。それまではケーキ屋さんでそれなりの値段がしたけれど、グッと身近になった。
とはいえ、日持ちがするものじゃないから、「1日2個食べるとして、3日分なら6個だな」と計画して購入するのですが、消費量がすごい。努力してないのにどんどん前倒しで上振れる。「あれ、6個全部食べちゃったから、今日は達成度300%だぞ!」という達成感(笑)。要するに好きだからすぐに食べちゃう。
シュークリームは300%達成できるのに、なんで論文の生産性は上がらないのか。シュークリームを食べながらつらつら考えていたら、恐ろしいことに気づいたんです。実は自分は世に言う「研究」が好きじゃないんじゃなかろうか。もし好きだったら、書かなきゃとか言ってないよね、と。「論文書かなきゃいけない、とか言ってる時点でもう終わっている」と言う厳然たる事実に気づいた(笑)。「お前はすでに死んでいる」ってやつですよね。
――でも、大学で研究をすると言うのは、望んで就いたお仕事ですよね?
楠木 そのとおりです。誰に強制されたわけでもなく自分が選んで、運良く望みが叶えられた。それなのにやりたくないとはどういうことだと、自問自答しましたよ。「研究して論文書いて発表するのが好きだったんじゃないのかよ?」って。それに対する僕の本音の答えは、あまりに元も子もないものでした。僕が好きだったのは研究ではなくて、大学でポストを得て、自分の部屋をもらって、好きな本に囲まれながら、朝から晩まで好き勝手にああだこうだと考えていられる状態だったのです。
――確かにとても率直というか、ずいぶんなお答え(笑)。でも、そう言う人は世の中に多い気がします。制服を着たいだけのキャビンアテンドだとか、水仕事は嫌いだけれど花に囲まれていたいお花屋さんとか。
楠木 それと同じですね。研究そのものじゃなくて、研究という仕事についている状態が好きなのですから、この気づきは恐ろしいほど元も子もない話なんで、しばらくは見て見ぬふりをしていました。臭いものにフタ。横山やすしが言うところの「チャック、チャック」(笑)。
――論文が載るのは若い学者にとってとても、うれしいことですよね。励みにもなるし。
楠木 掲載されれば評価に直結しますから、論文書きにはあからさまにインセンティブがある。しかも、締め切りははっきりしている。「今度の学会はいつで、いつまでに学会に論文を提出しなきゃいけない」とか、「学術雑誌の論文が1本通ったから、次を書かなきゃ」とかね。ところが、論文が出るとますます調子が悪い。うれしいことはうれしいけれど、「論文が1本通ったし、1週間ぐらいゆっくり休んで、また考えよう」となっちゃう。それが2週間になり1か月になり、論文書きを半年ぐらい平気で休んでいる自分がいる(笑)。
そのときにようやく気づきました。インセンティブとドライブは全然違うということです。インセンティブとは「誘因」です。自分の活動をある方向へと誘う外在的な報酬ですね。学術雑誌での論文発表はインセンティブとしてはっきりしている。ところが、インセンティブが明確に効いていて、自分も「論文を書かなきゃ」と思っているのに、どうもやる気にならない。要するに、本心ではあまり好きじゃないんです。インセンティブというのは良し悪しまでで、好き嫌いには立ち入れない。ドライブは「動因」です。自分のなかから突き動かされる内発的な動機です。これがないと、いくらインセンティブがあっても続かないんですね。
楠木 読書のなかでも評伝や自伝を読むのが好きです。その人の好き嫌いとか価値観とか、その人の練り上げていった芸みたいなものがいちばんよくわかるフォーマットですからね。純粋に読書としても評伝を楽しんでいますが、自分が芸者だというメタファーを獲得してからは、「この人の芸に学ぼう」という意識で読んでいます。どうやってその芸が出てきたかのプロセスを知り、その人の好き嫌いのツボがどこにあって、それがどういうふうに形成されてきたのかを意識して読む。自伝や評伝はすごく勉強になります。
作家の小林信彦さんが日本の喜劇人についての芸論を数多く書かれています。エノケン、ロッパ、渥美清、横山やすし、森繁久彌、クレイジーキャッツ、ザ・ドリフターズ、由利徹……。芸論は自分の仕事のスタイルを作っていく上で、とても参考になりました。どんな世界でも、芸で生きている人に対して尊敬の念があります。エルビス・プレスリーやフランク・シナトラも、みんなすごく変な人ですが、それが面白い。映画『仁義なき戦い』の脚本家、笠原和夫さんの本も芸論として最高ですね。
楠木 仕事には好き嫌いの自己認識を深める旅みたいな面がありますね。やっているうちにだんだん好き嫌いのツボがわかってくる。自分の土俵の輪郭がだんだんと見えてくる。これが仕事生活の醍醐味というかコクのあるところじゃないでしょうか。
再び井原さんの本の話に戻りますと、僕がひときわ感動したのは退職のくだり。彼は現場のプロデューサーとして大成功し、最年少で日本テレビの役員になるのですが、その後すぐ会社を辞めちゃうのです。
――社長になれるかもしれないのに、もったいない。
楠木 彼の言い分はこうです。テレビのプロデューサーはとにかく番組を当てることが大切で、自分はそのために好きなようにやってきたし、スタジオの現場ではいちばん偉かった。ところが役員になったら、重役とか社長とかいるなかで、いちばん下っ端の「役員二等兵」。しかも周りの役員は、偉いわりにはバカが多い。バカのペースにあわせるのは耐え難いと言って辞めたのです。
――痛快な言い分ですね。
楠木 井原さんはこう言っているんです。周りの役員はもちろん実際はバカじゃない。会社の組織の頂点に立っているエリートなのです。でも、テレビ番組制作の現場で一発当てるということにおいてはバカ。逆に、自分は現場ではアタマがいいけれど、管理職の世界に置かれてしまうとバカになる。自分が得意な土俵で仕事をしないと意味がない。だからさっさと会社を辞める。ツボにはまらない仕事はしない、とね。
芸風は一つしかない。自分の好き嫌いのツボと心中する覚悟でやらないと、努力の娯楽化という好循環は生まれないし、いい仕事もできないんじゃないか。僕は井原さんの本を読んで、そう思いました。つまり、自分の芸風を知るとか自分の土俵がわかってくるということは、土俵の外にあるものを捨てるということ。何かを得るということは、常に何かを捨てているわけです。続きを読む投稿日:2023.11.04
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