中東特派員が見たイスラム世界と「イスラム国」の真実
荒木基(著)
/ディスカヴァー・トゥエンティワン
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「イスラム国」の正体は、日々テレビでの報道を追っているだけでは根底まで理解することが難しい。その背景には、イスラム教そのものに対する理解と、現地にいる人にしかわからないリアリティを把握しておくことが欠かせないからだ。
本書は、中東に長く滞在し報道に携わってきた特派員である著者が、テレビで端折らざるを得なかった部分を詳しく解説しつつ、極力専門的な話や小難しい内容を排して、「イスラム国」とは何か、彼らは何を狙い、何を求め、これから日本にどう関わってくるのか、またそもそもの根底である「イスラム教」とそれにまつわる世界とはいったい、どういうものなのかをエピソードを交えながら語った、画期的な一冊である。
「この本を書こうと思ったきっかけは、黒服面男「ジハーディ・ジョン」が映像で発した日本への警告だ・テロリストからこうもあからさまに敵と宣言されたのに、私たちは相手のことをあまりにも知らなすぎる」(本文より)
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荒木基 あらき・もとい
1975年生まれ。大阪外国語大学アラビア語専攻卒業後、1998年全国朝日放送(現:テレビ朝日)入社。2002年から報道局外報部記者として勤務。その後、社会部記者とし…て警視庁、都庁、国土交通省担当を歴任。2012年よりカイロ支局長としてエジプト・カイロを拠点に中東はもとよりアフリカ、ウクライナ等での取材を続ける。
エジプト人は朝に弱い。昼間にもなれば街中にクラクションが鳴り響き、夜は酒も飲まないのにカフェが多くの人で賑い、時には花火や爆竹の音が深夜まで続くが、打って変わって朝は、8時前ぐらいまでは車も少なく、不気味な静けさだ。
この映像を見た時の私の正直な感想は、「あぁ、ついにこの時が来てしまった」というものだった。 この時まで「イスラム国」など、テレビや新聞、週刊誌の記事で話題になる程度で、大多数の日本人には無縁の存在だったはずだ。しかしこの3人が並ぶ映像は、それを見た多くの日本人に強烈な印象を残したに違いない。
しかしそれ以前に、そもそもの「イスラム教」自体が日本人になじみが極めて薄い、非常に分かりにくい宗教であることも確かだ。そこへ連日、オドロオドロしいテロを「イスラム国」が続けているなどと言われれば「怖い宗教」と思うのも無理はない。
イスラム教とはこんな厳しい環境の中から生まれた宗教だ。イスラム教だけではない。キリスト教、ユダヤ教も、聖書に書かれている世界は、この中東の大地が舞台だ。 「中東」という呼び名はヨーロッパ人が付けた呼び方だ。日本が「極東」ならばその中間、というところ。アラビア語でも「シャルキ・ル・アウサト(中東)」という。
さて、イスラム教の開祖であり預言者であるムハンマドは、今のサウジアラビア、メッカに西暦570年ころ生まれたとされている。メッカの街を取り仕切っていたクライシュ族と呼ばれる部族のうち、ハーシム家の出身だ(ちなみにこのハーシム家の血筋を引くといわれるのが今のヨルダン王室だ。ヨルダンの正式国名は「ヨルダン・ハーシム王国」という)。 メッカは商人の街で、南のイエメンと北のシリアを繋ぐキャラバン(隊商)路の要衝であった。ムハンマドはそんな街の商人の子として生まれるが、生まれる前に父を、6歳で母をなくし、おじに育てられたと伝えられている。
私たちテレビの記者が「使うべきではない」と教えられる表現が「~のメッカ」という言葉だ。イスラム教の聖地である「メッカ」という地名をそう軽々に使うべきではない、という意味でこうした表現は避けるのだが、このメッカこそがイスラム世界の中心だ。 イスラム教徒以外の立ち入りは認められていないが、中東の衛星放送ではいつでも 24 時間、このメッカにあるカーバ神殿の様子を「お天気情報カメラ」のごとく常に生中継し続けているチャンネルがあるほどだ。
イスラム教徒が1日5回行うと定められている礼拝は、皆、このメッカのカーバ神殿の方向を向いて行われている。この方角のことを「キブラ」という。 最近、日本人観光客もよく使う中東系の航空会社の飛行機に乗って、飛行位置を示す地図を見ていれば、飛んでいる場所の進行方向に対してキブラがどの方向かを示す画面が必ず表示されるはずだ。
こうして声に出して朗誦する口頭伝承だった神の言葉を、ムハンマドの死後まとめたものがコーランだ。
そして、その解釈の違いや信仰の度合いが世界中のイスラム教徒の中にも多様性を生む。 たとえば、「禁酒」や「豚肉を食べない」という話だが、確かに私のオフィスで働くエジプト人助手の一家は酒も飲まなければ、豚肉も食べない。 イスラム教に保守的なエジプトでは、酒を飲まないこうした人々に向けて、ノンアルコール・ビールや瓶の見た目もシャンパンに似せた炭酸ジュースなどが売られている。だが、エジプト人助手の一家に食事に招待された折に、そんなシャンパン風の瓶に入ったジュースを持参しただけでも「それはいったい何だ! 酒ではあるまいな」と一気に引かれてしまったこともある。
さて、イスラム教への疑問で必ず出てくるのが「スンニ派」と「シーア派」とは何か? という問題だ。その違いは、このアリーの次にくる「ムハンマドの後継者」はいったい誰なのか? というこの点に現れるのである。 アリーのあと、ムアーウィヤがカリフを引き継いだと考えるのが「スンニ派」だ。スンニとは「慣習(スンナ)」という意味で、これはムハンマドの時代からの慣習を受け継ぐ、ということからこうした名前が付いている。「派」と付くのは日本語の表現によるが、「スンニ派」からすれば自分たちが多数派であり主流であるという認識だ。スンニ派の中でもいくつかの分派があるものの、世界のイスラム教徒のほぼ9割方を占めている。 一方、「シーア派」とはアリーに従う一派(シーア)という意味だ。イスラム教徒の中では1割ほどの少数派だが、それでもイランやイラクを中心に今でも有力な派閥である。 そもそも「シーア派」では、預言者ムハンマドが真に後継者と認めたのは実はアリーだった、と考えていて、正統カリフの残り3人は後継者として認めていない。シーア派はカリフを否定し、以後アリーの子孫を「イマーム」と呼んで「ムハンマドの後継者」とする。
イスラム教では、「アッラー以外を信じてはいけない」というところから「偶像崇拝」を認めない、という考え方が徹底している。「アッラー」という存在は絵や像で表現できるものではなく、ましてアッラー以外の神像や権威を崇めるなどもってのほか、というわけだ。 だから「アッラー」の絵というのはイスラム世界では存在しない。中には絵で何とか表現しようとするものもあるのだが、その時には何となく白いモヤのようなもので表現されていたりする。
アフガニスタンのバーミヤンにあった石仏遺跡などは 11 世紀頃にイスラム王朝の支配を受けた際に仏像の顔の部分を剥ぎ取られたともされるが、それでもまだ石仏そのものは残されていた。しかし2001年に台頭したタリバン政権が多くの石仏そのものを「偶像」として爆破してしまった。その爆破の様子を捉えた映像を今でもよく覚えている。砂煙が上がる中でカメラには「アッラーフ・アクバル!(神は偉大なり!)」とアラビア語で叫ぶ男たちの声も収録されていた。
アリーの後継以降、シーア派がスンニ派とは別の道を歩みだしてから歴史の中で幾度かはシーア派王朝が隆盛を極めた時代もある。「偶像崇拝」以外にも細かい慣習やシーア派独特の宗教儀式など違いはあるにはあるが、両派が激しい対立を見せることは、実はほとんどなかった。 両派の対立が歴史上大きくクローズアップされたのは、1980年の「イラン・イラク戦争」からといわれている。
一方で、貧富の差の拡大もイスラム復興の考え方の普及に大きな役割を果たしている。 そもそも預言者ムハンマドも7世紀の布教の過程で、メッカの大商人たちからの迫害を受け、最後には彼らを制圧することで聖地を得るわけだが、商人たちは偶像崇拝と堕落、悪徳の象徴でもあった。
イスラム教では「喜捨」、つまりは寄付や施しなどを通じて富める者が貧しい者を助ける「相互扶助」の精神が繰り返し説かれている。ところが現代のアラブ・中東世界では、原油収入で想像を絶するような富を得る国があれば産業もなく失業者で溢れる国もある。同じ国の中でも事業に成功して莫大な富を得る者、あるいは軍や時の政権によって利権を一手に握る者がある一方、庶民は食うや食わずの暮らしを強いられる。こうした現状をイスラムの教えから外れて「堕落している」と考える見方が出てくる。
一方、同じようにスンニ派イスラム教を厳格に守る国としてサウジアラビアがよく引き合いに出されるが、イスラム復興の中でもより過激な思想を持つ者、いわゆる「イスラム過激派」にとっては、サウド家という王制による国家体制は、「世俗的」なものとして敵視の対象となる。
コーランでは「4人まで」妻を持つことを認められているとされるが、これは、そもそもは預言者ムハンマドの時代に繰り返された戦乱で生まれた未亡人の救済という意味合いがあるといわれている。4人の妻帯に対してもルールがあり、愛情から財産まですべて平等に扱わねばならない。それなりの財力がないとなかなか難しいのだ。
クルド人はイラク北部やシリア北部、そしてトルコの南東部やイラン北西部の山岳地帯を中心に暮らす民族だ。これだけ広範囲に暮らし、3000万人ともいわれる人口を抱えているにもかかわらず、彼らには独自の国家がない。わずかにイラク北部のクルド人自治区と呼ばれる地域で高度な自治政府を維持しているのみだ。他の国のクルド人は、その国の中の「少数民族」としてそれぞれに暮らしている。コバニもそんなシリアの中のクルド人が住む街の一つだ。
また、収入で多くを占めているとみられているのが「寄付」だ。アラビア語で「サダカ」と呼ばれ、自発的な寄付のことを指す。「イスラム国」の収入源においては、外国の「イスラム過激派」支持者が寄せる寄付金が大きなウェイトを占めるといわれている。 サウジアラビア、クウェート、カタール、アラブ首長国連邦などといった湾岸諸国や他にもインドネシア等、イスラム諸国の富裕な「篤志家」がその資金源とされ、欧米や国連からも非難の的となっている。 寄付をする者の動機は、シーア派支配を打倒するという「イスラム国」の初期の主張に共鳴して、ともされる。なかには、一般市民に募るような「チャリティ」の体裁をとったものが資金源として流れているケースもあると指摘する専門家もいる。
携帯電話が3Gとよばれる大容量のデータ通信にも対応するようになり、安価なスマートフォンが出回るようになって、中東・アラブでのインターネットは一気に庶民化した。 2011年の「アラブの春」と呼ばれる一連の民主化運動では、インターネットを使ったツイッター、フェイスブックによるやり取りが、市民の連帯を一気に加速させたといわれている。 中東・アラブでも情報統制をする国は当然、盗聴やインターネットにも監視の目を光らせるが、技術の進歩に追いつかなくなってしまい、当局の目を盗んでさまざまな反体制地下組織・ネットワークが横の繋がりを持つことができるようになったのだ。スマートフォンのアプリを使ったさまざまな通信・連絡・チャットはこうした監視をより難しくした。続きを読む投稿日:2024.02.05
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