この作品のレビュー
平均 4.0 (31件のレビュー)
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あなたには『借金』がありますか?
いやー、なんて失礼な質問でしょう。本のレビューを読んでいるのに、いきなり『借金』のことを聞かれたらたまりませんね。ドキッ!とされた方がいらしたとしたら、大変失礼し…ました。
金融広報中央委員会が実施した”金融行動に関する世論調査(令和元年度)”の結果によると、この国の二人以上の世帯における『借金』の平均額(『借金』がない方も母数に含む)は、なんと628万円にものぼるとされています。住宅ローン等も含めるこの数字を大きいと見るか、小さいと見るかは個人個人の価値観によっても変わってくるとは思いますが、私としては思った以上に皆さん『借金』をされているんだなという印象です。もちろん、今の時代、お金のことを知っている人ほど、『借金』を上手く活用して節税に取り組まれていますので、『借金』があることの有無を単純に善悪で判断もできなくなっているのはご承知の通りです。なかなかに、色んなことに考えを巡らせる必要がある大変な時代だと思います。
しかし、『借金』は必ずしも今の時代に限った話ではありません。戦前の世に遡っても、明治の世に遡っても、そして江戸の世であっても『借金』というものは当たり前に存在していました。『米、味噌、醤油から炭、油まで、あちこちに支払いの滞りがある』と『借金』に埋もれる人たちの存在。そこに、『やたらと借りると、どこにいくらの借金があり、どれほど利息が嵩んでいるかわからなくなる』という『借金』をする人たちが陥るリスクは今の世であっても江戸の世であっても変わらないのだと思います。
さて、ここに江戸時代の『借金』事情にフォーカスした物語があります。『明烏のカァで借り、夕方のカァで返すことからこう呼ばれる』という「烏金」を扱う『金貸し稼業』の日常を描くこの作品。『借金』に苦しむ人々の問題解決に”お江戸の企業アドバイザー”がバッサバサと斬り込んでいく様を見るこの作品。そしてそれは、そんな「烏金」が『人の命を繋ぐ金』だということを江戸の世に生きた人の人生に見る物語です。
『玄関先で、お吟が立ち止まった。白髪頭をかたむけて、道端の辛夷をちらと見』た、そんなお吟が木戸門を出て行く後をつけるのは主人公の浅吉(あさきち)。そんな浅吉は、お吟のことを『金の亡者とは、あの婆さんのことだ』、『だがそれは、おれも同じだ』と思いながら足を進めます。そして、『仙台堀に面した伊勢崎町の長屋』の『五軒並びの裏店の、真ん中の戸口に』立ったお吟は、『お早うございます。佐野の旦那。三軒町のお吟でございますよ!… 二朱と三十文、今日こそ耳をそろえて返すってえお約束でしたよね!』と大声で話します。返事がない中、『貸した金を返さないってのは、こいつは騙りでございますよ!』と言うと『言うにこと欠いて騙りとは、なんたる無礼っ!』と中から『肩を怒らせた男』が現れました。利息のことで言い合う二人ですが、『二朱さえ用立てられないとは、侍も地に落ちたもんさね』とお吟が言った言葉に『その侮言きき捨てならん』と男は刀に手をかけます。そんな中に慌てた差配が口を出すも場はおさまらず、お吟は突き飛ばされてしまいました。そんな時、『いまだ!』と『この機を窺っていた』浅吉は『ああっ、婆ちゃん、こんなとこにいたのかい!』と場に馴染まない明るい声で二人の前に飛びだしました。『おまえさん、いったい』と不思議そうな顔をするお吟を見つつ、『すいやせんね…今日のところはご勘弁くだせえまし』と言いながら、お吟を強引に背負う浅吉。抵抗するお吟をよそに『じゃ、ご免なすって』と『足早に長屋を後にし』ました。『この人さらい!』と暴れるお吟に『もう少しであの浪人者に、ばっさりやられるところだったんだぜ』と返す浅吉。そして、二人は三軒町の住まいまで辿り着きました。相変わらず言い合う二人の上から『カアァー』という鳴き声がします。『あいつのおかげで烏金貸しが烏を飼ってる』と陰口を叩かれていると不満を漏らすお吟。一旦、お吟の家を立ち去った浅吉でしたが再び戻ると呻き声がします。腰の痛みに動けないお吟に手持ちの薬を飲ませる浅吉。落ち着いたお吟は布団に横になりました。そんな時、『あの浪人の取立てな、おれにやらしちゃくれねえか』といきなり言い出した浅吉に反発するお吟。そんな中、浅吉は『一日だけおれにくれ。もし明日中に、あの浪人がここへ金を返しに来たら、おれの勝ちだ』と提案をしました。『おれが勝ったら、頼みがあるんだ』と続ける浅吉が、お吟の面倒を見る中にお吟の家で同居、仕事を手伝うようになります。そんな浅吉の正体と、お吟の家に来た目的にまさかの真実が明らかになる”お江戸ミステリー”な物語が描かれていきます。
“お江戸の企業アドバイザー、走る!人情長屋ものでありながら、プロジェクトX?ついでに恋までからんだ一大エンターテインメント!”と、坂木司さんが絶妙に評されるこの作品。そこには、『うちは金貸しだよ。金を借りないなら、とっとと出て行っとくれ』と強気に語る、威勢の良いお吟の言葉が印象的な中に『金貸し稼業』に光を当てる物語が描かれていきます。そうです。この作品は江戸時代の『金貸し稼業』を取り上げた”お仕事小説”でもあります。なかなかに読みどころの多い作品ですが、「心淋し川」のレビューでも注目したのと同様にこの作品でも西條奈加さんのさらっとした文章の中に小技を効かせた表現があちらこちらに登場する点について挙げてみたいと思います。
・『余計な気を利かせた月が、ようやく厚い雲間から顔を出した』。
→ これは面白い表現です。『月のない晩』、真っ暗な中にお照を送っていく浅吉。『さし出した左腕の、肘の辺りをそっと掴まれる』中、話もせずに歩く二人。そして、送り届けた後、お照の視線を背中に感じつつ帰る浅吉という場面。月が『余計な気を利かせ』という絶妙な擬人表現をもってシーンを盛り上げます。もう一つ、
・『おれは亀の気持ちが痛いほどわかった。たかだか十丁ほどの道程が、恐ろしく遠い』。
→ これも絶妙です。ある展開から傷を負った浅吉は、『夕暮れまでに、片をつけなきゃならねえ』とある場所へと向かいます。『一刻を争う』のに、『引きずってるうちに木の棒みたく感じがしなくなった』足、ふらふらする頭という中、思うように進めないもどかしさを『亀の気持ち』に例えて表現します。
月と亀に感情を持たせるこれらの表現。どこかほのぼのとした雰囲気を感じる中に、まさしく言い得て妙なこれらの表現の点在はさらっと登場する分、逆に強く印象に残りました。
そして、坂木さんが”お江戸の企業アドバイザー”と書かれる部分、これこそが、『金貸し稼業』をするお吟の元に転がり込んだ主人公の浅吉が、悩める『借金』の借方の困窮した生活にバッサバサと斬り込んで、その問題点を探り、解決方法を見出すことで、借金を返済していく姿が描かれるこの作品の一番の醍醐味です。今の世にある職業というものは、その多くが江戸時代にも存在した、西條さんの作品を読んでいるとそんな風に実感することしきりですが、いつの時代にもお金なくしては生活は成り立たず、必然的にお金に困る人の存在、そして、そんな人にお金を貸す人が存在するのは当たり前といえば当たり前なのかもしれません。そんなこの作品の書名にもなっている「烏金」についてはこんな説明がなされます。
『烏金は、明烏のカァで借り、夕方のカァで返すことからこう呼ばれる』。
具体的には、
『朝六、七百文借りて品物を仕入れ、夕刻その日一日の売上げから金と利息を返す』。
なるほど、『借りた金をその日のうちに返す日銭貸し』が「烏金」と呼ばれていたようです。なんとも自転車操業な人々の暮らしがそこに垣間見えますが、それでも人は生きてなんぼの生き物です。そんな『金貸し稼業』の道に入った主人公の浅吉が『日済貸しや月済貸し、節季貸しなんぞ』も組み合わせながら、その人、その人にとって最善な返済の仕方、そして生計の立て方をアドバイスしていく物語がそこに描かれていきます。『やたらと借りると、どこにいくらの借金があり、どれほど利息が嵩んでいるかわからなくなる』、そして知らず知らずのうちに『その化け物はどんどんふくらむ』という中に何をしてよいかわからなくなってしまう人たち。そこには、借金まみれで自己破産へと陥っていく今の世の人たちの姿と重なる世界が浮かび上がります。歴史の表舞台からは見えない庶民の暮らしの謂わば影の部分に光を当て、暗礁に乗り上げたビジネスの数々をマイナスからプラスに転じさせていく様など、確かに坂木さんが”プロジェクトX?”と形容されるのもわかる気がします。『近所に商売敵が現れて、こっちの商売が上がったり』となった八百屋さん。『半値相手じゃかないっこねえ』と、売り上げが落ちる一方の現場にため息をつく店主が陥った現場をまさかの一手で解決していく様など、舞台は確かに江戸ですが、現代社会であっても考え方としてなるほどと思わせる展開には、まさしく痛快!という思いを抱きました。浅吉が”企業アドバイザー”として大活躍を見せるイケイケの展開、この作品の一番の見どころだと思いました。
そんな物語は、一方で最初から謎を抱えながら展開していきます。それが、お吟のことを『金の亡者とは、あの婆さんのことだ』と思いつつも、『だがそれは、おれも同じだ』と自問する浅吉の姿が冒頭に描かれるところに始まります。お吟のピンチを救い、”企業アドバイザー”として迷える民の迷える人生にバッサバサと斬り込んで未来を開かせていく、そんな浅吉の姿は正義の味方そのものです。その一方で上記した影を感じる表現の中に、浅吉の裏の顔が存在することが絶えず匂わされてもいきます。それは、浅吉とはなにものなのか、そして浅吉がお吟の元に現れた真の目的は?という浅吉の裏の姿への疑問として読者の心を繋いでいきます。それは、まさしくミステリーな物語です。そこに、西條さんはさらに不思議な存在を登場させます。それこそが、本の表紙にも登場する『烏』の存在です。浅吉の元に親しげに現れる一羽の烏。そんな烏を可愛がる様も見せる一方で、『勘左がおれの連れてきた烏だと、お吟に知られるのはまずい』とミステリーを深めていく一羽の烏の存在。”企業アドバイザー”浅吉の活躍があまりに痛快な分、このミステリーの側の暗がりが一層増し、この見事な明と暗がこの作品に奥深さを生んでもいきます。また、痛快に解決して行く『金貸し稼業』にもこんな現実が待ち受けます。
『ひと筋縄ではいかぬのが、借方というものだ。返す当てがなければ、こっちの働きかけも効を奏すが、世の中には返す気のねえ輩もいる』。
これは今の世であっても同じことだと思います。さまざまな人がいてさまざまな人の暮らしがある、そこにはさまざまな人の考え方が当然に存在します。そんなトンデモな輩に浅吉がどう立ち向かって行くのか、一方で浅吉は何を抱えて生きているのか、そして浅吉に隠された謎とは何か?全てが明らかになる、複雑な糸が一本に見事に繋がっていく物語は読み応え抜群な中に幕を閉じます。そして、そこに感じるのは、やはり人はいつの世であっても人と人の繋がりの中で生きていくということ、人の感情の大きな部分は時代を超えても変わらないということ、そんなことを強く感じながら本を置きました。
『どこの馬の骨かわからぬ奴に、大事な商売を任せられるものか』と浅吉を怪しむお吟。そんなお吟が『じゃあ、こうしよう。一日だけおれにくれ』という浅吉の申し出を受けたその先に”企業アドバイザー”として大活躍を見せる浅吉の姿が描かれるこの作品。そこには、お江戸を舞台にした『金貸し稼業』の”お仕事小説”な物語が描かれていました。一方で、何か企みを持つ主人公・浅吉の心の闇を垣間見るミステリーな側面も色濃く浮かび上がらせるこの作品。江戸の街の人々の息づかいを感じさせるような西條さんの優しい描写にも魅了されるこの作品。
江戸時代のお金にまつわるあれこれをとても興味深く見せてもくれた、人情味溢れる作品でした。続きを読む投稿日:2022.11.21
江戸時代のお金回りがわかった気になれる。
朝借りて、それを元手に商売して、夜に返す。
まさにその日暮らしな人たちが普通、というのは現代の貯めなきゃ、運用しなきゃ、という考えからすると恐ろしいことだな。…
浅吉がやりくりする手際の良さ、見習いたい…
算数、数学って学生時代は役に立たないじゃんって言われること多いけど、やっぱり大事だよな。
読み書きも、学べるだけありがたい。
はむ・はたる、続きをすぐに読みました。
こちらも引き続きの面白さ。続きを読む投稿日:2024.02.09
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