この作品のレビュー
平均 3.1 (8件のレビュー)
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09/2/26
エティエンヌ・ラモットの邦訳単行本はない?
62 なぜ先祖をおまつりしないといけないのか?/儒教は霊魂の存在を肯定する(霊魂がないと考える宗教なんてあるのだろうか)。死者の霊魂は「鬼…神」と呼ばれる。その鬼神なる霊魂はどこにいるのかというと,仏教の六道のような次元を異にする世界は想定されていない。もともと天国も地獄も持たない中国人にとって,霊魂がいる場所はこの世に於いて他にはない。/子孫とともにこの世にありつづける先祖の霊魂は,時をさだめ礼をつくしておまつりする。そうすることによって一族の紐帯がたもたれ,秩序が維持されていく。ところがきちんとまつられないと,鎮まる所を得ない霊魂はいずこかにさまようしかなくなる。そうなったら始末が悪い。悪霊となって祟りをなくかもしれない。/儒教では,鬼神の祭祀はその子孫によって行われる。これが大原則である。それを行っていく爲には一族の存続がなんとしても必要である。『孟子』は言う。「不孝有三.無後為大.」
68 どんな民族も歴史という観念を成り立たせてきたわけではない。/古代のインド人は,私たちの霊魂は生まれては死に,死んではまた生きると考えた。生きとし生けるものはそれをくりかえしていく。輪廻である。さらに,私たちをとりまく世界はもっと大きな自然のサイクルのなかにある。世界は生成し,存続し,崩壊し,空虚になる。そしてふたたび世界は生成する。その無限の繰り返しのなかに世界はある。/生命といい世界といい,すべては始めもなければ,終わりもない円のなかに終始する。時間は円環構造をなしている。現在がその円のどこにあるかを問うことには意味がない。過去の出来事との相対的なへだたりは定めがたい。かくてインド人は歴史という観念をはぐくむことなく,具体的な歴史叙述に力を尽くしてこなかった。そのかわり彼等は無限の想像力を神話のなかに解き放ったのである。
ジャータカ(本生譚)は南アジアで大量生産され,東南アジアにも中央アジアにも流通した。中央アジアから中国への玄関口にあたる敦煌に伝わり,石窟寺院の壁を埋め尽くした。ところがそのあと,中国に入ると急に影をひそめてしまう。その先の韓国や日本にはわずかしか伝わっていない。/なぜジャータカは中国で受容されなかったのか。/ひとつは釈迦の前世が人間ばかりでなく,さまざまな動物だったことに由来するだろう。ジャータカに出てくる動物の多くは,中国人にとってなじみのないものだった。理由のふたつ目は「孝」にかかわる。孝に生きることに至上の価値を認める中国人にとって(自分の肉を切り取って差し出すこと)は,思いもよらない愚行ではないか。他人に妻子を施してしまうものもある。子どもがいなくなったら先祖の祭祀はどうなるのだ。自分の体をまるごとさしだす話もある。ご先祖さまはいったい……。中国人の心情からすれば,ジャータカは受け入れられなかったのも無理からぬことだろう。
P80 宗教は道徳とはちがう。心をやすらかにし命をいつくしむのが宗教の役割、とばかりも言えない。恨みや呪いにも宗教は深くかかわってきた。むしろ心がすさみきって命までがないがしろにされそうなとき、そのとき人々は宗教に何を求めたのか。
p156 変文は唐代から流行した。その背景には俗講の普及があった。/経典の内容をわかりやすく解説する講經が寺院で行われた。僧侶を相手にした物なので僧講とも呼ばれた。これに対して、俗人を聴衆としたのが俗講である。記録によれば、仏教だけでなく道教にも俗講があった。この俗講のとき種本として用いられたのが変文である。/変文の内容を絵であらわしたものを変相と呼びならわしている。しかし実際に「変相」という名で伝わっているものはわずかで、ほとんど「変」とのみ記されている。じつは変文も同じで、写本の題名は「変文」よりも「変」の方がはるかに多い。/変の本来の意味は、インドのことばで佛菩薩が「多様に」変現することであるとされる。そのさまを描いた絵もそれを物語る文もひとしなみに変と呼んでいた。しかし分業が進んだ現代に生きる私たちは、変相と変文を別のものとしてあつかっている。美術と文学がおぎないあう、などと考えがちだ。しかし変相も変文もいずれもただ変とのみ呼ばれたとう事実は、もともと両者は別物ではなく一体であったことを示してはいないか。
時代が変わり俗講が寺院で行われなくなると、変文も姿を消していく。
p159 「太山地獄」「泰山地獄」 奈落迦といい奈落といっても、はじめて聞いた中国人にはなんのことかわからなかったはずだ。地獄にしたところで同じであったろう。そこで泰山の名を頭につけて連想を容易ならしめたのではないか。泰山の地下には死者の住まう世界があると信じられていたからである。/中国には古来人々の崇拝を集めてきた山がいくつかある。その代表が五嶽であり、東にそびえる泰山は東嶽としてあがめられた。日の出ずる山はまた生命のはじまりをしろしめす山。命の生まれ出ずるところは、いずれ命の帰り着くところにもなっていく。やがて死者の魂は泰山にもどってくるという信仰が広まった。後漢の時代、西暦紀元のはじまることとされる。/死者の魂のつどう場所も泰山のふもとに定められた。蒿里という小さな丘である。かつては墓碑が林立していた。もとは高里と言ったが、死者の住む里として挽歌にうたわれた蒿里と混同されたという。ここにはかつて壮大な森羅殿がそびえており、中庭を囲む塀にそって七十五司がならんでいた。ことごとく地獄の法廷さながらにしつらえてあり、罪人を懲らしめる刑罰のさまが塑像であらわされていた。/このような迷信の権化のようなものは革命中国で容赦なく破壊されてしまった(シャバンヌ『泰山』を参照)。
泰山が五嶽の総元締めとなった。そこには泰山府君という冥界の長官がおり、人の寿命を裁定した。やがて仏教の地獄十王(閻魔さまはその一人)と混淆して、地獄の裁判長として死後の処罰をとりしきるようになる。その名も東嶽大帝へと変わっていく。
p177 東アジアに中国の影響が波及していくその流れのなかから、やがてチベットはみずからの意志で離脱していく。これは現在の世界地図を見直すうえで重要なことだと思う。/チベットに吐蕃王國が成立したのは、620年ごろと考えられている。/初代のソンツェン・ガンポ王は、唐とインドの両国に範をあおいだ。インドから仏教を輸入し、経典を翻訳するための文字をつくらせた。唐からも仏教を学び、王国支配のための政治制度を導入した。やがて唐の王室が皇女を降嫁させて和平をはかるほどに国力は充実する。/八世紀後半のティソン・デツェン王の時代になると、吐蕃は軍事大国となって、唐と抗争をくりかえした。……王は仏教を国教にしようとはかった。……775年には、チベット仏教の根本道場となるサムイェ寺の建立がはじまった。/チベットが敦煌を陥落させたのは786年のこととされる。摩訶衍という禅僧が敦煌からまねかれた。皇后はじめ重臣の夫人らがあいついで帰依したという。この事態にインドの僧侶たちから抗議が寄せられた。/794年にティソン・デツェン王はナーランダー寺から長老カマラシーラを招き、摩訶衍と論争させた。争点はインド側の漸悟説と中国側の主張する頓悟説の是非である。/漸悟とは、修行を段階的におこなって高次の境位にすすみ漸くに悟りに達することである。カマラシーラはインドの中観派の思想にもとづいてこれを主張した。一方の頓悟とは、修行の段階を経ることなく一切の分別を断じて頓ち悟りに入ることである。摩訶衍はそのころ唐でさかんになっていた南宗禅の思想によってこれに対抗した。中国仏教は頓悟説に大きくかたむきつつあった。/論争はインド側の勝利であった。それは圧倒的であった。……論争にかかわた僧侶たちの学識の差もさることながら、そもそも昌蒲にならなかったのはそれなりの理由がある。/中国人は中央アジアをへて徐々にもたらされた仏教のなかから、彼らに理解できるものを選択し、儒教や道教と融合させ調和させて仏教をつくりかえていった。……そこには本来の仏教とは似て非なるもの、場合によってはインド仏教の本質から逸脱するしろものができあがっていた。むしろ禅は浄土教とならんで中国仏教の精華と言ってよく、だからこそインド仏教からのへだたりもまた、はなはだしいと言わねばならない。/それがインドきっての碩学と仏教の眞面目について論争しようというのである。勝負は最初から見えているではないか。/チベット人はインドから仏教という体系(システム)を体系として導入した。おくれて成立した密教をもふくめて、およそ仏教の総体(コーパス)をなす古今の教説を何ひとつそこなうことなく学習し、理解につとめてきたのである。この論争の二十年後には『翻訳名義集』があらわされ、サンスクリット文献をチベット語に翻訳する際の訳語が統一された。ほどなく大蔵経の訳業もほぼ完成する。
チベットの文字は吐蕃王国の草創期にインドから仏教を導入すべくつくられた。それを用いたチベット訳はサンスクリット文献の逐語訳である。漢訳仏典が達意をむねとするがゆえに省略や増幅さえなされたのと大いに異なっている。チベット訳は翻訳としてきわめて忠実であるため、サンスクリットの原典がうしなわれた場合でもその内容を復原できるほどだという。
このインドと中国の論争のことは昔者からチベットで語りつがれてきたが、これを文献学的に実証したのが、フランス東洋学の重鎮ポール・ドゥミエヴィルである。ライシャワーの先生である。/ドゥミエヴィルは1952年に『ラサの論争』を発表した。摩訶衍の思想を伝える敦煌写本『頓悟大乗正理決』に詳細な注釈をほどこしたうえで、インド側の史料との比較検討を行ない、これをもとに仏教史上の大問題の解明にせまったのである。/インド側の史料というのはカマラシーラの著作の漢訳本であるが、イタリア東洋学の巨匠ジュゼッペ・トゥッチは、そのサンスクリット原典を発見してドゥミエヴィル説を補強。一方で、論争の行なわれた場所をラサではなく、上述のサムイェ寺であったと反論した。今日ではその場所はサムイェ寺の心生起菩提院とする説が有力である。
チベットの人々は、かくして中国ではなくインドの仏教を選択した。これは仏教だけにとどまることではなかった。チベットはみずからインド文化圏への接近を選択したのである。……彼らは中国文化への傾倒を放棄した。これは彼らの自由な意志にもとづく選択であった。それは今日においても変わっていない。チベットは1959年の中華人民共和国軍による侵攻以来、その支配をこうむっている。しかしチベットが中国文化の傘下にないことは、歴史がそれを語っている。
続きを読む投稿日:2009.02.05
中国とインドと日本における、来世・魂・血縁などに関するとらえ方の違いをふまえながら、それがどのように混淆して中国や日本で受け容れられているのかを、たとえば、「お盆」や「位牌」、中国で作られた仏教経典(…「偽経」)などを例に軽い調子で明るく説いていく。フランスにおける東洋思想研究の流れから、自分たち東アジアの思想についてながめなおすという視点もおもしろい。自身の専門分野以外の事柄に不用意に手を出さないという学問的に誠実なスタンスも大切だが、本書のような思い切ったアプローチも必要だと思う。あと、14頁の「東アジアの三大ピラミッド」の例えは、今まで中国思想についていろいろ読んでいて、何となくもやもやとしていたものを、うまく言い当ててくれていて、すっきりした気分になった。この人の講義はおもしろいだろうなと思う。続きを読む
投稿日:2015.07.28
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