はつ恋
村山由佳(著)
/ポプラ文庫
作品情報
南房総の海沿いの町で、古い日本家屋に愛猫と暮らす小説家のハナ。二度の離婚をへて、人生の後半をひとりで生きようとしたときに巡り合ったのは、幼少期を姉弟のように過ごした幼馴染のトキヲだった――。四季のうつくしい巡りのなかで、喪失も挫折も味わったふたりは心も体も寄せ合いながら、かけがえのない時を積み重ねていく。あたたかな祝福に満ちた、大人のための傑作恋愛小説。
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商品情報
- シリーズ
- はつ恋
- 著者
- 村山由佳
- 出版社
- ポプラ社
- 掲載誌・レーベル
- ポプラ文庫
- 書籍発売日
- 2021.11.05
- Reader Store発売日
- 2021.11.17
- ファイルサイズ
- 3.5MB
- ページ数
- 231ページ
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この作品のレビュー
平均 3.6 (29件のレビュー)
-
あなたは、『初恋』の相手が今どこで何をしているかご存じでしょうか?
誰もが経験する『初恋』。あなたにも私にも、この世に生きる全ての人に『初恋』の経験があると思います。そんな経験をした年齢は異なるで…しょう。そんな想いを寄せた相手も当然に異なります。しかし、その言葉を見るだけでもそれが現在進行形でも、過去形になっても人の心の中に特別な想いがよぎるもの、それが『初恋』だと思います。
その一方で、そんな『初恋』は成就することがあるのでしょうか?ライフネット生命が実施した調査によると、『初恋』の相手とゴールイン(結婚、婚約)に至った確率は、なんと1.0%なのだそうです。この値を高いと見るか、低いと見るかはそれぞれの価値観にも直結してくるでしょう。しかし、万人が必ず通る『初恋』という経験の先に挙げられる数字としては、相当に低いものだと私は思います。まあ、そんなことを言う私自身、『初恋』の相手が今、どこで何をしているか全く知らない状況…と、そもそも偉そうに言える立場ではありませんが(笑)。
さて、ここにそんな『初恋』の相手と長い空白期間を経て再会した二人を描く物語があります。『子どもの頃、トキヲとハナは隣同士の家に住んでいて、まるでほんとうの姉弟のようにして育った』という二人。それぞれ『二度の離婚を経て今はひとり』という中に奇しくも再会した二人。この作品は、そんな『幼なじみの二人が四十年を経て』、季節の移り変わりを静かに感じる中に一緒の時を過ごす様を見る物語です。
『トキヲがいきなりおかしなことを言ったように聞こえた』ので、『彼の背中を揉む手を止めた』のは主人公のハナ。『俺に、もし何かあっても』『悲しまんとけよ』とくり返すトキヲに、『四十代も半ばを過ぎた恋人の身に何かあった場合のこと』を考えるハナは、『職業柄、想像力は人並み以上にたくましい』こともあって『いやだぁ…』と『大きな泣き声をあげ』ました。『どないしてん、子どもみたいに。もしも、の話やろが』と驚くトキヲに『なんでそんなこと言うの。この歳になって、やっとトキヲとこんなふうになれたのに…』と泣くハナを『あほやな』とトキヲは抱き寄せました。『俺が悪かった。大丈夫、ちゃんと気ぃつけるから』というトキヲは『ほんの数時間後』、『大阪の実家へ向けて発』つことになっています。『さんざん世話になっ』た『大工の棟梁に、新しい現場の応援を頼まれた』というその理由。『一人親方として働くトキヲの仕事の基盤は地元大阪に』ある一方で『文章を書いて暮らすハナの住まいはここ、千葉県南房総の海のそばにある』という二人。『トキヲには、前の結婚で授かった十九の娘と、七十を過ぎた母親がいる』こともあって『いくら恋しくても自分が独占してしまうわけにはいかない』とハナは考えています。そんな二人は『子どもの頃』、『隣同士の家に住んでいて、まるでほんとうの姉弟のようにして育』ちました。その後、『ハナにも、夫と呼ぶ人が』二人いたものの、『結局、二度とも別れ』、子もなく今に至ります。『久々に大きな冒険をしてみたかった』と『南房総の田舎にこの家を見つけて衝動的に移り住んだ』ハナは『自分がかなりの恋愛体質であることはわかっている』とも認識しています。そして、『この家に移り住んで数年』で、ハナは『奇しくも彼のほうもまた、二度の離婚を経て今はひとり』という『トキヲと再会し』ました。そんなハナは『古くて新しい恋人の目の奥を覗き込』み、『人生も後半戦に入って、まさかこんな幸せが待っていようなんてさ。トキヲのおかげだよ』と甘えます。そんなハナを見て『お前はまったく、脳天気なやっちゃのう』とハナを抱き寄せるトキヲの胸で『うふふ』と笑いを漏らすハナに『笑うな』と返すトキヲ。そんな二人は互いに目をつぶります。そんな〈卯月〉のある日、ハナとトキヲの仲睦まじい光景から始まるこの作品。そんな二人の一年の暮らしが美しい季節の描写と共に描かれていきます。
「はつ恋」と敢えてひらがな+漢字で”初恋”を記したこの作品。”旧知の担当編集者から、’小津安二郎映画のような、なんでもない日常を書いてほしい’とお話をいただいた”ことが執筆のきっかけと語る村山由佳さん。そんな村山さんというと、『生まれてはじめて経験する激しい感情の揺れ』から始まる主人公・歩太の純愛物語を描いた「天使の卵」、女性が過労自殺した”ワタミ事件”を元にした社会派小説「風は西から」、そして『肉体を伴わない恋愛なんて、花火の上がらない夏祭りみたいだ!』と官能の世界に魅せられる「アダルト・エデュケーション」といったいったように心を激しく鷲掴みにするような作品が頭に思い浮かびます。”物語のなかで何か事件を起こせばそれについて書けるのですが、たわいのない日常を描くというのは、実はとても難しいことなんですよね。そういった作品は書いたことがなかったので、チャレンジ精神を刺激されました”と続けられる村山さん。そんなこの作品は落ち着いた書名から想像される通り、過去の『初恋』を起点とした大人な二人の男女の日常が淡々と描かれていきます。
何かが起こることのない物語というと一見つまらなくも見えてしまいますが、この作品は村山さんの見事な筆の描写力が何よりもの見どころです。作品は〈卯月〉から〈弥生〉までの和風月名がついた一年十二ヶ月の章の後に、〈後悔〉、〈爆発〉、〈初恋〉の三つ、合計15の章から構成されています。まずは、そんな和風月名の12の章に記される季節の表現の幾つかを抜き出してご紹介しましょう。
〈皐月〉: 『小手毬は終わっていた。かわりに、玄関先の庭から畑へと続く土手際には今、大手毬の花房が重たげに揺れている』と紫陽花にも似た大手毬を5月の花として持ち出す村山さん。そんな5月の情景を目にして『世界が光り輝く新緑の季節は、晴れていても雨降りでも、毎朝カーテンを開けて庭を眺めるたび美しさに胸が躍る』と気持ちを盛り込んでいく村山さん。その表現は植物だけに留まらず『楓の木にかけた鳥の巣箱は今年も、春の訪れと同時にきれいにしてあった』と野鳥へと読者の目を向けさせ『今年はどうやらシジュウカラのようだ。無事に巣立つところを見られるといい』と情緒あふれる5月の風景として切り取っていきます。
〈葉月〉: 『よかった、間に合ったよ』と言うトキヲの台詞に続くのは『後ろの空がぱあっと明るくなり、ふり返ると同時に、どぉん、と音が響いた』と、『花火』という文字を出さずにそのイメージから読者に次に来る光景を連想させる入り方。『赤、緑、黄、橙、青、立て続けに打ち上げられる花火の振動が、折り重なってお腹の底に伝わる』と、視覚と振動を巧みに組み合わせたこの表現。『まばゆい光の輪が夜空に高々と弾け、火の粉が散り、細い糸のような残像をにじませる』と、最後は音や振動が消えて目の前の光が残像となって消えていく花火の打ち上がりから終わりまでの情景を見事に表現しています。
そして、〈解説〉の小手鞠るいさんが指摘される絶品の表現が登場します。
〈水無月〉: 『ふと、独特の匂いをかぎつけて、ハナは再び縁側の向こうの庭を見やった』という場面。『乾いた土埃が湿ってゆく時特有の、きなくさいような、錆くさいような、どこか酸っぱい匂いが鼻腔に届く』と、雨が降ってきたと書かずに雨の降り出しを読者にイメージさせる見事な表現。また、これに続いて、『水色から薄紫に色づいた紫陽花の花たちが、上下にうなずくように揺れる』と季節感を鮮やかに感じさせます。そして、『蛙の合唱が急に大きくなる』と音の表現を組み合わせて場面を作っていく村山さん。
章題で和風月名を使った時点で読者はそこに日本ならではの季節の描写の登場を期待します。そんな読者の期待を裏切らないどころか、その期待の数倍上をいってみせる見事な表現の数々、これからこの作品を読まれる方には、本を読みながら目の前に日本の美しい季節の描写が鮮やかに展開していくこの作品の魅力にどっぷりと浸っていただきたいと思います。
そして、季節の描写に加えて、もう一点記しておきたいのが、主人公のハナが『ものを書く人間』と設定されていることです。主人公が小説家という作品は多々あります。そういった作品の場合、どうしても”主人公 = 作者“という意識が読者の中に芽生えます。この作品では特にその印象が強く、読者に否が応にも”ハナ = 村山由佳さん”を強く意識させます。実際に村山さんも二度の離婚を経て、現在は幼い時期をともに過ごした男性とともに軽井沢で暮らされているという事実がその意識を後押しします。そんな作品には『ものを書く人間』の独白とも言える表現が多々登場します。その中から強く印象に残った二つをご紹介したいと思います。まず一つ目。
『多くの人は、エッセイに書かれているのは〈ほんとうのこと〉で、小説に書かれているのは〈作りごと〉だと思っている。…。けれど、じつは逆だったりもするのではないかとハナは思う。エッセイを書いている間は自分に対してコントロールがきく…小説はそうはいかない。…。小説こそは魔物であり、書き手すらも気づかないところで〈ほんとうのこと〉になりうるのだ』。
この箇所は、ハナに言葉を託しながら、村山さんご自身が、小説とエッセイに対する思いを吐露されたとも感じるものです。村山さんの小説に対する印象、激しいまでの感情の気迫に圧倒されるあの小説群にかける村山さんの思いがそこから垣間見えてもきます。二つ目は、小説を書くにあたって、そのイメージが自分の中に降臨する瞬間を表現した箇所です。
『ぱたん、ぱたん、と脳内で音を立てながら、物語が勝手に組み立てられ始めた。…こんなふうな天の啓示のような瞬間の訪れに、二十数年間くり返し土壇場で救われてきたのだな、というのが実感だ。…。そう、一行目はもう決まった。あとは一刻も早く書き出したい。今、身体の中にあるこの感覚が消えてしまわないうちに』。
天才がひらめきを感じる瞬間を想起させるようなこの表現。作家さんがどのように作品を生み出されるかは人によって当然異なるのだと思いますが、それが天才だった場合の感覚を見事に垣間見せてくれるこの箇所は読んでいて鳥肌が立ちました。そう、この作品は”小説家・村山由佳”を知りたい!そういった方に是非おすすめしたい作品である、そう思いました。
そんなこの作品の登場人物はハナとトキヲにほぼ限られ、二人の密接な関係が描かれていきます。幼馴染としてかつて同じ時間を共にした二人。『俺にとったら、姉ちゃんが正真正銘の初恋やもん』というトキヲにとっての『初恋』の相手がハナでした。
あなたは、『初恋』の相手が今どこで何をしているかご存じでしょうか?
私にとっての『初恋』は中学時代のクラスメイトでした。クラスの委員が一緒だったこともあって関わる機会も多かったのですが結局その想いを口にすることなく終わりました。相手がどのように思ってくれていたかも今となっては知る術はありませんし、そもそも現在どこで何をされているかの情報も一切持ち合わせていません。『初恋』という青春時代の美しい想い出の一コマ、それが私にとっての『初恋』です。その視点からは、ハナとトキヲの関係は夢心地にさえ映ります。もちろん、想い出の一コマとは違って、一緒の時を過ごせばいろんなことが起こります。美しい想い出として封印してしまう方が良いと言えるかもしれません。しかし、そんないろんなことが起こる時間でさえも過ぎてみればどんどん宝物になっていくのだと思います。〈解説〉の小手鞠るいさんは、ハナのそんな思いをこんな風に絶妙な表現で綴られます。
『死後、もしもこの世に生まれ変わることができたなら、私は、トキヲを見つけて、いっしょになりたい。…いちゃいちゃしたり、けんかしたり、「荒っぽい優しさで、きつく」叱られたりしたい』。
まるで本編に存在してもおかしくないようにハナの心持ちを見事に表現したこの一文。この作品では、それぞれ二度の離婚を経て再会した二人が『初恋』の延長にある夢のようなひとときを過ごす様が描かれていました。何か特別なことが起こるでもない穏やかな日常の中に、美しい季節の描写と共にゆったりと流れる二人の恋の時間。それこそが、この物語。それこそがこの「はつ恋」という作品の何よりもの魅力なのだと思いました。
村山さんの小説というと、どうしても感情の起伏の激しい物語が思い浮かびます。その感覚を期待してこの作品を手にした読者には、なんだこの作品は?となる感情はわからないではありません。実際にその旨記されているレビューも多々見かけます。しかし、村山さんの圧巻の筆の描写力はそんな感情の起伏だけが魅力ではないと思います。そう、激しい感情の起伏の表現ではなく、穏やかに流れる季節の中の自然の描写や、ハナとトキヲの間に静かに流れる時間の描写に、心の機微を見るこの作品。季節の流れをゆっくりと眺めながら、長い時間を経て再会した『初恋』という言葉が時を超えて大人な二人を繋いでいく物語。大人の恋の物語を読みたい、そんなあなたに是非おすすめしたい作品だと思いました。続きを読む投稿日:2022.04.27
読み進むと、語り手となっている主人公のハナと作者の村山女史とがピタリと重なってくる。
ハナは、自身が自覚しているかなり強烈な恋愛体質、人一倍の寂しがりや、過去に2度の離婚歴、そして千葉の南房総での猫と…の暮らしなどを考えると、村山女史そのものではと想像してしまう。
生まれて半世紀になろうとしているハナは、もしも自らの心を占める男性が再度出現した時でも、常に恋人気分を味わっていたい性分だ。
がしかし、そんな詮無い願いを語っても寂しいばかりと悟り、これからは一人の豊かな人生後半を過ごそうと、理想郷を求めて千葉南房総へ移り住んだ。
そんな時、38年振りに弟のような存在だった幼馴染のトキヲと再開する。
トキヲもまた2度の離婚歴があるのだが、二人は何故かお互いに繕うことなく素直な付き合いが始まり、3度目の結婚に至る。
トキヲは地元の大阪で一人親方として建築仕事に従事していることもあり、南房総と大阪との遠距離夫婦としての生活だ。
人生の山も谷も越えてから再会した二人は、南房総の美しい牧歌的な風景を背にして、まるで初恋のような瑞々しい恋愛をする。
実際に、人生経験豊富な男女が中年になって落ちた恋なら、ハナとトキヲ夫妻のように、お互いを拘束することなく自然体で付き合えるのかも知れないなと思った。続きを読む投稿日:2024.04.15
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