増補 普通の人びと ──ホロコーストと第101警察予備大隊
クリストファー・R・ブラウニング(著)
,谷喬夫(著)
/ちくま学芸文庫
作品情報
薬剤師や職人、木材商などの一般市民を中心に編成された第101警察予備大隊。ナチス台頭以前に教育を受け、とりたてて狂信的な反ユダヤ主義者というわけでもなかった彼らは、ポーランドにおいて3万8000人ものユダヤ人を殺害し、4万5000人以上の強制移送を実行した。私たちと同じごく平凡な人びとが、無抵抗なユダヤ人を並び立たせ、ひたすら銃殺しつづける──そんなことがなぜ可能だったのか。限られた資料や証言を縒り合わせ、凄惨きわまりないその実態を描き出すとともに、彼らを大量殺戮へと導いた恐るべきメカニズムに迫る戦慄の書。原著最新版より、増補分をあらたに訳出した決定版。
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商品情報
- 著者
- クリストファー・R・ブラウニング, 谷喬夫
- ジャンル
- 教養 - ノンフィクション・ドキュメンタリー
- 出版社
- 筑摩書房
- 掲載誌・レーベル
- ちくま学芸文庫
- 書籍発売日
- 2019.05.10
- Reader Store発売日
- 2020.01.24
- ファイルサイズ
- 17.5MB
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この作品のレビュー
平均 4.4 (16件のレビュー)
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ナチスドイツ配下でのユダヤ人の虐殺は、アウシュビッツなどの強制収容所だけではなかった。東欧やソ連、南欧などで、警察予備隊がユダヤ人の強制移送とともに大量の銃殺を行っていたことが知られている。
本書は…、そういった警察予備隊のひとつである第101警察予備大隊に関する起訴状の中に書かれている約125名の司法尋問書を分析したものである。著者はホロコーストに関する公文書や裁判記録を長年にわたり研究を続けていたが、この起訴状ほど心をかき乱される衝撃を受けたものはなかったという。司法尋問という性格上、その証言には虚偽も混ざっていることだろう。また、終戦から時間が経った後の尋問であったことから記憶の混乱や抑圧もあったはずだ。しかしながら、これだけ多くの人の証言であるならば整合性を丁寧に確認して総合することで多くの真実が浮かび上がってくることが期待できる。それが、本書の著者がやったことだ。
対象となった第101警察予備大隊の特徴のひとつは、彼らが決してナチスのエリートでも心酔者でもなく、また反ユダヤの信念を持っていたのでもなく、さらにナチが政権を取った後の極端な教育だけを受けたわけでもないドイツの普通の30代~40代の男性を中心とした部隊であったことだ。そのことが本書のタイトルが『普通の人びと』となった理由でもあり、またこの本の論考が貴重なものである理由のひとつになっている。どのようにしてそういった普通の人びとの集団が殺戮を日常として受け入れ、実行していったのか、について複合的な理由が分析されている。
まず鍵となるのは、最初にユダヤ人に対する大量殺戮が行われたユゼフフの町での実行命令を下すための集合において、大隊長のトラップ自身がその命令に対して躊躇を覚えて苦悩していたということだ。そして、そのことを周りに隠すこともなく、さらに任務が実行できないと思うものは実行前に自ら申し出ることを促し、それを避けられるようにしたのだ。その機会に対して、12人のものが実際に任務の実行忌避を申し出た。
それは12人しかいなかったというべきなのかもしれないが、一方でその行為が軍の命令に背くこと、また仲間に対して裏切り者であり臆病者であると思われたくなかったこと、そして、自分が手を下さなかったからといってユダヤ人たちの運命に変わりはないだろうと思えるであろうこと、またもしかしたらまだ無抵抗なユダヤ人を銃殺していくということがうまく想像できなかったこと、などを考えると限られた数であったことはある意味では想定された反応であるとも思える。
一方、さらに重要なことは、そのことにより、もしどうしてもできない、するべきではないと思ったのであれば、少なくとも自らは手を下さなくても懲罰に掛けられることはないということが認識されたことである。これは重要なことであった。絶対的な強制を伴わずして、その殺戮は行われたということであるからだ。この選択肢があったことは何人かのものにとっては重荷となったし、何人かのものはアルコールによって心を麻痺させる必要を感じていた。さらにそれが本当のことかわからないが、誰も見ていないところでは見逃したし、子どもにはあえて弾を当てないようにしていたともいう。
しかしそれでも、そういったユダヤ人への集団殺戮は継続し、そして常態化するにつれて、最初にあった抵抗感が薄れていき、部隊は多くの町で銃殺を繰り返していったのである。
「大量殺戮と日常生活は一体となっていた。正常な生活それ自体が、きわめて異常なものになっていたのである」
司法尋問調書の分析からは、殺人に対する繊細な感覚が最初の殺戮以降急速に鈍化していったことが見て取れる。銃殺の実行を志願する兵の数は常に必要とするものの数よりも多かったという。したがって、いつでも強く拒否すれば避けることができたにも関わらず、そして実際に忌避した人はいたにも関わらず、第101警察予備隊の普通の人びとの多くはある意味では進んで射殺を続けていったのである。人は多くのものに慣れていく。そして、「殺人も人が慣れることのできるものであった」のである。
あとがきに書かれた次の言葉がそこで起きたことと、起きうることを正確に記述しているかもしれない ― 「人びとは、自分の行動と矛盾しない新しい価値観を選ぶことによって、価値観を変えることができるのである。かくして殺戮が日常業務となるにつれて、信念の殺戮者が出現してくるのである。権威と信念と行動の関係はたんに複雑なだけではなく、不安定であり、時の経過につれて変わりやすいものなのである」
そして最終的に大隊の約500人が直接手を下した犠牲者の数は約38,000人、さらにトレブリンカ強制収容所に移送したものは約45,000人に上ることとなった。
ここで、社会集団における規範がどのように強化され、受け入れられるのかという問題が見て取れる。普通の人びとが、実際にユダヤ人を迫害するにあたっては、その行為の正当化が必要である。しかし、その正当化は容易になされていった。ジョン・ダワーの『容赦なき戦争』を引きながら、戦争においては人種差別的ステレオタイプに基づくプロパガンダによってその残虐性を簡単に引き出すことができることが示される。ユダヤ人を戦時において敵と見なすことによる正当化、人種的観点から下等であると見なすことによる優越感、搾取や略奪・財産没収による経済的な利益、などがその残虐性の発露を容易にしていた。
「彼らはたいてい、自分が悪いことないし非道なことをしているとは考えていなかった。なぜなら殺戮は正当な権威によって認可されていたからである。たいてい彼らは考えようとさえしなかった。それがすべてである」ー このように書かれるとき、まったく同じ論理がアイヒマンにも当てはまることが理解できる。
日常の集団における行動においても、外からの順応への強い圧力とともに、積極的に集団への順応を優先しようとする内からの動きがあることはほとんどの人に認識されるところであると思われる。日本でも「空気を読む」という言葉によって、順応する理屈さえ差し出されたのであれば、一定の範囲で道徳的規範に集団論理を優先させることはあるだろう。それが無抵抗な人の大量殺人であってでさえもである、ということがこの本に書かれたことの恐ろしさである。
「ほとんどすべての社会集団において、仲間集団は人びとの行動に恐るべき圧力を行使し、道徳的規範を制定する。第101警察予備大隊の隊員たちが、これまで述べてきたような状況下で殺戮者になることができたのだとすれば、どのような人びとの集団ならそうならないと言えるのであろうか」
実際に第101警察予備大隊の隊員による調書からはそのことが強く読み取れるのである。順応の拒否は、拒否するものからですら正当化されていなかった。逆に順応を拒絶することも、集団の順応を正当化し強めることもあるほどであえる。
「多数のドイツ人は大量殺戮に参加し、非順応であると取られることを避けるために、彼らの感情を隠蔽したのであった。参加しなかったドイツ人は、臆病で女々しいという汚名を甘受したが、それによって逆に戦友たちの強靭な論理を正しいと承認することになったのである」
なお、第101警察予備大隊の同じ調書をもとにしながらも、そういった一般にも通ずる人間心理ではなく、戦前のドイツ人のヒトラーへの心酔を含む反ユダヤ主義の深層における浸透に見たゴールドハーゲンの著書『普通のドイツ人とホロコースト』への反論に多くの紙幅が取られている。当時「ゴールドハーゲン論争」とも言われたこの議論は、訳者あとがきでの内容でも書かれているように、もはや論争としては決着したものと考えてもよいものだと思う。ホロコーストは、特殊な環境においてのみ起こりえた事件であると捉えるのはおそらく正しくない。一度起きたことは、もう一度起きる可能性はそれが起きる以前よりも高い。それが社会において集団として実行されたのは「普通の人びと」によってであったということについて怖れを抱く必要がある。実際にそれを体験した人がこの世からいなくなったときにこそ、ここに書かれた論考とそれぞれの事実に対して謙虚に正当な怖れをもって受け止めることから始めないといけないはずだ。イアン・カーショウは「アウシュビッツへの道は憎悪によって建設されたが、それを舗装したのは無関心であった」と言ったが、その無関心の先に「普通の人びと」が順応して行った無抵抗な人びとへの殺戮行為があることは忘れてはいけない。
人間の生命の侵し難い尊さや、人類の平等に基づくヒューマニズムといったものは、決してどのような時代でも当てはまるような真実ではなかったし、何の前提もなく成り立つような公理でもない。少なくともたった75年前の当時の先進国ではそうではなかった。それは、むしろ不断の努力と共同幻想によって獲得された不安定なものと考えるべきものなのかもしれない。「普通の人びと」が語った言葉が著者の心をかき乱したのはそのためであったのだ。
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『容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別 』(ジョン・ダワー)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4582764193
『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(ハンナ・アーレント)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4622020092続きを読む投稿日:2020.03.29
何百万人ものユダヤ人を虐殺したのだから処刑に関与した人間は極悪人ばかりだと思いたいが、この本を読むとそうではないというのが良くわかる。
組織の歯車に収まってしまうとおぞましい程の蛮行も気にならなくなり…、しまいには効率的で淡々とした殺戮者となってしまう。そこには順応への圧力や面子を失うことの恐れなど自分にも見に覚えのあることが関係しており、けして他人事として切り捨ててはいけない問題だと思いました。 続きを読む投稿日:2022.06.25
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