Red
島本理生(著)
/中公文庫
作品情報
夫の両親と同居する塔子は、可愛い娘がいて姑とも仲がよく、恵まれた環境にいるはずだった。だが、かつての恋人との偶然の再会が塔子を目覚めさせる。胸を突くような彼の問いに、仕舞い込んでいた不満や疑問がひとつ、またひとつと姿を現し、快楽の世界へも引き寄せられていく。上手くいかないのは、セックスだけだったのに――。『ナラタージュ』の著者が官能に挑んだ最高傑作!
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商品情報
- シリーズ
- Red
- 著者
- 島本理生
- 出版社
- 中央公論新社
- 掲載誌・レーベル
- 中公文庫
- 書籍発売日
- 2017.09.25
- Reader Store発売日
- 2017.10.27
- ファイルサイズ
- 0.3MB
- ページ数
- 499ページ
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この作品のレビュー
平均 3.6 (232件のレビュー)
-
非難はあるだろうけれど
最終的には個人の価値感の問題でしょう。ひどいっていう非難をも甘んじて受け入れる覚悟をしているんだから。
これをもって不幸せだとは言い切れない。
投稿日:2020.04.26
-
あなたは『結婚相手』をどんな基準で選ぶでしょうか?
戦前のこの国ではおよそ7割ものカップルが見合いにより結婚をしていました。1960年代後半に恋愛が見合いにとって変わり、現代では見合い結婚という言…葉自体死語になりつつあると思います。
一方で、見合い結婚でも恋愛結婚でも、相手を選ぶ理由というものはどこまでいっても存在するはずです。かつては”家柄”というものが最重要視された時代がありました。歴史は下り、”容姿”、”財力”、”年齢”等々時代によって重視される要素は微妙に変化してきています。とは言え、『誰もが心や人間性が大事』という点は古の世であっても、またこの先に続く未来においても変わらない基準ではないかと思います。一度きりの人生を二人で歩いていく、そこには心と心の繋がりが何よりも大切…というのは自然なことなのだと思います。
さてここに、さまざまな条件で理想とも言える夫との生活を送る一人の女性を描いた物語があります。そんな女性は平穏な日々の中にひとつだけ割り切れない思いを抱えています。
『ちゃんと働いて、夜遊びもせず、浮気もたぶんしていなくて、暴力もふるわない夫と上手くいかないのは究極的にはセックスだけ』
この作品は、『体の相性で結婚相手を選ぶなんて話は知らないし聞いたことがない』と思う女性がひとつのきっかけを得る物語。そんなきっかけに『まだ私の体は覚えているのか』という瞬間を見る物語。そしてそれは、”妻、母を生きる女が一線を越えるとき、そこにはどんな世界が待っているのか”という先に官能の極みを見る物語です。
『おめでとう!すごい、ゆきりん、ドレスもメイクも本当に可愛いよ。最高』と言う矢沢茉希に、『矢沢ちゃん、ありがとう。塔子ちゃんも、まだ翠ちゃんが小さいのに、今日は来てくれてありがとうね』と返す新婦。そんなところに『僕らも一緒に撮っていいですか?』と『仲間内での結婚祝いの飲み会に来ていたメンバー』が寄ってきます。そこに、『彼が近付いてきた』のを目にして『とっさに目を伏せた』のは主人公の村主塔子(むらぬし とうこ)。男性たちに『私が大学生のときにバイトしてた会社の社長さん、と紹介』するゆきりんの一方で、塔子は『気付かないふりをして身を固くし』ます。やがて彼が去ったことで、『安堵と落胆の入り混じった気持ち』になる塔子。
場面は変わり、『夫の下半身の先端に唇を押し付け』、『舌を這わせ』る塔子。やがて、呼吸を荒くし、『口の中で達した』夫は、『塔子って淡白なわりに上手だよなあ。だからつい、してもらってばっかりになっちゃうんだよ』と嬉しそうにします。そして、『布団に潜り込』み『寝息を立て始め』た夫を見て『どうしてだろう。こんなにも安定していて、平穏なのに。毎晩同じベッドで眠る夫を、時折、赤の他人よりも遠く感じてしまうのは』と思う塔子は、一方で『元気な娘がいて、友達のように気さくな姑と同居していて、夫はそれなりに収入があって』という今の暮らしを思います。
再び場面は変わり、矢沢と出かけた塔子は『結婚式のときにアドレス交換した人が、今度飲みに行こう』と言われたと聞かされます。ゆきりんの大学自体のバイト先の人のことだとわかり『胃のあたりに、混乱と動揺と、かすかな苛立ちが込み上げ』る塔子に一緒に行こうと誘う矢沢。そんな矢沢の話に『あれから十年。もう、過去のことだ』と思う塔子。
三度場面は変わり、待ち合わせをした矢沢に『なんか、今日、いつもよりも気合い入ってない?』と声をかけられた塔子は、『恵比寿駅から少し歩いた路地裏に、イタリア料理店』へと入りました。そして、『こちら、鞍田秋彦(くらた あきひこ)さん』と矢沢に紹介された塔子は、『鞍田です。というよりも、おひさしぶりです、かな』と言われます。『え、なに?二人とも知り合いだったの。どういうこと?』と動揺する矢沢に、塔子がかつて鞍田の元でバイトをしていたことを鞍田は説明します。そして、『矢沢が喋って、そこに乗っかるように私が話をして、鞍田さんはほとんど聞き役にまわっていた』と食事が進む中に、矢沢が『ちょっと化粧室に』と席を立ちました。そんな中に『君は来ないんじゃないかと思ってた』と語り出した鞍田に、『子供が生まれてから、ほとんど飲むことがなかった』、『二歳です。もう、あなたの知ってる私じゃない』、『緒方塔子から、村主塔子になりました』と近況を説明していく塔子。そんなところに矢沢が戻ってくると、『塔子の旦那みたいな人って、なかなかいないよね』と塔子の夫の話をはじめます。『誰が見てもイケメン』、『勤め先も有名企業だし、休日の趣味はドライブでしょう。なんていうか、健全』と続ける矢沢。そして、食事が終わり店の外へと出るタイミングで鞍田に『いきなり腕を掴』まれた塔子は『三十分後に、となりのビルの三階のバーで待ってる』と囁かれます。そして、鞍田と別れた二人は『駅のほうへ歩き出』しました。『あー、楽しかった…』、『そうだね。私もひさしぶりに…』と矢沢と会話する一方で、『心の中で、どうしよう、と呟』く塔子。そんな時、『翠はおふくろが上手く寝かせた。魔法みたいだった!』と夫からのメールを受けた塔子は『このまま帰るべきなのは分かっていた』と思う一方で、『結婚してからの四年間、一度も男の人と一対一で飲んでいない。 今夜だけ、ほんの一時間くらい酔っても罰は当たらないんじゃないだろうか』と逡巡します。そして、『さっきのお店に、カードケース忘れた』、『私、取りに行ってくるから』と矢沢と別れた塔子は『なにかに急かされているみたいにビルの三階』へと急ぎます。そして、バーへと入るとそこには鞍田の姿がありました。『おつかれさま』と『来ることが分かり切っていたように』言う鞍田。そして、昔の話や近況で盛り上がる二人。やがて化粧室へと席を立った塔子でしたが個室へと入ろうとしたところで中に押し込まれ鍵をかけられます。それは鞍田でした。『噛みつくようにキスされ』、『彼の手が左胸を包』み、『左脚を私の膝の間に押し込』んでくる鞍田は、『また、昔みたいにしたくなった』と呟きます。それに、『高熱のようなふるえが背骨を伝』う塔子は『まだ私の体は覚えているのか。ほんの短期間、この人にだけは溺れたことを』という思いに包まれます。鞍田との偶然の再会の先に、そんな鞍田に溺れていく塔子の姿が描かれていきます。
“充実した毎日を送っていたはずの女は、かつての恋人と再会し、激しく身体を重ねた記憶に導かれるように快楽の世界へと足を踏み入れていく。島本理生が官能の世界に初めて挑む!”と内容紹介にうたわれるこの作品。2014年9月に刊行され第21回島清恋愛文学賞を受賞した後に、2020年2月には夏帆さん主演で映画化もされています。公開された映画が”R15+指定”されていることからもわかる通り、この作品は文字通り官能世界へと足を踏み入れた作品です。島本さんの小説と言うとヒリヒリするような透明感の高い恋愛ものが思い浮かびますが、一方で官能の熱さからは縁遠い気もします。そんな島本さんが文庫本503ページという圧倒的な物量で描く官能世界には、否が応にも期待度は高まるばかりです(笑)。
では、いきなりと言ってはなんですがそんな官能世界を少し覗いてみましょう。ブクログのレビューには”R15+指定”といった区分はありませんので、当該年齢で引っかかられる10代の皆様はこれ以降を読むことには自主規制をお願いします(笑)。『ゆっくりと下着の奥に鞍田さんの指が沈んできた。力の加減と位置。どちらも完璧で、優しく弄られ続けていると泣きそうになる』という先に描かれていく世界を覗いてみましょう。
・『溢れてきた粘り気を指ですくっては、また一番弱いところを何度も擦る。指の滑りがどんどんよくなっているのを感じる』。
・『丁寧で安定した刺激を受け続けて朦朧としかけた瞬間、硬い蕾がばっと花開くように快感がふくれあがって陰部全体が火照ったように熱を持ったので、はっとした』。
・『彼の親指は一ヵ所へと愛撫を続けながらも、人差し指が入口付近でじっと待ちかまえるように留まっている。潰れそうなほどまぶたを強く閉じて、観念して告げた。「中に、入れて」』
レビューでいきなり官能世界を抜き出すと読んでくださっている方も戸惑いしかないかもしれません。また、男性、女性で受け止め方にも間違いなく差はあるはずです。男性は鞍田に、女性は塔子に自然と感情移入してしまうからです。そんな先の世界はさらにその色合いは強くなります。
・『がさ、とサイドテーブルの上の避妊具に手を伸ばす音がした。「塔子。入れるよ」ぐっとドライバーでもねじ込まれたような強い違和感と衝撃が押し寄せて、その余波の痺れが手足まで行き渡った。浴衣越しの背中にしがみ付き、鎮まるのを待つ』。
・『ようやく息をつくと、ずっ、と引き抜かれて脳内に火花が散った。また深く入ってくる。下腹部に力を込めると強く伸縮して、鞍田さんが唾を飲む。今度は彼の痙攣が伝わってきた』。
この作品は女性である島本さんが描く官能世界の物語です。『ぐっとドライバーでもねじ込まれたような強い違和感と衝撃』という表現は男性作家さんにはわからない感覚であり、読者の男性なみなさんにも理解不能な世界です。一方で女性なみなさんには人によって差異はあれど想像ができる世界なはずです。男性と女性の間で体験できることの差異はどんどんなくなりつつあるのが現代社会だと思います。しかし、どこまでいっても経験できないもの、一線を超えることができないのが”性”の領域です。ここに、作家さんの性別の違いが間違いなく浮かび上がるのだと思います。私が読んできた小説の中では、夜の魔女・リリスがさまざまな顔を見せる坂井希久子さん「リリスの娘」、赤裸々な性描写が連続する窪美澄さん「ふがいない僕は空を見た」、そしてW不倫の極みを見る村山由佳さん「花酔ひ」など”性”を全面に押し出し官能世界を描く作品は数多あります。それらを読んだ時にも思いましたがそこには嫌らしさというよりも美しい官能世界を感じます。私は女性作家さんの作品しか読まないと決めていますが、名前から来る勝手な思い込みで男性作家の乾くるみさんの作品だけは手違えで読みました。「イニシエーション・ラブ」、「セカンド・ラブ」という作品ですが、こちらにも数多の官能表現が見られました。しかし、そこには上記で挙げた女性作家さん、そして島本さんが描かれる世界とは全く別物の世界がありました。やはり、男性作家さんと女性作家さんが描く官能表現にはそれぞれに超えられない一線があるように改めて感じた次第です。
そんな官能世界を描くこの作品には、島本さんらしい表現に満ち溢れているのも魅力です。
・『腰を動かされるたびに新しい自分を引きずり出されるようだった』。
・『好きになってから抱き合うのだと思っていた。快感が先に来て、それによって体から引きずり出される言葉だなんて知らなかった』。
・『自分でも言い訳だとは分かっているのに、体に、理性が引きずり込まれていく。即物的に脳から止めどなく快楽物質が出て支配されていくのを、たしかに感じた』。
『引きずり出す』、逆に『引きずり込まれ』るという言葉にこだわる島本さん。快楽の中にも極めて冷静にその瞬間、その瞬間の感情を文字にしていく島本さんの官能世界。直情的な表現でしか熱くなれないという方には単にまわりクドイと思われるかもしれませんが、私は大好きです(爆弾発言・笑)。そして、そんな島本さんの官能世界ですが、私が読んできた他の女性作家さんの作品と比較すると繊細さが際立っているように感じました。あくまで主軸は主人公・塔子の生き様にあり、性行為の場面自体も決して長くはありません。しかし、上記した通り島本さんらしい感情表現の機微に満たされている分、静かに燃え上がる青い炎を見るように、繊細で妖艶、そのような官能の世界がここにはありました。
そんな物語の主人公は村主塔子です。夫の真(しん)との間には翠(みどり)という子供がいます。真の両親と同居しているとは言え、姑の麻子との関係は一見良好に見えます。子供が産まれたことで会社を辞め専業主婦としての日々を送っていた塔子。その感覚が以下のように綴られています。
『元気な娘がいて、友達のように気さくな姑と同居していて、夫はそれなりに収入があって』
そう、側から見て、羨ましがられるような存在とも言える塔子は、基本、何ら不満なく生活しているように見えます。しかし、他人からは決して見えないところに塔子の不満は燻り続けています。
『どうしてだろう。こんなにも安定していて、平穏なのに。毎晩同じベッドで眠る夫を、時折、赤の他人よりも遠く感じてしまうのは』。
そこに、性に対する忸怩たる思いが潜んでいることが浮かび上がります。
『もし夫が、私をちゃんと一人の魅力的な女性として扱ってくれていたら。三年間もセックスレスじゃなかったら』。
『セックスレス』は現代社会の男女関係において一つの象徴として語られもする言葉です。もちろん、古の時代とセックスの数を正確に調査した資料などないでしょうからその本当のところは分かりません。しかし、例えば、
あなたは、最近いつセックスをしたでしょうか?
そんな質問をしたとしたら、あなたはどう答えるでしょうか?この作品では、それに即答できない主人公・塔子が偶然にも再会した鞍田との間に若かりし日の一つの感覚を思い出す中に物語が大きく動き出します。
『まだ私の体は覚えているのか。ほんの短期間、この人にだけは溺れたことを』
そして、身体の関係を再開、再び鞍田に溺れていく塔子は、平穏だった暮らしへの疑問に苛まれてもいきます。身体の快楽が心の快楽に勝つ瞬間の到来。そして、快楽への扉が開いた先に思いが弾けていく瞬間の到来。
『本当は、あの家に私がいる意味が分からなくなっていて、このまま連れ去ってほしかった。境目がなくなるくらいにつながって嫌なことをぜんぶ忘れるくらいに激しく抱いてほしかった』。
一方で、娘の翠のことを思い、行為の後に戻ってくる冷静な感情との落差に苦しむ塔子。物語は、女と母の立場に悩む塔子の姿を映し出していきます。しかし、何といっても塔子が行っている行為が不倫である以上、読者の感情移入対象には十全にはなり得ないという状況があります。一方で不倫をされている側の夫・真のあまりの不甲斐なさには同情の気持ちが萎えてもしまいます。そんな状況下に鞍田は大人な姿を見せます。
『俺には、君が現状に満足しているようには見えない』
大学時代の塔子が陥った鞍田との不倫関係。それが今度は塔子が不倫の側に回るという皮肉。そんな塔子は冷静さと錯乱の中にどんどん堕ちていきます。しかし、読者がそこから受ける印象はドロドロした不倫の世界ではなく、塔子が見せる振る舞いもあってどちらかと言うとまっすぐな純愛を見る物語にさえ見えるのが不思議なところです。
『いったん始めてしまったら、この人と寝ないという選択肢なんてない。自分の意志を超えて細胞から引きずられてしまう。そんな相手がこの世にいるなんて、そんなことがこの身に起こるなんて想像もしていなかった』。
物語は後半に入り予想外な場面に展開していきます。官能の先に待つのは天国なのか、それとも地獄なのか、そんな単純な二者選択を許さない物語は、後半に用意された〈エピローグ〉でまさかの結末を迎えます。島本さんらしく綴られる人の心の機微を驚くほど繊細に描き出した物語の終わりを告げる一文。原作と映画では結末が全く異なるとされる物語、ある意味予想外とも言える平穏な結末に驚く物語は、それ故に塔子の内面に刻まれた複雑な感情を読者の中により際立たせるものがあるのだと思いました。
『鍵を外すまではやたらと時間がかかる体も、いったん開かれてしまえばこんなにも快感の速度が変わるのか』。
島本さんが官能世界を文庫本503ページという物量の中に妖艶に描き出すこの作品。そこには、一見なんの不満もないように見える日常を過ごす主人公の塔子が、一方で強く希求する快楽への思いの中にせめぎ合う様が描かれていました。嫌らしさと美しさの絶妙なバランスに酔うこの作品。そんな物語を読後感悪くなくまとめる島本さんの筆の力に驚くこの作品。
官能世界を描いても島本さんは島本さんであることに安心もした、そんな作品でした。続きを読む投稿日:2024.04.13
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