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『遠野物語拾遺retold』配信記念企画 作家:京極夏彦 インタビュー
『遠野物語拾遺retold』配信記念企画 作家:京極夏彦 インタビュー
キャンペーンは終了しました

『遠野物語拾遺retold』配信記念企画

  • 1,382 円(税込)

    『遠野物語』が世に出てから二十余年の後――。出版後、柳田國男のもとには多くの説話が届けられ、増補版として『遠野物語拾遺』が刊行された。収められた二百九十九の物語を京極夏彦がその感性を生かして語り直す。

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インタビュー

小説家京極夏彦による、現代語訳でもない、再編集でもない、“remix/リミックス”という新しい手法で書かれた柳田國男の『遠野物語』から1年。今度は“retold/リトールド”という方法で『遠野物語拾遺』が産み落とされた。妖怪や古い言い伝え、風習を扱った『遠野物語』と京極夏彦は、どんな関係のもと、作品を語り直したのだろうか。


語り直された、かつての“物語”は、いかなる読みを可能にするか。

京極夏彦 ・・・前回の「remix」から「retold」へは、どういった変化があるのでしょうか?

京極: 『遠野物語remix』(以下『remix』)は、柳田國男さんの著作物である『遠野物語』を一度バラバラにして素材に還元し、並べ替えて作り直すという、音楽でいうリミックス作業と同じようなことをしてみたんです。一方、今回の『遠野物語拾遺retold』(以下『retold』)のオリジナルである『遠野物語拾遺』は、柳田國男本人が書いたものではなくて、柳田が『遠野物語』の続集に収録しようと佐々木喜善に集めさせた話を二十五年も経ってから弟子筋の人にまとめさせただけのもの。『遠野物語拾遺』は柳田國男の著作物ではないし、文章自体にアイデンティティがあるものでもない、素材そのものに近いんです。だから順番を並べ変える手法は同じですが、リミックスではない。語り直しのようなものなので、リトールドとしました。

・・・元々の『遠野物語』と『遠野物語拾遺』は、原文でお読みになられた時、文体、内容の違いはどう感じられましたか?

京極:誰が読んでも明らかに違っているので、感じるも感じないもないんですど(笑)。まぁ、『遠野物語拾遺』は付録みたいなものなんです。柳田國男の著作としても認められないケースの方が多くて、柳田國男全集や定本柳田國男集にも入っていません。ただ、柳田國男が『遠野物語』補完構想のもと、佐々木喜善に依頼して用意したエピソード群であることは間違いない。柳田國男は名文家なので、本家『遠野物語』は文芸作品としての価値を見いだされることも多いのですが、『遠野物語拾遺』のほうは、同じような内容であるにも関わらず、民俗資料的な意味以外に作品としての価値を見いだす人は極めて少ない。そういう違いはかなりあるでしょうね。

・・・京極さんにとって、『遠野物語』という本は、もともとどういう本だったんですか?

京極:いや……別に何とも思ってませんでした(笑)。柳田國男は小さい頃からご贔屓だったんですけれど、柳田作品の中で『遠野物語』が特に好きということはなかったです。何の思い入れもないですね。

・・・逆に、好きだった柳田の本というのは?

京極:僕は、本の好き嫌いがないんです。順位付けとか大嫌いで。考えてみれば、柳田國男の他の作品は基本的に論文ですから、こういう形で作品化するのは不可能です。だから、こういうことをやろうとしたら『遠野物語』くらいしかない、というのはあるでしょうけど。

・・・前回も今回も、元々番号で振られた『遠野物語』を、改めて再編集的な形でご自身の考えのもとにまとめられています。以前、水木しげるさんと京極さんとの対談で、京極さんを「整理がすごく上手だ」とおっしゃっていたことがありました。今回も「整理をする」という作業だったのではないですか。

京極:僕にとって、小説を書くことというのはイコール整理することなんです。というか、人生で一番大切なことは整理整頓ではないかとさえ思う。整理整頓ができていれば、だいたいうまくいきます。

・・・そうなんですね(笑)物語における整理というのは、どういう意味でしょうか?

京極:たとえば、小説は多くの場合ストーリーだと思われがちなんですが、ストーリなんかなくてもプロット次第で小説は成立します。朝起きてから寝るまでのことを箇条書きにするだけではただの説明ですが、順を変え、表現を工夫し、言葉を選べば物語になる。読ませる順番や、読ませ方の方がより重要です。それをするためには、整理整頓しなければいけません。書く事柄、それが作品に対してどういう役割を果たすパーツとなり得るのか、どの程度のボリュームにすべきなのか、そこを決めないと配置もできない。
『遠野物語』にしても『遠野物語拾遺』にしても番号がつけられていて、一見整理されているんですが、順番自体にあまり意味はないんですね。それでも『遠野物語』のほうは番号から柳田の意思が汲み取れるんですが、たぶんわざと無作為の順を装っている。『遠野物語拾遺』にいたっては、上から順番に番号をふったとしか思えないですね。当然そのままにはできないので、何らかのセオリーに則って整理整頓をする必要があった。整理の仕方はいろいろあります。コンセプト毎にまとめ方も変わるし、どういうカテゴリーを設けるかによっても分類も変わるし、分類するにしても、順番を付けるにしても、やっぱり整理整頓されていないとダメなんです。入れ替えもできない。大事ですよ整理整頓は。

・・・もはや人生哲学的な意味合いになってくるわけですね。

京極:哲学ではないですね。大原則です(笑)。人間は整理整頓しなければいけません。

・・・それでもできていない人も多いですよね。

京極夏彦京極: いや、それはちょっと違っていると思うんです。作品からは離れますけれど。片付けられない人っていますよね。でも、片付けられない人が整理整頓できていないかというと、そんなことはないんです。整頓はともかく、片付けられない人は片付けられない人なりのセオリーで整理をしてるんですよ。整理イコール「捨ててしまうこと」という人がいますが、それは一番いけないことですね。捨ててしまえばなくなっちゃうわけですから、考える必要がなくなってしまう。

・・・整理するものそのものをなくす、ということですよね。

京極:ただ「捨ててしまえばいい」という考え方でいると、整理整頓は下手になります。他人からするとカオスのような空間でも、不自由なく生活している人がいますね。その人の中では仕分けができているんです。それをちゃんと明文化し、論理立てられれば部屋はいくらでもきれいになります。「面倒くさいから全部捨ててしまえ」というのが、一番いけません。柳田國男は『遠野物語』の増補改訂版を出す際に、「面倒くさいから全部拾遺に入れてしまえ」ということをしてしまったわけです。したがって、本人は手を入れず、未整理のまま付録としてつけるような形にしてしまった。今回は、その未整理の部分だけを作品にしてくれという依頼だったので、ぼくなりの整理をさせてもらいました。

・・・『遠野物語』の中には、いわゆる禁忌であるとか神話的な内容、今でいうと妖怪的な話がたくさん出てきます。当時の人々にとってそれはどういう役割で語られていたんでしょうか。

京極:この『retold』に関して言うなら、その「当時」っていつ? という話なんですね。佐々木喜善が聞き集めた段階で、過去の話もあれば現在の話もあったわけで。過去の話にしても、昔からの言い伝えも話もあれば、つい最近起きた昔話もある。その段階でかなりの開きがある。
『remix』の時は、柳田國男を起点にしました。柳田國男が佐々木喜善から聞いた時点を「現在」に設定したんです。しかし、柳田不在の『retold』では、それができない。果たしてどの段階を現在として設定するか、その基点が決まらない限り時間軸上の配置が明確にならないわけです。今作は「私たち」を起点にするしかありませんでした。そうすると当時の現在は、すでに過去ですよね。さらに習俗、習慣、文化、風習みたいなものも変わっているわけで、今の遠野のものではない。そういう風に考えながら読み解いていくと、その佐々木喜善が語った段階ですでに形骸化している風俗なんかも書かれていて、おもしろく読み直せました。

・・・なるほど、どの時代の話しとして読むかで意味は変わってきます。

京極:たとえば年中行事がたくさん出てきますが、佐々木喜善が聞いた段階で、「警察がうるさいからお祭りをもう止めた」というようなことが書いてあるわけです。民俗学的な資料として読み解くなら、まず「やめちゃった行事」そのものに注目しますね。実際、喜善が記しているのも行事です。次にやめた時期や、行政と大衆文化の関係性の変化ということになるんでしょうが、それ以前に「警察がうるさいから行事を中止しちゃう」という心性が当たり前のようにその時期その地域にあったわけです。喜善も普通に報告しているし、これも民俗ではあるわけ。当時の人が“昔のこと”と認識していることと、当時の人が“今のこと”として認識していることが二重になっていて、その両方が、まとめられた昭和十年の段階でもう昔のことになってしまっている。それからもう七十年以上経ってるんです。その辺の構造を計らないと、なんかブレてしまうんですね。
たとえば拾遺には妖怪みたいなものもたくさん出てきます。でもそれは、『遠野物語』での、山人の怖がられ方とは違っている。リアルに戦慄しているのではなく、ハナシとしての“怪談”に近づいてたりするし、現在のようにキャラクター的に受け取られていて、すでに迷信として小馬鹿にされている感もある。語られた段階で、もう捉え直され始めているんです。一方で、誰々が観音様になっちゃいました、終わり、のような話はそのまんまですね。どこかに基点を定めないと、とても整理できない。単純に「お化けの話」とかで分類することはできなかったですね。

・・・それぞれの人や話しに対してそれぞれの時間がある、ということですよね。

京極:『拾遺』には不思議さが微塵もない新聞の三面記事のようなお話も多く入っているんですね。熊が襲ってきて木に登り、落っこちて死んじゃったみたいな。それは果たして、我々が頭に描いている昔話・民話の類なのか。たぶん、全然違いますよね。喜善が聞くまでの何十年、さらに喜善が書き記してから収録されるまでの何十年、そして現在までの何十年の間に、様々な大きな変質がある。
そこをふまえて整理するためには、すべてを見渡さなければならず、結果的にやはり現代人である“我々にとって”ということになってしまいました。だからリミックスではなくリトールド、今の人たちに向けた語り直しということになるんだろうなと。

・・・俯瞰したところから一回見た、というのが今回のものですよね。

京極夏彦京極:そうですね。これが学術的な研究書や論文であるなら、あるいは正確な“訳文”であるなら、こういうスタンスは取れないし、取ってはいけないでしょう。佐々木喜善はこんな環境の中で育ったからこういう風に書いてしまったんだろうとか、鈴木棠三が書き改める時になにかバイアスをかけたのだろうとか、背景を含めて読み解く作業をしなければ、テキストの研究は成立しないんだろうし、またそういった記述者個人の存在を消して、文化、習俗、民俗といったエッセンスだけを拾って研究対象にするためにも、その作業は必要なんでしょうし。
でも、依頼は前作同様、文芸作品でした。ならば、そうしたもろもろを説明として乖離させるのではなく、ひとつのテキストとしてプレゼンしなければいけない。物語というのは、読む人が自分たちの感性で読み解くことで生み出されるものだからです。まあ、ひとつひとつのお話は、たぶんそんなにおもしろくないですし(苦笑)。

・・・(笑)いわゆる言語化されずに引き継がれていた習わしみたいなものを、言語化することの目的や役割は、どういうところにあると思われますか。

京極:民俗学者にしても文化人類学者にしても、「なぜこんな風習やしきたりがあるのか?」ということを考察しますよね。もちろんそういう学問なんだからそれは当然なんですが、その結果発見された理論があったとして、それは正しいのかもしれないんだけど、じゃあ果たしてそれを実行している民俗社会の人たちは、そういう小難しい理論に基づいてそれを行っていたのかしら、と思ったことはありませんか?

・・・あります。

京極: まあ意識はしていないんですね。少なくともやってる人の多くの中では明文化されていない。だから外から来た人に言語化されてしまった途端、「あ、なら迷信じゃないか」みたいなことになったりもしますね。迷信は根拠のあるなしにかかわらず、信じられているうちは迷信ではありません。学問には探っていき、暴いてしまうことによって民俗を壊しているという側面が確実にあるんです。
これは小説の探偵と一緒ですね。何か事件があったとして、金田一耕助がやって来て探り始めるでしょう。すると母が殺人者で父が実は祖父で妻が従兄弟で犯人だったとか(笑)、わかってしまう。事件は解決しますが家庭は崩壊、一家離散(笑)。全く同じことです。「それでも法のもと真実は暴かれるべきなのだ」と言えば、まぁそうなんだけど。
民俗学者や文化人類学者は、いわゆる探偵役です。その探偵を必要としている現代人というのがいて、現代人にとって過去はある意味事件で、その事件を近代の名のもとに解決したいわけです。過去という事件を解決するために、時代が民俗学者という探偵を欲したわけですよね。それで、探偵が事件を暴く。それによって過去は幻想の過去から赤裸裸な現実になってしまう。その段階で解体されてしまうものがある。この『遠野物語』が語られ、聞かれ、書かれた時代に、まさにそれが起こっていたわけです。

・・・なるほど。いろいろなことが明らかになり始めるぐらいの時代。

京極:「あいつ犯人じゃないか」とか、「これはこういうトリックなんじゃないか」とか、そういうことに東北の喜善は気づいていなくても、柳田國男は気づいている。柳田は『拾遺』が出た段階では近代に依頼された探偵という自覚をはっきり持っていますね。過去をデータベース化して再編集し、近代を作ろうとしている。でも、喜善や鈴木棠三は違います。それぞれに理解に温度差があって、それは当事者か探偵かという関係でもあるし、関係者か犯人かという関係でもあるわけですよ(笑)。今の我々にはみんな一緒に見えるんだけれど。『遠野物語』や『遠野物語拾遺』を読んだ時に感じるのはまさにそこ。他の民話集にそういう温度差はないんです。語っているおばあさんがいて、それを聞いた人が書いているだけだから。

・・・おばあさんが犯人である可能性を含まずに話を聞いてしまう、ということですね。

京極: 『遠野物語』は民俗学の始祖が書いたバイブル、または一級の民俗資料として読まれることが多いですが、なぜ"物語"なのかを考えて読んでみると面白いですね。柳田國男が"語ること"と"記すこと"をどう捉えようとしていたのか、その後の柳田学の方向性と併せて考えると、とても興味深いです。

・・・先ほど探偵という言葉が出てきましたが、京極さんが書かれる、妖怪と探偵が出てくる小説は、ある種ここと繋がる部分があるのでしょうか。

京極: 僕はミステリーでデビューしましたけど、ミステリーを書こうとしたわけではありませんでした。妖怪を題材にした小説を書くため憑き物落としの作法を援用してみただけです。そうしたら「本格ミステリーのスタイルに極めて近い」という評価をいただいた。好きな分野でしたから素直に喜びましたが。それ以降もジャンル小説を書こうという意識は全くなくて。思えば『嗤う伊右衛門』や『覘き小平次』なんかは、『remix』と全く同じ手法で作っていますね。というか、まあ常に同じようなことをやってるんですね(笑)。
『remix』と『retold』の差は、柳田國男という主人公がいるかいないか、ですね。『remix』の方は柳田國男というキャラクターを中心に置いて、オリジナルでは上手に消されている柳田視点をある程度意識しながら書いたんですが、『retold』は、前述のように柳田がある程度投げている。主役が不在なんですね。だからどちらかというと三人称他視点の小説に近くなりましたね。まあそれは書き手の問題で、読まれるかたはまるで気にしなくていいです。『remix』も『retold』も同じようなものだと思いますし。

京極夏彦

プロフィール

京極夏彦(きょうごくなつひこ)

1963年生まれ。北海道小樽市出身。
世界妖怪協会、全日本妖怪推進委員会肝煎。
古典遊戯研究会紙舞会員。お化け大學校・水木しげる学部教授。

1994年 「姑獲鳥の夏」でデビュー。
1996年 「魍魎の匣」で第49回日本推理作家協会賞長編部門受賞。
1997年 「嗤う伊右衛門」で第25回泉鏡花賞受賞。
2000年 第8回桑沢賞受賞。
2003年 「覘き小平次」で第16回山本周五郎賞を受賞。
2004年 「後巷説百物語」で第130回直木賞受賞。
2011年 「西巷説百物語」で第24回柴田錬三郎賞受賞。

前作『遠野物語remix』も合わせて読む
  • 1,512 円(税込)

    山の中で高笑いする女、赤い顔の河童、ふと見上げた天井にぴたりと張り付く人・・・・・・遠野の郷にいにしえより伝えられし怪異の数々。柳田國男の『遠野物語』を京極夏彦が深く読み解き、新たに結ぶ。新釈“遠野物語”。

    【読者の投稿レビュー紹介!】
    まさし
    「遠野物語」を読んだ人も読んでない人も
    「遠野物語」は一度読もうとした事がある。そのときは、一時代前の文章が難解で読破できなかったのですが、この本は現代語に訳されており読み易く、ところどころに現れる京極節にも、思わずにやけてしまった。 もちろん、内容もとても面白かった。 しかし、遠野だけでこれだけ魅力的な伝承があるとは、日本全土には、一体どれだけの伝承があったのでしょうか。 「日本伝説集」を読んだときにも感じましたが、自分が生まれ育った地域には、どれだけの伝承が残っているのか気になりました。柳田國男によって残された遠野が羨ましい。

日本の民俗学の原点を知る必読書。柳田國男版『遠野物語』
  • 421 円(税込)

    現在の岩手県遠野市は、以前は山にかこまれた山間隔絶の小天地だった。民間伝承の宝庫でもあった遠野郷で聞き集め、整理した数々の物語集。日本民俗学に多大な影響を与えた名作。


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